定期考査を受けよう・後

 ***



「待てやコラァーーッ!!」


 もはや仕事モードのしとやかな声など、元から無かったかのような怒声が響く。不意打ち、奇襲など頭から吹っ飛んだのか、サンディさんは顔に青筋を浮かべながら追いかけて来る。怖い。


「ぜりゃあッ!!」

「うっ……!」


 肉薄される度に攻撃を大剣で防ぎ、一分間の行動不能スタンを与えるものの、全力疾走してもすぐに追いつかれてしまう。どんな脚力だ。

 と言うか怒り狂っているのに律儀に一分間止まってくれるのは、根が真面目な事の証左だろうか。


「鬼メイドヤンキーゴリラめ⋯⋯!」

「聞こえたわよテメー!」

「やべっ⋯⋯」


 谷を飛び越え、木を潜り、沢を迂回し、岩に隠れ――持ち得る限りの逃走術を駆使して逃げ回るも、なかなか距離を離せない。

 先程までは他の生徒にターゲットが分散していたが、俺に狙いを絞ってきた今、引き離すのは不可能に近い。


 と言うかゼラはどこだよ。あいつの『命』が無傷だったとして、俺の『命』がひとつでも獲られたら、その時点でゼラが一位になる。この調子だと、多分サンディさんは俺の『命』が尽きるまで追いかけてくるだろう。


 ならば、手はひとつしか無い――!


「……ここだ!」


 辿り着いたのは最初に走った山道だ。石畳で舗装されており、山中の地面に比べればかなり立ち回りやすい。

 走り回っていてはいずれ体力に限界が来る。しかも鬼側は攻撃ごとに一分間の休憩を貰えるという不公平仕様だ。

 ならば俺も迎え撃つしかない。鬼が休憩する一分間、それを逆手にとって俺も息を整え、次の攻撃に備えるのだ。


「……へぇー、少しは考えた様ね。でも私はまだまだ本気を出してないわよ?」


 俺に追いついたサンディさんは、足を止めた俺を見て、即座に狙いを察した様だった。


「本当に大人げないなアンタ! 体力を見る試験なのに、見る間もなく瞬殺してどうするんだよ!」

「うっさいわね! 大体、最近のガキはみんな貧弱なのよ! 私の頃なんてねぇ……あっ頭痛が」


 修行時代を思い出したのか、頭のたんこぶのせいか、サンディさんは目頭を抑えてふらついた。


「……ちょっと、心配して駆け寄るとか無いの?」

「その手には乗りませんよ。もうすぐ一分経ちますからね」

「はーー、アンタ本っ当に可愛くないガキね! 少しはぷに子を見習いなさい――よっ!」


 来る――! 即座に大剣を構え、迫りくる木剣を弾こうとするも――。


「なっ……!?」


 剣戟が発生する瞬間、木剣の軌道が変化した。

 風に吹かれる木の葉の様に――幻影イルシオンの名の通り、変幻自在の剣閃は大剣を避け、俺の腹を抉――。


「――らせるかァッ!!」


 半身を捻って刺突を回避。しかし、これだけでは鬼は行動不能にはならない。

 そのまま回転しながら大剣を振り回す。攻撃を外したサンディさんは体勢を崩しており、直撃を避けるために木剣を防御に使用した。

 硬い音が響き、手に痺れが走る。完全に衝撃を殺されたのも驚きだが、金属製の大剣を叩き付けても折れない硬さって、どんな木剣だ。


「……やるじゃない」


 サンディさんは飛び退り、息を整え始める。

 俺も十分な距離を開けて、次の攻撃に備えた。あと何分で試験は終わりだ。あと何合打ち合えば、無事に終われる。


「正直驚いたわ、私の剣が見えている様ね」

「はい、分かったのかもしれません」

「⋯⋯何が?」

「カシムさんの『宿題』の意味が」


 サンディさんは首を傾げる。


「⋯⋯つまり、そのペンダントを無傷で持ち帰る事が、アンタの"欲"に繋がるってワケ?」

「そんなところです」

「ふーん⋯⋯なんで?」

「それはノーコメントで」


 恥ずかしいので言いたくない。女々しくも、昔の戯言に拘っているからなどとは。


「換金⋯⋯は無理ね、使い捨ての魔晶なんて二束三文にもならないし。女の子にプレゼントでもするの? 正気? もっと良いもの渡しなさいよ。と言うか誰に渡すのよ、ちょっと姉弟子たるこの私に教えてみ? 誰にも言わないからほら」


 出た。クレイソン家の『話好き』だ。

 これは俺を油断させる罠に違いない。話に興じてしまえば、その隙に『命』を獲られてしまうだろう。


「⋯⋯聞き出したかったら、お得意の"質問"をすれば良いじゃないですか」

「ふーん、上等よ⋯⋯!」


 サンディさんは引き攣った笑みを浮かべる。ビキビキという音が聞こえてきそうだ。

 気づいた、この人は意外と煽り耐性が低いのと、怒ると剣術が雑になるという事だ。

 怒り狂っていた時は、逃げながらでも対処できた。逆に山道に辿り着いた今は多少怒りが冷めたからか、先ほどの様な変幻自在の剣技を取り戻している。


 つまり、煽れば煽るほど弱くなる――!

 後が怖いが、とりあえずこの試験を乗り切れれば良しだ。


「じゃあアンタが私に一撃でも入れたら、良い事を教えてあげる」

「⋯⋯⋯⋯」


 なんだろう、剣術の上達法とかか?

 いや、惑わされるな。あちらも平静を取り戻そうと必死なのだ。


「ぷに子とヴィスコンティがどんな関係か――気になるでしょ?」


 ⋯⋯ふっ、何を言うかと思えばそんな事か。

 決意を固めた俺が、今更そんな口撃に動揺するとでも思ったのだろうか。


「パ、パティとヴィスコンティ先輩が、ななななんですって?」


 いかん、心とは裏腹に発声器官が勝手に震える。これが武者震いと言うやつか。


「あららー? 気になる? まあ父親代わりのアンタとしては、娘がどんなのと仲良いか気になるわよねえ?」

「イヤベツニ⋯⋯」

「ヴィスコンティは結構良いトコの出だしねえ。それに本人も嫌味かってくらい性格良いし。女子にモテるけど、今まで男女間のトラブルなんて無かったらしいわよ?」

「アッソウデスカ⋯⋯」


 無我の境地となって精神攻撃をやりすごしつつ、間もなく一分が経つのを頭の片隅で数えていた。そして恐らく、次の一合で試験が終了する事も。


「チッ、動じないわね。つーかその仮面で表情が読めないのは卑怯ね!」


 なんとでも言うがいい。

 防戦はやめだ。締めくくりとして、カシムさんの『宿題』で掴んだものをぶつけてやる。


「――――いきます」


 ――吸い込む息は深く。吐く息は浅く。

 取り込んだ酸素が血中を巡り、全ての細胞を活性化させるイメージ。

 振り絞る様に柄を握る。それでいて手首は柔軟に。踏み込みは足の指の付け根を地面に叩き付ける様に。


「⋯⋯これは、私も本気にならなきゃ失礼ね」


 先程までの軽口は消え失せ、サンディさんは背中から短い木剣を抜き、二刀流の構えを取った。

 その目は真剣そのもので、俺がこれから繰り出す一撃を、本気で受けてくれるのだと分かった。


「――スゥ」


 振り上げた大剣は天を指す。カシムさんに教わった、レヴィンの唯一にして必殺の剣技。


『其は降り注ぐ雷鳴の如く、総てを砕く天の怒り――と、私が若い頃は形容されたものです。ほっほ、お恥ずかしい』


 カシムさんが雷鳴だとしたら、俺はまだ静電気かも知れない。

 だが、ぶつけるんだ、俺の全てを。もう二度と何も失わない為に。失ったものを取り戻す為に――!


「――――!!」


 振り下ろす。身体中全ての筋繊維が、破壊の為だけに引き絞られる。踏み込む足の先から指先まで、力の行き着く先はただ剣へと。

 これ以上無いほどの渾身の一撃。サンディさんはそれを――。


「⋯⋯ま、合格ね」


 短剣の先で軽く突いただけで――少なくとも俺にはそう見えた――大剣の軌道を逸らせて見せた。大剣は勢いよく石畳にめり込み、音を立ててつぶてが飛び散る。


 俺の攻撃を往なしたサンディさんは姿を消す。怖気に振り向くと、彼女は既に剣を振り被っていた。


「ここまでね。じゃ、命ひとつ貰うわよ」


 ――――なんという実力の差だろう。

 これが、三年後に俺が超えなければならない人なのだ。そう思うと気が遠くなる様であり、そしてどこか楽しみに感じている自分がいた。

 同時に無念さも覚える。無傷でクリアできるかと思ったが、まだまだ修行が足りなかった。


「――――あ?」


 木剣が振り下ろされんとした瞬間、サンディさんの手がピタリと止まる。 


「にゃあお」


 突如林の中から猫が現れ、俺とサンディさんの間で間延びした鳴き声を上げた。

 銀色の毛並みが美しい細身の猫で、どこかで見た事があるような。

 そして、その闖入者によって、闘いは中断されてしまった。


「ほっほ、そこまでです」


 声に振り向くと、カシムさんがにこやかな表情で佇んでいた。


「時間切れです。シャーフ君、よく頑張りましたね」

「カシムさん。いま、そこに猫が⋯⋯」

「猫?」


 視線を戻すと既に猫の姿は無かった。目の端に、銀色のシルエットが林の中へと消えて行く――その残光が映った気がした。



 ***



 黒猫に横切られると不運に見舞われると言うが、果たして銀色の猫の場合はどうなのだろう。

 とにかく、俺はひとつも『命』を失う事なく、無事試験を終える事が出来た。

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