サンディの休日・前

 走って、走って、とにかく走って――。一週間が経った頃だろうか。

 子供の成長速度とは恐るべきもので、山中ランニングが終わっても、息が切れていなかった。

 他の生徒たちはもう授業が終わったのか、修練場にはカシムさんとゼラしかいなかった。


「ほっほ、素晴らしい成長速度です。そろそろ基礎体力が付いて来た頃ですな」

「はい……息も切れてません!」

「では、次の段階に進むといたしましょうか」

「⋯⋯はい!」


 自分の成長が嬉しくもあった。

 屈伸しても膝が震えない。確実に体力がついている事を実感する。


「次は筋肉を鍛えます。大剣を振るい、必殺の一撃を繰り出す為の、強靭な肉体を」

「筋肉、ですか⋯⋯」

「ただし、シャーフ君の歳で筋肉を鍛えすぎても、成長を阻害する可能性があります。なので、来週からは他の生徒に混じって、程よい鍛錬を積みましょう」


 という事で、来週からは朝から昼まで山中マラソン。そこからは他の生徒に混じって授業を受ける事になった。


「おつかれさまですお兄ちゃん。水飲みますか」

「ああ、ありがとな。ゼラはメシはまだか?」

「さっきパティ子と一緒に食べました。パティ子はお昼と夕方なると、ここにご飯を持ってきてくれます」


 それは初耳だった。


「パティ子はいつもあの、顔の良い先輩と一緒にいます。ビスケットとかいう」

「……ヴィスコンティ先輩、な」


 それも初耳だった。

 ⋯⋯まあ、喜ばしい事じゃないか。パティはパティで、俺以外との交友関係を、順調に築けているのだ。


「ほっほ、パティ君は、休日にはサンディと出かけている様ですな」

「へ、そうなんですか?」

「ええ。なにせ、不肖の孫は学生時代、友達も少なかったですからな。話し相手が出来たと、嬉しそうでしたよ」


 それもまた初耳だった。


「その外出に、ビスケットも同行しているようです」

「⋯⋯⋯⋯ふーん」


 ⋯⋯それも、以下略。


「三人で宿屋に行っているようですよ。気になりますか、お兄ちゃん」

「宿っ⋯⋯!? ……いや別に? パティが学園生活を謳歌してくれていて、なによりだ」


 宿屋で何をしているか知らないが⋯⋯。

 中等部に上がる直前で、ウォート村が無くなってしまったのだ。パティが失われた未来、青春を取り戻してくれているのなら、俺は本望だ。


「ほっほ、ヴィスコンティ君は成績優秀、眉目秀麗、今年度の首席は間違いなしらしいですぞ。これはシャーフ君も、うかうかしてられませんな?」

「⋯⋯何がですか? 俺はパティの父親代わりとして、あの子の青春を見守るだけです。さっ、俺もメシ食べよっと」


 全く、カシムさんも何を勘違いしてるやら。

 村にいた時からそうだったが、どうも周囲は俺とパティをくっつけようと言う風潮がある。

 有り得ないだろ。俺は前世から数えて、四十歳近いのだ。パティはまだ十一歳、犯罪だ犯罪。


「ほっほ⋯⋯『宿題』も忘れずに。あなた自身の"欲"、どうか見つけるように」

「⋯⋯とりあえず、今は食欲です」


 カシムさんの言葉を背に、俺は食堂へ向かった。



 ***



 ――一方その頃。

 シャーフ・ケイスケイが正体不明のモヤモヤ感に襲われた、翌日。


「ふんっ、ふふーん」


 メイド服を着た少女、サンディ・クレイソンはウッキウキでリンゼル学園都市を訪れていた。

 ウィンガルド国王、レインに陳情し、クラウンガードの仕事も週に一度の休みを得る事に成功し、その貴重な休日を学園都市訪問に充てていた。


 手に持った袋を抱えながら、商業地区にある喫茶店に辿り着く。そこで待ち合わせていた少女の姿を見つけ、サンディは歩を早める。


「待たせたわね、ぷに子」

「サンディさん!」


 サンディは赤毛の少女――パティ・スミスが座る席に近づき、彼女の頬をつまむ。パティはくすぐったそうに笑い、サンディを歓迎した。


「こんにちは先輩、お久しぶりです」


 パティの隣には、ブロンドの髪を後ろでまとめた、中性的な容姿の麗人が座っていた。サンディは片眉を上げ、その人物に手を挙げて返す。


「あら、またアンタも来たの」

「ははっ、そんな邪険にしないでください。私も週に一度、愛らしき仔猫が着飾る瞬間を、楽しみにしているのです」

「はあ、相変わらず気障ね。……まあいいけど、アンタの分は無いわよ?」

「おや、それは少し期待をしていたのですが……」

「アンタみたいなデカブツのを仕上げられるほど暇じゃないの。ま、気が向いたらね」

「ははっ、それは言わないで下さい。私も、この長身を気にしているのです」


 麗人――ヴィスコンティが立ち上がる。180センチはあろう身長は、サンディよりも頭一つ高かった。

 ワイシャツに包まれた胸板は薄く、学年を表す赤いタイがアクセントになっている。黒いスラックスは長い脚を更に細く見せ、完璧なプロポーションを誇示していた。


「……でも、だからって、男子の制服を着るのはどうなのよ、マリア?」

「マリア先輩はとっても素敵です! かっこいいですよ!」

「ふ……あまりファーストネームで呼ばないで欲しいな。マリアなんて可愛らしい名前は、私には似合わないよ」


 ヴィスコンティ――本名、マリア・ヴィスコンティは苦笑し、パティの頬を撫でた。

 このマリア・ヴィスコンティは――女性であった。

 中性的な容姿や声質と、長身から間違われやすく、シャーフ・ケイスケイもド勘違いしているが、身も心も、まごう事なき女性であった。

 本人は男性と間違われる事は嫌ではなく、むしろ楽しんでいる風であった。


「さあ先輩、そしてパティ! 今日も『どうやってシャーフ君を落とすか』会議、始めましょうか!」

「なんでアンタが仕切ってんのよ」

「ふふっ。この会議も、週に一度のお楽しみです!」


 ヴィスコンティは目を輝かせながらパティの手を引いて立ち上がらせ、そして自然な手つきでサンディの荷物を受け取った。


「……あたしも、マリ……ヴィスコンティ先輩みたいなかっこいい女性ひとになりたいなあ」

「やめときなさい、ぷに子。アレは一種の病気みたいなもんよ」


 サンディは呆れ顔でパティの頬をつまみ、ため息と共に言った。



 ***



 そして場所は移動し、とある宿の一室。


「今日は、サマードレスを作って来たわ。おじーちゃんのお店にあった、残り物の生地でだけど……」


 サンディは、ヴィスコンティが下ろした荷物の中から白い服を取り出し、パティの背に合わせ、頷く。


「うん、サイズはぴったりね。流石私だわ」

「ふっ……これはパティに似合いそうだ。言うなれば、白いブーケに包まれた、大輪の赤い花……」

「アンタちょっと黙っときなさいよ。ぷに子、私の経験から言わせて貰えば、男子は女子の"普段とは違う姿"にドキっとするものよ」

「それにしても、先輩にこんな技能があったとは驚きだよ。既製品と見分けがつかない⋯⋯いや、それ以上の出来とお見受けする。学園にいた頃は、いつも鬼気迫った表情で剣を振っていた先輩が⋯⋯」

「⋯⋯アンタ、ほんと、ちょっと黙っときなさい」


 ヴィスコンティの賛辞に、サンディは微かに苛立ちがこもった言葉で返し、すぐに表情を取り繕い、パティに向き直る。


「これを着ていけば、シャーフ君は落ちるわね。ちょっと着てみなさい。今ここでっ!」

「えっ⋯⋯わギャー!」


 サンディは、剣術で鍛えた素早さを活用し、一瞬でパティの制服を剥く。

 そしてあっという間にサマードレスを着せ、腕を組んで自身の”完成品”を眺め、軽い嘆息を漏らした。


「……なんか、芋っぽいわね」

「そうかい? 私は充分可愛いと思うけど……」

「マリア、化粧道具とか持ってないの?」

「すまない先輩、生憎だが持ち合わせていないよ。でも、この純朴さがパティの良い所じゃあないかな? 野に咲く一輪の花、それが……」

「花だったり仔猫だったりと忙しいわね! まあそれは今はいいわ、どう、ぷに子? 着心地は?」


 パティは着飾った自分の姿を見て、嬉しそうに表情を綻ばせる。


「かっ、かわいいです! シャーフも、かわいいって言ってくれるかな……」

「間違いないわね! つーか、言わなかったらボコボコにしてやるわ。おじーちゃんに剣術を習っている様だけど、私の方が強いし」

「大人げないね、先輩……。だけど彼も頑張っているよ。たまに教室から外を眺めると、必死の形相で山を駆け回っている彼の姿を見る事が出来るんだ。仮面を付けているから表情は見えないけどね、ははっ。私はいつも、その背中に応援を……」

「はいはい分かった分かった。じゃ、次ね。近況報告といきましょうか」


 サンディはテーブルの上にティーセットを置き、席に着く。

 パティとヴィスコンティもそれに倣い、第二回『どうやってシャーフ君を落とすか』会議が開催された。


「じゃあ、ぷに子。最近のシャーフ君はどう?」

「はい! シャーフは剣術の修行で、平日も休日も疲れて寝てます!」

「……まあそうよね。私もそうだったわ」


 第一回と、何ら変わらない報告だった。サンディはクッキーを齧りながら、修行の日々を思い出し、祖父の薫陶を受けている少年に同情する。


「まあ、休日に遊びに誘ったりするのは、余裕が出来てからでいいでしょ。他に何か変わった事は?」

「えっと……あっそうだ。シャーフはゼラちゃんと一緒に暮らしてます!」

「……は? なんて?」

「え? シャーフとゼラちゃんが、一緒の家で暮らしてるって……」


 サンディは腕を組んで瞑目し、頭の中では言葉の意味を咀嚼し、口の中ではクッキーを咀嚼し、同時に飲み下し――。


「⋯⋯なんて?」


 ――嚥下できていなかった。口の端からクッキーの屑が零れ落ちる。即座にヴィスコンティが立ち上がり、サンディの頬にハンカチを当てた。


「私から説明しよう、先輩。ゼラ君はウッドルフ一派の性質タチが悪い連中から目を付けられてしまって、女子寮から出て行ってしまったのだ。私も止めようとしたのだが⋯⋯力及ばずで、不甲斐ない限りだ」

「⋯⋯ははあ。あのバカ貴族のバカ息子ね」

「ゼラちゃん、あたしにも何も言わなかった⋯⋯でも、友達なのに、あたし気づけなかった」

「それで、シャーフ君の所に避難したってワケね。大体わかったわ」


 サンディは頬杖をつき、鼻息を鳴らす。


「⋯⋯まあ、それは仕方がない、か。学園側もウッドルフには口を出しづらいだろうし、無難な解決策ってトコね。でもぷに子、大丈夫なの?」

「は、え? 大丈夫っていうのは⋯⋯?」

「だから、ゼラが一緒に住んでて、シャーフ君の気がそっちに向かないのかってコトよ」

「えっ⋯⋯でも、シャーフはゼラちゃんのこと、なんかこう⋯⋯嫌いではないんだろうけど、なんかこう⋯⋯?」


 パティはあたふたと、二人の関係を表現しようとするものの、言語化には至らない。


「⋯⋯私も気にはなっていたよ。ゼラ君は可愛らしい子だ。パティが野に咲く一輪の花なら、彼女はそう、秘境の奥にだけ咲く、神秘的な輝きを秘めた純銀の花――数年すれば、素晴らしい女性になるだろうね」

「本当にうるっさいわねアンタは。つーかシャーフ君も、もうすぐ色恋を知る年頃なんだから、あんな可愛い子と一緒にいたら、そっちに意識がいってもおかしくないわよ」

「えっ、あっ⋯⋯あわわわ⋯⋯」


 青くなったパティを見て、サンディは立ち上がる。


「確かめる必要があるわね――行くわよ」

「ああ、先輩。私も微力ながら協力しよう!」

「えっ、あのっ、どこへ⋯⋯?」


 サンディは困惑するパティをよそに、腰に携えた双剣の鞘を叩いた。


「必要とあらば、実力行使ね」

「な、なにをですか!?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る