畑を作ろう・前

 初夏に差し掛かり、彼方から吹く潮風が山岳地帯まで届く。リンゼル学園都市の商業地区にも、それは大量に運ばれてきていた。


「はーい安いよ安いよー! 今が旬のカジキ!」


 商業地区の一角にある市場には、近くの漁村で獲れた魚が大量に並ぶ。学園都市の周辺には農村や漁村が多く集中しており、収穫物はここに集められるのだと聞いた。


 試験も終わり、間もなく楽しい夏季休暇――そんなある日。俺は独りで商業地区を訪れていた。

 カシムさんからしばしの休息を言い渡され、本当に、久々の、何も無い休日だった。

 普段なら寝腐るだけだったが、俺に体力がついてきて余裕があったので、今日は以前から気になっている事を確かめに来たのだ。


「和はどこだ⋯⋯」


 そう、ここは"東"大陸。

 ファンタジー世界の"東"と言えば、『和風』がお約束である。

 ウイングとウェンディが純西洋風な顔立ちだったので多少諦めてはいたが、何処かに"和"要素が見つかるかもしれない。


 例えば――食事とか。端的に言えば炊いた白米と味噌汁が食べたかった。

 俺の顔は転生により西洋風になってしまったが、魂の奥底に宿る日本人が米と味噌を求めていた。


 ちなみに、クリス氏の書斎で調べたり、スミス氏に聞いたところによると、少なくとも西大陸に稲作は無かった。

 東大陸も同様である可能性はあるが、存在する可能性はいまだ未知数である。それにこの世界、発酵食品自体はあるのだ。

 探せばどこかに似たような物はある。そう信じて歩を進める。


「蕎麦、うどん、寿司⋯⋯」


 生鮮市場からレストラン街に抜ける。

 歩けども歩けども、和食の"和"の字も見えてこない。店の前に貼られたメニューを目を皿のようにして眺めるも、どれも美味しそうな西洋風の料理だ。


 何故だ。俺の前に転生した日本人は、稲作と和食のレシピを伝来しなかったのか!

 後続の事を少しは考えやがれ! バーカ!


 ⋯⋯と、心の中で悪態をつくものの、無いものはどうしようも無い。

 諦めて帰って不貞寝しようと踵を返した瞬間、磯や野菜に混じって、ひどく懐かしい匂いが鼻についた。


 火に誘われる虫の様にフラフラと、俺はそれ・・に近づいた。市場の一角、農作物を扱う露店の、台に積まれたひと抱えの麻袋。


「あの、これはなんですか?」

「はいいらっしゃい! これは麦の種子だよ。訳有り品でね、農家には卸さずにここで売ってるんだ」


 店主らしき青年に訊ねると、そう返ってきた。

 やはり、麦の匂いだった。しかしなぜ、泣きたくなる程の懐かしさを感じたのか――。


「訳有り、とは⋯⋯?」

「ほら、数ヶ月前に西大陸の小さな村が無くなっただろ? そこの麦は評判が良かったんだけど、継続的に仕入れられないならダメだって卸先に言われちゃってさぁ」

「⋯⋯⋯⋯さい」

「そっちの商人ギルドの顔役とも連絡がつかないから、仕方なく契約は打ち切りさぁ。⋯⋯ん? なんだって?」

「全部下さい。種籾。あるだけ全部」


 商人は目を丸くして驚いたものの、俺が外套の中から金貨袋を取り出すと、商談成立となった。


「まあ金貰えるなら構わんけど、それどうすんの? そのままじゃ食べられんぜ?」

「知ってますよ。ハムスターじゃあるまいし」

「保管するなら冷蔵でな? 東大陸の温暖気候で保存すると発芽率が下がるからさぁ。⋯⋯栽培法書いとこうか?」

「いえ、大丈夫です。ありがとう」


 店主に礼を言い、俺は麻袋を抱えてその場を後にした。



 ***



「⋯⋯さて」


 ボロ小屋に戻り、麻袋をマナカーゴの荷台に置く。この『ウォート村ブランド』、つい衝動買いしてしまったが、果たして俺に何ができるのだろうか。

 このままでは種を腐らせるだけだ。そんな事をしたら、ウォート村の皆さんに申し訳が立たない。


「おや帰っていたのですか。お土産を所望します」


 麻袋を前にして悩んでいると、ゼラが幌を捲って顔を出した。腕には野菜を大量に抱えており、口には瑞々しい胡瓜きゅうりを頬張っていた。

 定期考査以降、ようやく『虫食』発言で悪くなった機嫌が治ったのか、口を聞いてくれるようになったのであった。


「その野菜どうしたんだ?」

「私とて野菜は食べます。虫は食べませんが」

「悪かったよ⋯⋯。じゃなくて、買ったのか?」

「これは学園内の農場で育てられたお野菜です。美味しそうなのでジッと見ていたらくれました」


 学園内の農場――恐らく魔法工学科が、農業機器の試験に使うところだ。学園都市を訪れた際、スプリンクラーを見かけたのは記憶に新しい。


「へえ、美味そうだな。俺にもくれよ」

「その前にお土産を」

「⋯⋯無い」

「はあ。人を虫食い呼ばわりしたあげく、お土産すら用意できないとは。不肖の後輩お兄ちゃんです。はあーー」


 うわ、めちゃくちゃ根に持ってる。

 しかし農場か。そこならウォート村ブランドを育てられるかもしれない。俺は麻袋を抱え、立ち上がった。


「ちょっとまた出てくる。戸締りしておけよ」

「その袋はなんですか。香ばしい匂いがします。独り占めする気ですね」

「麦の種子だよ。食ってもいいけど、腹壊しても文句言うなよ」

「なるほど。その麦を育てて将来的に私にパイを焼いてくれるのですね。なかなかイキなはからいです。褒めてあげましょう」


 なんとも気の長い計画だ。だが、それも悪く無いかもしれない。そもそも、この種子を無事に畑に植えられればの話だが。



 ***



 リンゼル魔法学園の農場は、山の麓に造られた巨大な農場だ。

 今までランニング時に通り過ぎるくらいしか目にする機会は無かったが、改めて見渡してみると壮観だ。


 ビニールハウス、スプリンクラー、コンバインの様な機構が取り付けられたマナカーゴ等々……ここだけ農業革命が起こった様だ。小さな農村であったウォート村など、殆どが手作業だったと言うのに。

 畑だけでなく畜産もおこなっている様で、さながら農業学校の様相を呈している。


 さて、勢いに任せて麦を持ち込んだものの、畑に知り合いなどいない。果たして『畑を貸してください!』などとお願いして、はいどうぞと受け入れてくれるものだろうか。


「おやぁー、シャー君じゃないのぉー。なーにやってんのぉー?」


 と、麻袋を抱えて途方に暮れていると、空からアリス学園長が降って来た。比喩ではなく、本当に空から俺の隣に着地したのだ。


「どうも学園長⋯⋯なんです、その格好は?」


 アリス学園長はいつものふわふわフリフリのドレスではなく、農家が着るような、オーバーオールと呼ばれるつなぎ・・・に身を包んでいた。それもまたピンク色なのは彼女の拘りだろうか。

 長い髪も後ろで纏め、頭には麦わら帽子を被り、これから農作業をしますと言わんばかりの格好だ。


「収穫祭も近いじゃなぁーい、学園長として畑の様子を見に来たんだよぉー。シャー君はぁー?」

「そうだったんですか。俺は⋯⋯ちょっと麦を――」

「あっ! みんな、学園長が来たぞ! 収穫物ブツ隠せ隠せ! あと塩撒け、塩!」


 と、俺の用件を言おうとしたところ、農作業に勤しんでいた生徒たちが、天地がひっくり返った様に騒ぎ出した。


「くっそうピンクの悪魔め! 収穫期になると現れやがる!!」

「おい牛しまえ牛! はらわたまで食われるぞ!」

「普段はお菓子ばっか食ってるくせに、あのロリピンクデーモン! われらの収穫祭を守れーッ!!」


 生徒たちは悪態をつき、牛はモーモーと鳴き、鶏はコケコケと羽を散らしながら暴れ、穏やかだった農場は一転して地獄の様相を呈していた。


「学園長、一体どんな前科が?」

「ひどいなぁー、ちょっとつまみ食いしただけだよぉー」

「牛のはらわたをつまみ食うんですか?」

「言いがかりだよぉー」


 果たして本当に言い掛かりかは不明だが、生徒たちの怯え方を見るに、それなりにやらかしているらしい。俺は麻袋を我が子の様に抱え、ピンクデーモンから遠ざけた。

 しかし参った。みんな畑から居なくなってしまい、これでは麦畑の交渉も出来やしない。


「で、シャー君は何をしてるのぉー? キミ、魔法工学も農業学科も受けてないよねぇー?」

「ああ、はい。ちょっと麦を育てようかと。これは種子なので食べられませんよ」

「食べないよぉー。でもぉ、今の収穫が終わったらまた別の作物を植えるからぁー、畑に空きは無いんじゃないかなぁー」


 想定はしていたが、そう断言されると頭を抱えるしかなかった。

 そもそも俺が何の計画もなく麦種子を衝動買いしたのが悪いのだが、このままウォート村ブランドを潰えさせてしまうのだけは、絶対に嫌だ。


「あぁー、でもぉー、あそこなら空いてるかもねぇー」

「本当ですか!? ピンクデーモン学園長!」

「次にその名前で呼んだら、ちゅーして口塞ぐよぉー。着いといでぇー」


 アリス学園長はふわりと浮き上がり、畑を突っ切って行く。途中、収穫前のトマトをもぎり・・・、当たり前のように口に運んだのを見て、これまでの所業が想像できた。


「シャー君も食べるぅー?」

「恨まれたくないので結構です。それで、空いてる畑とは?」


 見渡す限り、畑は青々とした作物で埋まっている。本当に空いている畑などあるのだろうか。

 もしかして俺は、ロリピンクデーモンに人気のない場所に連れ込まれ、はらわたを貪り食われるのでは無いか。

 そう危惧していると、学園長は口の周りをトマトの汁で汚しながら、答えた。


「バストロ農場っていうトコだよぉー。ちょっとワケありの畑なんだぁー」

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