寮問題を解決しよう

 まず、一番心配なゼラの様子を見に行こうとすると、急に尻を掴まれた。


「うわっ、なんだ」

「…………」


 振り向くとゼラが居た。無表情で俺の尻肉をがっしりと掴んでいる。


「急に尻を掴むな。お前ももう試験が終わったのか?」

「終わりました。非常に不愉快な気分です」

「……試験、上手く行かなかったのか?」

「そうではありません。むしろ絶賛されました。褒め称えられました」

「あっそう。それは良かったな」


 適当に返事をすると、更に尻肉に指が食い込む。


「何が良かったというのですか。この不愉快な気持ちはおいしいものでも食べないと晴れません」

「やめろバカ! 痛い! ……不愉快だったのか?」

「見てましたよシャーフ後輩。なぜ美しいものを作るという課題で、私を作らないのです」

「⋯⋯⋯⋯んんっ?」

「その小脇に抱えている女は誰なのです」


 俺はアンジェリカ像を脇に下ろし、ゼラの手を振り払う。


「これは俺の姉さんだ」

「ほう。これが例の、パイを焼くのがシャーフ後輩の百兆倍上手いというお姉さんですか」

「ああ。その倍率は流石に盛り過ぎだが」

「ふざけた話です」

「⋯⋯なんだよ、お前の像を作ったら満足だったのか?」

「そうするべきでした」

「何様だお前⋯⋯」


 確かにゼラも、子供にしては整っている顔立ちではある。

 がしかし、美しさとは内面からにじみ出るものであると、俺は主張したい。


「なんですか、なにか言いたそうですね」

「⋯⋯別に? それよりあとはパティが――」


 パティが居る方を見やった瞬間、耳をつんざくような爆音が鳴り響き、熱風が頬を撫でた。

 空に向かって上がる巨大な火柱。的である案山子があった場所は光と熱の奔流に覆われる。


「な――」


 そして、その大火を放ったのは、他でもないパティだった。両手を前に突き出した格好で固まっている彼女は、自分でも何が起きたのか分からないようで、その表情は呆然としていた。


「あれは、パティ子の炎ですか」

「な、なあゼラ⋯⋯サンディさんとの訓練の時も、あんな火力だったのか?」

「いいえ。もっと小さな火球でした」


 パティは村の子供の中でも火魔法が得意だった。とはいえ、あんな火力は見た事がない。村を出る前も、せいぜい直径1メートルの火球を放つのが精いっぱいだった筈だ。それからパティは病気に罹り、魔法の研鑽を積む余裕などなかった。


「あわわ……」


 パティは腰が抜けてしまったのか、その場にへたり込む。


「パティ――」


 思わず駆け寄ろうとするも、


「すごいじゃないか! ええと、パティ君だったかな? 君は以前、高名な魔法師に師事を受けていたのかい?」

「は……はえ……いえ……ほあ……」


 俺より先に、試験官であるヴィスコンティさんがパティの手を取り、ゆっくりと立ち上がらせた。


「……」


 足を止め、伸ばし掛けた手を降ろす。


「シャーフ後輩、いいのですか」

「何がだよ」

「あの顔だけでなく性格も良さそうなのにパティ子を取られますよ。顔だけしか取り柄が無いシャーフ後輩に勝ち目はありません」

「何言ってんだバカ。言っただろ、俺はパティの父親代わりとして……」


 そうだ、俺は父親代わりだ。なので、この胸に去来するもやっとした感情はきっと、子離れを悲しむ親のそれなのだろう。


「……とにかく、これで試験は全員問題なさそうだな」


 三人とも、各試験官から絶賛を受けた。合格は間違いないだろう。



 ***



 そして翌日。

 今回の『中途入学試験』の受験生は二十名。

 内、合格者は十五名の予定だった。


「……全員合格!」


 試験の合否は、前日に貰った番号札と引き換えに、個々人に通達される。

 俺もパティもゼラも無事合格。受付にて、入学に必要な書類を貰った。


「はぁー、よかったぁ……!」

「まあ私は最初から分かっていましたが。これで住む場所も確保、更にお菓子も食べ放題です」

「お菓子はさて置き、これでようやく一息つけるな」


 安堵していると、くいくいと袖を引っ張られる。正面にいるパティでもゼラでもない。振り向くと、アリス学園長がいた。


「学園長、いつの間に」

「やあやあー、合格おめでとさんー」


 わざわざ祝福するために出向いてくれたのだろうか。それとも、ただ単に通りがかっただけか。


「君たちをー、というかシャー君を待ってたんだよぉー」

「は⋯⋯俺ですか?」

「うんうん。ここじゃなんだからぁー、学園長室までおいでおいでぇー。お菓子もあるよぉー」


 アリス学園長がそう言うと、返事をする間も無く風が吹き上げる。すると、その場にいた全員の体がふわ、と浮き上がり、城の最上階に向かって緩やかに空を飛んだ。


「わ⋯⋯わ! 飛んでる! 飛んでるよシャーフ!」

「す、すごいなこれ⋯⋯」


 風魔法で跳ぶ・・人は見た事はあるが、実際に宙を舞うのを見るのは初めてだった。

 六大魔法師が一、風のマールト。これがその力ということか。


「すごいでしょぉー、これがボクの『ガンダヴァハ』だよぉー」

「ガンダヴァハ⋯⋯」


 学内の先生や生徒は、空飛ぶ四人の子供に目もくれない。ここでは、これが日常的な光景なのか。


「六大魔法師のぉー、個々人に発現するぅー、固有の魔法だよぉー。ボクの場合、ふわふわしてるからこんな魔法じゃないかってぇー」

「そんなものが⋯⋯」


 なるほど、フワフワした性格だから空を舞えると。

 じゃあ、カーミラさんの『プリティヴィーマータ』は。

 土や石を『手』に変じさせる魔法は、彼女の願いを形にしたもの、という事か。そんな願いが篭ったものを、土木工事に使ってしまって申し訳ない。


「さぁーついたよぉー。遠慮せずお入りぃー」


 城の頂上にある部屋、開け放たれた窓から、その中に入る。


「うおっ⋯⋯」


 思わず目を手で覆いかける。

 狭い部屋の内装は、壁もピンク、天井もピンク、置いてある家具も全てピンク――随分メルヘンで、目に優しくない部屋だ。


「わあ、かわいい部屋!」

「桃色空間です。いいセンスです」


 しかし女子二人はお気に召したようで、アリス学園長は満足気に頷く。


「さあお座りなさいなぁー。テーブルの上のお菓子は自由におたべぇー」


 促され、俺たちはショッキングピンクのロングソファに並んで腰掛ける。マゼンタカラーのローテーブルの上にある皿には、桃が載っていた。


「⋯⋯懐かしいな、桃」

「学内の農場で採れたやつだよぉー。さてさて、早速だけどさぁー⋯⋯」


 ごくり、と生唾を飲み込む。

 学園長直々に、それも俺単体に話とは、一体なんなのか――。


「男子寮が満室になっちゃってぇー。シャー君の部屋がないんだよぉー」

「⋯⋯⋯⋯はいぃ?」

「説明するとだねぇー、つまりぃー」


 アリス学園長の説明を要約すると、こうだ。

 今回の中途入学試験は、受験者の殆ど――具体的な数字で言うと十五名が、貴族名家の子供であった。

 その貴族たちは学園の経営を司る理事会と裏で繋がりがあり、合格は最初から内定していたらしい。


 出来レース――そこに紛れ込んだのが俺たち三人。

 裏事情を知らない試験官から絶賛を受け、更にはレイン王の後ろ盾もあったため、合格となったのだが⋯⋯。


「それでねぇー、当初の予定よりも合格者数が超過しちゃってねぇー⋯⋯」

「はあ⋯⋯それで、立場が低い俺が、寮からあぶれたと」

「ごめんよぉー⋯⋯ハイドレイには言わないでぇー⋯⋯怒られるぅー⋯⋯」


 なんとも理不尽な話ではあるが、アリス学園長の気苦労も知れる話だ。恐らく理事会と、レイン王の板挟みになっているのだろう。


「⋯⋯それで、俺はどうすれば?」


 しかし次善策を求めるのは当然の権利である。俺としては住居の確保のために、この学園に入学したのだから。


「うーん、それがねぇー⋯⋯いくつか手段はあるんだけどぉー⋯⋯」


 アリス学園長は両手の、小さな人差し指を立てる。


「まず一つがぁー、空きのある女子寮の部屋に住む事ぉー。シャー君は女装とか大丈夫な人ぉー?」

「却下でお願いします」


 冗談ではない。女装して女子寮とか、無理がある。無理しかない。


「んーふぅー、それじゃ、もう一つの方法しかないかぁー。できれば、このテはあんまり使いたくないんだけどねぇー⋯⋯」

「な、なんですか⋯⋯」


 アリス学園長は不敵な笑みを浮かべながら、言った。


「とりあえず宿に戻って、荷物をまとめておいでぇー」



 ***



 数時間後。

 数日間滞在した宿を引き払い、マナカーゴに荷物を積んで学園に戻った。


「シャーフ、やっぱり女装した方がいいんじゃないかな⋯⋯」

「私もそう思います。桃おいしいです」


 運転中、女子二人がそんな事を宣ったが、ひとまず無視をした。

 女装それは最後の手段として、アリス学園長が言う『もう一つのテ』を聞いてからでも遅くはないだろう。


「というか、学園内にも確執があるんだな⋯⋯。貴族の子が幅を利かせているってこともあり得る。十分に気をつけろよ、特にゼラ」

「なぜ私だけなのですか。桃あげませんよ」


 理事会が貴族連中とズブズブって事は、えこ贔屓もあり得る。と言うか今、正にその被害に遭っている。

 せっかく定住の地を確保出来たと思ったのに、先行き不安だ。


「⋯⋯っと、ここが寮だな」


 居住区画の、最も学園に近い場所。

 大通りを挟んで、二つの大きな建物がそびえ立つ。片方が男子寮、もう片方が女子寮だ。ここから少し山道を登れば、リンゼル魔法学園に着く。


「さ、二人とも荷物を持って降りて。寮母さんのところに行けば領内を案内してくれるから」


 二人はここで別れる手筈だった。

 アリス学園長からは『マナカーゴに乗ったまま山を登って』と言われている。


「うん⋯⋯あたし、待ってるからね!」

「もぐぐ、もごご」

「いや、待ってなくてもよろしい」


 パティは俺に女装をさせたがっているのだろうか。それは出来るだけ勘弁して欲しいので、『もう一つのテ』に望みを託しつつマナカーゴを進める。

 校門まで辿り着くと、アリス学園長がいた。俺の姿を認めると、ふわりと浮き上がり、御者台に着く。


「どっちに行ったらいいんです?」

「えっとねぇー、あっちだよぉー」


 指差した方向は、深い林道だった。一応マナカーゴが通れるだけの道は整備されているが、鬱蒼と茂る木々がトンネルのようになっており、先は暗い。


「⋯⋯人が暮らせる場所があるんですか?」

「一応ねぇー」


 一応、ね⋯⋯。

 不安を覚えつつ、指示された通りにマナカーゴを走らせる。

 やがて木々のトンネルを抜けた先は、直径50メートルほどの広さの、広場の様になっていた。

 地面は雑草だらけで、周りは背の高い針葉樹に囲まれ、ここだけが隔絶された空間の様になっている。


 そして、広場の中央にポツンと、小さな山小屋が建っていた。


「あれが⋯⋯?」

「そうそうー、今はだーれも使ってない小屋だよぉー。掃除とかもしなくちゃならないんだよぉー」

「なんの小屋だったんですか?」

「むかーしねぇ、この山を管理してた人の住んでた小屋だったんだってぇー。ウン十年前って話だよぉー。生徒は立ち入り禁止になってるんだぁー」


 なるほど。元ウィンガルド王城の、お抱えの庭師とかだろうか。

 アリス学園長は申し訳なさそうに、口をモゴモゴと動かす。


「ここぐらいしか、学園に近くて暮らせる場所が無いんだよぉー。寮に空きが出たら入れるように尽力するからさぁー⋯⋯ごめんよぉー」

「⋯⋯いや、いいじゃないですか、ここ!」

「⋯⋯ふへぇー?」


 そんな学園長とは裏腹に、俺はこの空間が気に入ったのだった。

 秘密基地というか、隠れ家というか⋯⋯男心をくすぐる何かが、ここにはある。

 小屋が古くて使えなければ、なんならマナカーゴを住居にしてもいい。


「そ、そーぉ? シャー君が気に入ったなら良いんだけどぉー、ここ獣とかでるよぉー?」

「魔物でもなければ安心ですよ!」

「まぁー、この山全体に魔物避けが張り巡らせてあるから、そこは安全だけどねぇー」


 むしろ寮じゃなくて良かったかもしれない。

 門限や規則に縛られるより、こちらの方が自由に活動しやすいだろう。


「んじゃぁー、何か不便があったら先生方に言ってねぇー」


 アリス学園長はそう言うと、ふわふわと浮きながら、木々のトンネルの先へと消えていった。


「⋯⋯ふむ」


 まずは山小屋が使えるかどうか調べてみよう。

 ウン十年は放置されていたであろう山小屋の外装はボロボロで、あまり期待はできないが――。


「⋯⋯おや?」


 しかし、扉はやけにすんなりと開いた。ドアノブや蝶番に錆は浮いているものの、立て付けは良好だ。

 中はせいぜい10畳ほどの広さだ。トイレはあるものの風呂はない。ベッドや棚は埃にまみれている⋯⋯が、思ったよりも綺麗だ。

 床も埃が積もっているが、果たしてこれが数十年も放置された家なのだろうか?


「本⋯⋯?」


 埃が積もった棚の中に、分厚い装丁の本が並べられていた。それらも劣化具合から見て、数十年も経っているとは思えない。

 一つを手にとって開くと、埃と共に古書の香りが部屋に舞った。


「魔法書か⋯⋯?」


 その内容に見覚えがあった。

 以前、クインの町でウイングから魔法を習っていた時、見せてもらったものと同じだ。奥付にある改定日は、およそ十年前となっている。


 恐らく――ここは立ち入り禁止になる前、学生が忍び込んで勉強部屋にしていたのだろう。

 それが誰かは分からないが、もしかしたら、時期的にウイングかもしれない。


「そうだったら⋯⋯いいな」


 何故"いい"と感じたのかは、そう発した自分でも説明できない。

 だけど、俺はそうであることを願いながら、魔法書をそっと棚に戻した。

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