空回りの日・後
***
魔法試験場――入学試験の時に使われた、だだっ広い広場だ。
普段は火や風などの、攻撃的な魔法の実技に使用される。
的は訓練用の
「やあ、待っていたよケイスケイ君! キミときちんと言葉を交わすのは、これが初めてかな?」
陽が落ちかけ、辺りが夕闇に染まりかける頃。
魔法試験場の中央に、ピエールが待ち構えていた。
それだけではなく、ヤツの取り巻きの男女が、見えているだけで十人程。
「…………」
そして、縄で縛られたゼラが地面に座り込んでいた。
こんな状況なのに相変わらずの無表情で、俺をじっと見ている。
「……こんばんはウッドルフ先輩。ゼラを返してもらえますか?」
「おっと、その前に僕の話を聞いてもらえるかな? なあに、キミにとっても、ゼラちゃんにとっても悪い話じゃあないよ」
「いきなり人の妹を誘拐するような奴の話を、俺がはいはいと聞くと思っているのか?」
そう返すと、周りの取り巻き連中が俺の周りを囲んだ。
話を聞くまでは返さない、どころか危害まで加えて来そうな雰囲気だ。
「……仕方ない、話は聞きます。ただ――」
「ただ……なんだい?」
「もし俺が来るまでにゼラに危害を加えていたら、どんな手を使ってでも後悔させてやるから、そのつもりでいろ」
自分でも驚くほど低い声が出た。どうやら結構、俺は腹が立っているらしい。
ピエールは笑顔を引きつらせる。
「っ……。し、心配ないよ。ただ逃げ出られても困るから、縛らせてもらっただけさ」
俺が頷いて促すと、ピエールの『話』が始まった。
「話と言うのは単純でね。ゼラちゃんについて、ある提案がしたいんだ。そこで兄であるキミの了承を貰おうと思ってね」
「回りくどい。さっさと用件だけ話して貰えますか?」
「……チッ。キミたちは孤児だと聞いている。そこで、僕の家でゼラちゃんを引き取ろうと思う」
「…………は?」
「だってそうだろう? ゼラちゃんはマナリヤが無い。これからの人生はお先真っ暗だ! でも大丈夫、僕の父は
「合った仕事……? それは例えば、どんなものが?」
「そうだね、例えば……僕の元に永久就職とか、ね。ふふっ、幼い今でさえこんなに美しいのだから、今から教育すればきっと将来は……」
⋯⋯気持ち悪ーいっ!!
理解した。ピエール・ウッドルフは下半身で物事を考える生物であると。
ゼラの事を思って、と言う
「どうだい? とてもいい話だと思うよっ?」
俺はゼラを見た。ゼラは無言で此方を見返すと、物凄い勢いで首を横に振る。
「嫌だそうですよ」
「アッハ! 照れてるんだね! 兄であるキミからも、言ってやってよ!」
「いや、俺も馬鹿げた話だなあと思いますが」
「あっ⋯⋯⋯⋯そうかい」
にこやかに笑っていたピエールの表情が、ゆっくりと変わって行く。片方だけ口角を吊り上げ、嗜虐的な、嘲る様な笑みへと。
「僕なりに義理を立てようと思ったんだけどねぇ。そうか、キミは僕に逆らうのか」
「だったらどうしますか? 周りにいる連中を使って、俺に
「
おお、意外と理性的だった――。
「これは"教育"さ。物わかりの悪い後輩に、支配者が誰かを分からせるための、ね」
――などと、一瞬でも思った俺がバカだった。
ピエールが手を挙げると、取り巻き連中は木剣を携えて包囲網を狭め始める。
どいつもこいつもニタニタと笑っていて、微塵も申し訳なさそうではない。嫌々やらされているわけではなさそうだ。
人がせっかく平穏な生活を目指して頑張ってるって言うのに、どうしてこうなるんだ。
「……仕方ない」
ここは全員『マインドアサルト』で昏倒させよう。そしてゼラを回収し、何事も無かったかのようにボロ小屋へ戻るのだ。
「……?」
と思い、右手を突き出してマナリヤに意識を集中したが、魔法が出ない。
試しに『プリティヴィーマータ』での拘束も試みたが、同様に不発に終わった。
空気中にあるマナが、マナリヤに集まらない。ここ数週間ほとんど魔法を使っていなかったからだろうか。いや、それにしても違和感が――。
「あれぇ、どうしたのかな、ケイスケイ君?」
ピエールがニタニタといやらしい笑みを浮かべている。
なるほど、どうやらあのロリコンは、俺が魔法を使えない理由を知っているらしい。
取り巻き連中がわざわざ魔法ではなく木剣なんかで私刑しようとしている事から、この魔法試験場にそういった仕掛けがあるのかもしれない。
「こいつ、いつも先生にボコボコにされてるやつだろ」
「おれたちでも楽勝だよ、こんなやつ」
「早くやっちゃいましょ。ピエール様に逆らうなんて許されないんだから!」
じりじりと包囲が狭まって行く。
魔法での突破は困難――そう判断し、背中から錘付きの木剣を抜く。
素手で挑むよりは遥かにマシだろうが、それでも多勢に無勢だ。カシムさんの訓練を受けているとはいえ、この人数に躍り掛かられたら怪我は免れない。
「……さて、ボコボコにされる前に言っておく。俺は殴られたら殴り返す。骨が折れようが歯が折れようが、そいつの一番痛そうなところを全力で叩いてやるからな」
ブン、と木剣を振ると、取り巻き連中はわずかにたじろいだ。
「更に言うと、一番目の奴は絶対に許さない。全裸に剥いて学園長室の窓から吊るしてやる。俺はやると言ったら絶対にやるからな」
ゼラを攫われた事もそうだが、こんな馬鹿らしい理由で私刑を加えられる事に、本気で腹が立っていた。
「お、おい! そんなガキに何をビビっているんだ! やるんだよ!」
ピエールが叱咤するも、俺の殺気を篭めた警告に、取り巻き連中の足は完全に止まった。
しかし、このままでは膠着状態だ。なんとかこの場を切り抜けるには、別の手を打つ必要がある。
考えろ――。
このピエール軍団、恐怖で足が止まったところを見るに、あまり忠誠心が高いとは言えない。
将を射んと欲すれば先ず馬を射よとは言うが、こいつらは馬にもなっていない、ただの
ならば、
「……なら、こういうのはどうですか、ウッドルフ先輩。俺と剣で勝負して、貴方が勝ったらゼラをあげます」
「は」
ゼラが声を出すが、無視して続ける。
「俺も複数人から殴られるよりかは、ウッドルフ先輩一人から叩かれた方がまだマシですし。それに、俺より強いなら安心して妹を任せられますしね」
「……ふぅん? ケイスケイ君がそれで良いって言うなら良いけど……。僕、結構強いよ?」
「それを確認させて貰えればと。そうすれば、妹にはよく言って聞かせます」
ピエールはふふん、と鼻を鳴らし、取り巻きから木剣を二本受け取った。
よし、誘いに乗ってくれた。ピエールとの一騎打ち、ここまでは狙い通り。
ピエールは剣術の試験官に抜擢されるほどの実力だ。身長も俺より高く、まともにやり合って勝てるかどうか分からない。
そもそも俺の
だが、やるしかない。
鼻から深く息を吸い込み、口から浅く吐く。
食いしばった歯の間から空気が漏れる音が響く。
後は――"欲"だ。何を欲する。この場合はゼラを。
「じゃあ、やろうか――ゼラちゃんを賭けて!」
ゼラを賭けて⋯⋯俺はゼラが欲しいのか?
ゼラは好き嫌いは激しいし、ワガママだし、洗濯物は脱ぎっぱなしで人任せ。
初対面時など人のメシをタダ食いして逃げるし、俺の名前を馬鹿にするし⋯⋯思い返すほど、ろくなヤツじゃない。
「さあ、どこからでも打ち込んできたまえ!」
あいつが俺の小屋に来てからもそうだ。
洗濯物は風呂で洗っているのだが、なぜ俺があいつのパンツを洗わなければならないのか。
夜メシも『構内に行きたくない』という理由で学食まで使い走りさせられるし。
その上、ロクに茶を淹れる事も出来ない。
ああ、思い返していたら段々と苛立って来た――。
「来なければこちらから行くよ? ふっ、僕の剣を受けて立っていられるかな――」
「うるっせー! ちょっと黙ってろこの性犯罪者!」
怒りのままに突き出した木剣が、ピエールの股間に直撃した。
狙ったわけでは無い。身長差があった為、普通なら胸を穿つはずの刺突が、ちょうどいい場所に当たってしまったのだ。
ちなみにピエールは制服姿であり、防具の類を一切身に付けていない。
「あっやべっ」
重量40キロはあろう木剣に、子供とは言え渾身の力を篭めた刺突。
それが男の急所に直撃すれば、どうなるかは自明の理であった。
「あふンっ」
ピエールは白目を剥き、口の端から泡を吹いて仰向けに倒れた。その顔には笑みを貼り付かせたままで。非常に気味が悪い。
ピクピクと痙攣している事から、どうやら死んではいない様だ。男性機能の生死については保障出来ないが。
「なるほど。これがジジンディの言っていた"欲"というやつの力ですか」
いつの間にかゼラが俺の隣に立ち、ピエールの死体を見下ろしていた。いや、死んでないんだけども。
「お兄ちゃんは私が欲しくて欲しくてたまらず、その愛のパワーでここまで強くなったということですね」
うんうんと頷くゼラをよそに、俺は首を横に振った。レヴィンの真骨頂、その初お披露目が金的なんて、なんか嫌だ。
「いやそれより……縄はどうした?」
「このウインドダガーでスパっとやりました」
ゼラは俺が以前贈った短剣を携えていた。先ほどまで座り込んでいた場所には、切断された縄が落ちている。
「それ、いつも持ち歩いてるのか?」
「護身用です」
「……俺、ここに来なくても良かったんじゃ?」
縄を切れるのなら、ゼラの素早さがあれば逃げ出せていた様に思う。
「なにを言うのです。妹が危ない目にあっているなら助けるのが兄の役目です」
「さいで。さて……」
視線をゼラからピエールに移す。倒れているピエールを取り巻き連中が囲んでいた。
「キャー! ピエール様ァー!」
「ピ、ピエール様! お気を確かにー!」
どうやら、リーダーがやられた事への報復は頭に無い様である。
「……今のうちに帰るか」
「そうしましょう」
俺は木剣を担ぎ直し、ゼラの背中を押してその場から退散した。
しかしまあ、ゼラの救出も結局は必要なかったという事で、今日は本当に何から何まで空回りした日だった。
「⋯⋯⋯⋯?」
ふと、手のひらに違和感を覚える。
押し当てているゼラの背が、少しだけ震えている様だった。
――ゼラは無表情ではあるが、無感情ではない。こいつの感情は、突飛な行動に表れやすい。
「怖かったか」
「すこし。ですが、それ以上に――」
「それ以上に?」
「来てくれて嬉しかったと思います。多分」
そう言ったゼラの声は、相変わらず無機質だった。
「そっか。なら感謝して、これからせめて自分のパンツは自分で洗ってくれ」
「無茶を言わないでください」
「⋯⋯それを無茶と言われたら、俺はこの先お前にどんな要求も出来ないぞ」
「嬉しいでしょう」
「生憎、布単体に欲情する様な性的嗜好は持ち合わせていない」
「大丈夫です。先輩として、妹として、シャー⋯⋯あなたのことはきちんと理解していますので」
だったが、どことなく――恐らく99%俺の勘違いなのだろうが、嬉しそうに聞こえた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます