初めての休日を過ごそう

 さて、掃除も終わり、なんとか人が暮らせる状態になったボロ小屋で、俺は学園生活の要綱が記された書類に目を通していた。


 リンゼル魔法学園は『単位制』を導入している。

 進級に必要な単位は、授業への出席や、定期試験の結果によって、各々の『単位手帳』へと、偽造不可な魔法印という形で配布される。


 必修科目等は無いが、一年のうちで授業に参加しなければならない日数はある程度決まっており、それを下回る場合は試験で挽回するしかない。


 科目はそれぞれ六属性の魔法と、魔法薬学、魔工学、剣術などなど。

 算術や語学もあるが、これらが必修でないのは、流石魔法偏重の世界といったところか。


 どの科目をどれだけ受ければ、進級に足る単位を得られるのか――。




 ***




 そんな事に頭を悩ませていた、翌日。

 俺は城内にある、剣術修練場に来ていた。


「ほっほ、シャーフ君は剣術のみ修めれば問題ありません。授業がある日は毎日、朝から夜まで剣術の修練です」


 ――とは、新任の剣術講師カシム・クレイソン先生の弁であった。


「い、いやあ⋯⋯流石に算術や語学も学ばないとなーって思うのですが⋯⋯ほら俺、子供ですし? まだ十歳ですし?」

「それならば、休日に自習すればよろしい。三年など一瞬。一秒も無駄にできませんぞ」


 と言うわけで、俺の予定表は全て剣術で埋まった。分かってはいたが、理解したくなかった。無慈悲にもその日から授業が始まり、俺はまた山中をランニングする事となった。


 はてさて、それはそれとして、『元クラウンガードの剣聖』が講師を務めるという事で、剣術の授業を取る生徒は増加傾向にあるらしい。実際、最初の授業では数十名の生徒が修練場に押しかけた。

 にもかかわらず、全身に錘を付けながら山の中を駆け巡っているのは俺だけだった。……なんで?


「ほっほ、皆、二刀流イルシオンを選択しておりますからなあ」


 夕暮れになり、誰もいなくなった修練場の真ん中で倒れ伏した俺に、カシムさんはそう言った。


「……イルシオンは、げほっ、このイカレたマラソンが、必要ないんですか……?」

「左様。それに、最初からキツーい修行を課して、逃げられても悲しいですからな、ほっほ」

「俺も逃げるかもしれませんよ……」

「地の果てまで追いかけますとも」


 と、温かい死刑宣告おことばを頂戴し、初日の授業は終了となった。

 一週間経つ頃には、『あの仮面の中途入学生は、先生の不興を買ったので一人だけスパルタ授業なのだ』、とまことしやかに噂されるようになったのであった。



 ***



 さて、そんな日々が続き、ようやく初めての安息日である。

 軋む身体に鞭を打って冒険者ギルドに出向くも、俺の出した捜索依頼は受諾者は現れたものの、結果報告はなしのつぶてだった。


「はぁ……マジもう無理……寝よ……」


 肩を落としながらボロ小屋に戻り、ベッドで身体を休めようとすると、シーツが盛り上がっている事に気づく。鍵もかけていない不用心さが祟り、誰かが侵入したようだ。


「……おいバカ猫、そこをどけ」


 俺が声を掛けると、ベッドの中からのそのそと、ゼラが這い出た。

 相変わらず何を考えているのか分からない表情のまま、てん、と床に立つ。


「あーもう、なにやってんだよ……制服にシワがついてるぞ……」

「なかなかいい家ですね。今日からここに住みます」

「バカ言ってないで寮に戻れバカ」


 ゼラを押しのけてベッドに寝転がろうとすると、すれ違いざまに尻を掴まれた。


「……前も言ったが、尻を掴むんじゃない」

「私は困っているのです」

「そうか。解決すると良いな。おやすみ」

「冷たい男ですね。いいから、かわいそうな私の話を聞きなさい」


 なんという傍若無人。

 俺は仕方なく椅子に座り、テーブルに頬杖を突いた。ゼラも対面に座り、キョロキョロと部屋内を見渡す。


「チャ」

「……チャ?」

「のどが渇きました。お茶を出しなさい」

「……しょうがないやつだなお前は本当に!」


 本当にどうしようもない奴だ。こんなワガママっぷりで、『学生寮』と言う共同生活をこなせるのか不安になる。

 俺は立ち上がり、戸棚から茶葉を取り出し、備え付けのキッチンで湯を沸かしながら、ゼラに声をかけた。


「……で? どうしたんだよ。ワガママすぎて寮から追い出されたのか?」

「私とて処世術は身に付けています。それはもう、借りてきた猫のように大人しくしていましたとも」

「さいで。……ん?」


 という事は、本当に『寮に居られない理由』が出来たって事なのか?


「……何があった? パティは知っているのか?」

「パティ子には言っていません。あのピピュールとかいう男が」

「ピエール、か?」

「それです。そいつが私に気があるのか、学園にいるとしょっちゅう話し掛けて来るのです。ご飯を食べに行こうと誘われたりしました」


 それは俺も見ていた。

 魔法が使えないゼラは、必然的に剣術の授業しか履修できないので、一日中修練場に居る。

 俺は一日中マラソンに勤しんでいるので、修練場の様子を見る事は出来ないが、授業開始時など、ピエールがゼラに話しかけているのを何度も目撃した。

 その時は『ああ、やってるなあ』と流していたが……。


「それはうざいので無視していましたが」

「うざいってお前……。いや、でもピエールは男子寮だろ? 女子寮は男子禁制だから、休みの日なら部屋に引きこもってれば、会う事もないだろ」

「話は最後まで聞きなさい。女子寮にいても、ピエールの取り巻きが私を糾弾するのです。『ピエール様のお誘いを断るとはアンタ何様よ』と」


 ……あちゃ、流石にそこまで予想していなかった。

 学園という閉鎖されたコミュニティの中で、当然起こり得る事態だ。

 ヒエラルキー上位に君臨する者と、その取り巻きによる、幼稚な秩序。

 そしてそれに従わない不穏分子の弾圧――要するにいじめだ。


「剣さえ振っていれば、平和と三食とおやつが約束された生活と聞いて学園に入ったのに。騙されました」

「いや⋯⋯まあ⋯⋯」

「更に聞くところによると、シャーフ後輩は私の好物をピザールに吹聴したようですね」

「うっ⋯⋯。いや、俺は好物を聞かれたから答えただけであってだな……」

「なにが『肉と魚と甘味』ですか。"きょぎのるふ"です」


 きょぎのるふ……?

 一瞬首を傾げるが、『虚偽の流布』だと思い当たる。


「いや、間違ってはないだろ。肉と魚と甘いもの……美味しいものが好きだっていつも言ってたろ?」

「私の言う"おいしいもの"とは、何を食べたかではなく、誰と食べたかなのです。これは名言ですよ。メモしておいてください」

「ああ、そうなの……?」


 "ゼラ観"はさておき――つまり、ゼラからすると、ピエールと同じテーブルに着くのは嫌だと。それではあまりにもピエールが憐れである。


「いやほら、それは一緒にメシを食ってみるまで分からないじゃないか。実際に一緒に食事したら、意外と愉快な奴かもしれないぞ」

「誘いに乗ったら最後です。あのビシャールの私を見るいやらしい眼。きっと一服盛られ、私の貞操は喪われます」

「自意識過剰だろ……うーん……」


 とはいえ、ピエールにゼラの好物を伝えたのは俺だ。

 それがピエールを調子に乗らせたかどうかはさておき、責任の一端は俺に……あるのか?


「……じゃあ、俺はなんて答えればよかったんだ?」

「簡単です。『ゼラは俺の女だから手ェだすんじゃねえぞ』と」

「それこそ虚偽の流布だ。俺の学園生活に支障が出る」

「なんてことを言うのです、この男は」


 ゼラにペチペチと頬を叩かれながら、俺は頭を抱えた。

 ゼラは女子寮にいると、ピエールの取り巻きに絡まれるから帰りたくない。

 俺としては、一人の空間を邪魔されたくないので、ゼラを帰したい。


「うーん⋯⋯」


 しかし、このままいじめがエスカレートしたら。

 ゼラは無表情ではあるが、無感情なわけではない。むしろ表情がない分、行動に感情が現れやすい。

 現に、こうして俺に助けを求めて来ている。クレームをつけに来ているとも言える。


「……分かった。こういうトラブルの解決方法には心当たりがある」

「ほう」

「とりあえず俺に任せておけ……行くぞ!」


 俺は軋む身体を引きずりながら、ボロ小屋を出た。貴重な休日を、一刻も早く休養に充てるために。



 ***




 城の頂上、学園長室の扉を叩くと、アリス学園長は桃を食べながら出迎えてくれた。


「やーやー、どうしたのぉー? とりあえずおあがりなさいなぁー」


 俺はソファに座り、ゼラは差し出された桃を食み始める。それを横目に、事情を話した。


「……と言うわけなんですよ学園長。どうにかしてください」

「俺に任せておけ、と言っておきながら他人任せですか」

「うるさい。こういう時はこうするのが一番なんだ」


 解決策――それは、『先生に相談する』である。


「ほぉーん。なるほどぉー、いじめは良くないねぇー。そうでなくてもウッドルフ君の素行の悪さはぁー、他の生徒からも苦情が来てるんだよぉー」


 アリス学園長は、難しそうな顔をしてウンウンと頷く。


「でしょう? 直接じゃなくても良いので、ピエールとその取り巻きに、何かしら通達出来ませんか?」

「うぅーん⋯⋯」


 しかし、『いじめは良くない』と言い切ったにも関わらず、俺の提案に対しては歯切れが悪い。


「⋯⋯学園長?」

「ウッドルフ君のおうちってねぇー、学園にたっくさんお金を寄付してるんだよねぇー⋯⋯」

「あー⋯⋯」


 つまり、学園側もピエールには手を焼いているものの、下手に叱りつけられないのか。

 ここで『教育者たるもの』とかご高説を垂れるつもりはないが⋯⋯。


「⋯⋯学園長、六大魔法師ですよね?」

「て言ってもさぁー、働かなきゃ食べていけないんだよぉー」


 なんと世知辛い。

 大変な使命を背負っているのだから、その辺の福利厚生はきちんとしろと、今度女神ユノに会う事があったら言っておいてやろう。

 まあ、それはそれとして、今は目の前のいじめ問題に向き合ってもらわなくては困る。


「ハイドレイさんに、俺が寮に入ってない事を告げ口しても?」

「やめてよぉー⋯⋯。板挟みになって潰れちゃうよぉー⋯⋯。とりあえずさぁー、ゼラちんは女子寮から抜け出せれば良いんだよねぇー?」

「その通りです。私は休日くらいゆっくり寝たいのです」

「お前⋯⋯俺の前でよくそれが言えるな⋯⋯」


 今も筋肉痛で悲鳴をあげる体を抱えて、ここまで来ていると言うのに。

 アリス学園長はふむふむと頷き、そして人差し指を立て、とんでもないことを言い放った。


「じゃー、シャー君のトコに住んで良いよぉー」

「⋯⋯は?」

「だってそれが一番いいじゃなぁーい? 規則的には特に問題ないしねぇー」

「いやあるでしょ。何のために男女で寮が分かれてるんですか」

「⋯⋯じゃぁー、ゼラちんは今日からゼラ・ケイスケイでぇー。二人は兄妹ってことにしよぉー」


 あっ、この人、考えるのが面倒になってるな。


「なぜ私がこんな男の妹なのですか」


 そしてゼラも、あまりにも荒唐無稽な提案に憤慨気味である。無表情だが。


「ゼラちーん、妹はいいよぉー。ボクにもお兄ちゃんがいたんだけどねぇー、めっちゃ甘やかされるんだよぉー」

「ほう」

「ほう。じゃねーよ。あのな、お前の事なんだから、もう少し真面目に⋯⋯」


 ⋯⋯あれ? でも、兄妹という事にしておけば、同居するにしても、対外的な印象は悪くないのか?

 ピエールには友達とか仲間とか言ってしまったが、何とでも理由をつけてしまえば良さそうだ。結構バカそうだし。

 うん、なかなか良い提案かもしれない。流石六大魔法師が一、かつ学園長だ。




 ――――この時の俺は疲労で頭が回らなくなっており、ひどく後悔する事になるのだが、それはまた先の話である――――。



「それでいきましょう。ただ、ゼラ。俺はマナカーゴの中で暮らすから、ボロ小屋はお前が使え」

「なぜですかお兄ちゃん」

「単純に、二人が暮らすには狭いんだよ、あの小屋は。あとお兄ちゃんはやめろ」


 広さは十分だが、以前の使用者が置いていったと思しき家具が、かなりのスペースを圧迫してしまっている。

 しかもベッドが一つしかない。ゼラと共寝ともねなどごめんだ。


「一緒のベッドで寝ればいいでしょう。旅の途中はずっと一つ屋根の下でした。今更なにを照れているのですか、お兄ちゃん」

「⋯⋯俺は見たんだからな。寝ぼけたお前が、パティの髪をんでいるのを」

「記憶にありません」

「無意識下なら尚更タチが悪い。あと、お兄ちゃんって呼ぶな、気色が悪い」


 などと、いつもの言い合いをしていると、パン、と乾いた音が鳴り響く。音のした方を見ると、アリス学園長が手を叩き、満足げな笑みを浮かべていた。


「んじゃー解決ってことでぇー。ボクはお昼寝するから、これにて解散ー。あっ、ゼラちんの荷物はぁー、女子寮に入りづらいだろうからぁー、あとで運んでおいてあげるねぇー」


 そう言うと、アリス学園長は電池が切れたかのように、ピンク一色のベッドに倒れこんだ。

 そのお言葉に甘え、俺とゼラは学園長室を後にした。



 ***



 ボロ小屋に向かい、木々のトンネルを通り抜ける道中、俺は疲労と安堵で肩を落とす。


「はあ、なんとかなったな⋯⋯」

「そういえば、パティ子にはなんと説明しましょうか」

「あっ。⋯⋯いや、別に良いんじゃないか? 普通に事情を話せば」


 俺は一体、何に対して罪悪感を覚えたのか。

 きっと、見方によってはパティだけ仲間外れになってしまう事への罪悪感だろう。


「まあ⋯⋯休日とか、パティに遊びに来てもらおうか」

「それはナイスな提案です、お兄ちゃん」

「本っ当にやめろ、その呼び方⋯⋯と言うかお前、歳幾つだっけ?」

「五十歳です」

「あっそう⋯⋯」


 ひとまずその日はボロ小屋に戻り、俺はマナカーゴの中で深い眠りに就いたのだった。

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