空回りの日・前

 ***



 翌朝。目を覚まし、マナカーゴを出ると、既に陽は高く上っていた。


「⋯⋯⋯⋯?」


 何かがおかしい。しかし、何がおかしいのか、寝起きの頭では理解が追いつかない。

 まず、もう昼時である事は確かだ。昨日の疲労からして、ぐっすりと寝てしまったのだろう。

 そして今日は平日。当然朝から授業があり――。


「⋯⋯⋯⋯ひっ」


 そこからの俺の動きは、なによりも早かった。恐らく今なら最速の剣戟を繰り出せていたかもしれない。しかしそのエネルギーは登校のみに費やされ、修練場に辿り着いた頃には、山中マラソンでも切れなくなった息が、すっかり上がってしまっていた。


「⋯⋯⋯⋯って、あれ?」


 カシムさんにジャンピング土下座をする勢いで、修練場に駆け込んだのだが、そこはもぬけの殻だった。正確には修練場の隅で、ゼラが体育座りをしているだけだった。

 ゼラは珍しくキャスケット帽を被っており、その表情は伺えないが、俺はとりあえず文句を言う事にした。


「なんで起こしてくれなかった⋯⋯」

「今日はオジジがお休みなので剣術の授業はありません」

「は!? そんなの、聞いてないぞ⋯⋯」

「昨日の授業終わりに言ってました。お兄ちゃんはその時、ゴミ雑巾のようになっていたので無理もないです」


 それならそうと、昨夜のうちに言ってくれれば良かったのに! と言うか『ゴミ雑巾』という単語は初めて聞いた。


「⋯⋯なんだ、じゃあ今日は休みか。お前はどうするんだ?」

「パティ子がご飯を持ってくるまでここにいます」

「ああ、そう⋯⋯なんで今日は帽子なんだ?」

「私なりのオシャレです」


 ゼラは地面に根を張ったように動かない。俺は何となく、その隣に座ろうとすると、距離を開けられた。下ろしかけた腰を浮かせたまま、帽子の頂上を見下ろす。


「⋯⋯⋯⋯なんだ」

「なんとなくです」

「あっそう⋯⋯」

「今日はそんな気分です」


 どうも一人で居たいらしい。まあそんな日もあるか、と勝手に納得し、俺は腰を上げた。


「じゃあ俺は、町の方にでも行ってみる。お前も来るか?」

「行きません。そんな気分なので」

「分かった。じゃあまたな」

「おみやげに甘いものを所望します」

「はいはい⋯⋯」


 相変わらず気まぐれなやつだ。

 俺はゼラを修練場に残し、その場を後にした。



 ***



 さて、思いがけず休日となった本日。

 他の授業に出てみるかーなんて殊勝な心がけは無く、俺は冒険者ギルド『カルディ』を訪れていた。


「いらっしゃいませ、ケイスケイ様」


 すっかり顔なじみになった受付員の男性――名前はラウドさんと言うらしい――に挨拶し、依頼の成果報告を確認するも、またもなしのつぶてであった。


「こう言ってはなんですが⋯⋯もっと質の良い冒険者が集まる場所、例えば王都ウィンガルディアのギルドに依頼を出しては如何でしょう? 規律の抜け穴なのであまり大きな声で言えませんが、王都に住まう知己の方に、代理で依頼を出して頂くことも可能です」

「⋯⋯それも考えてみます。ありがとうございました」

「いえ。見つかる事を祈っております」


 客への社交辞令かもしれないが、それでも、そう言ってくれるだけで、幾分か気が楽になった。

 冒険者ギルドを後にした瞬間に腹が鳴り、そう言えば昼食を摂っていない事に気付いたので、たまには外食くらいしても良いだろうと町のレストランへと向かった。


 なんだかんだで、独りで食事をするのは久しぶりである。やけに混み合う店内でしばらく待ち、席に案内され、簡単な食事を注文する。


「チキンサンドを」

「お客様、申し訳ありません。ただいま店内が混み合っておりまして、他のお客様と相席でもよろしいでしょうか?」


 と、ウェイトレスからそう問われ、頷く。二人がけのテーブルなので余裕はあるし、特に拒む理由もない。


「こちらの席へどうぞ」


 そして案内されて来た相席相手は――。


「⋯⋯⋯⋯貴様ァ」

「あっ、ロナルド先生」


 まさかのロナルド先生だった。俺を見て、こめかみに青筋を浮かべている。


「こんな場所で何をしている? 授業はどうした? というか貴様、剣術にのみ打ち込んでいると聞いたぞ! 学年首席の座を取るには、全教科をだな⋯⋯!」

「すみませんお客様、他のお客様のご迷惑になりますので⋯⋯」


 段々とヒートアップし出したところに、ウェイトレスが横槍を入れた。


「⋯⋯失敬。ビーフサンドをひと⋯⋯いや、二つ」


 ロナルド先生は俺の対面の椅子にどっかりと座り、腕を組んで俺を睥睨する。どうも、この人にはあまり良い印象を持たれていない様である。


「二つも食べるんですか?」

「阿呆、貴様の分もだ」

「いやそんな、悪いですよ。それにもう、俺は俺で注文しましたし⋯⋯」

「貴様ァ、私の奢るメシが食えないというのか⋯⋯?」


 パワハラだ。いや、ティーチャーズ・ハラスメントと言ったところだろうか。

 程なくして三人前の食事が運ばれて来た。


「⋯⋯それで、貴様は何故こんな場所にいるのだ」

「今日はカシム先生がお休みでして」

「成る程。しかし、だからと言って怠けている暇があるのか?」


 何なんだこれは。せっかく独りでゆっくりと食事を嗜もうとしたのに、何故メシと一緒に説教を喰らう羽目になったのか。


「先生こそ、商業地区までどうしたんですか?」

「私は魔法薬の素材の補充だ。ついでに昼を済ませようとしただけだ」

「魔法薬の授業、ヒマなんですか?」

「貴様ァ⋯⋯次にふざけた口を聞いたら、カシム殿に渡す塗り薬に、よーく沁みるのを混ぜてやるからな⋯⋯」


 なんと恐ろしい事を言うんだ。昨晩の塗り薬だって、しばらく目端から涙が溢れるほど沁みたのに。


「…………」

「…………」


 睨まれながら食べると、美味しいはずのサンドイッチも味を感じない。

 大体、なんでこの人はこんなに俺を敵視するのだろう。いや、正確には俺ではなく、俺の後ろに見ているウイングを。

 学生時代、成績で争っていたと聞いたが、それだけでこんなにも憎悪を膨らませられるものなのだろうか。単にこの人のヒステリーが異常というだけかもしれないが。


「あ、あー……そう言えば、学園内で小耳に挟んだのですが」

「……なんだね?」


 このままでは食事も喉を通りにくいので、最近仕入れた話題を振ってみる事にした。


「先生は『転移魔法』は本当にあると思いますか?」


 藪蛇を突かないように、細心の注意を払ったつもりだった。

『転移魔法』は魔法師の間で都市伝説的な扱いなのだろうと、昨日見たレポートの内容から、そう推測していた。

 これで『ハン、なにを言うかと思えば……』とでも嘲笑わらって、少しでも機嫌がよくなれば。そんな目論見で『転移魔法』の話題を振ったのだが――。


「……っ」


 ロナルド先生は一瞬喉を詰まらせたように呻き、暗い声で吐き捨てた。


「あるわけがなかろう、そんなものは……」

「……先生?」

「すまないが、これにて失礼する。支払いはこれでしておいてくれ」


 ロナルド先生は立ち上がり、テーブルの上に金貨を一枚置いた。

 これではサンドイッチ二人前どころか、三人前を支払ってもお釣りが出てしまう。それを指摘しようとするよりも早く、先生は店を出て行ってしまった。


 ……あれ、もしかして地雷踏んだ?


「……面倒くさいな、あの人は!」


 ともかく、あまり関わり合いになりたくない性格なのは確かだった。



 ***



 昼食を終えた俺は、一度ボロ小屋を経由して、学園に向かった。懐に、布に包んだ『ブラッディグレイル』を抱えて。

 この血杯の解明が、リンゼル学園都市に来た目的のひとつなのだが、平日は剣術で潰れ、休日は疲労困憊で動けないという悪循環に陥っていたので、今日がチャンスだと踏んだ。


 六大魔法師が一、土のプリトゥが造ったものならば、この学園内で一番土魔法に詳しい人に訊くのが道理だと思い、土魔法の教室を訪ねたのだが――。


「……ううむ」


 教室の扉を少し開けて中を窺うと、十数人いる生徒たちは皆真剣な表情で、各々のマナリヤを輝かせ、土を練っている。

 普段はフザケた印象のボリス先生も、きちんと服を着て、慈愛の眼差しで生徒たちを見守っていた。

 真面目に授業をしているところに闖入して、自分勝手に用件を押し付けるのは躊躇われた。仕方がない、また日を改める事にしよう。

 そう思って踵を返すと、目の前に少女の生首がぶら下がっていて、俺は腰を抜かしかけた。


「サボってるねぇー? シャー君は悪い子だねぇー」


 ニンマリと笑う幼い顔は、アリス学園長のものだった。

 どの様な仕組みか――いや、魔法によるものなのだろうが、ぷかぷかと上下逆さま・・・に浮いている。長い髪と、両手を地面にだらりと垂らして。何故かドレスのスカートは固定されたままだ。


「⋯⋯驚きました。学園長こそ何をやってるんですか、頭に血が上りますよ」

「ふふぅーん、普段から『脳に血が足りてない』って怒られてるから、ちょうどいいかもねぇー」

「よくないでしょ」


 アリス学園長は空中でくるりと半回転し、地面に降り立った。


「ボクは色々考えながら構内を見回ってたんだよぉー」

「はあ、そうですか……色々とは?」

「それは色々だねぇー。忙しいんだよぉー」


 はぐらかされてしまった。何にせよ、あまりウロウロしているところを見られるのも、学園長えらいひとの心証を悪くするかもしれない。

 朝の遅刻から始まって、ギルドでも、レストランでも、そしてここでも、全てが空回る日だ。こんな日は大人しくしていた方が吉だろう。


「そうですか、頑張ってください。じゃ、俺はこれで」

「あれぇー、もう行っちゃうのぉー? せっかくだしちょっとお茶していきなよぉー」

「……忙しいんじゃなかったんですか?」

「言葉のあやだよぉー」


 アリス学園長はそう言い、俺の袖をぐいぐいと引っ張る。

 ああ――つまり暇なのか、この人は。


「なんか⋯⋯」

「どしたのぉー?」


 ヒステリー毒物男。美意識筋肉男。鬼畜爺さんと来て、このふわふわピンク学園長――。


「⋯⋯この学園の先生って変人しかいませんね」

「ねぇー? 学園長としても頭が痛いよぉー」

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