慰謝料を請求しよう

 ***



『いいかいパティ、領主様のお屋敷に遊びに行くのは坊っちゃんのご厚意だけど、あまりご迷惑をおかけしてはいけないよ』


『ごこーい⋯⋯?』


『ああ、うん。つまり、坊っちゃんとお嬢さまが困らせてはいけないよ。分かったね?』


『うん! ところでお父ちゃん、シャーフとケッコンするにはどうしたらいいの?』


『ケッ⋯⋯結婚!? ケケケケ、結婚ン!?』


『お父ちゃん汚い⋯⋯スープこぼれた⋯⋯』


『あ、ああ、いや……。だがほら、ログナのとこのせがれとか、男の子は他にもいるぞ?』


『やだー! アリとかデブだもん!』


『お、おう……。だがなあ、坊っちゃんとは身分が……』


『あたし、シャーフとケッコンできないの……?』


『うっ……泣くんじゃあないよ……。そうさなあ、パティがこれからも坊っちゃんに迷惑掛けずに良い子にしていたら、将来的には、もしくは……』


『ほんと!? シャーフにめいわくかけなかったらケッコンできるの!?』


『え? あーいや、そう、だな? だからパティ、坊っちゃんとお嬢さまにご迷惑は』


『うん!! あたしいいこにする! それからシャーフをゆーわくして、メロメロにしちゃうね!!』


『ゆっ……誘惑!? 待ちなさい、どこでそんな言葉を!?』


『サムのお兄ちゃんが言ってたー。都会のデキる女はそうするってー』


『おのれマイノルズ……大事な一人娘になんて事をォ!!』


『お父ちゃん汚い……食べかす飛んだ……』



 ***




 少女――パティは誰よりも先に目を覚まし、隣のベッドで寝ているシャーフの姿を見つけた。


 震える指で少年の仮面を外す。その下にはよく見知った、整った顔があった。しかしその頬はやつれ、目の下には深々と隈が刻まれていた。


 今までどれほど、自分の為に苦心していたのか。蘇る記憶。もう戻らない恩人の事も同時に思い出し、パティは堪らずその場から逃げ出した。



 遥か昔――父親との団欒を思い出しながら、パティは町の中をひた走る。


 どこに行くのか、パティ自身にも分かっていない。


 ただ――。


『迷惑を掛けなければ――』


 ――ならば自分はもう、結婚どころか、そばにいる資格すらない。パティはそう思っていた。

 燃え盛る故郷の風景と、シャーフの顔が交互に浮かび、パティの胸を締め付けた。


「ごべん、なざい⋯⋯ごべんなさいぃ⋯⋯」


 顔をくしゃくしゃにしながら走り続け、やがてパティは町を流れる川辺に辿り着く。息を切らしてしゃがみ込むと、涙が水面に落ちた。


「⋯⋯⋯⋯うぅ」


 水面に映った自分の姿を見て、酷いものだと自嘲的な笑みが浮かぶ。


 中等部に上がる折、父親に無理を言って、近くの町まで行って切ってもらった髪。

 アンジェリカの様にフワフワにしたい。かなり梳いて貰って、シャーフに褒められた髪はグシャグシャに乱れていた。


『パティちゃん、いらっしゃい。お姉さんが髪を整えてあげる――』


 あの優しいウェンディも、もういない。

 自分の治療費を稼ぐ為に、砂漠の遺跡に向かい、還らぬ人となった。


「う⋯⋯あぁ⋯⋯ごめんなさい、ごべん、なざい⋯⋯」


 沢山の人の死が、その小さい背中にのし掛かる。


「貴女が何に謝罪しているか分かりませんが――」


 背後からかかった声に、パティはハッとする。

 水面にはもう一つ、自分以外の顔が映り込んでいた。

 その顔に見覚えがあったパティは、急いで振り返る。


「ウェンディ⋯⋯さん⋯⋯?」


 そこに居たのは、白金色の髪をシニヨンに纏めた、給仕服エプロンドレスを着た、見目麗しい女性だった。


「何故、その名を⋯⋯? や、今はどうでもいっか。私はサンディ・クレイソン。貴女はシャーフ・ケイスケイ様のお連れ、パティ様ですね?」

「ウェンディさんじゃ、ないの⋯⋯?」


 パティがそう首を傾げても不思議では無いほどに、彼女の瞳に映る目の前の女性は、恩人に瓜二つ――そう見えた。


 もし今が昼で、パティの目が涙に潤んでいなければ、きっと微かな差異に気付けた事だろう。

 サンディが、ウェンディよりも一回りほど歳若く、口調も僅かに荒いことに。


「チッ⋯⋯いいから答えてくれない? 赤毛の、ほっぺがぷにぷにの女の子! 貴女はパティでしょ!?」

「はひっ、そうでふっ」

「⋯⋯おっと言葉が。失礼、それではシャーフ・ケイスケイ様の元へお目通し下さい」


 突然豹変したサンディに面食らい、パティは泣き止んだ。


「え、ええと⋯⋯でもあたしは、シャーフのそばにいる資格がなくて⋯⋯」

「はいぃ? ちょっと意味が分からないんだけど? 説明して貰えますかね?」

「あっ、ごめんなさい⋯⋯つまり――」


 パティは促されるまま、サンディに自分の胸の内を語った。


「――はあ。そのシャーフに迷惑をかけ過ぎたから、と……。馬鹿じゃないの!?」

「えっ、ひどい」

「酷いのは貴女でしょ! だってそのシャーフは、貴女の為に酷い目に遭いながらも、西大陸からここまで来たんでしょ? それで治った瞬間、元気な姿も見せずに逃げ出すって。いくら貴女が幼いにしても、思慮が足りなさすぎるんじゃない!?」

「うぅ……うあぁん……」

「……あ、やっべ。うそうそ、今の嘘ね。誰でも一時の感情で動いちゃうことなんてあるよ、うん、あるある。私の姉なんて、地位を蹴って男と駆け落ちしたもの。だから泣かないで? ほらー、ほっぺぷにぷにー」


 うずくまって丸まったパティ。サンディはその背中を優しく撫で、ついでに頬をつまむ。


「ね? だからほら、その少年も心配してるだろうから戻ろ? 元気な顔見せてあげようよ、ね?」

「うどぅ……もどどぅ……」

「うどぅって。で、シャーフ・ケイスケイはどこにいるの?」

「あっでぃ……あのおでぃど……」

「あっち、お城……なるほど、リンゼル魔法学園。これは手間が省けたわ」


 サンディは荷物袋のようにパティを抱え上げる。


「さあ行きましょう。マナカーゴに乗って……というか泥だらけじゃない。丁度いいから着替えちゃいましょう」

「えっなにっ? ぬ、脱がさないでぇ……!」

「暴れるんじゃあないわよ、大人しくしなさい!」


 パティは川辺に停めてあったサンディのマナカーゴに収容され、リンゼル魔法学園まで連行された。



 ***



「パティ……! 捜しに行くぞ、ゼラ!」

「もちろんですとも」


 空っぽのベッドを見て、全身の血の気が引いていくようだった。

 もしかしたらトイレかもしれないが、それなら俺やゼラを起こすだろう。

 わざわざパティが一人で出て行くなど――。


「も、もしかして、誘拐……!」

「なんと……」

「うちのパティは可愛いから可能性は高い!」

「なんと」


 クソッ、こんな事ならパティが起きるまで耐えればよかった!

 俺とゼラは保健室を出て、学園の外へと飛び出した。


「ゼラ、お前は高い所から捜してくれ! 俺は――」

「あ」


 城門、いや校門を出た瞬間、俺の身体は何か大きなものにぶつかって吹き飛んだ。

 空中で綺麗に錐揉み回転しながら、最悪の角度で頭から着地する。

 確実な死を迎え、しかしすぐさま蘇り、起き上がる。


「……なんなんだ……」


 サラマンダーに跳ね飛ばされた時を思い出す。

 いや、それよりも前世でトラックに轢かれた時の方が近いと言うか……。


「おお、シャーフ後輩が生きてます。マナカーゴにはねられても無事とは、これもウェンディの訓練のたまものでしょうか」

「なに……俺、マナカーゴにぶつかったの……?」


 ゼラが俺のそばにしゃがみ込み、助け起こしてくれた。

 そして指差した方向には、豪奢な装飾がなされたマナカーゴが停車していた。

 というより、無理矢理ブレーキを踏んだのか、土の地面には深々とタイヤ痕が残っている。


「うちの後輩を轢いてくれるとはふてえ輩ですね。いしゃ料を要求します」


 マナカーゴから降りてきた運転手に対して、ゼラが当たり屋の様なセリフを吐く。

 この世界の道交法がどうなっているのかは知らないが、確実に非は向こうが十割だ。俺でなかったら死んでいた。俺でも死んだが。


「も、申し訳ありません! まさか夜の学校から人が飛び出してくるとは……」


 そして、頭を下げた運転手が顔を上げた瞬間、俺とゼラは同時に息を飲んだ。


「ウェンディ……?」


 給仕服エプロンドレスを着たその女性は、ウェンディにそっくりだった。

 いや、ウェンディよりも若い。背も低めだ。差し詰め、ウェンディの親族か何かだろうか――。


「い、生きていたのですねウェンディ……うおお……」


 ゼラはまるでゾンビの様な足取りで、ウェンディ(偽)へ歩み寄る。

 それを受けたウェンディ(偽)は、先程までの申し訳なさそうな表情を一転させ、眉根に皺を寄せた。


「だーかーら、私はウェンディじゃないっての! 何で今日はこんなに間違えられるのよ! はーうっざ! やってらんねーわバーカ!」

「おっふ」


 突然の暴言に、ゼラの歩みが止まる。

 錆びた歯車のように、ギギギと首だけこちらを振り向いた。


「……シャーフ後輩、この人はウェンディではありません」

「ああ、まあ、そうだろうな」

「ガッカリしました。いしゃ料を払ってください」

「あんたらが勝手に勘違いしたんだろーがボケ! 慰謝料? あーあー、いくらでも払いますわよ! その前にちゃっちゃと、こっちの仕事を片付けさせてよね!」


 なんて口の悪い偽ウェンディだ。

 真ウェンディは物腰柔らかで優しい女性だったのに、これでは血の繋がりがあるかどうかも怪しい。


「はーもう、こっちは寝ないで来てるってのに。丁度いいわ、あんたたち、この学園にシャーフ・ケイスケイってのが来てるはずなんだけど、どこにいんの?」


 俺は手を挙げる。

 偽ウェンディは口を「は?」の形に開き、しかし言葉を発する前に俺の姿を見て固まった。


「帽子、金髪、仮面、マント……。あれ? 私が轢いたのって、もしかして」

「俺ですが」

「…………ぐぅ」


 偽ウェンディは、ぐぅの音を吐き、その場に膝をついてしまった。

 謝ったり逆ギレしたり落ち込んだり、忙しい人だ。

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