見つけた日・3
「そう言えば、ここはどの辺なんですか?」
先を歩く案内人に向かって問いかける。
「⋯⋯⋯⋯」
しかし、黒衣の青年は何事かをボソボソと呟くだけだ。びゅうびゅうと吹き付ける山風によって、その声は聞き取れない。と言うか、まるで聞かせる気がない様な声量である。
「⋯⋯ううむ」
日の光が届きにくい深い谷。風に揺れる黒髪と襤褸マントが雰囲気を出している。霊魂の存在は――俺が実体験しているのでまあ信じているが、実際に目の前に幽霊じみたモノが現れると、なんとも不気味に感じるものだ。
「すいません⋯⋯。声が小さくて⋯⋯」
と、心を読まれたかのように、案内人の呟きが風に乗って耳に届いた。
「⋯⋯こちらこそ。そ、それより、
不気味ではあるが、それ以上に申し訳なくなり、案内人と距離を詰めて会話を試みた。俺の問いかけに、案内人は首肯する。
「ええ⋯⋯あなたの前にもおりました⋯⋯。十人ほどの団体でした⋯⋯。中には負傷されている方も⋯⋯」
「そんなに? 負傷ってことは、さっきの腕はその団体の⋯⋯」
「⋯⋯⋯⋯」
案内人は答えなかったが、恐らくそうだろう。
行商や旅人が行旅中、魔物に襲われでもして道を外れ、この谷に迷い込んでしまったのだ。そしてこの案内人に導かれ、目的地へと向かったのだろう。
橋が爆発したのは⋯⋯なんだろう、鉱山都市を往来するからには、落とした積荷に火薬や爆薬が混じっていて、俺が通った拍子に爆発したのかも知れない。
「もう⋯⋯間も無くです⋯⋯」
「あっ、そうですか、はい」
と、頭の中で
「⋯⋯この地には古い伝承があります⋯⋯」
「そ、そうなんですか?」
「はい⋯⋯」
いきなり何を言い出すのだろう、この人は。
もしかして
「昔⋯⋯二人の男女がおりました⋯⋯。女は平民⋯⋯男は貴族⋯⋯身分違いの恋をしておりました⋯⋯」
「ほ、ほうほう⋯⋯?」
なんだ、良くある恋愛譚か。語り口調のせいで怪談に聞こえてしまうが。
「男には許嫁がおり⋯⋯結ばれない恋に世を儚んだ男女は⋯⋯この先にある
「怪談じゃん⋯⋯もういいです、俺怖いの苦手なんです⋯⋯」
「それからというもの⋯⋯その湖沼は、女ノマナリヤと同じ、深い紫色に染まり⋯⋯近づく者は皆、闇の魔法をかけられたように、精神に異常をきたすと言われております⋯⋯。怨念が⋯⋯闇の魔法が⋯⋯湖に溶けたとでも⋯⋯言うのでしょうか⋯⋯」
「言うのでしょうかって言われても、知らないよ⋯⋯」
「それが⋯⋯こちらになります⋯⋯」
案内人は大きな岩の前で立ち止まり、回り込むように腕を差し伸ばす。襤褸マントが不気味に翻り、黒い靄のようだ。
「⋯⋯ッ」
生唾を飲み込みながら、岩の先を覗き込む。
岩壁に囲まれた谷底が開け、眼下には半径十メートルほどの、小さな湖があった。
確かに深い紫色だ。水面にはボコボコと気泡が浮かんでおり、水底からガスが噴き出ているように見えた。
周りには動物や魔物の気配どころか、草木すら生えていない。およそ生物が棲息できるような環境ではないのは一目瞭然だった。
「……酷い臭いだな」
周囲は切り立った岩場に囲まれており、もし足を踏み外せば湖に一直線だろう。
そして、さっきから漂っていた酷い臭いの元はこれか。恐らく滑落した動物が溺れ死ぬなどして、ガスの発生源になっているのだ。
生物の糞尿が発酵すると、幻覚作用をもたらすガスが発生する聞いた事がある。さっき案内人が語った『精神に異常をきたす』という伝承の正体とは、そんなところだろう。
「⋯⋯しかし、事実はそうではないのです」
「はい?」
「悲恋の先の心中⋯⋯それは正しい。しかし、実際には⋯⋯」
「や、やだなあ、もう観光や怪談は十分ですって。俺は早く、グリンの町に⋯⋯」
俺の制止など、まるで聞いていないかのように案内人は続ける。
「女はその身をマナに蝕まれ⋯⋯魔に転じようとしていた⋯⋯」
「な、何を⋯⋯⋯⋯?」
「
既に、俺に向けて話している風ではなく、案内人は泡立つ湖面に向かって、呪詛のように言葉を吐き続けた。
「⋯⋯案内人さん?」
「ラーシャ・ラトリ⋯⋯彼女がどのような願いを抱き、深き底へと沈んで行ったのか⋯⋯どうか、お見届け下さい⋯⋯」
ゆらりと、黒い靄から突き出た青白い手が、俺に向かって伸びる。
「そして、叶うならば⋯⋯」
耳元でわんわんと、羽虫が飛ぶような耳障りな音が響く。ゆっくりゆっくりと伸びる手をしかし、俺は避ける事が出来なかった。
「⋯⋯解放を」
体の自由が効かない。視界がぼやける。ガスを吸い過ぎたせいか。
「ではまた……水底で、お会いしましょう――」
トン、と。俺の胸に案内人の手が触れる。
特に、強く押されたようには感じなかったのに、俺の身体は後ろ向きに倒れ、岩の斜面を滑り、頭から紫色の湖へと着水した。
そこで、意識が途切れた。
***
「……い! おい!」
肩を揺すられ、耳元で呼びかけられて気が付き、目を開ける。
「……う」
身を起こし、立ち上がる。薄暗い場所に俺はいた。
辺りを見渡す。何本も石柱が建ち並ぶ、石造りの広い密室だ。足下にはスモークを焚いたような靄が立ち込めている。
あの酷い臭いはもう感じなかった。湖に落ちたはずなのに、服も濡れていない。
「目ェ覚ましたか」
そして、俺を起こしてくれたのは、屈強な肉体を持った男だった。傷だらけの凶悪そうな顔をしており、鼻から下を黒い布で覆っている。大きな身体は革鎧で包んでおり、革鎧の所々には投擲用のナイフが収まったホルスターが取り付けられていた。
更には黒い
「あなたは……?」
「オレぁただの傭兵さ。オメェは?」
「俺は……グリンの町に行く途中で……。ここはどこですか?」
「ンな事ぁ、オレが訊きてえよ。オレ
オレ『達』と言うからには、他に仲間がいるのだろうか。
しかし辺りを見渡しても、この場には俺と傭兵の男の二人きりだ。後は建ち並ぶ石柱だけだ。それにしても不気味な場所だ。霊安室の様に静かで、
「……俺は、案内人を名乗る不気味な男に、湖に突き飛ばされました」
「オレ達もだよ」
男は不気味さを覚えているような表情で語る。
多人数でいたにも関わらず、一人一人、案内人の手によって湖に落とされていったのだと。
「んで、あの不気味な野郎⋯⋯闇の魔法師、ラトリとか言ってたか?」
「はい。だとするとここは『魔法師の迷宮』?」
「信じらンねぇが、その様だな。ったく、今日は簡単に済む仕事だったってのに、なんでこンな……」
傭兵の男はぶつくさと文句を言いながら立ち上がる。
男の腰に提げられた剣が目に入る。柄に魔晶が嵌められた、刃渡り50センチほどの、曲がった刀身を持つ剣だ。アレは
「なんだ坊主、オレの剣が気になンのか?」
「い、いえ……すいません」
しかし『傭兵』か。旅の途中、ウェンディから聞いた事があった――。
『傭兵ね。冒険者ギルドに属さずに、冒険者の仕事をする人の事ね。ギルドの依頼仲介料を『中抜き』と呼んで嫌がったり……とにかく、組織に属するのが性に合わない人たちね。何度か一緒に仕事する機会があったけど、次は御免こうむりたいわ。
『
……と、確かそんな事を一息で言っていたっけ。
「まあ、だが、これはチャンスだ。どうやらこの迷宮は未攻略らしい。プライマルウェポンなんざ、売りゃあ纏まった金になりそうだぜ」
「攻略⋯⋯」
南大陸、『オンボスの檻』での一件を思い出して気分が沈む。
しかし、手をこまねいている訳にはいかない。一刻も早くここから脱出し、グリンの町に行かなくては。俺は立ち上がり、周囲を調べる事にした。
「おっ、坊主もその気かい? こりゃあオレ達もウカウカしてられねえな」
男の言葉を無視して、部屋を歩き回る。
床は靄がかって見えないが、靴底からの感触からして石材だろう。所々滑るのは、苔でも生えているのかもしれない。
結果、部屋には出入り口が無かった。鉄扉がある事はあったが、当然のように開かない。
「これは⋯⋯?」
次に、等間隔に並ぶ、無数の石柱に目をやる。目線の高さに、人の名と思しき文字が彫られているが、擦り切れていて、あまりよく読み取れない。
「⋯⋯墓標?」
「か、どうかは分からねえな。うかつに触れねえ方が良いぞ」
男の声に、石柱に触れようとした指を止める。
「お待たせ……いたしました……」
次の瞬間。
天井から不気味な声が響き渡り、黒衣の男が
俺と傭兵の男の間に降り立った案内人は、辺りをキョロキョロと振り返る。
「……びっくりした」
「おう、案内人の兄ちゃん」
「これより⋯⋯闇の試練を⋯⋯執り行います⋯⋯」
俺は、案内人が降ってきた天井を照らそうと光魔法『フラッシュ』を使おうとするも、不発に終わる。やはり俺が不調なのか、それともこの迷宮付近では魔法が使えないのか。
「ここに集いしは⋯⋯十六名の男性⋯⋯まあそれくらいいれば、我が主人の目的も果たせるでしょう⋯⋯」
「ふぅん? オレ達と、そこの坊主に何をさせようって?」
⋯⋯っと、俺も案内人の話を聞いておかなくては。
さて、闇の試練の内容とは一体。土の試練があまりにもエグい内容だったので、自然と身構えた。
「先にお話ししました通り⋯⋯我が主人、ラーシャ・ラトリは⋯⋯悲恋の末にその身を水底へと投げました⋯⋯故に⋯⋯渇望しているのです⋯⋯」
「渇望だぁ? ンだよ、恋愛話にでもか?」
傭兵の男は笑い飛ばすものの、俺は嫌な予感をひしひしと感じ取っていた。
男に対しての、この世界に対しての復讐――例えばこの場の男達で、殺し合いをさせるといった試練でもおかしくはない――!
「その通りでございます⋯⋯。これからご案内する場で⋯⋯我が主人に⋯⋯ご自身の恋愛経験を語っていただきます⋯⋯。我が主人がそこで『
「は?」
「へ?」
俺と傭兵の男の口から、同時に呆けた声が漏れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます