学園都市に向かおう

 ***



「…………」


 夜になった。

 川の流れはやっと勢いが弱まったが、誰かが橋の修理に来ると言った事もない。

 俺は見張りをゼラに任せ、川辺に向かった。


「君のその帽子」

「⋯⋯ッ!? ⋯⋯あなたか」


 背後から男の声がかかる。


「まだ名乗っていなかったね、僕はハイドレイと言う。ウィンガルドの……商人だ」

「俺はシャーフ・ケイスケイです。訳あってウィンガルドを目指しています」

「あの赤毛の女の子の事、かい?」


 男――ハイドレイさんは、カマをかけているだけかも知れないが、俺の目的をピタリと言い当てた。


「何故それを?」

「背格好を見るに十歳くらいかな。それにしては⋯⋯失礼な言い方だが、情緒や言動が幼すぎる様に見えた。先天的にそうなる人も居るが、あの子は恐らくマナで生成された炎を全身に浴び、精神を火傷したのだろう」

「⋯⋯パティは魔炎障害と診断されました」

「そうだね。外面の火傷は治れど、精神はウィンガルドの魔法薬でしか⋯⋯」


 ⋯⋯外面の火傷?

 パティは燃え盛る瓦礫の下敷きになったが、確か火傷は負っていなかったような。

 まあ、いい。外傷がないに越したことはないのだから。


「ハイドレイさんは、どうして南大陸に?」

「僕は⋯⋯旧い友人がサンドランドに居るとの情報を掴んでね。会いに行く所だったのだが⋯⋯。荷物も足も失ってしまったから、一度ウィンガルドに帰るしかないね」

「よければ乗って行きますか?」

「良いのかい? 自分で言うのもなんだが、僕の格好はかなり怪しいよ? こんな仮面なんて着けているし」

「それは俺も一緒です。姿を明かせない理由があるんでしょう」


 と言っても、俺は特に理由も無いのだが。

 強いて言えば、女神から分不相応な容姿を与えられたので、目立たない様にする為だ。


「しかし、問題はどうやってウィンガルドに行くかだね。修理の手も回っていないし、山を迂回するとなると……」

「心配いりません。最短の道を通りましょう」

「……いくら流れが弱まったとはいえ、マナカーゴで川を渡るのは無理だよ?」

「流石にそんな破天荒な事はしませんよ……おっと」


 ふいに鼻の奥から血が伝う。

 俺はそれを手の甲で拭い、『ヴェーナ大橋』を指差した。


「明日の朝までには通れるようになるでしょう」

「な……!?」


 ハイドレイさんが驚きの声を上げる。

 俺が指差した先――崩落した橋の入り口では、地面から生えた数十本の腕が、岩を運び、瓦礫を撤去し、近くの木を切り倒し、丸太を組み上げていた。


 というか俺が操作しているのだが。土の魔法師カーミラさんから貰った魔法で、突貫工事中である。

 川岸から、橋の崩落していない部分までを繋ぐスロープを作り、勢いをつけて突破しようと言う目論見だ。


「これは……キミがやっているのかい?」

「建築のノウハウは無いのでかなり適当ですが、一度だけ通れればいいなら何とかなる……と思います」

「見たことが無い魔法だ。キミは魔法師ギルドの所属かい?」


 魔法師ギルド――魔晶や魔法具を作ったり、新たな魔法の研究をしている所だ。


「いえ、違います。この魔法は⋯⋯まあ、少し色々ありまして」

「そうか……いやしかし驚いた。こんな高度に土を操作できる魔法など⋯⋯リンゼル学院の教授でも居るかどうか⋯⋯」


 しきりに褒めそやされ、段々と尻の座りが悪くなって来る。


「シャーフ君、キミはこれを独学で?」

「いえ、ある人に⋯⋯」

「ほう! 南大陸から来たと言っていたが、そこの魔法学園かなにかかい?」

「い、いえ、ある魔法師から個人的に⋯⋯」


 そういえばサンドランドに学校ってあったっけ。確認はしてないがきっとあるのだろう。


「ふむ⋯⋯土や岩で腕を生成し、自在に操る⋯⋯しかもその強度、膂力は人の何倍もある⋯⋯」


 ハイドレイさんは工事風景を見ながら、しきりに頷いている。

『プリティヴィーマータ』の性能は概ねその通りだ。あまり使いすぎると、マナリヤがマナを吸収しすぎて中毒になりかけるという欠点はあるが。この辺は俺の習熟度の問題だろう。


「⋯⋯シャーフ君!」

「は、はい?」

「キミはあの子⋯⋯パティ君を治療したら、南大陸に戻るのかね?」

「いえ。少なくとも生活が安定するまでは、ウィンガルドのどこかで暮らそうかと」


 パティの治療経過にもよる。

 それに住居の確保、生活の安定、パティの学校――様々な要因が解決したら、北大陸に行こうと思っている。

 そこにはアリスター、ノット、サムの三人が居る。孤児院に引き取られた彼らの安否を確かめ、必要ならば俺が引き取るまで考えていた。


「なるほど、それは良いね。暮らすならオススメの街がある。『リンゼル学園都市』と言うんだがね」

「学園都市⋯⋯ですか?」

「ああ。ウィンガルド最高峰の魔法学府がある街だよ」


 ――つまり、そこは俺が目指している場所だった。

 そこにいる魔法薬学の権威、ダンタリオン氏を訪ねろと、ウイングの手紙に書いてあった。


『リンゼル学園都市』――俺は工事の手を止めないまま、地図を開く。

 すると隣からハイドレイさんの指が伸びてきて、東大陸の一点を指した。


「ここだ。リンゼル魔法学園の校舎はウィンガルド王家の古城を利用していてね、学園都市もかつての城下町だ。数多くの魔法師ギルドも集中している、ウィンガルドの心臓部だ」

「なるほど、ここに行けば⋯⋯」


 しかし――そんな重要な都市ともなると、物価も家賃も高そうだなあ⋯⋯。

 パティはもちろん、アンジェリカが見つかれば彼女も。場合によっては三馬鹿も。

 合計五人を養うとなると、俺は不眠不休で働かなければならない。

 出来れば、身の丈に合った街がいいんだが⋯⋯。


「⋯⋯ひとまず、目的地は学園都市にします。ハイドレイさんはどちらまで?」

「ああ、僕は通り道にある王都ウィンガルディアで。そこで謝礼も渡そう」

「いえ、謝礼なんて⋯⋯。ただ、ハイドレイさんは商人でしたっけ? 少し、安めの物件を斡旋して貰えたらなー⋯⋯なんて」


 ハイドレイさんが何を扱う商人か知らないが。

 そして、冗談のつもりで言ったのだが、それを聞いたハイドレイさんはくっくっと笑い、頷いた。


「お安い御用さ。期待していてくれたまえ」

「あ、いや、軽い冗談と言いますか」

「良いんだよ、こっちは命を救ってもらったのだから。むしろ足りないくらいさ」


 おお⋯⋯情けは人の為ならずとはこの事か。


「では、申し訳ないが僕は少し休ませてもらうよ」

「はい、ごゆっくり」


 ハイドレイさんはマナカーゴの方へ歩き去ろうとして、立ち止まった。


「⋯⋯ああ、ひとつ。その帽子――」

「⋯⋯はい?」

「ウィンガルドの、とある洋裁店で作られているものなのだけど、キミはどこでそれを?」


 俺は帽子を脱ぎ、胸に抱いた。


「――大切な、恩人から」

「⋯⋯そうか。ありがとう」


 ハイドレイさんは振り返らず、そのまま去って行った。




 ***




 翌日。

 丸太と岩を組み合わせて作ったスロープを駆け上がり、マナカーゴは橋の上に乗り上げた。

 しかし、通った瞬間にスロープは崩壊し、残骸が川を流れて行き、思わず冷や汗をかいた。


「⋯⋯あっぶな」

「見たところここから橋の終点までは無事です」


 助手席に座るゼラが、手で双眼鏡を作りながら言う。良かった。こいつの視力なら信用できる情報だ。


「今度こそお魚料理です。よくやりましたねシャーフ後輩」

「いや、もともとこの近辺で一泊だけする予定だったから、漁村には寄らない。このまま休憩なしで行くぞ」

「⋯⋯⋯⋯は」


 ゼラは何か言いたそうにしていたが、荷台で寝込むパティを見やり、口を噤んだ。


「王都に着いたらなんでも食って良いから」

「⋯⋯いいです」

「す、拗ねるなって」

「そうではありません。私もバカでした。まずはそのリンゼル学園都市に行くことが最優先です」


 俺は驚き、思わずゼラを振り向く。


「前を見ないと危ないです」

「あ、ああ、悪い⋯⋯。なあ、なんでゼラはそんなにパティを⋯⋯」


 気にかけてくれるんだ――?


「⋯⋯私はこの通り、表情が変わらないくーるびゅーてぃです」

「は?」

「食い気味に聞き返さないでください。私はこの通り、自分の容姿には自信がありますが、パティ子みたいなよく笑ってよく泣く子がたまに羨ましくなるのです」

「ふーん⋯⋯?」

「友達とは、お互いの足りないところを補い合うものだと。昔、酔っ払ったウイングが言っていました」


 酔っていたのか⋯⋯。

 つまり、ゼラは笑ったり泣いたりしたいから、パティと友達になりたいって事か。

 よくわからないゼラ論だが、全くわからない訳でもない。


「良いんじゃないか。パティと一緒にいれば、ゼラもそのうち泣けるようになるんじゃないか。パティが治ったら、改めて友達になれば良い」

「ちなみに、病気になる前のパティ子はどんな子だったのですか」

「うん? そうだな⋯⋯」


 魔炎障害に罹る前のパティか。

 事あるごとに求愛して来た、と言うのは置いておくとして⋯⋯。


「明るい子だったよ。あと、泣き顔がブッサイクだったな」

「それは今もです」

「酷いなお前⋯⋯」

「シャーフ後輩が言いますか」


 寝込んでいる本人を前に、お互い酷い言い草である。

 おかしくなり、俺は肩を揺らして笑った。


「ふふふー」


 ゼラは人差し指で口角を持ち上げ、平坦な笑い声を上げる。


「⋯⋯⋯⋯どうした?」

「笑う練習です。パティ子が治ったら笑顔で迎えるのです」

「あ、そ⋯⋯」


 俺は果たして、どんな顔でパティを迎えるだろうか。

 笑顔で迎える事が出来るだろうか。

 それとも――


「友人、か⋯⋯」


 同じく御者台に座っていたハイドレイさんが呟く。

 この人は旧い友人に会いに南大陸に行く途中だった。その人物に思いを馳せているのだろうか。


「シャーフ君とゼラ君は仲が良いね」


 ハイドレイさんが前を見たまま、羨むように言い、俺は肩を竦めた。


「⋯⋯話は変わりますがハイドレイさん、『バストロ農場』をご存知ですか?」

「ああ知っている。それならリンゼル学園都市内にあるよ。学生や魔法師ギルドの農業試験所だね」


 俺は礼を言い、前方に集中した。

 これで全てのピースが揃った。そこで『新月に採れた桃』を譲ってもらい、ダンタリオン教授のもとに行けば良い。

『サラマンダーの卵の殻』は、もうある。

 オンボスの檻で、瀕死のウイングに使おうとした薬――あれは今俺が持っているのだが、あれこそが卵の殻を薬にしたものだった。


「バストロ農場に何の用があるんだい?」

「桃を⋯⋯」

「ほう、シャーフ君は桃が好きなのか」

「いえ、そうではなく⋯⋯好きは好きですが」

「桃は我が国の名産だからね。今はちょうど収穫の時期だから、瑞瑞と実った桃が取れるだろう」


 それは良い。

 きっと、よく効いてくれる事だろう。


 やがて関所を抜け、夜通しで走ると王都ウィンガルディアに辿り着いた。

 巨大な漆喰の城壁に囲まれた王都の入り口で、ハイドレイさんはマナカーゴから下車する。


「いや、本当にありがとう。礼は必ずリンゼル学園都市まで届けるよ」

「はい、待っています。では俺たちはこれで」


 王都に寄りたい気持ちもあったが、寄り道はしていられない。まずはリンゼル学園都市にたどり着く事が最優先だ。

 道中、ハイドレイさんからはお礼に宿を取ると言われたが、それは固辞した。

 また、ここに来るまでにかかった食費や燃料代もと言われたが、それもだ。


「⋯⋯本当に良いのかい? このまま別れて、僕はそのまましらばっくれるかもしれないよ?」


 ハイドレイさんは呆れたように、困ったように言う。


「この仮面で素顔も分からない、ハイドレイと言う名も偽名かも知れない。何か、証書でも書こうか?」

「これから騙そうって人が、証書なんて書こうなんて言わないでしょう。信じてますよ」


 側から見れば、俺の判断は間抜け以外の何者でもない。

 所詮一日ちょっとの付き合いだ。この仮面の商人を心から信用するには、あまりにも短い期間である。

 だけど、いいんだ。


「⋯⋯ふう。そこまで言われたら、僕もみっともない所は見せられないな。これを」


 ハイドレイさんは外套の中に手を突っ込むと、何かを投げて寄越した。


「これは⋯⋯?」


 それはチェーン付きのボタンだった。カフスボタン、カフリンクスと呼ばれる、カフスを留めるためのものだ。

 純金のボタンには、羽を模した意匠が彫られており、かなり高級そうだ。


「約束の証だ。もし僕が約束を果たさなかった場合、それを売れば良い。纏まった額にはなるはずだよ」

「担保って事ですか」


 それでハイドレイさんの気が済むのであれば――と言う事で、ひとまず受け取っておくことにした。


「じゃあ僕はこれで――また会おう」


 ハイドレイさんは踵を返す。

 俺はそれを見送ることなく、マナカーゴに乗り込み、リンゼル学園都市に向けて発進させた。


「すごいお出迎えの数です」

「ん?」


 しばらく走った後、後方を見ていた荷台のゼラがそう呟いた。


「どうした?」

「あの仮面オジサンです。たくさんの人に出迎えられています」

「相変わらず視力がいいな⋯⋯」


 泥に汚れていたところを除けば、かなり良さそうな身なりだったし、商人ギルドか何かの重役――そんなところだろうか。


「ところでシャーフ後輩、本当に『しょうしょ』を貰わなくてよかったのですか」

「良いさ。自由の翼団は、そうでなくっちゃ」

「そんなものですか」

「そんな理由ものだよ。俺もパティもゼラも、そうだっただろ」


 俺がそう言うと、ゼラは少し首を傾げた後、


「そうですね」


 と言った。

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