見つけた日・8

 ***




 ――一方その頃。


「ではピエール様、私はこれで失礼致します。旦那様にあまりご迷惑をおかけしない様⋯⋯」

「フンっ、分かってるさ」


 ルナが人混みの中へと消えていくのを見送り、ピエールは「さて」と鼻から息を吐く。


「うるさいお目付役もいなくなったし、僕もお祭りを楽しむとしようかな! はっはっは⋯⋯」


 ピエールは、以前ゼラを拐った際シャーフに股間を強打され、定期考査直前まで王都にある病院で治療を受けていた。

 医者からは、一歩遅ければ種無し《・・・》になっていた――と診断されていた。

 完全に彼の自業自得ではあったが、このピエール・ウッドルフの辞書に『自責』の二文字は存在しなかった。


 王家に連なる名貴族、ウッドルフ家の力を使い、休学中にシャーフ・ケイスケイの暗殺計画を立てた。


 ――調べたところ、シャーフの出自は西大陸から流れてきた流浪の孤児。元剣聖に目を掛けられている様だが、消えた所で大きな騒ぎにはなるまい。

 ――仮に失敗したとしても、この東大陸において、大貴族の子息たる自分ピエールに逆らう事は不可能だ。


 実際にそれは正しい。善悪はさておき、ピエールにはそれが成せるだけの力があった。


 しかし、ただひとつ――ピエールに欠けていたものがある。


「――動けば殺す」


 ピエールは胸部に違和感を覚え、歩を止める。

 視線を落とすと、自分の胸から尖った"何か"が突き出ていた。

 動物の爪の様な、鋭利な刃――それが自分の背中から胸にかけて、貫通していた。


「私は、笑顔が知りたい。なのにお前はそれを邪魔する」


 背後から響く少女の声、ピエールはどこかで聞いたような覚えがあった。

 しかし、その事に考えを巡らせる余裕は無かった。

 自分の胸から突き出た刃は、内臓や肋骨を綺麗に避けている。身体の中心を貫かれているのに死に至っていないのはそういう事だ。

 つまり、僅かでも動けば――死。


「あの子の笑顔には、あの男が必要だ。あの男が死んだら、あの子はもう笑わなくなるのだろう。それは私にとって、今までの苦労が水泡に帰す事を意味する」


 背後の襲撃者が何を、何の事を言っているのか、ピエールは半分だけ理解していた。

 "あの子"が誰かは分からないが、”あの男”とはつまり、シャーフ・ケイスケイの事だ。


「あの男はなかなかにしぶとい・・・・。きっと帰って来るだろう。だが、次におかしな事を企んでみろ。私はとても耳が良いし、気配を消すのも得意だ」


 刃が、つぅ――と肋骨を沿って移動する。

 筋肉の抵抗を物ともせず、刃はピエールの心臓にあてがわれた。


「お前が朝を迎える事は、なくなると思え」


 ずるり、と刃が引き抜かれる。

 既に恐怖で気絶していたピエールは、うつ伏せに倒れ込んだ。


「⋯⋯ふう。さて、ついでに裸に剥いて晒し者にしておきますかね」


 襲撃者――ゼラは腰から短剣を抜き、ピエールの衣服を乱暴に切り刻む。

 その手には、先程ピエールを貫いた細長い刃は、どこにも無かった。

 ただ、中指の爪だけが、赤黒い血に濡れていた。


「……シャーフ」


 ゼラはスカートで血を拭いながら、ぽつりと呟く。


「帰ってこないと許しません。なにせ私の洗濯物が溜まってます」



 ***



 ――おうちに帰りたいです。



 出口は湖の傍に繋がっていた。あの石室が何に使われていたのかは知らないが、今度調べてみよう。

 傭兵たちの姿もなく、アンジェリカの事も嘘だったので、あとはリンゼル学園都市に帰るだけだったのだが――。


「そうだった……」


 俺を待ち受けていたのは『帰る足がない』という現実だった。

 ウイングの形見であるマナカーゴは崖から落ちた際、粉々に砕けてしまった。

 ここから徒歩で学園都市まで帰るとなると……少なくとも、後夜祭には確実に間に合わない。


 しかも帰ったとしても、ピエールのクソ野郎への対応を求められる。

 この国で二番目に力を持つと言っても過言ではない、大貴族の嫡子に目を付けられてしまったのだ。俺やパティ、ついでにゼラの身を守るために、最悪学園生活から撤退することも考えなくてはならない。


 だが、ノーリに大枚を支払ってしまい、他で暮らすアテもない。

 マナカーゴがないので移動手段もない。そういえば傭兵たちとの戦闘で、サンディさんから貰った服もボロボロだ。お借りした剣も汚れてしまったし、合わせる顔がない。ないことずくめだ。


「……あっ、胃が痛い」


 十歳このとしにして胃痛を覚えつつ、ひとまず歩いて街道を目指す。

 行商のマナカーゴに乗せてもらえればと思ったが、現在は深夜。人通りもない。


 もう泣きたい。今頃パティは収穫祭を楽しんでいるのだろうか。隣にはヴィスコンティ先輩の姿があるのだろうか。俺が帰る頃には、もう――。


「うええ……」


 大根役者もびっくりな、棒読みの泣き声を漏らしつつ、街道をひた歩く。

 とにかく帰ろう。時間が掛かって、手遅れになっても仕方がない、帰らない事には何も始まらないのだ。


「胃が痛いよ……姉さん……ん?」


 そういえばラーシャに手向けた花は、煎じれば胃痛に効いたっけ。

 そんな益体もないことを考えつつ、山道を抜けて草原に差し掛かると、遠くに灯りが見えた。

 目を凝らすと、灯りに照らされたマナカーゴの幌が確認できる。冒険者か行商が野営をしているのだろうか。


 だとしたら好機だ。この近くにグリンの町以外の集落は無い。グリンの町に行くみちがない以上、一度王都ウィンガルディア方面に向かわなくては、他の経路はないも同然だ。


 俺は驚かせないように、ゆっくりと野営地に近づく。

 焚火のそばに腰かけていたのは、一人の人物だった。


 つば広の帽子からはみ出た、肩まである鳶色の髪。顔の上半分を隠す仮面。体を覆いつくす外套――。


「……ハイドレイさん?」


 かつてヴェーナ大橋で出会った、ハイドレイさんだった。

 仮面を付けているから本人かどうかわからないし、正体が一国の王であるレイン王だからこんな場所にいる可能性は極めて低いのだが、とにかく以前であったハイドレイさんに瓜二つの格好だった。


「……はっ。いけない、少し眠っていたようだ……君は?」


 ハイドレイさんは顔を上げ、俺を見やる。

 間違いない、この声はハイドレイさんだ。


「……シャーフ・ケイスケイです。その節は……」

「……ああー! シャーフ君か! いや失礼、仮面を付けていないので、誰かと思ったよ!」


 ハイドレイさんは手を叩いて立ち上がり、嬉しそうに俺の肩を叩く。


「そんな顔をしていたのか。仮面で隠さない方が良いのではないかい?」

「何やってるんですかこんなところで……王様が……」

「しっ。今の僕は『旅人ハイドレイ』だよ。あ、サンディには黙っておいてもらえるかな?」

「いや、それは良いんですけど……いや良くないのか……?」


 こっちは貴方に謁見するために、厳しい剣の修行を積んでいるのに、こうもあっさり会えてしまうとは拍子抜けもいいところだ。

 この短い期間で二回もお忍びの旅をするとは、どうやらこの若き王様には放蕩癖があるようだ。


「まあ、座り給え。君こそ、こんな場所で何を?」

「ああ、はい。色々ありまして……」


 促されるまま焚火のそばに腰を下ろす。

 さて、どうしたものだろうか。ウイングの『伝言』を伝えるチャンスではあるが。


「……」


 荷物袋の中の二枚の冒険者証を握り、そっと戻す。

 俺が伝言を頼まれたのは『レイン王』。今の彼は『旅人ハイドレイ』だ。今、伝えるのは、何かが違う気がした。

 ただのつまらないこだわりかもしれない。だが決めたのだ。剣を修め、サンディさんを超えた先で、伝えるのだと――。


「……って、そもそも学園に居れるかどうかが怪しいのか……」

「? どういうことだい?」


 胃痛に押し出されるように弱音を漏らすと、ハイドレイさんはそれを耳聡く拾った。


「……ああー、その、ちょっと偉い人の息子と仲が良くなくてですね……」

「ふむ……」


 なるべく角が立たない言い方をするも、仮面の奥の瞳は鋭く細められる。


「ウッドルフだね? アリスちゃんから、泣き言を綴った手紙が毎月届いているよ。しかし、そうか……」

「アリスちゃんって」

「え? ふふっ、僕こと『旅人ハイドレイ』は、リンゼル魔法学園の学園長と文通仲間なのさ。驚いたかい?」

「……そういうことにしておきます」

「助かるよ。さて、更に『旅人ハイドレイ』は、こう見えて顔が広い。ウッドルフに釘を刺せる男とも顔見知りだ。安心して学園生活を送ってくれ」


 実質この国のNo.2であるウッドルフ家に物を申せる男など、一人しかいない。

 だが、それを指摘するのも野暮なので、ここはありがたくお言葉に甘えることにしよう。


「……ありがとうございます」

「礼はいい。あの時、僕は終わっていてもおかしくはなかった。それを助けてくれた君たちには、これでもまだ足りないくらいさ。さて、お腹は空いていないか? 乾パンにチーズ、干し肉くらいしか無いが、ご一緒にどうかな?」


 ハイドレイさんが焚き火を指し示す。串に刺さった干し肉やチーズが火で炙られ――焦げていた。


「⋯⋯しまった。うつらうつらとしていたものだから」

「ははっ。ありがたく、ご相伴に預からせていただきます」

「まあ、これも旅の醍醐味さ。『――従者が肉を焦がした。しかしレインは笑いながらそれを食し、苦そうに顔を顰めた』と」


 ハイドレイさんが口ずさむ様に言った。

 それは、俺がウォート村にいた頃、何度も読み返した『レイン叙事詩』の三巻にある一節だった。


『――ゼラ公が料理当番の時の実話だ。あん時のウェンディの顔ったら、笑ったぜ』


 旅の途中、彼はそんな事を言っていた。


「『レイン叙事詩』⋯⋯読んでいたんですか?」

「あれは旧い友人が書いたものでね。僕は羨ましくてしょうがなかった。その再現をする為に、こうして⋯⋯時間が空く限り、旅の真似事をしているのかもしれないな」

「ハイドレイさん⋯⋯」


 ハイドレイさんは焦げた干し肉を齧り、『うえっ』と舌を出し、それから寂しげな笑みを浮かべた。

 俺も一口だけ齧る。もはや炭の比率の方が多いそれはとても苦く、思い切り顔を顰めた。


「ふはっ、ひどい顔だ。さて、夜が明ける前に戻らなくてはね。乗って行くかい? 王都までの道行だが」

「⋯⋯はい、助かります」


 小型のマナカーゴは、人一人がようやく腰を下ろせるほどの御者台と、狭い荷台だけ。荷台には、荷物らしい荷物は何も無かった。本当に、一夜限りの旅だったのだろう。

 ハイドレイさんが火を消しているのを横目に、俺は荷台に身体を乗せ、うずくまる。


「少し揺れるだろうが眠っていたまえ。君は、酷く疲れているようだ」

「そうさせて貰います⋯⋯」

「明け方には王都に着くだろう。それまでは、ゆっくりと――」


 マナカーゴが発進する。誰かが運転するマナカーゴに乗ったのは久しぶりだ。

 心地の良い揺れは、疲れた身体にはゆりかごのようで、すぐに睡魔を連れて来た。


「自由の翼か――僕には、もう――」


 ハイドレイさんの呟きが耳に届いた。それを最後に、俺は深い眠りに落ちていった。

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