定期考査を受けよう・前

 ***



 夢を見ていた。明晰夢と言うのだったか――はっきりと『これは夢だ』と認識できる夢だった。

 俺はあまり夢を見ない性質たちだが、日々の疲れから眠りが浅くなっていたのかもしれない。



 寝ていたはずの俺は、見渡す限りの草原に立っていた。

 空は雲一つなく晴れ渡り、爽やかな風が青々しい香りを運んでくる。


 目の前に立っている男の、鳶色の短い髪が風に揺れる。

 後姿のその人は、決してこちらを振り返らない。


「よっ、元気でやってるか? 良いとこだろ、そこ」


 風に乗って運ばれてきた、羽の様に軽薄そうな声が耳に届く。


 ――ああ、なんで。


 口を開くも声は出ず、代わりに目から涙が溢れ、頬を伝った。

 その人は後ろ頭をガシガシと掻いた。いつもの癖だ。


「ンな顔すんなよ、バカ。どんな奇跡かね、どうやら神様から、お別れを言う機会を与えられたらしい。遺跡ん時は……ははっ、お互い満身創痍でそれどころじゃなかったしな」


 ――確かに、そうですね。


「何はともあれ、お前さんは立派だよ。ちゃんとパティ子も治したしな」


 ――あなたのおかげだ。

 ――俺はただ、常に流れに身を任せていた。


「ブン殴るぞテメー。オレが道を示したとしても、お前さんの足でここまで来なければ成せなかった事なんだよ。そして、お前さんが足を止めなかったのは、本当にあの子が大事だったからだろ」


 ――大事です。でも、俺はどうしたら。


「ンな事、オレが知るかバカ」


 ――ですよね……。


「だがまあ、先達の体験談からアドバイスをしてやろう。ずっと一緒にいたいなら、そうすればいい。次第に――そのバカは十年も掛かっちまったが、分かる様になるさ」


 ざあ、と風の勢いが増す。

 草原が揺れ、舞い上がった葉や花弁がその人の背を覆って行った。


「やりたいようにやれよ。お前さんは自由だ」


 ――待って。まだあなたに、俺は。


「その方が――人生、楽しいぜ。オレも、楽しかった!」


 目を開いていられないほどの青嵐が巻き起こり、やがて止み、その人はもうどこにもいなかった。



 ***



 瞬きをすると青空も草原も消え去り、場所はウォート村の広場に移っていた。

 焼け落ちる前の村だ。その姿に、再び涙が溢れる。

 空には月が昇り、静かな広場を照らしていた。さあ、と夜風が吹き、遠くの麦畑の匂いを届けてくれる。


「――坊っちゃん」


 声に振り返ると、スミス氏が立っていた。


 ――スミスさん。


「どの様な奇跡でしょうか、どうやら女神様より、お別れを言う機会が与えられたようです。うちの娘は元気でしょうか」


 ――はい。とても。


「それは……良かった。なんとお礼を申し上げても、この感謝の気持ちは伝えきれません。どうか――」


 ――はい。あなたの代わりに、立派に父親として。


「……はい? 坊っちゃん、私はなにも、パティの父親代わりをお願いしたわけではありませんが」


 ――はい?


「悲しいですが、あの子はもう父親わたしなど居らずとも、強く育ちましょう。母親似の強い子ですから。それよりも――」


 ――ああ、やめて下さい。俺にはそんな資格はないんです。

 ――俺はあの時パティの手を払い、突き飛ばした。そのせいでパティは……。


「本当に、御父上に似てお優しい御方だ。何も気にする事は無いのですよ、坊っちゃん。強制もいたしません。ですが、どうか……これは父親としての願いなのですが、真っ直ぐに向き合ってやって下さい」


 スミス氏はそう言うと、ぺこりとお辞儀をした。


「貴方のおかげでパティはよく笑う様になりました。最後に、重ねてお礼申し上げます。それでは、さようなら……坊っちゃん」



 ***



 目を覚ます。とても悲しく、そして優しい夢を見ていた。

 何故、このタイミングであの二人が夢に出て来たのだろうか。夢枕に立つというヤツか。しかし、天界は満員じゃなかったのか。


「……ああ」


 頭を振って起き上がる。

 もしかしたら、俺の願望がウイングとスミス氏の形を借りて現れただけなのかもしれない。俺は、パティと一緒になる事を許されたがっているのだ。許しを請う相手もいないのに。


「ああ、今日は……定期考査の日か」


 パティと『挨拶』をするようになってから二週間が経っていた。流石にもうキスと言う行為自体は慣れたものの、その後の剣術修行に多大な影響を与えていた。

 カシムさんからは『身が入っていない』と叱られ、サンディさんからはニヤニヤと、そしてボコスカと痛めつけられる。


 それでいてたまにパティを見かけると、ヴィスコンティ先輩と仲良く歩いていたりするものだから、俺のメンタルはもう擦り減り切っていた。


「ゼラ⋯⋯はもう行ったか」


 最近、ゼラと一緒に修練場に行く事も無くなった。俺の『お前虫食べてそう』発言がたいそうお気に召さなかったらしく、ヘソを曲げてしまったのだ。

 しかし前世において――田園風景が広がる田舎の、祖母の家で飼っていた猫はよくバッタやカマキリを捕獲して食べていたと記憶している。

 ゼラもよく虫を捕まえてるし、食べていてもおかしくない。完璧な論理だ。よって俺は悪くない。


「⋯⋯はあ」


 涙が乾燥してカピカピになった顔を洗い流し、身嗜みを整えて修練場に向かう。何はともあれ、今日の定期考査で満点――つまりトーナメント戦で一位を取らなくては、カシムさんから地獄がもたらされるのだ。今は目先の事に集中しなくては。



 ***



「ほっほ、それでは日々の集大成を見せていただきましょうかな」


 修練場に集まった生徒は俺とゼラを含めて十一人。相変わらずピエール軍団の姿は無い。

 カシムさんから試験の説明が行われるも、しかし試験方法は既に知れ渡っているらしく、生徒たちはリラックスした様子だ。


「とは言え、皆さん既に試験概要はどこぞより聞いている様ですな――しかし」


 しかし。そう言葉を切ったカシムさんは、好々爺あくまの様な笑みを浮かべる。

 嫌な予感がする。背筋が粟立つのを感じながら、次の言葉を待った。


「この剣術の授業は、皆さんの様な子供の身体の発達を助ける目的があります。また、学園に入学してから初めて剣を握ったという子もいるでしょう。故に、剣の腕で競い合わせるのは些か試験として不公平であると――昨日、学園長と協議いたしました」


 ⋯⋯つまり、直前で試験内容が変わったと。

 もっともらしく、生徒の為などと言っているが、多分『従来の試験方法じゃ面白くないですからな、ほっほ』がカシムさんの本心だ。


「えー! 先生ぇー、そりゃないよー!」


 そして、一部の生徒が不満の声を上げる。その声もごもっともだ。なにせ、カシムさん自身が以前からトーナメント形式の試験を仄かしていたのだから。

 さしづめ、試験前に『ここ試験に出るぞ』と言われていたのに、実際に答案用紙を開いたら全くの的外れだったごとく。


「ほっほ、ご安心を。皆さんに楽しんで貰えるような試験方式になっております。なんと、成績に応じた豪華なご褒美も用意しました」


 カシムさんがそう言うと、不満を漏らしていた生徒は無邪気にも目を輝かせた。そう、この翁は俺以外の生徒には『優しいおじいちゃん先生』として通っているのだ。

 そして俺は『温厚な先生を怒らせて厳しい授業を課せられている仮面をつけたバカ』と。何故だ。


「――さて、ご納得頂けましたかな? では、試験の説明に移りましょうか。とは言え難しいものではありません。皆さんも幼少のみぎりにやった事があるかもしれませんが、『隠れんぼ』です」


 隠れんぼ。

 ハイドアンドシークとも呼ばれる児戯だ。

 鬼が決められた数を数えるうちに隠れ、見つけられたら負け。鬼が降参するまで隠れていられたら勝ち――というのが、前世での俺がいた地域のローカルルールだった。


「ただし、これは体力を見る試験です。じっと潜んでいては測れようもありますまい。なので少し趣向を凝らしました。皆さん、こちらを」


 カシムさんは30センチ四方ほどの木箱を手に持ち、軽く左右に揺すると、ジャラジャラと硬い音が響く。蓋がされていない木箱の中を生徒たちが覗き込むと、わぁ、と声が上がった。


「ペンダントだ!」


 その声に俺も興味を惹かれ、覗き込む。

 木箱の中には、魔晶を細い鎖で繋いだペンダントが入っていた。

 三つの小さな魔晶が、まるでクローバーの様にあしらわれた意匠だ。


「左様。これは土魔法のボリス先生に協力頂いて作ったものです。皆さんに差し上げましょう」

「えー、いいんですか!?」

「ほっほ、一人ひとつですよ。それを首から下げて下さいね」


 生徒たちは喜んでペンダントを手にし、首に掛けて行く。


「シャーフ君もどうぞ」

「⋯⋯⋯⋯はい」


 なぜ隠れんぼにペンダントが必要なのかと訝しむものの、ひとまず受け取って首から下げる。木箱には数個のペンダントが余っていた。


「では説明を続けましょう。シャーフ君、そこに立ちなさい。直立不動で」

「⋯⋯⋯⋯はい」


 嫌な予感がしたが、言われた通りに修練場の中央に直立する。


「皆さんはこれから木剣を携え、校舎の裏山に入って隠れて下さい。鬼は百秒数えた後、同様に木剣を持って皆さんを追いかけます。制限時間は一時間。それまでに――『三つの命』を使い切るまでの時間を競います」


 三つの命とは――?

 俺を含んだ生徒たちが、聞き慣れない言葉の意図を質問しようとした瞬間。修練場の隅から物凄い速さで何者かが走って来た。

 メイド服を着た何者かは俺に肉薄し、避けようがない速さの剣を突き出す。


「ひ――――!?」


 殺られる――そう思った瞬間、目の前に現れた土壁が木剣を防ぐ。同時にペンダントの、三つの魔晶のうちひとつが砕け散った。

 宙に発生した土壁はボロボロと崩れ落ち、修練場の床に散らばる。


「ほっほ、こういう事です。ペンダントの魔晶は鬼の攻撃を自動的に防いでくれますが、使用限度は三回。この三つの命が尽きた後、再度鬼に捕まったらそこで試験終了です。皆さんも木剣で鬼の攻撃を防ぐのは許可します」


 なるほど、俺はデモンストレーション役に選ばれたという事か。光栄だね。ふざけんな。


「鬼は命をひとつ奪うか、攻撃が防がれた段階でその場に一分間留まります。その間に再度身を隠し、逃げ果せて下さい」

「あのー先生ぇ、鬼っていうのは⋯⋯」


 生徒の一人が手を上げ、今しがた俺の命をひとつ奪った、メイド服の『鬼』を見やる。

 というかサンディさんなのだが、顔には邪悪な生物を模した仮面を被っている。あれはなんだ。ツノが生えた竜だかオーガだか判別がつかないが、とにかく冒涜的で恐怖心を煽られる見た目をしている。


「ほっほ、こちらは試験にご協力頂く鬼さんです」

「どうも鬼です。よろしくお願いします」


 サンディさんは仕事モードの声色で、スカートの裾を摘んで恭しく礼をした。

 その言葉を聞いて、今までウキウキ気分だった生徒たちの顔から血の気が引いていった。

 皆、俺が日頃サンディさんに拷問されているのを見ているし、そうでなくても『クラウンガード』サンディ・クレイソンの名は知られているだろう。


「ああ、ペンダントは試験が終わったら持ち帰って結構ですよ。それまでに残っていればの話ですが――それでは、始め!」


 カシムさんの号令で、生徒たちはきゃあきゃあと悲鳴を上げながら山の中へと駆けて行った。特にゼラは流石の俊足で、あっという間に姿が見えなくなってしまった。

 なるほど、『成績に応じた豪華景品』とはペンダントの事ね。無傷のが欲しかったら逃げまくれと。


「おや、シャーフ君は行かなくても良いのですかな?」

「⋯⋯俺の命、ひとつ消費されたままなんですが」

「おっと。失念しておりました」


 ――まあ、誰にでも忘れることはありますよね。


「嘘つけこのクソジジイ」

「本音と建前が逆になってますな」

「⋯⋯⋯⋯すんません」

「ほっほ。それより覚えておりますな? この試験で一番になれなかったら――」


 ⋯⋯ふっ、俺も舐められたものだ。

 むしろこの試験方式は好都合。毎日のように駆け回っている山の中だ。地の利は俺にあるし、サンディさんは十一人の生徒を一度に相手にしなければならない。


 俺以外の生徒が三つの命を消費したとして、鬼の行動不能スタン時間は三十分。まぐれ当たりで攻撃を防げれば、もっと時間に余裕が出来る。

 俺とて、サンディさんの攻撃を避ける事は難しくても、木剣で受ける事は可能だ。

 この勝負――貰った!


「などと皮算用するのは余裕があって結構ですが、鬼が動き出すまで時間がありませんよ」

「はちじゅういーち、はちじゅうにー、はちじゅうさー――」

「ひえっ」


 気づけば、鬼の起動まで残り二十秒を切っていた。俺は脱兎の如く山へと逃げ出した。

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