これから/夏の日・1
***
「結局、ゼラちゃんはどこに行ってたの? 小屋にもいなかったから心配したよー」
「害虫駆除にいそしんでいました。シャーフ後輩お兄ちゃん、私をあらんかぎりの言葉で褒めなさい」
「害虫てお前……食ったら腹壊すぞ。ロナルド先生に虫下し貰ってきてやろうか?」
「聞きましたかパティ子、人を人とも思わぬ発言。これがこの男の本性です。考え直したほうがいいですよ」
「ゼラちゃん⋯⋯虫食べるのはよくないよ⋯⋯」
「なんとパティ子まで。私はいま、とても不幸せです。早急な幸せの補填を望みます」
麦畑の隅に座り込み、三人で冷めた食事を頬張りながら、特に何でもない事を話し合う。
「⋯⋯と、まあ」
「なにが"とまあ"ですか。勝手にひと区切りしないでください」
「まあ聞けよ、虫食い猫。俺はこれから、ウォート村の復興を目指して行くわけだ。痛っ。道中、ウイングの最後の伝言を伝える使命も残っているわけだが⋯⋯
ゼラに尻をつねられながら、続ける。
「バカ猫がぁ……! とにかく、俺はそれを目指す」
「あたしもシャーフと一緒だよ!」
「そう、パティも一緒。それでゼラ、お前はどうするんだ?」
「私ですか」
「そう、お前だ。お前の出自は知らないが、故郷に帰りたいとかぼやいてただろ? ⋯⋯ま、まあ、お前には世話になった点も、無きにしもあらずだし、その手伝いをするのも吝かでは無いと言うか⋯⋯」
「なんですかいきなり優しくなって、気色が悪いです」
「俺はいつでも優しいよ。それで、どうなんだ?」
ゼラは俺の尻をつねっていた指を、自分の頬に持って行き、口角を持ち上げる。人工的な笑顔を作り、それを俺とパティに向けた。
「まだ、"至宝"と称されるアンジェリカのパイを口にしていません。帰るのはそれを堪能してからでも遅くないでしょう」
「⋯⋯期待してるところ申し訳ないが、あんまりハードル上げすぎると肩透かし喰らうぞ?」
「えーでも、アンの料理ほんっとにおいしいよ。あたしがシャーフん
「⋯⋯えっ? 俺に会いに来てたわけじゃないの?」
「ウソウソ。五割くらい」
それでも五割か⋯⋯。
「⋯⋯えー、ごほん」
「わざとらしい咳払いです」
「話の腰を折るな。⋯⋯えー、じゃあしばらくは一緒に行動する、で良いんだな?」
「嬉しいでしょう」
「あー嬉しい嬉しい。自分のパンツは自分で洗えよ」
「嬉しいでしょう」
「人の話聞けよバカ猫め」
「シャーフ、ゼラちゃんのパンツ洗ってるの!? なにそれ、初耳なんだけど!?」
あれ、なにやら修羅場の予感?
「えー⋯⋯あたしもゼラちゃんのパンツ洗ってあげたい⋯⋯。というかゼラちゃん洗いたい⋯⋯」
「あっ、そっち? というかパティ、このバカ猫に毒されてないか?」
「嬉しいでしょう」
「嬉しかねーよバカ!」
「ゴゴ⋯⋯御三方、倒れた麦を直すの、手伝っていただけまセンカ⋯⋯」
一人⋯⋯一人? 畑仕事をしていたウォートが非難の声を上げる。
俺とパティは腰を上げ、苦笑しながら麦畑の中へと向かった。ゼラは地に根を張ったまま動かない。
ちなみにウォートの存在は、この二人には周知済みだ。
『これは畑ゴーレムのウォート君だよ』
と紹介したところ、特に驚きもなく受け入れられた。
「よいしょ⋯⋯。思い出すなあ、村の畑仕事のお手伝いしてたころを⋯⋯」
「ああ、そうだな⋯⋯」
「"そうだな"ってシャーフ、収穫の時期になると『読書があるから』ってサボってたじゃん」
「⋯⋯ああ、そうだな」
だって村を出る前はもやしですし。
力仕事とかちょっと、文字通り荷が重いといいますか。
「もー。あっそうだ、あたしヴィスコンティ先輩のところでお世話になるね」
「ああ⋯⋯ん? ああ、うん? ⋯⋯えっ!?」
突然のカミングアウトに、俺は思い切り転け、再び麦を倒してしまった。
「アァーーッ、ワタシの麦がアア」
ウォートの悲鳴を聞きつつ、俺の頭の中には『
どういう事?
付き合って一時間もしないうちに破局?
あんな熱烈な寄生⋯⋯もといキスをした後で?
そんな事って――ある?
***
その翌日、安息日。事件が起こった。
全裸の男子生徒が、校舎の頂上――学園長室の屋根から吊るされていたのだ。
早朝にそれを発見したアリス・マールト学園長は『オギャー!』と叫びながら、口から泡を吹き失神。
見廻りを行っていたボリス先生によって男子生徒は救出され、アリス学園長ともども保健室で救護される事となった。
調べに対して学園長は『もうお嫁にいけないよぉー。かわいそうなボクを養ってくれる人ぉー』などと支離滅裂、かつ意味不明な供述をしており、男子生徒は恐慌状態で口が開ける状態ではない。犯人は依然として不明のままである。
――――とまあ、そんなどうでもいい小事件の事は閑話休題。
「――はははっ! 私は女だよ。というか、本当に気づかなかったのかい? それはそれで少しショックだね⋯⋯」
「いえその、中性的な容姿の素敵な人だなあとは思ってましたけど、あの⋯⋯すいませんっした!」
ボロ小屋に訪れたヴィスコンティ――マリア・ヴィスコンティ先輩に種明かしをされ、俺は平身低頭謝罪した。生徒手帳を兼ねる単位帳を見せてもらうと、確かに性別は女性と記載されている。
中性的な整った容姿や、ピシッと伸びた背、男役の女優のようなよく通る声といい、言われなくては分からない。
「まあ私も騙そうと思って騙していたからね、お互い様さ。それに、私にも下心が無かったわけじゃあない」
ヴィスコンティ先輩⋯⋯マリア先輩は、制服のポケットから赤い石を取り出す。火の魔晶だ。
「私の実家は海沿いの街にあり、生業の一部として
「それでうちのパティ子に目をつけたと」
ベッドに寝転びながら話を聞いていたゼラが口を挟むと、マリア先輩は指を鳴らした。
「御明察だ! パティが試験で見せた火力は素晴らしいものだった。ただまあ、魔晶の精錬技術などはまだ未熟だ。だから、夏季休暇の間、修行と実益を兼ねて、うちで働いてみないかって事さ」
なるほど、つまりは青田買いか。
更に聞くところによると、マリア先輩の実家は東大陸でも有数の商家であり、商人ギルド、鍛治ギルドとも太いパイプがあるのだとか。
魔法の修行もでき、更にはバイト代も出る。三食昼寝におやつ付きと、かなりの好条件だ。
「あたし、もっともっと魔法を使えるようになって、シャーフの役に立つよ! おいしいお肉食べさせてあげるからね!」
「別にお肉は良いんだが⋯⋯」
「良くありません。食べたいです」
「だからお前は話の腰を折るな。⋯⋯マリア先輩、良いんですか?」
「ははっ、まあ"働く"と言っても、あまり気負う必要はないよ。魔晶精錬の修行をしつつ、暇な時は海で一杯飲みながら遊んで、疲れたらぐっすり眠る⋯⋯うちの人間もそんな風さ」
「パティは未成年ですが」
「はははっ」
いや笑い事でなく。
しかしまあ、先輩と交友を深められるのは喜ばしい事だとは思う。
それに、パティが行くと決めたのだ。彼女自身、『楽しいバカンス』ではなく『自らを高める』為に行きたいと言っている。どうして俺に止められようか。
問題は、せっかく付き合い始めたのに、夏季休暇の間中ずっとパティに会えないという事か。
俺はどうせ、夏季休暇中も
しかしこれが、お互いがお互いの幸せの為に動くという事なのだろう。会えない時間が愛を育てると有名な誰かも言っていた。
「パティ、行ってくるといい。俺とゼラの分まで楽しんできてくれ」
「待ちなさい、なぜ私も残る前提なのですか」
「お前は俺と楽しく剣術修行だよ。嬉しいだろ?」
「ふざけんなです」
「おっ、言葉遣いが乱れてるな。これは剣を振って精神を鍛えた方がいいぞ」
俺だけが苦しい思いをしているのに、ゼラが悠々自適な生活を送るのが癪に触るというのが本音である。
「なるほど、そこまで私と離れたくないのですか。全く世話の焼けるお兄ちゃんです」
「ああ、そうそう。それそれ。夏になって虫も増えてきたしな」
「寝ている間に捕まえておいてあげましょう」
「お前、絶対やめろよ」
「楽しみです」
と言うわけで、パティとはしばしの別れとなる。夏季休暇は三週間ほど。寂しいが、またすぐに会える。
「それじゃあ私はこれで失礼するよ。⋯⋯あとシャーフ君、聞いてよければなんだが⋯⋯」
「なんです?」
「⋯⋯その唇はどうしたんだい? マスカレードを付けていた時は、そんなじゃ無かったと思うが⋯⋯」
俺の、異様に腫れた唇を見て苦笑いを浮かべながらマリア先輩が言う。
俺の隣ではパティが頬に手を当てながら、ポッと顔を赤くしていた。かわいらしいのは大変結構だが、反省を求める。
「⋯⋯畑で『口吸い赤モジャ子』に襲われまして」
「そんな魔物が⋯⋯?」
「いたんですよ」
「やれやれ、今朝の件と言い、最近の学園は物騒だね。皆、気を付けて」
顔を赤くしたパティに叩かれながら、ボロ小屋の外に出てマリア先輩を見送る。
「さて――」
空は青く突き抜け、青々とした木立が風に揺れ、夏の匂いを運んでくる。
ウォート村を出てから、初めての夏がやってきた。
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