祖父と孫
***
――時は少しだけ巻き戻る。
王都ウィンガルディア。どこかの一室。
「⋯⋯試験、かい?」
男は整った顔を呆けさせ、カップの取っ手を放した。
側に備えていた少女は、空中でカップを掴み、音を立てずにソーサーに戻す。
「ああ、すまない。いや、それより入学試験だ。そんなものあったっけ?」
「ええ、今年度から導入されると。⋯⋯四半期ほど前に学園理事会から報告がありましたが」
「いやはや、なんとも⋯⋯」
「⋯⋯よもや、忘れてましたか?」
「⋯⋯いやはや」
男は誤魔化す様に、自分の鳶色の長髪を掻き撫でる。
「それでは、あの少年少女は?」
「試験要項は渡しておきました」
「いや、それでは万が一彼らが不合格になった場合、住居を提供するという約束が反故になってしまう⋯⋯。これは参ったね⋯⋯」
男は俯き、横目で少女を見やる。
「それでは私はこれで失礼いたします。これから祖父と会う約束が――」
少女は視線に気づかないふりをして、素知らぬ顔で部屋を出て行こうとするも――。
「サンディ・クレイソン。これはお願いなのだが――」
少女――サンディはドアに向きかけた足を止めた。
「⋯⋯」
「いや、キミがこれから一カ月ぶりの休暇を取る事は知っているのだけどね?」
「二カ月ぶりです」
「あー……いやはや。それで、彼らの試験の面倒を見てやってくれないかね」
サンディは給仕服の裾を優雅にはためかせ、男に振り向き、真一文字に結んだ唇を開く。
「――まず、ゼラという銀髪の少女。あの足運び、ある程度『イルシオン』を修めています。中途試験に臨むような者どもに後れを取る事はない、と判断いたします」
「ほう! あの華奢な子が剣術を!」
「そしてシャーフ・ケイスケイ。彼は、
「うんうん、そうだね。……あと一人は? あの、ほっぺがぷにっとした赤毛の……」
「ほっぺぷに子ちゃん……失礼。パティ・スミスは――」
サンディは口を噤み、その視線は男の顔から、壁や天井に移り、床に落ちた。
男は指で頬を掻きながら、申し訳なさそうに苦笑した。
「サンディ。あー……改めて頼みたいのだが」
「かしこまりました、我が主」
「本当にすまない。カシムには僕から伝えておくよ」
サンディは恭しく礼をし、踵を返し、部屋から退出した。
長い廊下を歩き、建物から出て、外に停めてあるマナカーゴへと向かう。涼しい顔をしていた彼女の顔には、次第に険が表れ始める。
「……はぁ、仕事辞めたい」
最終的にマナカーゴの御者台に着くと、そう漏らした。
「大体さあ、私は学園卒業したら、おじーちゃんの洋裁店で素敵なドレスとか作って暮らすつもりだったのに……」
城下町を走り、駆動音に被せる様に、呪詛とも愚痴ともつかない言葉を吐き続けた。
「それがあのクソ姉が男と駆け落ちなんてするからさあ……やりたくもない剣を習わされ? 就きたくもない職に就き? あーもうやっだやだ! なーにがクレイソン家は代々……だよ! んなもんその辺の犬に食わしとけバーーーーッカ! アホ!」
城下町を行きかう人々は、呪詛を漏らしながら走る車を見やり、苦笑を浮かべる。
「おいおい、サンディがまたやってるぞ」
「週に一度は見れる、この街の風物詩になりつつあるわねえ」
「まあ実際、あの子も大変だしなあ」
そんな同情などつゆ知らず、サンディは王都を出るためマナカーゴを走らせる――。
「⋯⋯⋯⋯!?」
王都の門を潜ろうとした刹那、サンディは目の端に何かを捉え、マナカーゴを急停車させた。
石畳を焦がしながら車輪は回転を止める。サンディは御者台から飛び降りた。
「⋯⋯おじーちゃん!?」
そして、門のそばに佇んでいた人物に駆け寄り、そう叫んだ。
サンディが祖父と呼んだ老年の男性の名は、カシム・クレイソン。
つば広の黒い帽子を被り、上品なスーツに包んだ痩身。杖をついているが、その背筋はまるで一本杉のように真っ直ぐ伸びている。
「久しぶりですね。待ちきれなくて、こちらから来てしまいました」
穏やかな微笑みを浮かべたカシムは、サンディに向かって杖を軽く掲げる。
「お、おじーちゃん、ごめん! 私これから仕事が入っちゃって……」
「おや、そうだったのですね。あのお方も酷い御人だ、孫との時間を邪魔するとは」
「ごめんね……。これからリンゼルまで行かなくちゃなの。また今度、必ず時間を作るから――」
サンディが言い終えるや否や、カシムは軽い足取りでマナカーゴへと向かい、御者台へと飛び乗る。
「では、一緒に行きましょうか。リンゼルには旧知もいますので、小旅行がてら、顔でも見に行くとしましょう」
「……うん!」
カシムが微笑みながら言うと、サンディの顔が、ぱあっと明るくなった。
サンディは大急ぎで御者台に乗り込み、マナカーゴを発進させた。
「仕事は大変ですか、サンディ」
「うん。でも、私がやらなくちゃならないってのも分かってるんだ。クレイソン家の剣は、もう私しかいないんだから」
学園都市へと向かう道中、祖父と孫は会話を続ける。
先程まで呪詛を吐いていた姿とは打って変わり、サンディの表情は穏やかだった。
「ウェンディが旅立ってから、もう十年ですか。時が経つのは早いものです」
「もー、本っ当に信じらんないよね! もしお姉ちゃんが帰って来る事があったら、まずビンタしてやるんだから!」
「ほっほ、では私は百叩きでも。……しかしサンディ、辛ければ、いつでも辞めて良いのですよ」
「……え?」
「確かにクレイソン家は、代々あの御方に仕えて来ました。しかし、お前が滅私奉公を貫いてまで継続させる必要はないと、私は考えています」
その言葉を受けたサンディは、進行方向を見やったまま、首を横に振った。
「……ううん、大丈夫。おじーちゃんがそう言ってくれただけでも頑張れるよ、ありがと」
「そうですか⋯⋯。そうそう、そう言えば、学園の理事会より書簡が届いたのですよ」
「うん? どんな?」
「端的に言えば『学園で剣を教えてみないか』という事でした。ほっほ、よほど前回の不戦敗が悔しかったと見えます」
「ああー、剣術大会ね。そりゃあね、東大陸一の学園が、ただの一人も選手を出せなかったんだから。剣術を習う人口が、最近どんどん減ってるみたい」
ウェンディは可笑しそうに、からからと笑う。
「じゃあ、おじーちゃんはもう、誰かに剣を教えるつもりは無いの? 」
「そうですね。ふむ、しかし、素質がある子供でもいれば。もしくは、本当に必要としている者にこそ、剣を教示したい」
「ふうん⋯⋯でも、本当に必要としてるかどうかって、どうやって見定めるの?」
『カシムに剣を教わった』となったら、それだけで箔がつく。
かつて東大陸に留まらず、世界に名を馳せた剣聖――今は洋裁店の店主だが――その弟子と言うだけで、このウィンガルドでは一目置かれる存在になれる。
弟子の称号が欲しいだけで、名乗りをあげる者は掃いて捨てるほど居るだろう。サンディはそう考えた。
「私の主観です」
「主観って。結局おじーちゃんが気にいるかどうかって話なのね」
「ほっほ。⋯⋯ですが、少し焦ってもいるのですよ。『レヴィン』を継ぐ者が、いない」
「レヴィン⋯⋯もう一つの剣術だっけ。あれ、でも、少数だけど使い手はいるよね?」
サンディは首を傾げる。彼女は短剣と長剣の二刀流である『イルシオン』だけを修め、大剣一刀流である『レヴィン』は習っていなかった。
そしてウィンガルド国で剣を習う者は、大多数が同じだった。
動きが鈍く、一撃に全てを賭けるレヴィンは使い勝手が悪く、不人気であった。
「本当の意味で、ですよサンディ」
「意味って⋯⋯?」
「ほっほ、お前もまだ未熟ですね」
「もー、なによー!」
サンディは頬を膨らませながら、マナカーゴを走らせ続ける。
同時刻――南から、黒い巨躯が北上を始めた。
***
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