夏の日・7

 ***



 翌日。

 オデッサさんの予報通り、朝から天気は雨。シトシトと雨が降るフェズの町を、俺はカシムさんと歩いていた。

 カシムさんの剣の師匠に御目見する為である。アルとゼラは別荘で留守番。オデッサさんが算術やら語学やらを教えてくれている。


「"一応"校外学習ですからな。ほっほ」


 雨用のフード付き外套を着込んだカシムさんが笑う。雨降りとはいえフェズの町は相変わらず混み合っており、逸れないようにするのがやっとだ。


「⋯⋯⋯⋯」

「さて、オデッサから私の話を聞きましたかな」

「はい。カシムさんと言うよりも、クレイソン家の話を。それで、カシムさんは……」

「恐らく、シャーフ君の考えている通りですよ。私は孫可愛さに、君に過酷な訓練を課している鬼畜ジジイです」


 隣を歩くカシムさんは、悪びれる様子もなく言った。

 雨の視界の悪さもあり、フードの下の表情は読めないが、そっちが開き直ってくれるなら逆にやりやすい。


「知ってます。孫を可愛いと思う感情があった事に驚きです」

「ほっほ⋯⋯ありますとも」

「というか、オデッサさんが俺に話すのを知っていたんですね?」

「ええ。アレは度が過ぎる話好きの世話焼きですからな」


 血は争えないというやつだ。


「俺はそれでも剣を握り続けますよ。むしろ、俺の目標の為には渡しに舟です」

「しかし、正直に言いましょう。もしサンディあのこが、クラウンガードの責務に矜持を持って臨んでいるのであれば、私の目論見、そして君の目標は達成できぬでしょうな」


 それは、カシムさんから見た俺の評価だった。


 ここから三年間、次の『銀の旋風』まで鍛錬を積み続けたとして――それはサンディさんも同じだったら。

 俺より小さい頃から剣を振り続けたサンディさんとは、今でさえ大きな差がある。それを覆すほど、俺に秀でた剣の才があるわけではない、と言外に言っているのだ。


「⋯⋯厳しいですね」

「だからこその一刀流レヴィン搦手からめてです。それに、今からお会いする私の剣の師――フリデリカと言う方に、何か良い手が無いか聞きに行く次第です」

「結構、藁にもすがる思いだったんですね⋯⋯」


 三刀流・・・。東大陸の剣術の始祖、ラフィールのひ孫だと言う、その翁に⋯⋯ん? 『フリデリカ』と言う名前からしておうな、もとい女性なのか?


「女性の方なんですか?」

「左様。少々変わった方でしてな、私も修行時代は散々苦しめられたものです」

「カシムさんから見て『変わった方』って。不安しかないんですが」

「ほっほ、しかしお年を召して丸くなられましたから、心配する事はありませんよ」


 だといいが。カシムさん以上の変人、もとい超人が出てきたら対処に困る。


「⋯⋯っとと」


 しかし、人混みと雨でかなり歩き辛いな。話しながらだと尚更だ。

 カシムさんも同じ事を思ったのか、顔を合わせてひとつ頷き、口を閉じて前を向いた。


「外套の端を掴んでいなさい」

「はい」


 背が高く、老体でありながら背筋が伸び切っているカシムさんは、人混みの中でも見失いにくい。

 ただ、それは俺から見た話だ。カシムさんから見た俺は、胸ほどの身長しかない。向こうが俺を見失い、なおかつ俺が、誰かにぶつかった拍子に目を離してしまえば――。


「⋯⋯しまった」


 あっという間に迷子の出来上がりである。

 カシムさんの外套を掴んでいた手も、割り込んで来た人によって剥がされてしまった。

 さらに悪いことに、どんなにもがこうとも、人の波に押されてどんどん道の隅に追いやられて行ってしまう。


 建物と建物の間、路地裏に弾き出された俺は尻餅をつく。幸いここは人通りが無いようで、もみくちゃにされずに済んだ。

 参った。学園都市ほどでは無いとはいえ、フェズは広い町だし、昨日訪れたばかりの俺には土地勘も無い。


 大通りに出てカシムさんを探すか、カシムさんが気づいて探してくれるのを待ってジッとしているか……後者だな。あの御仁なら、すぐに気づいてくれそうだ。


「ふう……」


 建物のひさしの下に入り、雨粒をしのぎながらため息をつく。

 こんな時に子供の身体である事がもどかしい。大人だったなら、人混みをかき分けてでもカシムさんと合流できただろうに。

 ウォート村から出てから、かなり背は伸びた様に思う。筋肉もそこそこ付いてきた。ついでに髪も伸びっぱなしなので、後ろでくくっている。

 邪魔になって来たし切るか。いっそのこと、トゥーリオのように坊主にしても良いかもしれない。


 とりとめのない思考を巡らせつつ、壁に寄りかかりカシムさんを待つ。

 庇や近くの幌を打つ雨だれが段々と強まってくる。やがて本降りになり、目の前の視界すら朧気になりつつあった。


「⋯⋯⋯⋯?」


 そんな中、歌声が聴こえた。

 歌詞は無い。女性のハミングが、雨音の中でもはっきりと耳に届く。


 雨が煙りのようにけむり、ぼやける景色。

 美しい声が奏でる、悲し気な曲調の歌。どこか幻想的だ。

 昨日あまり寝付けなかった事もあって、段々と眠くなってしまう。

 少しだけ瞼を閉じようとした瞬間――胸に痛みが走った。


「あ、あー、うあ」


 俺が出した声ではない。目の前に現れた、虚ろな目をした、ナイフを持った男が上げたうめき声だった。おそらく俺の心臓を貫いたナイフから血が伝い、男の手を赤く染めていく。


 こんな状況でも俺は何故か、眠くて仕方がなかった。やがて体から力が抜け、膝をつくと同時にナイフが抜ける。うつぶせに倒れ、胸から血が溢れ出し、雨に流れていくのを、霞む視界の中で虚ろに眺めていた。


 薄れゆく意識の中、女の歌声が響き続ける。

 悲し気な曲調のそれは、葬送曲レクイエムだろうか――。


「ぁ……」


 これから死ぬという時に、ぼやけた頭でそんな悠長かつ間抜けな事を考えながら、俺は目を閉じた。



 ***



「本当に死なないのね」


 セナは、建物の屋上から一部始終を見ていた。


 男はシャーフを刺した後、正気に戻すと・・・・・・、目の前の光景を見て慌てて逃げていった。


 しばらく経ち、シャーフの右手が白く輝き、剣が出現。命を落としたはずのシャーフも起き上がる。剣は右手に吸い込まれるように消え、しばらく茫然としていたが、胸を抑えてうずくまった。


「女神の寵愛を受けて生まれた子……これを殺せだなんて、テュフォン様も無茶な事を言うものだわ」


 セナは外套のフードを被り直し、踵を返す。


「でも、あのお方に報いるためならば……。ふふ、もう少し、様子を見てみましょう。死とは、生命活動が止まった時だけではないのだから」


 そして、悲壮な歌を口ずさみながら、降りしきる雨の中に消えていった。



 ***



 通り魔に刺された――なんで。

 何も悪い事は、多分、していないのに!


 幸い、俺が生き返った場面は誰にも見られていない様だった。


 しかし、これは中々にメンタルに来る。

 "雨の中うとうとしていたら通り魔に刺されて死亡"。

 今までの死亡歴を遡ってみても、ここまで理不尽な死に方は中々ない。


「なるほど、屋台のいい匂いに釣られて私と逸れ、その上転んでトマトソースを服にぶちまけたと」


 カシムさんは顎髭を手で撫でつけながら、俺の言を復唱する。

 路地裏で辺りを警戒しながら待っていると、ようやく迎えに来てくれたのだが、俺の服が血塗れだったことを指摘された事への言い訳であった。

 幸い、雨で洗ったので血の匂いは消えていた。


 この世界において、ゼラの猫耳がそうであるように、俺の"不死"もマイノリティだ。というか俺以外に見かけた事など皆無である。故に、村のみんなや、家族にも話していない。


 一度だけ、南の遺跡で明かした事があったが――。


 ともかく、この不死性を明かす事はリスクがありすぎる。と言うか、畏怖や敬遠されることが怖かった。


「……まあ、そういう事にしておきますかな。それよりも、服を着替えなければなりますまい。一度、別荘に戻りましょう」


 カシムさんは疑っているようだったが、深くは追及しなかった。

 その後、再び人混みを通り、別荘にて着替え、再度フリデリカさんの元へと向かった。但し、今度はカシムさんが俺をおんぶしながら。それはもう軽々と。


 恥ずかしいのと、本当にこの人は老人なのかと言う疑問で頭を満たしながら、雨の中を大きな背に揺られていく。

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