黒竜と戦おう
この世界における『魔物』とは、『動物がマナの影響で肉体を変質させたもの』だ。動物だった頃と比べると凶暴性が増し、進んで人を襲う性質を持つ。
魔物は生命活動を止めると、その場に死骸を残さず、『マナ結晶』と呼ばれる緑色の石に変わる。マナ結晶は魔法を増幅する力を持ち、魔法の研究を生業とする魔法師ギルドに買い取られる。
また、命を落とす前に切り取られた部位――例えば角や牙、毛皮などは消えずに残る。これらも鉄や鋼等よりも強靭、強固とされ、鍛冶ギルドなどに売れるらしい。
魔物の元である『動物』のくくりは広く、哺乳類から爬虫類、甲虫類や――人間も例外ではない事を、俺は最近知った。
南大陸の遺跡で、魔物に変じてしまった人がいた。
人は体外器官『マナリヤ』にマナを取り込み、魔法として発揮する事が出来るが、長い間マナを留めておくと中毒症状が現れる。
それを放置しておくと、マナが肉体を侵食し、魔物になってしまうのだろう。
マナとは一体、何なのか。
ただの便利な物質では無く、危険が同居している事は確かだが、この世界ではマナは、魔法は、あまりにも人の生活に密着しすぎている。
多分、危険な事なんて、俺以外にも周りはみんな知っているのだろう。
だけど、リソースフリーのエネルギーなんて、夢の様な話だ。切っても切れない世界の構造になってしまっているのだ。
「……お前も、元は何かの動物だったのか?」
ブラックドラゴンに向かって話し掛ける。
目の前の黒い巨躯は、巨大なトカゲだった。
前の世界にはコモドオオトカゲ、という巨大な爬虫類がいたが、あれを超巨大化させ、頭部に二本の角を生やした様な見た目だ。
しかし、コモドオオトカゲの様な、愛嬌のある眠たげな瞳ではなく、人を憎んでいるかの様な凶悪な形相だ。
以前、西大陸で相手したロックドラゴンとは比較にならない巨大な躰。
腹を擦りながら這って来たであろう地面は深く抉れ、その身体の重さを象徴している。
「グオゥルルウ……」
当たり前だが、ブラックドラゴンは俺の問いには答えず、ただ目の前にいる矮小な存在に牙を剥いた。
長い時を生きているらしいから、もしかしたら人語を解するかと思ったが、そうでも無いらしい。
場合によっては話し合いで解決――『山に住処を作るのを手伝うから回れ右してくれませんか』とかも考えたが、無用に終わった。
「じゃあ、すまんが拘束させて貰う」
人里に害をなそうとするなら、人によって退治されるのは世の常だ。そこに動物も魔物も区別は無い。
俺は周りに数メートル級の土の腕を出現させ、ブラックドラゴンの巨躯を抑え込んだ。
「グルゥアァァッ!!」
土の腕は多少の間拘束できたものの、振り払われ、土塊に還ってしまう。
丸太を軽々と運び、巨大な岩をどかせる『プリティヴィーマータ』の膂力が、まるで赤子をあしらうかの様だ。
「ズゥッ――――」
ブラックドラゴンが大きく息を吸い込む。
危機を感じ、その場から大きく飛び退いた。すぐさま火炎の息が吐き出され、一瞬前まで俺が立っていた場所が焦土となる。
生えていた草どころか、地面まで大きく抉れて赤熱している。あの中に飛び込んだら、それだけで全身が火達磨になりそうだ。
「……規格外だな」
今まで対峙した魔物のどれよりも強力だ。
ただ、気は楽だった。今は俺一人なのだから。
ロックドラゴンの時はゼラを、『オンボスの檻』の時はアーリアの身を案じていたので、失うものが無い現状は、非常に楽に思えた。
「それじゃ、討伐隊が来るまで付き合って貰うぞ」
再度、今度は大量に土の腕を出現させる。
目的は拘束だ。見たところ土の腕による抑制は、一瞬だが効果はある。
泥仕合になるかもしれないが、俺の限界が来る前に、討伐隊が来る事を祈ろう。
***
巨木の様な剛腕から繰り出される、地面を穿つ一撃を、紙一重で回避する。
「ズゥアァァ――――!!」
転がった先に、天から圧倒的な熱が降り注ぎ、ありったけの『スプラッシュ』を放って炎を緩和する。水蒸気が巻き起こり、辺りは白い靄に包まれた。
その場から離脱し、黒竜の目に向けて短剣を投擲する。狙いは完璧だったが、竜の瞳の水晶体は固く、弾かれた。
しかし刺さらずとも、少しだけ傷が着いた様に見える。鱗よりは柔らかいらしい。
攻防を繰り返すうちに、辺りは夕闇に包まれ始めていた。
焦りが冷や汗となって頬を伝う。もう何時間か戦っているが、討伐隊どころか、人っ子ひとり通らないのだ。
途中、『ミラージュ』で姿を眩ませて休憩したので、体力はまだ持つが、これだけ攻撃しても、あちらもまだまだ元気だ。
やはり魔法は弾かれ、剣も通らない。唯一付けられた傷が、さっきの眼球だけだ。
「グルルルゥォ……!」
確実に足止めが出来ているのは良いが、このままではジリ貧である。
冒険者ギルドの討伐隊、及び学園の先生方はまだだろうか。
「……ッ」
生暖かい液体が上唇を伝う。鼻血が出てきた。『プリティヴィーマータ』の使いすぎだと身体が異常を訴えている。このまま使い続ければ、俺も魔物に変じるのだろうか。
「そうなる前に早く来てくれ……間に合わなくなったら泣くぞ……」
なんとも情けない泣き言を漏らしつつ、道具袋から小さな革袋を取り出す。
革袋の中には、今まで貯めたが小さすぎて換金できなかったマナ結晶が詰まっている。これで試してみたい事があったのだ。
ジャラ、と音を立てながら右手でマナ結晶を握りしめ、右手をブラックドラゴンへ向かって突き付ける。
「増幅ってこれで良いのか……?」
眼球に着いた微かな傷――そこに向けて、水魔法『スプラッシュ』を放つ。
自分の魔法の発射口を『絞る』様にイメージすると、手の中でマナ結晶が砕け散り、超圧縮された水流が飛び出した。
高速で放たれた水の刃は瞳に直撃し、その水晶体を穿った。
「い、勢いが……うわっ!!」
水刃を射出したまま、その勢いに耐え切れず、俺の軽い身体は後ろに倒れた。
「グオオォォン!?」
ブラックドラゴンは悲鳴を上げ、その場にのた打ち回る。
強固な守護を誇っていた生物は、初めて受ける傷に困惑している様だった。
「……よし、上手く行った!」
身を起こしながらガッツポーズを作る。
これは、ウイングとの魔法の授業で学んだことだった。
使用者の力量にもよるが、魔法はイメージで『強さ』『形』をある程度変えられる。土魔法でパイ窯を作ったのが好例だ。
今回は水魔法を工業用のウォータージェットよろしく、超高圧力で射出してみた。距離による威力の減衰も考え、マナ結晶でのブーストもして。
体表の鱗を狙ったら弾かれていただろうが、眼球に傷が着いてくれて、そこを押し込む事で傷を負わせられた。
これでびっくりして山に引き返してくれたら良し、さもなくばもう一つの目にも打ち込んでやる。そう思い、もう一度革袋に手を突っ込んでいると――。
「……オォォン……」
のた打ち回っていたブラックドラゴンが、バタリと倒れ、動かなくなった。
「……えっ? うそっ」
どうやら、水の刃が頭を貫通し、 俺が倒れた拍子に脳まで届いたらしい。
亡骸の傍を見ると、切り取られた角が一本、地面に落ちている。
すぐに巨躯が緑色の光に包まれ、その場には巨大な――直径三メートルはあろうマナ結晶が遺された。
「……倒しちゃった」
まさか、倒せるとは思っていなかった。
あんな巨大な魔物、生命力もずば抜けていると思っていたから、頭を貫かれたくらいで息絶えるとは。
俺はマナ結晶に近づき、ブラックドラゴンが遺した角を手に取る。
長さ二メートルはありそうな角はかなり重く、持ち上げるのが精いっぱいだった。
「えー……どうしよう……」
マナ結晶も同様である。柔らかい地面にめり込んでいるそれは、掘り返したとしても、持ち帰るのは困難である。
しかしこれを見逃すのは惜しい。こんなものを換金したら、金貨ウン百枚になるだろうか。
ここに置いていたら、誰かに取られてしまうかもしれないし……。
「……ん?」
ふと、遠くから車輪の音が聞こえた。
数時間誰も通らなかった草原だが、どうやらマナカーゴが近くを走っているらしい。
これは丁度いい。このマナ結晶と角を運んでもらおう。報酬は山分けとすればいい。
「おーーーーいっ!!」
俺は声を上げながら、空に向かって光魔法『フラッシュ』を放った。
天高く閃光が舞い上がり、夕闇を裂くように辺りを照らす。
そして、見えた。高級そうな装甲のマナカーゴが、遠くの街道を走っている。マナカーゴは光に気付いたのか、進路を変えて俺に向かってきた。
「すいませーん! ちょっとマナ結晶を運ぶのを……」
マナカーゴが近づくにつれ、御者台の人物の姿がハッキリと見える。
その人物の顔を見て、俺は息を呑んだ。
「……ウェンディ……!?」
「はーー!? 何っ回、同じ間違えするのよ!! ……というか、シャーフ・ケイスケイ……様!?」
「……あ、サンディさんか……なんだ……」
マナカーゴを駆っていたのはサンディさんだった。
隣には見たことが無い老人が乗っている。俺やハイドレイさんと同じ様なつば広帽に、見るからに仕立ての良いスーツを着込んだ、上品な男性だ。
「なんだってなによ! ……こほん。それで、ケイスケイ様は何故ここに? 今はリンゼルの宿に居る筈では?」
「おお、仕事モード……。いえ、冒険者ギルドで『ブラックドラゴンが出た』と聞きまして、それの対処に」
「……はいい? 私、そんな話聞いてないけど?」
おお、私事モード。切替が忙しい人だ。
「落ち着きなさいサンディ。恐らく、私とお前が王都を出てからだったのでしょう」
「おじーちゃん……」
「おじい……サンディさんのお爺さんですか?」
御者台から降りてきた二人を見比べ、俺がそう言うと、老人は帽子を脱ぎ、微笑んで頷いた。
「カシム・クレイソンと申します。君はシャーフ・ケイスケイ君ですね? して、ブラックドラゴンはどこへ?」
「倒しました。なのでマナ結晶の運搬を手伝って欲しいんです。もちろん無償で、なんて言いませんので……」
「倒し……はて?」
老人――カシムさんは微笑んだまま首を傾げる。
俺と、その背後にある巨大なマナ結晶を見比べ、顎を指で撫でた。
「……アンタねえ、冗談は大概にしておきなさいよ。子供が一人でブラックドラゴンを倒せるわけないでしょう」
「えぇ……じゃあ他の誰かが倒したって事でいいですよ……」
「い、いや別に疑ってるわけじゃないわよ……」
「思いっきり疑ってるじゃないですか……この角も重いんで、これだけでもお願いできませんか?」
俺は踏ん張りながら、ブラックドラゴンの角を持ち上げる。
するとカシムさんが、興味深そうにその角の表面を撫でた。
「ふむ、これはブラックドラゴンの幼竜のものですね。しかし、幼体とは言え、彼奴を一人で討伐するとは……」
あ、なんだ。俺が倒したのは子供だったのか。
これが大人だったら、もしかしたらウォータージェット戦法も通じなかったかもしれない。
「君、シャーフ君と言いましたかな」
「はい? あ、はい」
「剣を修めてみる気はありませんかな?」
「おじーちゃん!?」
カシムさんの瞳は爛爛と輝き、まるで玩具を買い与えられた子供の様な若々しさを放っていた。
「あ、大丈夫です。間に合ってます」
「はあーーっ!? アンタ、誰の誘いを断ってると思ってんのよ!?」
「なんなんですか……いきなり叫ばないで下さいよ……。とにかく、俺は剣を習うつもりは……」
「まあまあそう言わずに。お試しコースなどいかがですか?」
「えっ?」
カシムさんはそう言い、俺の腕を掴んだ。
まさか断っても、更に勧誘されるとは思わなかった俺は面食らい、ブラックドラゴンの角を取り落とした。
「おっと」
しかし、カシムさんは片足で角を受け止めると、軽々と蹴り上げる。空中で回転した角は、カシムさんの片手に収まった。まるで老人らしからぬ動き、膂力だ。
「ではこうしましょう。私達のマナカーゴで角とマナ結晶を運びます。なので、シャーフ君は私から剣を学ぶこと」
「いやいや、なら結構です。時間はかかるけどマナカーゴを取って来るので、それで運びます」
マナカーゴへの搬入は、『プリティヴィーマータ』を使えば何とかなるだろう。
そう思い、俺は学園都市に向けて歩き出そうとすると、再び腕を掴まれた。
「逃がしませんよ? ふふふ、この歳で黒竜を単独討伐するほどの逸材――きっと優れた剣士になるでしょう」
カシムさんはニコニコと微笑みながら、しかし俺の腕を離そうとしない。
「いやっ、ちょっと、離して下さい! サンディさん! どうにかして!」
「あー……こうなったおじーちゃん、久しぶりに見たなあ」
サンディさんは、同情するような目で俺を見る。
「シャーフ君、これから地獄の日々が続くわよ。良かったわね」
「良くねーよバカか! ちょっと爺さん、離せって! す、すごい力!」
結局、サンディさんに宥められたカシムさんは、渋々手を離した。
剣術の話はひとまず保留になり、『入試の事で話がある』と、俺……と角とマナ結晶は、サンディさんのマナカーゴに乗せられ、学園都市へと戻った。
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