見つけた日・6

 心が憎悪でみたされていく。

 何故だ。何故こうも、上手く行かない。

 俺の行く道に、人の悪意が待ち受けている。或いは追いかけてくる。


 奴らにとっては、俺の願いなど路傍の雑草ほどの価値しかないのだろう。

 それは当たり前だ。他人ひとが何を思い、願うのかなど、結局それぞれの価値観によって違う。

 俺が、黄金色に揺れる麦畑を美しいと思うのと同様に、奴らにとっては金貨の山がそれに当たるのだ。


 だが、それは人の願いを踏みにじって良い理由にはならない。

 たとえ法や、大衆の倫理がそれを赦しても、俺は許すことが出来ない。


『憎いか……?』


 真っ暗な視界の中、陰気な女の声が俺に語りかける。


『奴らが憎いか……?』


 ああ、憎いよ。


『私利私欲のため、子供を手に掛ける⋯⋯。羽虫を潰すように、人を、その願いを蹂躙する……。報いを受けて然るべきだ⋯⋯。そう思わないか⋯⋯?』


 そうだ。

 そんな連中は、相応しい罰を受けるべきだろう。


『君にはその力がある⋯⋯白き剣を使え⋯⋯。其れは、人の理から外れし力を持つ……。力に対抗するには、それを超える圧倒的な力で蹂躙するしかあるまい……?』


 ……圧倒的な力で、蹂躙?


『そうだ……殺せ……。お前にはその権利がある……。世界の救済者と成り得るお前には……障害を排除する権利が……』


 人を殺す、権利?

 白き剣ハルパーを使って、あの傭兵たちを皆殺しにする。

 それが赦される権利が、俺にあると言うのか。


『そう……』


 ――そんなわけ、ないだろ。


『……?』


 誰もが、人の未来を奪う事なんて許されない。

 法や、大衆の倫理や、神様がそれを赦しても、俺は許すことが出来ない。

 そして、それは俺自身にも適用される。なぜなら、俺が決めた事だからだ。


 この世界は理不尽だ。

 故郷の村、優しい人たち――大事なものが一瞬で消えてしまう。

 何度も喪失の痛みを味わったが、慣れることなんてきっと無いだろう。

 慣れたとしたなら、その時はきっと、俺が俺じゃなくなった時だ。


 だったら俺は、人を殺さない。

 今まで出会い、死んでしまった優しい人たちに誓って、俺は人を殺さない。


『なら……奪われるだけだ……。己だけが死ねない中で、大切なものを、失っていくだけ……』


 それこそ間違いだ。

 死なないのなら好都合。どれだけ身体を張ろうとも、身体一つになってでも大切なものを守り抜いてやる。


 もう俺は何も失わないし、奪わせない。そして、奪わない。


『何故そこまで言い切る……? 病的なまでに悪感情を抑えるのは何故だ……?』



 まあ、貴女に納得してもらう必要はないんだが、これらは嘘ではないが、建前だ。

 本音は⋯⋯。


『本音は⋯⋯?』


 ⋯⋯好きな子がいるんだ。ずっと一緒にいて欲しい、そう思える子が。

 もし仮に、俺が殺人を侵したなんてパティが知ったら、そこにどんな理由があろうが、少なからず引かれる・・・・かも知れないだろ。


『⋯⋯小っちゃ』


 うるさいな。

 そう、好きな子に、少しでも嫌われたくないからだ。

 そんな、矮小なことを気にしてる臆病者なんだよ、俺は。


『しかし、それは万人に受け容れられるものでは無いよ……。君が不死だとしても……周りと深く繋がれば繋がる程……自己犠牲のやり方は、周りを苦しめる事になるだろう……』


 ……そうかもな。そんな優しい人たちが、確かにいたよ。

 だが、俺はこの生き方を選ぶ。誰かの血に濡れた道は、俺が歩くのも、パティの手を引いて歩くのも、嫌なんだ。


『果たして、どちらが茨の道かね⋯⋯。ならば、抗ってみせてくれ……』



 ***



 傭兵団『双頭の狼』は、六大魔法師が一、ラーシャ・ラトリを前にし、固まっていた。


「頭ァ、この女、さっきからピクリとも動きませんぜ……?」


 夜空を映したような色のドレスを着た魔物は、傭兵たちがシャーフ・ケイスケイを殺害してから、沈黙していた。

 まるで直立したまま死んだようだ。揺れていた長い髪も動かず、呼吸の様子も見られない。


「チッ、不気味だな……。おい、出口の方はどうだ?」

「まだ見つかりません。その女に聞くのが手っ取り早いと思うんですが……」

「ダンマリされてちゃあな……だが、この魔封石がありゃ、この女も暴れられねえだろう」


 頭目が懐から、黒く艶のある石――魔封石を取り出す。

 ピエール・ウッドルフから依頼を受ける際に受け取ったものだった。リンゼル魔法学園の備品であり、存在するだけで周囲の魔法を封じる魔晶だ。


 ピエールは、シャーフの魔法の才能を知っていたわけでは無かった。しかしながら、シャーフが『特別枠』で中途入学したという情報は掴んでおり、その魔法の腕を警戒し、傭兵に持たせてあった。


 しかし、魔封石にも防げないものがあった。同じく、魔法を封じ込めた魔晶だ。

 魔封石は『魔法の認識を阻害する』闇魔法を無作為に、無差別に周囲にばら撒くものであり、予め魔法がインプットされた魔晶には効果を及ぼさない。


 現に、頭目が炸裂弾に着火する際には、三日月刀に取り付けられた火の魔晶を使えていた。湿気が強かろうが、雨が降っていようが、確実に着火出来る手段として重宝していた。


 一方、シャーフも魔晶を所持していた。定期考査でカシムより授けられた『土壁のペンダント』だ。

 しかし、カシムとボリスが開発したペンダントは『装着者が頭や胸など、急所への攻撃を防御すると発動しない』という特性を持つ。傭兵たちの攻撃を全て往なし、短剣の投擲は腕で受けた為に、一度も防壁が張られることは無かった。


 仮に、シャーフがこの事に気づいていれば、胸に仕舞ったペンダントに嵌められた土の魔晶による防壁で頭目の攻撃を防ぎ、勝負はついていたかも知れない。

 シャーフが殺意を持ち、刺し違える覚悟で特攻していたのであれば、三つ魔晶のうち一つが欠ける代わりに、頭目を打倒する事は出来ただろう。


 しかしシャーフは、己の剣と命をもってして、大切なものペンダントを無傷で守った。彼がそれに気づく事は無いが――ともかく、幼い頃の、約束にもならない約束を守ったのだ。


 三つ葉の白詰草クローバーの意匠のペンダント。諸説あるが、三つ葉の白詰草の花言葉は『愛・信頼・約束』である。


 そして――――。


「か、頭ァ! ガキの死体が……!」


 ひとりの叫び声に、一同の視線が集まる。頭目は魔封石を懐に仕舞い込み、身構えた。

 先程まで床に倒れ伏し、半ばもやに隠れていた死体が起き上がっていた。

 今まで手にしていなかった、白く美しい剣を携えた少年は瞑目し、それを床に投げ捨てる。靄の中へと消えた剣は、音を立てずに消えてしまった。


「生きてやがったのか……!?」


 頭目は、しかし頭を振る。

 大の大人であろうが、確実に死に至らしめる毒。子供であれば助かろう筈がない、と。


「⋯⋯チッ、解毒薬でも仕込んであったか? だが――」


 頭目はいち早く動く。部下たちに手で合図をし、石柱の影へと散開させる。

 死んでいないのであれば、もう一度殺すまで。仕留めた筈の標的が、再度立ち上がった事は幾度とある。この様な事は『双頭の狼』にとっては不測の事態たり得なかった。


「そいじゃあ続きだ! 今度は楽に死ねると思うな!」


 頭目が三日月刀を構えて駆け出す。シャーフの腕前は先程の剣戟で測れていた。


(歳の割には大したものだが、殺意が足りねえ。正直、何度も危うい場面はあったが、その度に剣を引きやがった。ビビってんだ、人を斬る事に)


 目を開き、剣を構えたシャーフの碧い瞳には、相変わらず殺意の炎は浮かんでいなかった。

 殺意の有無――殺し合いにおいて、それは重大な因子ファクター

 迷いのある剣では、命に届かない。


「オラァッ!!」


 三日月刀がシャーフに肉薄する。


「――もう、迷いは捨てた」


 シャーフは左手の短剣を突き出し、頭目の三日月刀の刃に滑らせる。僅かな力が加わっただけで軌道が逸れ、頭目は内心舌を巻いた。


(これだ。こいつ、ガキのくせに驚くほど巧い。受けにくい三日月刀を、こうも簡単に――!)


 大人の膂力をものともせず、僅かな力を加えただけで往なしてみせた。

 これはシャーフ・ケイスケイが村を出てから毎日の様に剣を振り続けた成果だった。剣の師であるクレイソン家の面々や、同輩であるゼラが飛び抜けているだけであり、本人は気づいていないが、既に大人と渡り合えるだけの力があった。


「ッ!!」


 頭目は息を飲むも、同時にマスクの下で口角を吊り上げる。通常であれば、ここで勝負は決まっていただろう。


(だが、こいつは迷っている。”どこ”に剣を突き立てるかを。それじゃオレの命に届かねえぜ――!)


 シャーフが右手に握った長剣は飾りだ。大した装飾が為された、一眼で業物と解る剣だが、剣とは人斬りの道具。殺意がなければ意味はない。

 赤子が包丁を持ち、無自覚に人を刺す方がまだ可能性はあるぜ――頭目はそう考えていた。

 しかし――、


「大事な借り物なんだ――お前なんかの血で汚してたまるか」


 頭目の三日月刀を往なしたシャーフが、半身を捻り、右手の長剣を振り下ろした。真っすぐに、渾身の力を以って放たれた一撃は、三日月刀の刀身を半ばで切断・・した。


「なッ」


 剣を斬る・・・・

 ソードブレイカーという武器がある。相手の剣を折る事に特化した鋸状の短剣だ。しかしシャーフが持つのは、如何に頑丈で斬れ味が良くとも只の剣だった。

 頭目の持つ三日月刀も、長い傭兵稼業を共にして来た業物。それを、しかも子供が圧し折るとは。


 ひとえに、意志の成せる業だった。

 得物を失い虚を突かれた頭目は、刹那思考を巡らせて次の手を考える。


(――炸裂弾もある。投擲の短剣もある。部下の援護もある。

 ならば部下から替えの三日月刀を受け取り、再度――否。また叩き折られる。

 信じ難いが技量はこの坊主の方が上だ。ならば、四方から投擲を――)


 その思考が生んだ"隙"は一瞬のものだっただろう。

 しかしシャーフは既に次を見ていた。三日月刀を破壊したのは『今までしなかった事をして隙を作る』、ただそれだけの為。


 シャーフは――頭目が、魔封石を懐に仕舞うのを見ていた。


「な――――にィ!?」


 シャーフが身を翻し、流れる様に繰り出された長剣が、革鎧の上から魔封石を貫くと、石は紫色の光を撒き散らしながら砕け散った。


「勝負あり、だ」

「んだと……?」



 ――魔封石を破壊したぐらいで調子に乗るな。

 ――こちとら、魔法師相手でもやりあえるはあるんだよ。


 舐められたものだ、と次の手に移ろうとした頭目は、次の瞬間、衝撃を味わう事となる。


「な……なんだこりゃァ!?」


 シャーフのマナリヤが黄色に輝く。次の瞬間――石床から、石柱から、天井から、無数の『腕』が現れ、強大な膂力を以って、あっという間に傭兵たちを拘束、制圧した。

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