修行を続けよう/パティと先生

 ***



 そして次の日も、そのまた次の日も、走り続けた。

 一日やそこらで急激にスタミナが付くなんて事はなく、ただひたすらに生と死の狭間で足を動かし続ける。

 足の関節が炎症を起こしたが、カシムさんから貰う苦い水は、どうやら炎症を抑える魔法薬らしい。ついでに滋養強壮剤も兼ねているとか。

 飲んでぐっすり寝ると、次の日には何とか動ける様になった。


 しかし、このままでは倒れるのも時間の問題だ。

 修行三日目からはペース配分に気を遣い、途中途中で小休止を挟み、なんとか自分の足で宿まで帰れる様になった。

 するとカシムさんは、


「ほっほ、余裕が出来て来ましたな。では明日からは、修行の項目を追加しましょう」


 などとのたまった。

 思わず喉の奥から悲鳴が漏れる。


「ひぃっ」

「嬉しい悲鳴と言うヤツですな」

「純粋な悲鳴です!」


 そんなこんなで俺は、入学試験の日までとにかく走り続けた。

 パティとゼラは大丈夫だろうか――そんな心配を、頭の片隅に置いて。



 ***



 一方その頃――サンディ・クレイソンは驚いていた。


「⋯⋯ほっぺぷに子ちゃん、ちょっとマナリヤを見せて?」

「あの⋯⋯あたしパティです……は、はい!」


 サンディは、差し出された小さな手を取る。

 手の甲の赤いマナリヤは、サンディが今まで見た、どんなものよりも鮮やかな赤を放っていた。


「火の適性ね。こんな綺麗な赤は見た事がないわ」

「えへへ⋯⋯あたし、火魔法は友達の中で一番上手って、シャーフに褒められてたんです」

「うん、これなら――」


 サンディはパティの頬を指でふにふにとつまみながら、焼け焦げた『的』を見やる。

 魔法学園でも使用されている訓練人形だ。魔法に耐性がある、魔物の皮を使用して作られた案山子かかしは、パティが放った火球により、わずかな形を残して燃え尽きていた。


「物凄い威力ね……適性によって火力は個々別別だけど、これは高等部クラスの魔法だわ。他の魔法も平均的には使えるし、うん、これなら試験は問題ないわね」

「や、やったあ! ずっとシャーフが魔法を教えてくれてたから……」


 喜ぶパティを見て、サンディも表情を綻ばせ、そして首を傾げた。

 先程からこの少女が、仮面の少年の名前を口にする度に、パァと花が咲くような錯覚を覚えていた。


「……ねえ、ぷに子ちゃん」

「パティです……なんですか、サンディ先生!」

「アンタ、シャーフ君のこと好きなの?」

「ぴゃっ!?」


 瞬間、パティの顔が紅潮する。あまりにも分かりやすい態度に、サンディは顎に手を当て、ふむ、と納得した。


「なるほどね。……ね、ちょっと聞かせなさいよ。二人の出会いを」


 そしてこの女――興味津々であった。

 青春を剣の修行に費やし、恋人どころか友人までいなかった学生時代。

 悲しき女サンディ・クレイソンは、恋愛話コイバナに餓えていた。


「えっ、ええと、あたしがいじめられてるのを、シャーフが助けてくれて……」

「あー、いいわね、そういうの。もっと頂戴」

「でも……」


 パティの表情に翳りが差す。その変化を捉えたサンディは、パティの頬をつまむ。


「どうしたの?」

「なんでほっぺつまむんですか……? いえ、でも、シャーフはあたしのこと、好きじゃないみたいで……」

「はー? そりゃまた、なんでそう思うの?」

「あの、あたし、お父ちゃんが死んじゃったんですけど……シャーフは『俺が父親代わりになる』って言ってて……」

「なにそれ気持ち悪っ」


 思わず口をついて出た言葉に、サンディは『やべっ』と口を押える。

 しかしパティは反論もせず、草原の上に体育座りをし、丸まってしまった。


「あたし、シャーフのこと好きです……でも、シャーフはきっと、あたしのためを思って、お父ちゃんの代わりになるって言ってて、あたし……あだじぃぃ」

「うわっ泣いた。ああもう、泣かないの……」


 サンディは再び顎に手を当て、ふむ、と考える。


「私の経験から言わせて貰うと――シャーフ君はぷに子ちゃんの事、愛してるわね。家族愛じゃなくて、男女の関係として」

「――――え?」


 パティが顔を上げる。


「ああもう、鼻水拭いて」


 サンディはパティの鼻水を拭いながら、続ける。


「シャーフ君は、歳の割にはしっかりしているでしょう? だから、こう……自分が貴女を支えなければいけないって、自分は保護者なんだって、負わなくても良い責任を感じているのよ。本当は、ぷに子ちゃんとチューしたくてたまらないに決まっているわ」

「パティです……。え、でも……チューって……」

「私の経験上、まず間違いないわ」


 ――口から出まかせである。

 このサンディ・クレイソンは異性と手を握った事すらなく、剣だけを握っていた青春であった。恋愛の何たるかを語れる立場には、断じてない。

 しかし『先生』と呼ばれたのがちょっと”良かった"のと、新鮮な恋愛話にテンションが上がり、更にそこにクレイソン家の『話し好き』が加わり、もはや彼女の口を止められる物は無かった。


「解決法があるわ、ぷに子。貴女もまた、シャーフ君を支えられる様になればいいの。そうすれば対等な関係。保護者と被保護者という壁は無くなり、向こうからチューしてくるわよ」

「な、なるほど、勉強になります! ……でも、どうすればいいのかな。あたしシャーフみたいにしっかりできないし……」

「甘えないの。そのぷにぷにのほっぺは飾りなの?」

「本物です……」


 サンディは、うずくまるパティの脇を抱えて立ち上がらせた。


「そうね……男女の駆け引きなら任せておきなさい。試験はもう楽勝だから、これから『どうやってシャーフ君を落とすか』作戦を練りましょう」

「……は、はい! お願いします、先生!」


 パティは目を輝かせ、両足で大地を踏みしめた。

 口から出まかせである。このサンディ・クレイソン、男女の駆け引きなど書物の中でしか知らず、命の駆け引きの方が得意であった。



 ***



 そしてすっかり放置されたゼラは、草原に寝転がり、そのやり取りを眺めていた。


「私はおいてけぼりですか。しかしこれは面白そうなことになりそうです。ふふふー」


 そして人差し指で、口角を持ち上げた。



 ***



 地獄のような修行、四日目。

 その日は『試験も近いので、明日は休みにしましょう』と言われ、俺は天にも昇る心地だった。

 しかしすぐに走り込みが始まり、しかも今回はカシムさんも並走すると言う。

 いくらパワフルなお爺さんとは言え、あの距離を走れるものなのだろうか。


「⋯⋯大丈夫ですか?」

「ほっほ、ご心配なさらず。さて参りましょう。そうですな⋯⋯私から10メートル以上離れたら、罰として錘を追加しましょうか」

「⋯⋯大丈夫ですか?」

「手加減は致しますよ、ほっほ。では――お先に」


 カシムさんは悪戯な笑みを浮かべると、手を後ろに組み、早足で歩き始めた。

 不意打ちだ。何が手加減だ。俺は急いでその後を追った。

 追い付けないスピードでは無かったが、一人で走っていた時と違い、『距離を離されてはいけない』という焦燥感が体力の消耗を早める。


「ほっほ――追加です」


 結局、山の中腹に着いたあたりで俺は力尽き、指定の距離を離された。罰として、両手首に錘入りの腕輪を嵌められる。

 重さは大したことはないが、既にクソ重たい木剣を背負っているので、実重量以上の重積を感じる。


「意外と精神面は惰弱ですな。ブラックドラゴンを単独討伐した時の気概はどこへ行ったのです?」

「あれは⋯⋯ぜぇっ⋯⋯パティを守らなくちゃって⋯⋯ひぃ⋯⋯思って⋯⋯」


 なおもマラソンは続き、少し速度を緩めたカシムさんは、俺の横を並走しながら、悪魔の笑みで語りかけてくる。


「ふむ、大事な物のためなら危険を冒すことも厭わない。その精神は大変美徳ですが、それではいけませんな」

「はひっ⋯⋯へぇっ⋯⋯な、なにがですか⋯⋯!」

「イルシオンは敵の攻撃を受け流す守護の剣。それに対し、レヴィンの根幹にあるものは、敵を必倒する意志。誰かを守りたいと言う考えが先に立つのであれば、修める事は敵わず――」

「そ、そんな事、言われたってぇ⋯⋯!」


 つまり、殺意を剥き出しにしなければダメだと。無茶苦茶だ。


「まあ、これは今しがた考えた精神論ですが。ほっほ。しかしシャーフ君、貴方は、他の誰かの為に命を賭けるには、あまりに若すぎる」

「ひぃ、へぇ⋯⋯っ、実は俺、もうすぐ四十歳になるん、ですよ⋯⋯」

「なんとなんと。それでも私に比べればまだ若造ですな。そして、まだ軽口を叩く余裕があるのなら、もう少し早く歩きましょうか」

「うひぃ!」


 その後、スタート地点に戻る頃には、全身錘まみれになっていた。

 両腕に腕輪を三個ずつ、両足首に足輪アンクレットを二個ずつ。

 カシムさんが『ほっほ、これにて品切れです』と宣言して途中から罰は無くなったが、もはや俺の挙動は、油が切れた機械人形の様であった。


「…………」


 草原の上に大の字になって寝そべり、ただただ星空を眺める。

 カシムさんは息ひとつ切らしておらず、俺を見下ろしながら、言う。


「誰かの為でなく、自分自身のやりたい事を見つけなさい。これはレヴィンの事だけではありません」

「……大事なものを守りたい。取り戻したい。これが俺のやりたい事です。それじゃダメなんですか……?」


 パティを、アンジェリカを、三馬鹿を――ついでにゼラも。

 ウイングに託されたものを。

 それを守り、取り戻す事に生きる意味を見出していたが、否定されてしまった。


「ダメ、ですな」

「なんで……ですか……」

「ほっほ、ただの年寄りの冷や水です。子供が、そんな生き方をするのを見るのは、悲しいのですよ。他者の為に、誰かの代わりに――それも良いですが、それだけではいけません。己の中に、ひとつ"欲"を持ちなさい」


 星空から、カシムさんに視線を移す。

 同じく空を眺めていた翁の横顔は、どこか憂いを帯びている様に見えた。


「それじゃ、もうちょっとだけ修行が楽になって欲しいって"欲"は……」

「ほっほ、それはそれ、これはこれ。入学試験が終わったら、また修行を再開しますよ」

「……ぐぅ」

「ぐうの音が出る内は、まだ余裕ですな」


 他者の為ではなく。

 女神ユノにも同じことを言われたが、果たしてそんなものがあるのか、あったとして見つけられるのだろうか。


 だって、皆の為に頑張りたいのは本心だ。パティが笑ったら嬉しいし、ゼラが馬鹿やってる時は苛立ちはするが、笑ったりもする。アンジェリカや三馬鹿と再会できたら、きっと感涙する自信がある。


 それが『俺自身の為になる"欲"』じゃないのなら、他に何があるのだろう。

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