地稽古を始めよう

 お茶会からしばらく経った、ある日。


「これが実際に、レヴィンで使用する剣です。持ってみなさい」


 剣術の授業中、筋トレをしていた俺に、カシムさんが一振りの大剣を差し出した。全長1.5メートルはある、幅広の、金属製の剣だ。


「刃は潰してありますが、気をつけて」

「はい……うおっ」


 それを受け取ると、その重量に腰が沈む。

 振れない程ではないが、錘付きの木剣に比べて、鉄製の剣はかなり重く感じられた。


「今後はそれを使って稽古します。手に、身体に慣らしておくように」

「はい……!」


 稽古。二刀流イルシオンを修めている周りの生徒のように、打ち合いの地稽古じげいこに移る時が来たのだろう。

 しかしながら、周りは二人一組が出来上がってしまっている。ゼラはピエールにせがまれ、致し方なく相手をしている様だ。


「……先生、誰を相手にすれば?」

「シャーフ君の目標はサンディの打倒ですな。となると、一介の使い手では稽古になりません」

「そうですね」

「私が見る限り、この生徒の中でもサンディに比類する使い手はおりません。ゼラ君が良い線行っておりますが、仮想敵とするにはまだまだ不足です」

「そうですね。つまり……?」


 カシムさんは上着を脱ぎ、修練場の隅に立て掛けてあった二振りの木剣を持ち上げ、構えた。


「不肖、この私がお相手しましょう。ほっほ、全盛期からは遠のきましたが、まだまだ現役と自負しております。安心して打ち込んで来なさい」

「ひぇっ……」


 以前――ウェンディの剣技を見て『絶対に敵わない』と思った事がある。

 今、目の前のカシムさんと相対して、再びその感情が芽生えていた。

 仮面の下の俺の顔は、大型肉食獣を目の前にした草食動物の面持ちだっただろう。


「さあ、かかって来なさい。もちろんこちらからも遠慮なく打ち込んで行くので、そのつもりで――!」

「……胸をお借りします! シャス!」


 俺は半ばやけくそになり、大剣を構えた。



 ***



 幾重かの剣戟のあと、俺の大剣は大きく空振りした。

 次の瞬間、俺の顎には木剣の柄がめり込んでいた。しばらく気絶して目覚めた後、頭上から説教が降り注ぐ。


「レヴィンは一撃必倒に重きを置いた剣術。イルシオンの回避、防御能力を上から打ち崩せるほど迅く、重い剣戟が求められます。しかしながらシャーフ君の剣は脆弱、惰弱、貧弱。迷いがある。呼吸は深く、しかして浅く吐き、全身の力を剣に集中させるのです」

「ふぁい……」


 這う這うの体で返事をし、仰向けになった身体を起こす。


「また、教えた"型"も、全く以って成っていない。いくら筋力を身に付けようが、それらを全て活用できなければ、今までの鍛練は全て無駄です」

「はい……!」

「見ていますので、もう一度"型"を繰り返しなさい」


 立ち上がり、言われた通り大剣を構える。背筋を伸ばし、刀身が身体の正中線に来る様に。

 吸い込む息は深く、吐く息は浅く。取り込んだ酸素が血中を巡り、全ての細胞を活性化させるイメージ。

 右脚を踏み出し、肩まで上げた剣を袈裟懸けに――!


「はい、そこまで。ダメですな」

「おぐっ」


 ――振ろうとして、腹に木剣の先端がめり込み、つんのめった。


「右手の"握り"が足りていない。振り絞る様に柄を握るのです。それでいて手首は柔軟に。また、踏み込む際も、足の指の付け根を地面に叩き付ける様に。踵は後です。それだけで剣の速度が全く違いますよ。さあもう一度!」

「……ひゃい!」


 ……と、このようにスパルタではあるが、カシムさんの教えは理論立っていて分かりやすい。

 周りからは『あーまたやられてるよあの新入生』という憐憫の目で見られているが、もはやそれも気にならなくなった。


 そして、夕暮れ時になった。授業の時間が終わり、他の生徒たちは引き上げていく。


「あー疲れたー」

「ねえ、商業地区の方までいかねー?」

「ねえゼラちゃん、今日ヒマかい? 僕と一緒に……」

「これからお兄ちゃんを担いで帰らないといけないので」

「……チッ」


 生徒たちの喧騒を聞きつつ、俺は修練場の隅でボロ雑巾の様に転がっていた。

 あれから何度かカシムさんと地稽古をこなしたが、悉く打ち倒され、昼食を全て吐き、身体中青痣だらけになっていた。


「ほっほ、ロナルド君に調合して貰った薬です。風呂上りに、よーく塗り込んでおきなさい」

「ふゃい……ひゃりひゃひょうふぉふぁいふぁふありがとうございます⋯⋯」


 俺の隣に腰かけたカシムさんが、ガラス瓶に入ったどろどろの液体を差し出す。


「今日シャーフ君を見ていて思ったのは、やはり意志の薄弱さですな。君は、己の為に剣を振るおうとしていない。全て、他の誰かの為です」

「……俺自身の、"欲"ってやつですか」

「まあ、これはただの自論ですが。ほっほ。しかし私は、己が為に剣を振り続けました。今もそうです」

「それが、先生の強さに繋がって……?」

「少なくとも私は、そう信じています」


 見上げた老人の瞳は、夜空の星を写し、力強く輝いていた。


「ちなみに、先生の"欲"って、なんですか?」

「それを話すのは、恥ずかしいですなあ」

「いやいや、そこを何とか……」

「いやん、恥ずかしいです。それに、君にとっては大きなヒントになり得ますからな……おっと、これは失言ですな」


 いやんって。歳考えろジジイ。

 しかし、俺にとっての大きなヒントって……なんだ?


「よく考えなくても簡単な事ですよ。自分が"ほっ"すもの。君は、そこから目を背けているだけなのです。もう、己自身の心は、それを知っているはずですよ」

「……分かった様な事を言いますね」

「それっぽくてカッコいいでしょう? ほっほっほ」


 このクソジジイめ。

 でも、俺だって分かっているんだ。

 いや、この前のお茶会で分からされたと言うべきか。


「……カシムさん。もう一つだけ、質問をしてもいいですか?」

「なんですかな?」

「例えばの話です。四十歳近い男が、十歳前半の少女に想いを寄せるという事について、率直にどう思いますか?」

「⋯⋯あまり、倫理的によろしいとは言い難いですな」


 だよね。わかる。わかってる。

 でも、最近芽生えたこの感情は、それ以外に説明がつかない。


「ですが⋯⋯月並みな事しか言えませんが、結局は当人同士の気持ちの問題です。ほっほ、なにせ私の妻も、私より十五も歳下ですからな」

「えっ。じゃあカシムさんが二十歳の時、奥さんは五歳⋯⋯!?」

「妻と出会ったのは私が三十六の時です。ほっほ、まだ軽口を叩ける余裕があるとは、少し手を抜きすぎましたかな」


 ⋯⋯しまった。藪蛇を突いた。


 しかし当人同士の気持ち、か。

 かといってどうすれば良いのか。もうパティは新しいコミュニティの中に居て、俺はこうして修練場の床を舐めるボロ雑巾だ。


「さあ帰りますよお兄ちゃん。肩を貸してあげますよお兄ちゃん。早くしてくださいお兄ちゃん」


 ふと見上げると、ゼラがぐいぐいと俺の袖を引っ張る。


「もう暗いですな。二人とも、気をつけてお帰りなさい」

「先生、おつかれさまでした。今日もお兄ちゃんをボコボコにしてくれてありがとうございます」

「ほっほ、それほどでも」


 ちなみにゼラが『お兄ちゃん』を連呼しているのは、ピエール避けの為である。尚もしつこく言い寄ってくる貴族子息ロリコンに、『世話が焼ける兄の世話があるから誘いには乗れない』とアピールしているのだ。

 入学からここまでずっと、仮面を被っていて良かった。おかげで似てもいない顔を指摘される事も無い。


「分かったから……痛っ、引っ張るなバカ!」

「早く行きますよお兄ちゃん。お風呂で背中を流してあげましょうお兄ちゃん」

「痛い! ちょっ、ま、本当に痛いから待てって!」


 ゼラに引っ張られるまま帰路に着く――。


「…………」


 ――その際、修練場の出口に佇んでいたピエールが、無表情でこちらを見つめていた。



 ***



 悲鳴を上げながら傷に沁みる入浴を済ませ、ゼラに塗り薬を塗ってもらって更に悲鳴を上げ、俺はボロ小屋のベッドでボロ雑巾のように横たわった。


「今日は私が看病してあげましょう。特別に私の手ずから美茶を淹れてあげます」

「すまないねえ⋯⋯」


 打ち身になった場所が熱を持ち、動くのも億劫なので、マナカーゴよりはマシな小屋で寝床につく事になった。


「それにしてもジジンディはなかなかに鬼畜です。私でもあんなに容赦なく、木剣でボコスカと殴るなんてできません」

「ジジ⋯⋯カシムさんの事か。変なあだ名をつけるんじゃない」

「ウェンディ。イモンディ。ジジンディ」


 ゼラは口ずさむように言い、ガサガサと戸棚を漁る。


「おや」

「どうした? 茶葉、切れてたか?」

「いえ。戸棚の奥に、なにやら小汚い本が」

「本?」


 ゼラが茶葉の代わりに取り出したのは、本と言うよりも、紙の束に穴を開け、紐でくくっただけの粗末なモノだった。どうやら掃除をした際に見落としていたらしい。

 受け取り、埃を払ってみると、表紙にはこう書かれていた。


『失われし転移魔法とその考察』


 ⋯⋯転移魔法?

 その単語を見た瞬間、俺の脳裏にある記憶が蘇った。

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