夏の日・5

 ***



 フェズの町は大賑わいだった。どこを見ても人、人、人だ。

 これが普段の姿なのかもしれないが、『アクアリムス』の公演が一枚噛んでいるのは間違いないだろう。

 と言うのも、そこかしこで空いている宿の問い合わせや、チケット取引の声が聞こえて来るのだ。


「はるばるサンドランドから来たんだ! 宿がないって⋯⋯」

「倍払うわ! 一等席のチケットを譲って⋯⋯」


 喧騒に耐えかねているのか、ゼラは手でヘアバンドを抑えている。猫耳を塞いでいるのだろう。


「⋯⋯はぐれるなよ?」

「頭がぐわんぐわんします」


 本当に具合が悪そうなので、ゼラの肩を掴んで押して人混みを歩く。前を歩くカシムさんから逸れないように。


 フェズは王都ウィンガルドやリンゼル学園都市ほど広くはないが、同じくらいの人口が密集しているのではないかと思うくらいだ。


「カシムさん、こんな人だかりで訓練なんて出来るんですか?」


 人混みに飲まれないように声を張って、前を歩くカシムさんに問う。

 遠くに見える白い砂浜にも人の群れだ。バーベキューでもやっているのか、煙が立っている。これでは砂浜ランニングも出来ないだろう。


「そうですな、私もここまで混んでいるのは予想外でした。一先ず、私の別荘に向かいましょう。話はそこで」


 カシムさんは、舟を漕ぐアルをおぶさりながら答える。

 俺は頷き、引き続きゼラの背を押した。



 ***



 カシムさんの別荘は、町はずれに建っていた。

 木造の趣のある……いや、ハッキリ言ってボロい、二階建ての屋敷だ。

 一応、管理人を雇っている様で、庭や屋敷内は綺麗に保たれている。


「なんか思ってたのとげー」


 食堂で、管理人が用意した食事を頬張りながら、アルは笑いながら言う。


「ほっほ、どんなものと思っていましたかな?」

「なんかこう、ドーンって!」

「ほっほ、私はそこまでお金持ちではないですよ。この屋敷も、半ば押し付けられる形で頂いたものですからな」


 とは言うものの、ボロさに目を瞑れば、結構立派なお屋敷である。

 フェズの町というリゾート地に建っているし、喧騒からも遠い。


「ご堪能いただけておりますか」


 エプロンを掛けた若い女性が、俺のグラスに茶を注いでくれる。

 彼女は管理人のオデッサさん。カシムさん兄の娘……つまり姪にあたるらしい。サンディさんから見たら伯母だ。

 長く伸ばした白金色の髪で片目を隠した、二十代後半と思しき女性ひとだ。物静かな雰囲気を纏っている。


「はい、とても美味しいです」

「それはそれは。まだデザートもありますから、楽しみにしていてくださいね」


 オデッサさんは軽く会釈し、調理場へ下がっていった。


「はむ、はぐっ。これはなんという魚ですか」

「ほっほ、それはカジキですな。フェズの近海で獲れるのですよ」

「お肉みたいで食べごたえがあります。気に入りました」

「なー! 美味いよなー!」

「それは重畳。さて、それでは皆さん、食べながらこれからの事を話しますかな。まず、訓練ですが、フェズの町はご覧の通りの混み具合です。町の広場や砂浜を使おうかと思っておりましたが、旅人が野営している有様です」


 それは別荘に辿り着く道中で見た。フェズの町の中央には、かなりの面積の広場があるのだが、そこには所狭しとマナカーゴが停車してあった。宿を取れなかった来訪客がこぞって車中泊しているのだ。


「町長が、旅人向けに開放しています。『アクアリムス』が去るまでの、特別措置だそうですよ」


 デザートを運んできたオデッサさんが言う。

 配膳されたガラス製の器に盛りつけられているのは、桃をシロップ漬けにしたもので、とても甘くて美味しい。疲れた体に沁みるようだ。


「おやオデッサ、そうでしたか。そして砂浜も同様に、観光客で溢れていますな」

「じゃあどうすんの? 庭で剣を振るとかー?」

「それも良いですが、それではフェズここまで来た意味が薄いですな。そこで――オデッサ、例のものを」

「はい、ここに」


 オデッサさんが、食堂の隅から木製のクローゼットを引っ張ってきた。

 下部に車輪がついており、ある程度は移動させられるもののようだ。


「カシムさん、これは?」

「ほっほ、開けてみなさい」


 促され、クローゼットの取っ手を引いてみる。

 お化けでも飛び出て来るかと思いきや、その中には『ネル』のような、厚みのある生地で作られた衣服が掛けられていた。

 しかし、膝丈のズボンだけだったり、レオタードのような布面積の少ないものだったりと――つまりこれは、


「これは、水着ですか?」

「私の店で作っている、行水用、水泳用の衣服ものです。子供用を揃えてありますので、好きな柄を選んでいいですよ」

「つまり、海で泳ぐんですか?」

「左様。いい訓練になりますよ」


 なるほど。水泳は全身の筋肉を使うことから、トレーニングにはぴったりだ。

 この推定ネル生地も、水に濡れても透けない、水着に適したものである。


「へーすげー! なあなあ、シャーフはどれにする?」

「そうだな……」


 デザートを食べ終えたアルと、水着を物色する。

 花柄やチェック柄など、色々な種類がある。正直ファッションにこだわりは無いのだが、これだけ種類があると迷ってしまう。


「どれどれ。私の美少女っぷりをひきたてるものはありますか」


 俺とアルの間に、ゼラが首を突っ込んでくる。


「……待てよ?」


 ゼラこいつも泳ぐんだよな?

 泳いでいる間にヘアバンドが外れでもしたら、猫耳を衆目に晒すこととなる。


「私のかれいな泳ぎを見せてあげましょう」

「ゼラっち泳げんの?」

「バカにしないでもらいましょう。それはもうザバザバですとも」


 それがどんな騒ぎを巻き起こすか想像もできない。

 なにせ、獣の特徴を持った人間など、この世界ではマイノリティ。少なくとも今まで旅してきた中で、存在を確認できたのはゼラとマルコだけだ。

 本人は気にしているのかしていないのか分からないが、無用なトラブルを避けるためにも、隠さねばなるまい――。


「……これなんかいいんじゃないか」


 俺はクローゼットの中から、頭からつま先までを覆う、ウェットスーツのような水着を手に取り、ゼラに差し出した。顔だけしか露出しない、文字通り全身タイツだ。なんでこんなデザインのものがあるのかは知らないが。


「……」


 ゼラは無表情でそれを眺める。表情は読めないが、こいつの考えている事、次に吐くセリフはなんとなくわかる。「ふざけているのですか」だ。


「ふざけているのですか」

「やっぱりな。そう言うと思ったよ、バカめ」

「バカと言った方がバカですバカ。こんなもの、私の"ないすばでぃ"を包み隠してしまうではないですか」


 ゼラは俺の尻を平手でバシバシと叩きながら不満を漏らす。

 そしてクローゼットの中に手を伸ばし、自分の選んだ水着を俺の目前に突きつける。


「こっちがいいです。この動きやすそうな方が」

「ゼラっち、それはちょっと小さくねー?」

「アルはまだまだ子供ですね。これで渚のしせんはひとりじめですとも」


 ゼラが手にしたのは、ビキニタイプの白い水着だ。

 必要最小限と言うか、必要無いほど布面積が少ない。と言うか紐である。旅をしていた時の服装もそうだが、こいつは露出狂のフシがある。

 なんでこんな、児童ポルノ禁止法に抵触するようなデザインのものがあるのか。この世界の法律に適用されるのかは知らないが。


「いいか、今は夏だ。陽射しは強く、海面からの反射もある。一度ひとたび素肌を晒して泳ぎでもすれば、お前のその"ないすばでぃ"とやらは、二目ふためと観れないほど赤く腫れあがるだろう」

「ほう」

「確かに、日焼け止めはありますが、限界があります。女子の肌にフェズの陽射しは酷でしょう。あまり素肌を露出しない水着をお勧めしますよ」


 オデッサさんから助け舟が入った。


「しかし、女の子ですからお洒落もしたいでしょう。全身タイツというのもお可哀そうです。ですから、こちらのワンピースタイプのものはいかがですか?」


 ゼラは、俺とオデッサさんを交互に見つめ、コクリと頷いた。

 ぐ……。これでは猫耳隠しが解決していない。仕方ない、紐か何かでヘアバンドを固定するか。


「オレこれー! シャーフはこれな!」

「勝手に決めるなよ……まあいいか」


 アルが手に取ったのは、膝丈のズボンタイプだ。俺の、と言って差し出されたのは色違いである。


「ほっほ、気に入って貰えて何よりです。では明朝、海に向かいましょうか」

「明日は雨が降るそうです。海水浴は危険かと」

「おやオデッサ、そうですか。ならば明日はゆっくりするとしましょう。ほっほ、私も久しぶりの運転で、少し疲れました」


 どうやら、海水浴は延期の様だ。

 そして、老齢にして体力お化けのカシムさんが『疲れた』とか、どの口が言うのか。


「では、生徒の皆様はお休みください。お風呂は一階の、廊下の突き当りにありますよ」


 オデッサさんがそう言い、食事会は閉幕と相成った。

 三人にそれぞれ一部屋割り当てられている様で、子供に対して破格の待遇である。


「おお……あこがれの一人部屋だー!」


 部屋の鍵を受け取ったアルが歓声を上げる。ちなみに、パティから聞いた話では、学園寮は三人で一部屋らしい。


 俺も一人で――更に言うと、きちんとしたベッドで寝るのは何時以来だろう。

『自由の翼団』で旅をしていた時は、基本的にマナカーゴの中で雑魚寝だったし、学園に入学してからは車中泊。マナカーゴが壊れてからはゼラと相室だ。


 久々のプライベート空間。虫の鳴き声も、風の音も、幌を打つ雨音も、ゼラの寝相も気にしなくて良い。ありがたく、ゆっくりさせてもらうとしよう。


「ああそれと、夜間は屋敷内を歩かないようにしてくださいね。扉を叩かれても無視してください。お化けにさらわれてしまいますからね」


 食堂からけようとした俺たちに、オデッサさんがそんなことをのたまった。

 要は『夜更かしせずに寝ろ』という事なのだろうが、この古い、趣のある屋敷で『出る』と言われると、それはそれで背筋に冷たいものが走る。


「へーお化けかー! 魔法きくかな?」

「おばけ……」


 しかしアルとゼラに脅しは通じていない様だった。

 後者は相変わらずの無表情なので、本当はビビりまくっている可能性も無きにしも非ず。


「着替えは各々の部屋に用意してありますからね。それでは、お休みなさい」


 そこで各自の部屋へ解散となった。

 風呂はひとつしかないので、先にゼラが入り、その後に俺とアルが一緒に入った。



 ***



「じゃーなシャーフ! お化けが来ないうちに寝ろよー!」


 アルのツンツン頭は水に濡れてもその硬度を維持していた。それを揺らしながら、アルは割り当てられた部屋に入って行った。

 いつでも陽気な奴だ。見ているこっちまで気分が良くなるような、サッパリした少年である。


「おやすみ、アル」


 俺は手を上げてアルと別れ、部屋に入る前にトイレへと向かう。


「あれ、間違ったか⋯⋯ん?」


 薄暗い廊下を進むと、行き止まりになっていた。

 その突き当たりの壁に、抜身の剣が掛かっていた。少し錆が浮かんだ銀色の刀身が、魔晶のオレンジ色の灯りを反射している。


 どうしてこんな、屋敷の隅に剣が――?


 装飾用の剣なら居間や食堂、もしくは室内に飾るだろうに。

 気になり、剣に近づく。

 刃は潰されている⋯⋯いや、これは元々、斬る用途で造られたものではないのだろう。あまりにも刃が四角い・・・


 模造品イミテーションか。よく見れば、刀身に文字が刻まれている。


『銀の旋風を制し者に栄光あれ。

 願わくばその力、王家とともに在らんことを


 スコール・リア・ウィンガルドより、

 ウェンディ・クレイソンへ』


「――――!」


 これは――剣術大会『銀の旋風』の徽章トロフィーだ。

 日付も刻印されている。今からおよそ十年ほど前。

 間違いなくウェンディのものだ。


「ウェンディ⋯⋯」


 記憶が鮮明に蘇る。

 思い出さなかった日は無かったが、それでもこうして彼女に所縁ゆかりのある品を、彼女の名を目にして、南の地でのウェンディの最期が思い出されてしまう。


「眠れませんか?」

「ひっお化けっ!?」


 感傷に浸っていると、背後から声をかけられ、間抜けな声が出てしまう。振り返るとオデッサさんが佇んでいた。


「あ、いえ、すぐに寝ますが⋯⋯オデッサさん、この剣は⋯⋯?」


 この屋敷の管理人であるオデッサさんなら、この剣の由来について知っているだろうと踏んで、尋ねてみた。

 オデッサさんは困ったように微笑み、カップを持つように指を曲げ、口元に持ち上げて見せた。


「温かいお茶でも淹れましょうか。ミルクと蜂蜜をたっぷりいれて」

「はい⋯⋯?」

「少し、お話ししましょう、シャーフ・ケイスケイさん。私の家について――」

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