答えを出すまで・後
***
――一方その頃。
女子寮に入ってすぐの場所に設置された談話室。授業終わりの生徒たちがひしめく中、その隅ではとある会合が行われていた。
「さて先輩、話があるということだけど、どうしたんだい?」
マリア・ヴィスコンティは紅茶の入ったカップを片手に、優雅に足を組む。
「アンタ、寮内でもそのキャラでやってるの?」
「これは私の
「私が学園に居た頃は普っ通の女子だった気がするけど?」
「ははっ、なにせこの容姿だ。周りから王子様と囃し立てられてね。私もすっかりこれが気に入ってしまったよ」
「あっそ、まあいいわ。それで……ぷに子!」
サンディはクッキーを頬張りながら、紅茶を啜るパティの頬をつまむ。
「はひっ?」
「今日もぷにぷにで結構ね。さて、情報を仕入れて来たわ。これはきっと、『落とす会』の躍進に繋がるに違いないわ!」
「情報……れふか? あと、なんであたひのほっぺをふまむんれふか?」
首を傾げるパティに、サンディはニッコリと微笑んで頷き、頬をつまんだ指をムニムニと動かした。
「あの、だからなんでほっぺを……」
「まず、好きな女性のタイプは胸が大きな子よ!」
「ほう、先輩は胸が大きな子が好きなのかい?」
「私じゃないわよ! シャーフ君の!」
そう――サンディが『楽しい修行』と銘打ったのは、全ては『どうやってシャーフ君を落とすか会』の為だった。
ヴィスコンティは目を丸くし、肩を竦める。
「どうやってそんな情報を?」
「んなもん、身体に聞いたのよ」
「……拷問か何かかい? 穏やかじゃないね……」
「失礼ね、合法的な手段よ」
果たしてそれが合法であったかどうかは、当人同士の認識によるものであったが――ヴィスコンティは苦笑いしながら頷いた。
対してパティは、自分の胸に両手を当てる。
「……どうかなぁ」
「大きいとは言えないわね」
「そんなぁ……」
「ま、まあまあ。胸の話は時間が解決するだろうから、今は置いておくとしようじゃないか。それよりシャーフ君のことなら、他ならぬパティが一番良く知っているんじゃないかな?」
サンディは口をぽかんと開けて呆ける。
「は?」
「いや、すまない。対策を考えるのであれば、パティから聞いた方が手間がないのでは、と思ったんだ」
「⋯⋯それを先に言いなさいよアンタは。いらぬ暴力を振るってしまったじゃない」
「⋯⋯やっぱり乱暴な手段じゃないか。それで、パティ。シャーフ君の⋯⋯例えば『作戦』に使えそうな情報はあるかい? 好きな物とかさ」
パティは腕を組み、顔は天井に向けて考え込む。
「⋯⋯アン」
「アン? 誰だい、それは?」
「シャーフのお姉ちゃんです。たぶん、シャーフが一番好きなのはアンだと思います。でも⋯⋯」
パティは、いかにこの姉弟の仲が良かったのか、というエピソードを語った。
紅茶を啜りながら聞いていたサンディは、その中に聞き捨てならない単語を見つけ、眉間に皺を寄せる。
「⋯⋯ちょっと待ちなさい。なんで姉弟でキ⋯⋯キスをするの?」
「ふむ、聞いた事があるよ。西大陸のグラスランドでは、親族間では親愛の挨拶として、頬や唇にキスをするのだと」
「はい、あたしもお父ちゃんとは毎日してました」
「ま、毎日⋯⋯」
サンディがカルチャーショックを受けるのも無理もない話であった。ウィンガルドでは、キスとは恋人や夫婦間の行為であり、ましてや人前で行う事では無いと認識していたからだ。
「ええと、もちろん、恋人同士でもしたりするけど⋯⋯あっ、友達同士ではしないです」
「ははっ、私も初めて聞いた時は驚いたよ。でも素敵だとは思わないかい? それだけ深い愛情が、家族間で結ばれているのだから⋯⋯」
「文化の違いだわ⋯⋯。いや、待てよ? これは使えるわね!」
「⋯⋯先輩?」
「シャーフ君はぷに子の父親代わりを自称してるでしょ? つまりぷに子がキスを求めても合法よ!」
その言葉にパティはハッとし、しかしすぐに首を傾げた。
「⋯⋯合法ですか? そ、それに、それはシャーフに悪いような⋯⋯」
「いいのよ細かい事は。あっちが父親のつもりでぷに子の想いを無視してるなら、それを利用しても文句は言えない筈よ!」
「そうなのかなぁ……」
「そうよ! ぶちゅっとやっちまいなさい!」
「ぶちゅっと……ふ、ふへへ……!」
一瞬逡巡したものの、パティも乗り気であった。
「いい? 剣術も恋愛も、継続が大事よ! これから毎日シャーフ君の小屋に行って、キ……キスをする事!」
「はい! あたし頑張ります!!」
「いや、それだと私とパティの偽装恋人計画が……ふっ、まあいいか」
かくして、『落とす会』に新たな施策が導入されたのだった。
「ふふっ、『サマー・ハーベスト・パーティ』の後夜祭が楽しみだね。私も腕が鳴るよ」
全ては、二週間後の収穫祭で勝負を決める為に――。
***
「好き……嫌い……いやそうじゃない、好き……」
朝。修練場に行く前に身嗜みを整えた俺は小屋の前に座り込み、ゼラを待つ間に花の花弁を毟っていた。
「ひとりでブツブツと、なにをしているのですか」
「花占いだ……って、もう準備終わったのか」
いつの間にかゼラが隣に座っていた。
こんな女々しい行為を見られた事に恥ずかしくなり、俺は手の中の花を地面に放り投げる。結果が出る前に占いは中断となった。
「ほう、占い。なにを占っていたのですか」
「……今日の修行が辛いものか否か、だ」
「占わずとも分かっているでしょうに」
「ごもっともだ」
本当は、俺自身の気持ちがどうなのかを天任せにしていただけである。端的に言うならば現実逃避だ。
俺とゼラは同時に立ち上がり、修練場に向かうため木々のトンネルを目指す。
「占いならば、私の
「へぇ、どんなだ?」
「罪人の爪をはいで、それを使って背中を切って紋様を描き、血の流れ方を見て」
「ああ、もういい。朝食が入らなくなるからやめてくれ」
こいつの郷は一体どんな場所だ。秘境奥深くの呪術を使う原住民とかだろうか。
そんな事を思いつつ歩いていると、トンネルの入り口で見慣れた姿が待ち構えていた。
「お……おはよう! シャーフ! ゼラちゃん!」
「パティ……」
「パティ子です。おはようございます」
パティだった。こんなボロ小屋しかない場所に、わざわざ朝一で来たという事は、俺かゼラに用があるのだろう。
「どうした? あ、お小遣いか?」
「ううん、違くて……あ、これね、授業で作った魔晶! 使って!」
パティは制服のポケットから真紅色の魔晶を取り出し、俺に手渡した。火の紋様が刻まれたそれは、市販の物と比べても遜色ない出来に見える。
「へぇ、凄いじゃないか!」
魔晶の出来――出力、火力は、作成者である魔法師の
ゆえに、強い魔法が使える魔法師は世間からありがたがられる。生活に不可欠な魔晶が高性能であればある程、暮しが豊かになるのだから。
「へへ……」
「……そ、そういえば今日は一人なのか? 友達とかは」
「うん、一人だよ。えっとね、シャーフに言いたい事があって……」
「な、なんだ……?」
俺は後退し、ゼラを盾にする。
もしここで『ヴィスコンティ先輩とね……』とか言われたら、俺は失神する自信があった。
「お兄ちゃん、なぜ私の後ろに隠れるのです。パティ子が話があるのはお兄ちゃんなのですよ」
「もしかしたら、パティがいきなり腹パンしてくるかもしれないだろ」
「そうなったら腹パンされるのは矢面に立つ私になります」
「その時は諦めろ。その代わり今日の授業は腹痛を理由に休んでいいぞ」
「そ、そんなことしないよ! いいから聞いてよ!」
パティは可愛らしく頬を膨らませる。その頬をつっつきたい衝動に駆られながらも、観念して
「えーっとね⋯⋯シャーフはあたしの、お父ちゃん代わりって言ってたじゃない?」
「! あ、ああ、そうだ。お小遣いいるか?」
「だいじょうぶ。それで、あたしはすっごく嬉しくて、それに甘えちゃおうかなって」
「そ、そうか⋯⋯」
俺の押し付けかもしれないと思った事もあったが、パティの口からそう言ってくれると安心だ。
そう、安心、だ⋯⋯。
「だからキスしよう!」
「⋯⋯⋯⋯んっ?」
「あたし、お父ちゃんとは朝学校に行く前と、夜寝る前にしてたから! だから!」
パティは鼻息を荒くして俺に詰め寄ってくる。
俺は再び
確かにウォート村にいた頃、親族の間柄では『キス』は挨拶のような物だった。もちろん恋人同士がするような激しい物ではなく、唇や頬に軽くするような物だが。
俺も転生当初は驚いたが、赤ん坊の頃からクリス氏やアンジェリカにチュッチュされていたので、抵抗は無かったものだ。
特にクリス氏は凄かった。俺やアンジェリカが幾つになろうが、顔を見たら唇を突き出して来たものだ――。
「シャーフ?」
「えっあっ、うんキスね。知ってる。ヴェーナ大橋の近くの漁村で漁れるらしいぞ」
「それはお魚だよ。あたしが言ってるのは挨拶のキス」
「あーなるほどそっちね。知ってる知ってる。でも、俺とパティは――ハッ」
ここでキスを否定する――即ち父娘の関係も否定する事に他ならない。
それはダメだ。『父親代わり』という肩書は、俺の最後の砦なのだから。
「話が見えません。私にわかるように簡潔に説明してください」
と、盾もといゼラが抗議の声を上げた。
「あたしたちの国ではね、家族の間での挨拶なんだよ」
「さすがパティ子、とてもわかりやすいです。ではお兄ちゃんはそれに応じるのがスジというものでしょう」
「なっ⋯⋯お前⋯⋯!」
逃げ道を完全に封鎖された俺は、観念するしか無かった。
「⋯⋯じゃあするけど」
「う、うん! お願いします!」
パティは笑顔になり、おもむろに目を閉じた。えっ、これ俺からするの?
いや落ち着け、あくまでこれは家族間での挨拶であり、やましさを感じてはパティに失礼だ。
しかし異性に、それもかなり年下の子へキスの経験など無いので、どうしたら良いのか分からない。
肩に手を置いてから? やらしくないかそれは。
抱き寄せて? それもなんかやらしい。
どうすれば――――。
「とっととやりなさい」
逡巡し、目を回していると、背後からゼラに押された。
パティの顔が近づき、唇が触れ合う。その瞬間パティの目が開き、その瞳が揺れているように見えた。
「むぐ……」
非常に柔らかい。あとなんかいい匂いがする。これはパティが商業区の雑貨屋で買っていた石鹸の匂いだろうか。
目を合わせたまま唇を重ね合い、段々と動悸が早くなってくる。あれこれ、いつまで続ければいいんだ?
パティはパティで、茹蛸のように顔が真っ赤になって行く。
「――はっ。あ、ありがと! じゃああたし行くね! 夜にまた来るね!」
と、そろそろ肺活量の限界に達しようかという所で、パティの方から離れた。
パティは耳まで真っ赤にし、踵を返して走り去ってしまった。
俺はその場にへたり込む。頭がくらくらとし、心臓が早鐘を打っているのは、酸素欠乏によるものではない。
「……」
もう、ぐうの音すら出なかった。
俺は――パティの事が好きだ。娘としてではなく、異性として。
ずっと大切に思っていたのが恋愛感情に転化、いや昇華したのだろうか。
いや、経緯など考えるだけ無駄なのだろう。一度自覚してしまえば、答えが出てしまえば、もうどうしようもないのだ。
「よくやりました。ついでに私ともしておきますか。妹ですし」
ゼラが俺の頭に手を置く。
「やだよ……お前虫とか食ってそうだし……それに今朝歯磨きしてなかっただろ……」
「……」
ゼラは無言で手に力を篭め、俺の首をあらぬ方向へ曲げた。
ゴキ、という鈍い音を聞いたのを最後に、視界が暗転した。
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