夏の日・4

 ***



 合宿の準備を、ということでその日の授業はそこで終了となった。

 しかし準備と言っても、カシムさん曰く、


『衣食住はこちらで準備しますので』


 との事で。替えの下着や財布を荷物袋に詰めるくらいだ。

 出発は明朝。それまで如何にして過ごすかだが、特に何も無かった。


「よいですね、この高いところから見下ろす感じがなんとも」


 ゼラはハンモックに夢中である。


「うーん……。ゼラ、その辺をブラブラして来ようと思うんだが、お前はどうする?」

「私はいいです。お土産を所望します。主においしいものを」

「ブラブラするだけだ。じゃあ行ってくるぞ」


 ゼラに見送られながらボロ小屋を出る。


「さて、どうするか……そうだ」


 パティのせいで腫れあがった唇をどうにかしよう。となれば、気は進まないが魔法薬の先生を訪ねるのが良いだろう。

 そう決め、俺は校舎に向かって歩を進めた。



 ***



「……誰だ貴様は!?」

「シャーフ・ケイスケイと申します、ロナルド先生」


 魔法薬学の教室を訪ねると、中には生徒の姿はなく、ロナルド先生だけだった。

 この人と密室で二人きりというのは、身の危険を感じるので気が進まないところではあるが、唇を治すためなので致し方ない。


「なんだ貴様か……仮面を被っていないから誰かと思ったぞ」

「よく言われます。鬱血した唇によく効く薬を下さい」

「私のことを便利な薬屋とでも思っているのか貴様ァ……。大体、そんなに腫れ上がるまで鬱血するとは、何をしたのだ」

「赤くてモフモフなのに襲われまして」

「魔物か何かか……? フンっ、冒険者稼業などしているからそんな目に遭うのだ! これに懲りたら勉学に励め!」


 そうは言いつつも、ロナルド先生は薬棚から平べったい缶を取り出し、俺に放って寄越してくれた。


「ひと掬いして塗れ。すぐに腫れは引くだろう」

「わあ、ありがとうございます先生」

「と言うか、今度から私ではなくカサブランカ女医を訪ねろっ。私は保険医ではないぞ!」

「善処します。……ん?」


 ロナルド先生が開けた薬棚――その奥に、古い紙束があった。


「先生、それは……」

「あぁ? ……んごっ!?」


 俺が指摘すると、先生は豚のような悲鳴を上げ、大急ぎで薬棚を閉じた。


「"んご"って。先生、その紙束は俺の小屋にあった……」

「こ、こここ、これは私が今度学会に提出する報告書だ! それ以上でもそれ以下でもない!」

「……そうなんですか?」

「そ、そうだ! わかったさっさと行けッ! この……唇お化けがッ!」


 いきなり激昂したロナルド先生。俺はそれから逃れるように、薬缶を抱えて教室から出る。

 やはりこうなった。いつ爆発するか分からないから、この先生は苦手だ。

 しかし……あの紙束。ボロさ具合と言い、以前小屋で見つけ、空き巣に遭った『失われし転移魔法と~』と似ている、気がする。


「いやでも、先生が空き巣なんてなあ……?」


 ヒステリーを起こしがちではあるが、アレでも先生だ。

 勝手に生徒の家に踏み込んで、荒らすなんて事はしないと思いたいが……。


「おっ、効いてる効いてる……気がする」


 疑念を抱きつつ薬缶を開け、中の軟膏をひと塗りすると、心地いい清涼感が唇を包む。これを返しに行くのは、ほとぼりが冷めてからでいいだろう。


 さて、唇が治ったので、本格的にやる事がなくなってしまった。

 まだ行った事がない、この学園の図書館でも覗いてみようか――そう思い、校舎内を歩いていると、廊下の隅にピンク色の物体が落ちていた。


「うぅ……ミドリガメがぁ……誰かボクを養ってぇー……」


 そのピンク色の物体は時折蠢き、意味不明な譫言を発している。

 まばらに廊下を歩く生徒たちは、それを可哀そうなものを見る目で一瞥し、通り過ぎていく。


 ……まあ、魔法学園だし、廊下に謎生物が落ちていてもおかしくあるまい。

 俺も他の生徒を倣って放置しよう。図書館にも行きたいし。


「……うっ」


 通り過ぎようとしたところ、ピンク生物から手が伸び、俺の足を掴んだ。

 というかアリス学園長である。保健室で救護されていたと聞いていたが、何故こんなところに落ちているのか。


「あの……離してください……」

「聞いてよぉー……収穫祭もつつがなく終わったと思ったらさぁー……窓の外にミドリガメが貼りついてたんだよぉー……」

「まず俺の話を聞いてくれますかね……。ほら立って、こんなところで寝ころんでいたら迷惑ですよ」


 学園長の腕を引っ張って立たせ、ドレスに付いた埃を払う。

 確か、全裸の男子生徒が学園長室の屋根から吊るされていたんだっけか。


「保健室も追い出されるしぃー……ボクもうお嫁にいけないよぉー……」


 アリス学園長は生気の消えた顔をしている。

 そんなにも男子学生の全裸を目撃したのがショックだったのだろうか……まあ、普通は驚くか。

 このままにしておくのも居た堪れないので、とりあえず学園長室まで送って行こう。


「はいはい……ほら、学園長がそんなんじゃ威厳がないですよ。元から有ったかは疑問ですけど。さあ立って、学園長室まで戻りましょう?」

「うぇぇーん……この世はボクに厳しすぎるよぉー……ん?」

「はい?」


 大根役者もびっくりなウソ泣きをしていた学園長は、俺の顔を見て固まる。大きな瞳は見開かれ、その中には俺の顔が映っていた。

 おお、唇の腫れが引いている。ロナルド先生の薬は効いてくれたようだ――。


「……王子様マイ・プリンス?」

「なんて?」

「――顔ヨシ。身長、ボクより高いからヨシ。年収はぁー?」

「ね、年収……!? なにを言って……?」

「じゃあ、結婚しようかぁー」


 生徒に求婚する学園長。しかも対象は俺である。

 学園長は頬を赤らめ、佇まいを直し、乱れた髪やドレスの皺を伸ばし始めた。


「ボクのおばあちゃまがねぇー、いつかボクのもとに王子様が現れるって言ってたんだよぉー。それが君なんだねぇー? 一目見た瞬間にピンときたよぉー」

「あっ、それは恐らく人違いです。すぐそこに、良く効く魔法薬作れる人がいますよ。案内しましょうか」

「式はいつにしようかぁー? 子供は何人欲しいー?」


 身の危険を感じてその場から逃れようとするも、学園長の手は俺の袖を掴んで離さない。無理矢理振りほどこうとするも、本当に離れない。なんて力だ。


「聞けよ! つーか俺ですよ、シャーフ・ケイスケイ! 十歳の子供に求婚するとか正気かアンタ!?」

「えぇー? シャー君……?」

「そうですシャークンです。正気に戻りました?」

「"恋"ってさぁー……意外なところに落ちているものだねぇー……」

「う、うっとりしながら言わないでください! だ、誰かー! 誰か助けてー!」


 俺の悲鳴を聞きつけ、廊下の奥から何者かが駆け付けた。保険医のカサブランカさんだ。


「んまあっ、何をやっているのですか学園長! 真っすぐ学園長室に帰れって言ったでしょう!?」

「あぁん、ランカちゃんー、邪魔しないでぇー。ボクを養ってくれる王子様がぁー」


 カサブランカさんに羽交い絞めにされ、学園長はじたばたと藻掻もがく。


「……フンッッ」

「おごぉっ」


 しかし、鈍い音と共に首をあらぬ方向に曲げられ、一瞬で静かになった。

 糸の切れた操り人形の様に、くたりと地面に倒れ伏した学園長は、カサブランカさんに抱え上げられる。


「あなた、大丈夫だった? 学園長はちょっと薬で意識が朦朧としていたのね。変な事を言ったかもしれないけど気にしないでね?」

「ああ、はい。ありがとうございます。それよりそれ・・、息の根が止まってませんか?」

「大丈夫よお、アタシ、これでもこの道二十年の玄人プロなんだから」


 力こぶを作って見せるカサブランカ女医。なんだ、それなら安心だ。


「じゃあアタシは学園長を部屋まで送って行くから、あなたはこれから教室かしら? なら急ぎなさいな」

「あ、はい。よろしくお願いします」

「はーまったく、この子ったら、学生の頃から変わりゃしないんだから……」


 ぶつくさと小言を漏らしながら、カサブランカさんは去って行った。

 なんだ、薬のせいだったのか。まあ、いくらアリス学園長とはいえ、いきなり生徒に求婚するなんてありえないよな。


「うーん、結婚か……」


 余談ではあるが、この世界は成人年齢が十五歳である。法で結婚が認められているのも同年齢だ。ついでに飲酒、喫煙も。

 俺は今年で十一歳。あと三年と少ししたら成人となる。その時、果たしてパティとはどの様な関係を築けているのだろうか。

 いや、ずっと一緒に居て欲しいとまで言ったのだ、必ず俺が幸せにしなくては。


 そうなると、学園を卒業した後の事を考えなくては。

 まずは住居の確保だ。家庭を持とうと言うのに、宿から宿への根無し草など考えられない。

 職は……冒険者稼業が手っ取り早く稼げるが、危険な仕事であるし、あまりパティに心配を掛けたくはない。

 それに、その頃までに行方不明の三馬鹿とアンジェリカが見つかっているかどうか、というのも見逃せないポイントだ。傭兵ノーリに依頼しているとはいえ、あまり期待できるものではない。


『銀の旋風』で優勝、そのままクラウンガードの職に就く、というのも考えたが、サンディさんが忙殺されているのを見るに、これも考え物だ。


「うーむ…………」


 三馬鹿が見つかったら、あいつらにも働いてもらって……いや、もしかしたらその頃には、あいつらもあいつらで家庭を持っていたりするかもしれない。

 アンジェリカもそうだ。弟の贔屓目を除いて見ても、器量よしのあの子のことだ、もしかしたらどこぞの誰かに見初められて……。


 ……なんだ。なんか胸のあたりがモヤっとするぞ。


「……シスコンか俺は」


 俺は頭を振り、図書館へと歩を進めた。

 先の事は後で考えよう。今は、今できる事だけに集中だ。



 ***



 翌朝。

 カシムさんの駆るマナカーゴに乗せられ、俺、ゼラ、アルは一路フェズの町を目指していた。

 てっきりフェズまでマラソンでもさせられるかと思っていたが、どうやらそこまで鬼畜ではないらしい。

 しかし、やけに人通りや車通りが多い。これら全てがフェズの町に向かう旅行者なのだろうか。


「そんなに人気なんですか? アクアリムスって……」


 俺は御者台に腰掛け、マナカーゴを駆るカシムさんに訊く。

 この御仁、普段の格好からそれなりに裕福である事が見て取れるが、従者などは連れていないようだ。


「私の勝ちです。アルは弱いですね。非常に。とても」

「くっそー、もう一回だ!」


 ちなみにゼラとアルは荷台でカードゲームに興じていた。

 カシムさんが用意したもので、端的に言えばトランプだ。遊戯内容はババ抜き。この世界で開発されたのか、はたまた他の転生者から伝来されたのか――ともかく、万年ポーカーフェイスのゼラにとっては、この上なく向いている種目だろう。


 閑話休題。カシムさんは頷き、俺に紙束を差し出す。


「それはもう。冊子パンフレット、ご覧になりますかな?」

「あ、どうもどうも。拝見します」

「ほっほ、相変わらず子供らしくない言葉遣いですな」


 受け取った冊子を捲る。

 舞台評論家が書いた短評らしい。


『劇団『アクアリムス』。総勢十名で構成され、光と水の魔法を使った幻想的な演出、踊りは素晴らしい。特に――主演を務める女優、セナの歌は風に乗り、聞く者の心を嵐のように揺らす。筆者も間近でそれを聴いたが、しばらくは夢心地が覚めなかった』


 つまりはミュージカルか。

 オペラとも言うのかもしれないが、俺はその辺の造詣については浅いので、違いは良く分からない。


「カシムさんは見たことはあるんですか?」

「それが、無いのですよ。ほっほ、このよわいにして初見です」


 会話を交わしながら冊子を捲る。


『北大陸での公演を終えた後、フェズの町での公演予定を発表。演目は『月恋花げつれんか』とされ――』


「月恋花って……確か恋物語でしたっけ」

「おや、博識ですな。左様、東大陸のどこかの村で、実際に在った話を元に書かれた本と言われています」


 何故俺が『月恋花』を知っているかと言えば、以前ウォート村に居た頃、『レイン叙事詩』と一緒に、マイノルズさんが持って来てくれた事があった。


 身分違いの男女が報われない恋に身を焦がし、最期は湖に身を投げて心中すると言う、救いのない悲恋話だ。

 話の中で濃厚な描写のベッドシーンがあり、何も知らないアンジェリカに読み聞かせをせがまれて苦心した記憶がある。

 一巻だけの短編だったが、アレは今もケイスケイの屋敷の書斎にあるのだろうか。


「よーっしあがりっ! ゼラっちの負けー!」


 アルの歓声が上がる。どうやらババ抜きに勝ったらしい。


「フェズまではまだ距離があります。シャーフ君も混ざって来たらいかがですかな?」

「そうですね、そうします」


 ケイスケイの屋敷、か――。

 今現在、ウォート村が、屋敷がどうなっているのかは分からない。

 東大陸ここでなすべき事を為したら、一度確認しておきたいものだ。


「おっ、シャーフもやるか! ゼラっち強ぇんだよー、オレのかたきをとってくれ!」

「おう任せておけ。ボコボコにしてやる」

「ほう、口だけはたっしゃですね。ならば賭けましょうか」

「……いや、賭けとかはよくないと思うぞ」

「そこで日和るなよー!」



 ***



 ――一方その頃。

 ここはフェズの町で一番大きい宿、その一室。魔晶の灯りの下、女が手紙を広げていた。


「……ふふ」


 文面を眺める女の青い目は細められ、唇から透き通るような微笑が漏れ、長い黒髪が揺れる。

 彼女の名はセナ。劇団『アクアリムス』の女優だ。そして――。


「セナさーん、もうすぐ通し練習リハーサルですよー!」


 部屋の扉がノックされ、男の声が響く。


「――ええ、いま行くわ」


 セナは丁重に手紙を折り畳み、机の上に置く。

 立ち上がり、扉を開け、迎えの劇団員に微笑みかける。


「お待たせ。行きましょう」

「ファンレターを読んでいたんですか?」

「ええ、そのようなものよ」

「物凄い数ですからね、目を通すのも一苦労でしょうに。でも、セナさんほどの歌声の持ち主なら無理もないですよねー」


 劇団員は扉を閉めながらセナを褒め称え、セナは笑顔で賛辞を受け止めた。


「なにせ、セナさんの歌声を聴いたら、人を襲う魔物ですら改心するって言われてますからね!」

「ふふ、それはどうかしら? ああ、でも」

「はい?」

「ちょっとの間、言うことを聞いて貰うくらいは出来るかもしれないわね。例えば、『都市に向かって歩け』とか――」

「は、はあ……そうですか……?」

「冗談よ」


 いたずらっぽく微笑むセナに、劇団員は苦笑いで返した。


 ――歌姫様は、時々おかしな事を口走る。

 ――才を持つ者には変人が多いと聞くが、この人も例に漏れないと言うことか。


 それが、数年前、突如として座長がスカウトして来て、あっという間に『アクアリムス』を有名にしたセナという女の、劇団内での評判だった。

 しかし決して忌避されている訳ではなく、『そういうものだ』、もしくは歌姫の茶目っ気として受け取られている。


 部屋の扉が閉じ、微風が起こる。暗闇の中で閉じた手紙が開いた。

 その内容は、差出人と受取人セナしか知りようのないものだ。

 これからこの町に訪れようとするシャーフ・ケイスケイには、知る由もない。



 ***



『親愛なる同胞はらからへ。


 マルコが失敗した。


 僕は動ける状況にない。


 君に助力を請いたい。


 シャーフ・ケイスケイという少年を殺してくれ。


 詳細は下記に――』



 手紙の日付は、シャーフが東大陸を訪れた日と一致していた。

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