夏の日・3
***
「お! シャーフじゃん!」
修練場には先客がいた。定期考査の折、少し話をした黒髪の少年――アルバーノだ。
「アル⋯⋯だっけ?」
「そうそう、アル! シャーフもがっこに残ったんだなー!」
元気いっぱいのアルは、ツンツンの黒髪を揺らしながらニカっと笑う。こちらも釣られて口角が上がってしまう、屈託のない笑顔だ。
アルは次に俺が抱えているゼラを見やる。
「そっちのはなんだっけ、
「ゼラな。ちょっといま拗ねてるんだ」
「拗ねてませんハゲ」
「ハゲてねーわ」
「仲良いなー! 兄妹なんだっけ? オレにたもたっくさんいるんだぜ!」
「兄弟が? なのに帰らなくていいのか?」
「いーんだ! うちの孤児院ビンボーだからなー、オレが帰ったらみんなのメシが減っちゃうし!」
孤児院出身――思いがけずハードな境遇を知ってしまったが、当の本人はどこ吹く風といった様子だ。
兄弟というのも、孤児院に引き取られたほかの子供たちの事か。
俺やパティとあまり歳も変わらないだろうに、しっかりした子だ。この拗ね猫に、爪の垢を煎じて飲ませたいほどに。
「アルは貧乏なのですか。よくこの学費がクソ高い学園に入学できましたね」
「ゼラっ、少しは言い方を考えろ」
「あはは、本当のことだしなー! オレ水魔法が得意でさ、特待枠? ってので入学できたんだ!」
特待枠。初めて聞く――いや、言葉自体はもちろん知っていたが『特待枠』なんて制度が、この学園にあったのか。
「――ほっほ、十年ほど前に制定されたのですよ。孤児院出身の子が、群を抜いた成績で首席卒業しましてな」
「カシムさん」
「その功績を讃え、とある孤児院から毎年一名、特待生として学費が免除されるのです。無論、魔法の才能は必要ですが――お久しぶりですね、シャーフ君、ゼラさん、アルバーノ君」
カシムさんが説明しながら修練場に現れる。この人も本業の洋裁店があるだろうに、こうして学園に残っている。
「ほっほ、いつもは木剣の音で賑やかな
「オレたち以外はみんな家に帰ったんだなー」
どうやらそういう事らしい。いつも十数名の生徒がわちゃわちゃと木剣を打ち合っている修練場だが、今はしんとしている。
唯一、遠くの山中からセミの合唱と木々が揺れる音が届く。ああ、夏だ。
「では始めましょうか。まずは走り込みから――――」
***
昼になり、昼休憩開始を告げる鐘が鳴る。
その頃にはアルは他の授業に顔を出しに行っており、修練場には俺とゼラ、カシムさんだけとなっていた。
相も変わらず俺はボロ雑巾になるまで叩きのめされた。また塗り薬のご厄介になる事だろう。
「⋯⋯⋯⋯何か」
カシムさんが静かに口を開く。
「ありましたかな?」
⋯⋯全く、この人には隠し事はできない様だ。
カシムさんと打ち合いをしたのだが、それだけで俺の変化に気づいた様だ。
「⋯⋯はい」
「仮面を外したのと、その腫れ上がった唇⋯⋯」
「あっそっちですか?」
「ほっほ、冗談です。そちらも気になりますが――剣筋に変化がありますな。私が教えたものではない」
やはり、分かってしまうものか。
傭兵たちとの戦闘で、俺は命を奪わないと決めた。
相手の命ではなく戦闘力を
「――カシムさん、お願いがあります」
「なんですかな?」
「俺に
「ほう⋯⋯。訳を教えてくれますか?」
俺は頷き、先日の事件を話した。
傭兵たちとの戦闘、不殺の誓い。人を殺すのも、人に殺されるのも嫌だ、と。
しかし強くなくては大事なものは守れない。守りに長けた
カシムさんは神妙な顔で聞き届けた後、顎に手を当てて口を開く。
「ふむ。ですが、シャーフ君は大きな勘違いをしておりますな」
「勘違い、ですか?」
「私が剣を教えているのは、三年後の『銀の旋風』にて優勝してもらう為。サンディのイルシオンを打ち破る可能性のあるレヴィンに特化させている。それに、戦闘については――」
カシムさんは苦笑した。
「剣を教えている私がこう言うのもナンですが、剣よりも魔法の方がよほど適している」
「それは――まあ、はい」
「この東大陸では伝統として重視されている剣術ですが、対人においても、対魔物においても、魔法よりも優れた戦闘は無いでしょう」
それはそうだ。
遠距離から一方的に攻撃でき、さらにロールプレイングゲームに有りがちな
カシムさんの言う通り、わざわざ
俺だったら『プリティヴィーマータ』を使えば、大方の敵に対しては無双できる、かも知れない。
「そうです⋯⋯ね。そうなんですけど⋯⋯」
「煮え切りませんな。しかし、心象の言語化は難しいものです。落ち着いて、ゆっくりと話してごらんなさい」
「はい」
何故、俺が剣にこだわるのか。
多分、魔法ばかり強くなっても、俺自身が弱いままだと思ったからだ。
それは肉体も精神も、両方。
「手を⋯⋯」
「手、ですかな?」
「手を、取りたかったんです。俺が強ければ、パティを突き飛ばさずに手を取って、燃え盛る村から一緒に逃げる事が出来たかも知れない。崩れ落ちる遺跡から、ウェンディを無理矢理連れて行く事が出来たかも知れない。そもそも、マルコに立ち向かえたかも知れない。だから――」
ただ魔法を繰り返しているだけでは、俺が望む強さは得られない――そう思った。
「成る程、良いでしょう。しかし『ラフィール』を会得するとなると、文字通り一朝一夕では成りませんぞ。なにせ、この私も成し遂げていないのですから」
『ラフィール』――もともと『イルシオン』と『レヴィン』は、三つの剣を使う一つの剣術だったと云う。
「カシムさんも、会得していないんですか?」
「左様。なにせ私が剣を握った頃には、既に別々の流派として枝分かれしてしまっておりましたからな。『大剣を使う動き』と『二剣を使う動き』は習得したものの、『三つの剣を使う動き』は知りません」
「ほうほう……いやでも、俺もイルシオンとレヴィンを別々に習得できれば、それで良いんですが」
俺は何も、最古の剣術を復活させたいわけではなく、ただ強くなれればそれでいいのだ。
しかしカシムさんは首を横に振る。
「大事なものを守りたいのなら、強いに越した事は無いでしょう」
「ええ、いや、それもそうなんですが……」
「世界最強になりたいのでしょう?」
「そ、そこまでは言ってません!」
「ほっほ、少年なら誰しも夢見る事です。恥ずかしがらずとも宜しい」
なにやら話が噛み合っていないが、しかしカシムさんすら分からないなら、どうやって『ラフィール』を会得するのだろう。
「ご安心を、私の師匠なら知っています。ただ、相当な御年輩なので、学園都市に赴いて貰う事は不可能ですが……まあ、丁度良いでしょう」
「カシムさんの師匠、ですか? それに丁度良いって?」
カシムさん自体かなりの御年輩ではあるが、その師匠となると
「せっかくの夏休みです。河岸を変え、新鮮な気持ちで修練に臨んで貰いたいと思っていた所なのですよ。明日より参りましょうか、私の師が居る町に」
「明日!? それはまた急ですね……」
「ほっほ。善は急げ、ですよ。それにシャーフ君もゼラさんも、定期考査で良い成績を残したのでご褒美も兼ねて、です」
「――ごほうび。興味があります」
修練場の隅で涼みながら水を飲んでたゼラが、一気にカシムさんに駆け寄る。自分の得になりそうな単語には耳聡い奴だ。
「ほっほ、そこは『フェズ』と言う海沿いの町なのですが、魚料理が大変評判なのですよ。更に、近日『アクアリムス』の公演もあります」
「魚料理。いいですね、行きます」
「お前は単純だなあ……。カシムさん、『アクアリムス』とは?」
「なんと、ご存じないですか。劇団ですよ。
カシムさんは懐から四枚組のチケットを取りだす。
銀で縁取られ、魚の印章が金の箔押しで彩られたチケットは、見るからに高価そうだ。
「お腹がふくれないならなんでもいいです」
「せっかく用意してくださったのに失礼だろバカ猫。……でも、良いんですか? 貴重なチケットなんじゃ……」
「ほっほ、昔はサンディと観に行っておりましたが、今はあの子も忙しいですからなあ。寂しい老人を慰めると思って、是非ご同行願いたい」
そこまで言われてしまっては、行かないわけにもいくまい。
第一目的はカシムさんの剣の師に会う事ではあるが、せっかくだからこの合宿、楽しませてもらうとしよう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます