修行を始めよう
***
それからアリス学園長は諸手を挙げて、万歳を幾唱しながら帰って行った。
カシムさんも『不肖の孫を迎えに行きます。明日、また伺います』と言い、去って行った。
パティとゼラには、サンディさんが試験の面倒を見てくれるという旨を伝えると、
「ほ、ほんと? よかったぁ⋯⋯」
「あのイモンディがですか」
との感想が返ってきた。
「⋯⋯イモンディってなんだ?」
「ウェンディの妹だからイモンディです」
「お前それ、本人の前で絶対に言うなよ」
そして、翌日から試験勉強が始まった。
***
「⋯⋯昨晩は失礼致しました。さっ、切り替え終わり! 私はパティの魔法と、ゼラのイルシオンを見ましょうか!」
朝になって部屋に訪れたサンディさんは、一度頭を下げると、すぐに元気な様子を見せた。
「よろしくお願いします。⋯⋯俺は?」
「シャーフ君はおじーちゃんと修行ね。どうせ貴方、魔法は大得意なんでしょ?」
という事らしい。
剣術の修行なら、俺とゼラが、カシムさんに指示を仰いだ方がいい気がするが、ここは家庭教師の意向に従おう。
「あと、昨日のマナ結晶は魔法師ギルドに持って行ったけど、あまりにも大きすぎるから換金に時間がかかるって。ドラゴンの角はどうする?」
「どうすれば良いですかね?」
「そうね⋯⋯ブラックドラゴンの角となると、武器か薬かの二択ね。売るにしてもかなり高額だから、その辺のギルドじゃ買い手がつかない可能性もあるし⋯⋯必要になるまで取っておいたら?」
と言う事で、角はひとまず道具袋の肥やしとなった。いずれ使い道が来ることを信じよう。
「じゃあ行きましょうか。場所は⋯⋯学園の修練場を使えないか打診したけどダメだったわ。だから、都市の外ね。おじーちゃんもそっちで待ってるわ」
「あの⋯⋯口調どうしました? 以前から偶にそうでしたけど、いきなり砕けましたね?」
「おじーちゃんの弟子って事は、アンタは私の
「アッハイ」
今までは『主人の恩人』だったのが、立場が変わったから、と言うことであった。
敬語で接されるのも距離を感じるし、こっちの方がありがたい。
***
サンディさんは、学園都市の外壁のすぐ傍で、パティとゼラを指導するとの事だった。
俺はと言うと、外壁から少し離れた場所、草原の上に向かわされた。
草原の中でポツリと、大きな木が天に向かって伸びており、広がった葉の下に木陰が出来ている。
その真下に、カシムさんは佇んでいた。
「お待ちしておりました、シャーフ君」
「お世話になります。⋯⋯あの、なんで俺だけこんな離れた場所で?」
「ほっほ、パティさんやゼラさんを巻き込んでは困りますからなあ」
「そんな危ない訓練をするんですか!?」
「冗談ですよ」
食えない爺さんである。
「では、早速始めましょうか」
「⋯⋯はい!」
さて、剣の修行という事で、俺は長剣と短剣を持ってきた。
対してカシムさんは丸腰だ。いや、手に何かを持ってはいるが、それは――ティーポットとカップだった。
「お座りなさい。お茶でも飲みながら始めましょう」
「⋯⋯はい? あの、剣の修行じゃ」
「左様です。しかし、まずはお話でもしましょう。せっかくですから、楽しく修行したいものです――『マグナウォール』」
カシムさんは土魔法で即席のテーブルを作り出し、敷物も敷かずに草原に座り込んだ。スーツが土で汚れる事など、御構い無しだ。
「は、はあ⋯⋯そうですか⋯⋯?」
俺は拍子抜けしつつ、カシムさんの隣に腰を下ろした。湯気が立つカップを手渡され、それをありがたく頂戴する。中身は紅茶だった。
口の中を湿らせたカシムさんが語り出す。
「まず『イルシオン』と『レヴィン』は、元々『ラフィール』と言う一つの剣術でした。昔の人はなんと、三刀流で戦っていたのですなあ」
「『レヴィン』は、大剣を扱うんでしたっけ? 使い分けていたって事ですか?」
「御名答。大、中、小、三振りの剣を身に纏い、時に幻影の様に舞い、時に雷の様な必殺の一撃を見舞う。いつしか流派として枝分かれし、現在の様な形に落ち着いたのですよ」
初耳だった。しかし二刀流でもかなりの重量なのに、更に背に大剣を背負うとは、昔の東大陸人はフィジカルモンスターだったんだなあ。
お茶を飲みながら、穏やかに話は続く。サンディさんは『毎日地獄』と言っていたが、なんだ、優しそうな師匠じゃないか。
「今や、レヴィンを修める者は少なくあります」
「立ち回りが難しいからと聞きましたが……」
「ほっほ、二刀流の方がカッコいいからでは無いですかなあ」
それはちょっと分かる。大剣もカッコいいが、二刀流は男のロマンである。
「ですので、シャーフ君にはレヴィンを修めて貰います」
「……すいません、『ですので』の意味を理解しかねます」
「ほっほ、簡単な事です。サンディに勝つには、レヴィンしか無いのですよ」
サンディさんに勝つ? 何故、彼女と戦わなくてはいけないのだろうか。
俺が首を捻っていると、カシムさんは頷き、続ける。
「剣術大会『
「えーっと……つまり、サンディさんも、クラウンガードを継続する為に大会に出場するから、優勝するには彼女を下さないといけない、と?」
「左様。そして、その為にレヴィンが必要なのです。サンディは今も日々の鍛練を欠かさず行っており、今からシャーフ君がイルシオンで追い着こうとしても、無理な話なのですよ」
つまり、別の土俵で勝負しろって事か。
「それは分かりましたが、実際どうなんでしょう? イルシオンの使い手とレヴィンの使い手がぶつかったら、どちらが勝つんですか?」
「……やってみなければ分かりませんなあ」
「えぇ……? 大丈夫なんですか……?」
「ほっほ、しかし御安心なされよ。この私が師事するのですから、三年後には見事な剣士になっているでしょう」
……ん? 三年後?
「あのー、次の大会って三年後なんですか?」
「言っておりませんでしたか、ほっほ、これは失敬」
「つまり、三年間みっちり修行すると」
「左様です。みっちり、どっぷりと」
これはまずい、安請け合いしたかもしれない。
なにせ、俺は学園に通う中で、冒険者稼業も並行しようと考えていたのだ。
流石に休みの日はあるだろうが、みっちり修行となると、あまり金が稼げないかもしれない。
「では実技に移りましょうか。シャーフ君、これを」
「は、え、あ?」
頭を抱えていると、カシムさんは立ち上がり、大木の根元から何かを持ち上げた。
草むらに隠れていたそれは、俺の身長ほど――1.5メートルはありそうな、巨大な両手剣だった。
鞘に収まった状態のそれを手渡されると、腰が抜けそうなくらい重く、膝を着きそうになる。
恐らくだが、40キログラム近くあるのではないか。俺の体重とほぼ一緒だ。
こんなもの、子供一人抱えている様なものだ。
「こ、これを振るんですか!?」
「ほっほ、それはただの木剣です。ただ、内部に
「はい⋯⋯お、お、おお……!」
何とか木剣を支柱にしながら、鞘に着いたベルトをたすき掛けにして背負う。
斜めに背負うと、ギリギリ切っ先が地面に着かないくらいだった。
「これから修行の時だけでなく、夜寝る時も、便所に行く時も、風呂に入る時も、その錘を身に着けていなさい」
「……マジですか」
「ほっほ、マジです。では手始めに体力作りです。学園都市の外壁を、ぐるりと一周して来なさい。もちろん、その剣を背負ったままで」
「マジですか」
「ほっほ、夜までには戻って来なければ探しに行きますので、御安心を」
穏やかに笑う好々爺の顔が悪魔の様に見えた。
仕方がない――やると言ってしまった以上、やるしかない。
クインの町の外周マラソンを思い出す。それに比べ、学園都市はかなり広大である。倍以上はあるだろう。
それに、リンゼル魔法学園は山の中腹にあり、そこをぐるりと――って。
「⋯⋯あのー、山の外周は?」
「ほっほっほ、最短を走りたくば、山を登るしかありませんなあ」
「⋯⋯⋯⋯鬼!」
「昔はよくそう呼ばれたものです、ほっほ。あの山は魔物避けが張り巡らされているので、ブラックドラゴンはおりませんよ」
「⋯⋯⋯⋯悪魔!」
「昔はよくそう呼ばれ――」
俺は心を無にし、都市の外壁に向かって駆け出す。
しかし、重い。登山家は30キログラムもある荷物を背負い、山を登ると言うが――俺はまだ十歳の子供である。鍛えた登山家とは違うのだ。
自分の足音で、ズシンズシンと地響きが起こる様な錯覚を覚えながら、とにかく走った。
走ると言うよりは、一歩一歩を踏みしめながらの競歩である。
山は申し訳程度の林道が整備されてはいたが、それでも傾斜が着いた道を、重力に逆らって走るのは辛かった。
あまりの辛さに、剣を引きずったり、都市内を通ってショートカット――ズルをしようという考えが頭を
***
そして、大木の下に辿り着いた時には夕暮れ時になっていた。
「⋯⋯⋯⋯ぇ、⋯⋯⋯⋯ぜぇ」
「ほっほ、お帰りなさい。意外と早かったですな」
「⋯⋯⋯⋯み、ず」
「はい、飲み物です。あまり急いで飲まぬ様に」
カシムさんからグラスを受け取り、カラカラに乾いた喉へと水を流し込む。
やけに苦く感じる。しかし贅沢を言っていられる状況ではないので、そのまま飲み干した。
「んっ、んっ⋯⋯ぶはぁっ!! な、なんですか、この水⋯⋯苦ぇ⋯⋯」
「ほっほ、栄養はありますよ」
「原材料を聞いているんですよ!」
「さて、これから毎日その剣を背負って走りますよ」
俺の問いは無視され、そして死刑宣告がなされた。継続は力なりとは言うが、これでは力が付く前に死んでしまう。いや、死なないんだけども!
ひとまず休憩を言い渡され、俺は草原の上に倒れ込んだ。
「しかし初日でそこまで走れれば上出来です。シャーフ君は、思ったよりも体力がありますな」
「はひぃ⋯⋯」
「サンディが十歳の時など、山の中で倒れているのを、よく探しに行ったものです。ほっほ」
笑い事じゃない気がする。
東大陸の剣士は、みんなこんな頭のおかしい修行をしているのだろうか。
修羅の国かよ。そりゃあ、ウェンディのあの強さも納得だ。
「さあ、休憩は終了です。次は――」
「まだあるの!? 無理です、死にます!!」
「ほっほ、冗談です。修行に耐えられる体力が付くまでは、毎日この走り込みを行いましょう」
「ひぃ⋯⋯」
果たして、このマラソンを乗り切らなければ耐えられない修行とは、どの様な拷問なのか。
「宿でゆっくりとお休みなさい。また明日、同じ時間にここで」
「⋯⋯⋯⋯動けません」
「ほっほ、そうでしたな。では、少々失礼」
カシムさんは屈み込むと、俺の身体を軽々と持ち上げ、肩に担ぎ抱ぎ上げた。
いくら十歳の子供とはいえ、背中には錘付きの木剣を背負っているままなのに。老人とは思えない膂力だ。
背も高いし、顔つきもよく見たら精悍だし、むしろ皺がそれを引き立たせている。クレイソンさん家は美形の家系なのか。
「では帰りがてら、お話でもしましょうか。シャーフ君、少し気になっていたのですがパティさんとはどの様なご関係ですかな? いや、ゼラさんも居りましたな。まだ子供とはいえ、十歳ともなるとやはり異性を意識し始める年頃ですかな? 私は若い頃は、それはもうモテたものですが――」
⋯⋯そして、話好きな所も血筋か。
結局、宿屋に帰るまでの十数分間、カシムさんは立て板に水と話し続け、俺は相槌を打つ事で精一杯なのであった。
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