東へ向かおう

 ――三日後。


 一介の冒険者集団が死んだ事など、何の話題にもならなかった。

 冒険者は常に危険と隣り合わせの職業で、どこの誰がいつ死のうが、それは日常茶飯事に過ぎない。

 誰かの悲しみは確かにあるが、それも大きな流れの中ではいずれ消えていく。


 しかし、ジンダール王子が亡くなったというニュースだけは、瞬く間に王都中を駆け巡った。

 アーリアが証言した通り『オンボスの檻』は半壊、埋没しており、無事であった小部屋からは王子の首無し死体が発見された。


 なぜ首が無いのに判別できたかだが、王子行きつけの娼館の娼婦たちに『体のある部分』を見せたら口を揃えて『間違いない』と証言した⋯⋯というのはゴシップである。


 そのニュースに、人々は表立ってはいないが、安堵している様子だった。


『これで王位継承はアーリア王女に』


 嬉々として口々に囁かれるほど、ジンダール王子の評判は民からも、王宮内からも低かったらしい。



 ***



 その一方で俺は、出立の準備に追われていた。


 まず、冒険者ギルドにウイングとウェンディの死亡届を出さなくてはならなかった。

 誰かが冒険者証を悪用しない様にするため、同じ冒険団の者はそうしなくてはならないらしい。

 二人の冒険者証は失効し、本来ならギルド側で処分されるらしいが、悪用しない旨の念書を書いて引き取らせてもらった。


 それから食料と水の補給。

 パティとゼラがなぜあの場所に、どうやってマナカーゴを駆って現れたのかは分からないが、とにかく食糧や魔道具が全てめちゃくちゃになってしまった。

 分からない――というのも、ゼラはあれから無口を貫いていた。

 パティは言わずもがな、聞こうとしても俺を避ける。

 あとは武器の調達だ。

 俺の武器は短剣を残して、全て壊れてしまった。


 そうそう、王女様を連れて迷宮に行った件だが、唯一の生き残りである俺はお咎めなしだった。

 というのも、迷宮にはアーリアだけで行った事になっており、俺は偶然アーリアを拾って王都に帰還した⋯⋯という事になっている。

 ここで牢獄にぶち込まれて足止めを食らうわけにはいかないので、有り難い計らいだ。


 そしてアーリアとは、王都に帰還して以来会っていない。

 恐らく王子の死亡という大事件が起きてから、王宮を出ることが難しくなったのだろう。

 護衛報酬の金貨五百枚だが、当然払われていない。

 それについては王宮からアーリアを助けた謝礼金として纏まった額を頂けたので、東大陸までの路銀はどうにかなるだろう。


「はいよお兄ちゃん! 酒はどうだい?」


 買い物を済ませて宿に戻る道中、いつの間にか貧民街に踏み込んでいた。

 屋台の店主に声を掛けられ、酒がなみなみと注がれたコップを差し出される。


「未成年なんで」


 それを断って歩を進める。

 時刻は夜、相変わらず活気に満ちた貧民街だ。


「いやーしかし、これでアーリア様の王位継承が⋯⋯」

「亡くなった王子は気の毒だけどよお⋯⋯」

「それでも、おれらを民として扱ってくださってる王女様よ⋯⋯」

「砂漠の戦姫に⋯⋯乾杯!」

「はっはあ、乾杯!」


 道端では酒盛りが行われ、消える事のない篝火が街路を照らしている。


「⋯⋯ここは」


 ふと足を止めると、アーリアと仕事の話をした酒場が目の前にあった。


「⋯⋯ッ」


 目の奥がツンと痛む。

 あの時、俺が軽率に依頼を受けなければ、二人は生きていられたのだろうか。


「分かっているんだ⋯⋯」


 過去を悔やんでも仕方がないのは分かっている。

 でも――二枚の冒険者証を握りしめる。

 あまりにも喪ったものが大きすぎた。

 前だけを向こうと誓った。

 だけど去来する喪失感が、俺の首を掴んで離さない。


「⋯⋯行かなきゃ」


 悔恨に囚われたら動けなくなる。

 今夜中に出発する予定なのだから、こんな場所で油を売っている場合じゃない。

 踵を返すと、後頭部に固いものが当たった。


「痛っ⋯⋯なんだ?」


 地面に落ちたそれを拾い上げる。茶色の小さな塊は、サンドランド産のロックケーキだった。

 ケーキの土を払いながら、飛来元であろう酒場に向かい、扉を開く。


「⋯⋯会えるとは思ってなかったわ」

「アーリア⋯⋯!?」


 真っ暗な店内、そこにいたのはアーリアだった。

 薄汚れた冒険者の装いではなく、高級そうな寝巻きに身を包んでいる。ボロボロの椅子の上で体育座りをし、膝の上にはロックケーキが乗った皿を持っている。

 一体、どうやってここまで来たのか。


「この酒場、王宮の地下と繋がってるの。とはいえ、今は厳戒体制だからタバサに身代わりを頼んでいるけど」


 アーリアは足で、床の板張りがされた部分をコツコツと叩く。


「あ、ああ⋯⋯早く戻った方がいいぞ」

「これ、まだ渡してなかったわ」


 アーリアはそう言って、テーブルの上に置かれた革袋を指した。

 大きく膨らんだ革袋。表面の凸凹を見るに、恐らく金貨が詰まっているのだろう。


「⋯⋯⋯⋯」

「受け取って」

「貰えるものは貰っておく、が⋯⋯」


 どうにも、それだけではないらしい。

 俺に金を渡すのであれば、なんとでも理由をつけて遣いを出せば良いのだ。

 会って話したい、何かがあるのか。


「シャーフ、私⋯⋯謝らなく」

「ウイングとウェンディの事なら、アーリアは何も悪くない」


 食い気味に言葉を被せる。

 アーリアはオンボスの檻から王都に戻るまで二人のことは口に出さなかったが、この少女のことだ。気に病んでいないわけがないと踏んでいた。


「アーリアは、悪くない」


 そして、それは全くのお門違いだ。

 確かに、こじつければ遠因と言えるかもしれないが、そもそもマルコは俺を追ってきたのだ。

 それに、原因を追求したところで、二人はもう――。


「⋯⋯⋯⋯そういうことだから」

「⋯⋯⋯⋯うん」


 ⋯⋯とにかく、俺は誰を恨んでもいない。

 マルコも既にこの世にはいない。暴走したマナカーゴに轢き潰され、形すら残らなかったのだから。

 恨む相手がいないのなら、ただ偲ぶだけだ。


「⋯⋯ねえ、お前はこの国をどう思う?」

「⋯⋯それは、オンボスの檻で見聞きした歴史を知って、どう思うかって事か?」


 アーリアは首肯する。


「⋯⋯酷い話だと思う。魔法の力量の多寡で差別をする風習なんて、無くなればいい」

「うん⋯⋯」

「アーリアも同じ考えなんだろ?」


 しかし、今度は首を横に振った。


「私は⋯⋯分からなくなったわ。母が貧民街に生まれたから私はここにいて、でも私は母を追いやったこの国が嫌いで⋯⋯」

「それは⋯⋯」

「こんな私は、王族という身分を享受する資格があるのかしら。今の私の立場が母の犠牲の元で成り立っているなら⋯⋯」


 揺れている。

 自分の出自に。

 母への憧憬に。

 それでもきっと、他に王位継承者がいない以上、アーリアの取れる道は一つしか無いのだろう。


『――アーリアを、お願いね』


 ⋯⋯全くどいつもこいつも、軽々しく重たいものを託して来やがる。

 俺は荷物を下ろし、アーリアの両肩に手を置いた。


「この酒場に来るまでに、貧民街を見てきた。決して暮らしは豊かとは言えないが、人々の顔は貧しくなかった」

「⋯⋯⋯⋯え?」

「アーリアとマウロさんが築き上げたものだ」


 アーリアは冒険者稼業の報酬を、貧民街の整備に充てていた。

 決してそれだけでは無いのだろうが、あの活気の源は『砂漠の戦姫』の活動によるものが大きいだろう。


「君はこれから王位を継ぐ事になるんだろう。君が民を導くならば、きっともう、カーミラさんのような悲劇は起こらない」

「そ⋯⋯んな」

「君たち母娘おやこは、たった二代で長く冷たい差別の歴史を変えた。俺は、君を尊敬する」


 アーリアは目を丸くし、少しだけ俯き、それから顔を上げた。

 その顔は――バツの悪そうな表情を浮かべていた。


「⋯⋯もう。私も旅に連れてってって言おうとしたのに、お前は本当に可愛く無い子供ね」


 そして、べぇ、と舌を出した。


「⋯⋯は?」

「はーあ、私の寝巻き姿を見せてもなーんにも反応しないし。こりゃダメね」

「⋯⋯はあ?」

「肩を掴まれた時はちょっと期待したわ。『アーリア⋯⋯俺と一緒に来い』とか言うのかと思ったのに」


 あー、つまりこいつは、まだ『自由の翼団』加入を諦めていなかったのか。

 可愛く無い子供ガキはどっちだ。どこまでも強かなお姫様だこと。


「――でも、そうね」


 アーリアは椅子から飛び降り、板張りされた床を乱暴にこじ開けた。


「きっと、ここが私の場所なのね。母が生まれ育ち、私が豊かにすべき、私の国」


 その笑みからは、先ほどまでの気弱は読み取れなかった。

 さっきまでが演技だったのか、それとも今が強がっているだけなのか。

 分からない、が、どちらにせよ本当に強い娘だ。


「あー⋯⋯まあ、なんだ。俺は多分、しばらくは東大陸に居ると思う」

「⋯⋯⋯⋯?」

「だから、お互いに成人したら、酒でも飲みに行くか。ほら、先の楽しみがあったらお互い頑張れるだろ」


 もう、これくらいしかなかった。

 失笑を買う覚悟で、少しでも慰めになればと思って言った言葉ギャグだったが、アーリアは――。


「――それ、良いわね。ちゃんと覚えておいてね、シャーフ!」


 白い歯を見せてはにかみ、歳相応な笑顔を浮かべた。


「⋯⋯って、私は二年後だけど、お前は五年後じゃない! 私を三年も待たせる気!?」

「いやそこは次期女王様の権限でサンドランドの法律をですね」

「⋯⋯父上に相談してみようかしら?」


 二人でくっくっと笑い合う。

 やがて夜のしじまに笑い声が溶けて行き、遠くからの喧騒だけが、酒場を支配した。


「⋯⋯じゃあ、私はこれで。そろそろタバサが泣いてる頃だわ」

「ああ。⋯⋯またな」

「あ、ちょい待って。もう一度だけ、仮面をとって見せてよ」


 別段断る理由もないので、俺は仮面を外して素顔を晒した。


「⋯⋯うんうん」

「なんなんだ」

「五年後、楽しみにしてるわ! 私、頑張るから――」


 アーリアはそう言い残し、床の穴に飛び込んでいった。

 以上が、砂漠の戦姫との別れであった。

 再会出来るか否かは、神のみぞ知るところである。


 ⋯⋯いや、あの女神はアテにならんな。



 ***



 さて、今までは三交代で運転して時間あたりの距離を稼いでいたが、これからはそうもいかない。

 なにせ運転できるのは俺だけだ。恐らくあのマナカーゴの暴走は、ゼラの運転によるものなのだろう。

 ここで交通事故なんかに遭っても下らないので、運転席は俺だけの場所となった。


「⋯⋯⋯⋯」


 車内は無言だった。

 ゼラは相変わらず無表情で、パティは暗い顔をして俯いている。


「⋯⋯な、なあ知ってるか、東大陸は桃が名産品なんだよ。俺の姉さんもよくそこの桃を使ってパイを作ってくれてさ」

「⋯⋯⋯⋯」

「⋯⋯⋯⋯」


 運転しながら荷台の二人に声をかけるも、沈黙を返される。

 サンドランド王都を出て三日ほど経ったが、終始こんな調子である。

 正直きつい。




 ***




 夜になり、マナカーゴは岩陰に停車させた。

 簡単な食事を終え、俺は幌の上に座って見張りに立つ。

 子供三人旅だ。狙ってくる悪漢や魔物が居ないとは限らない。


「ふぁ⋯⋯⋯⋯!?」


 欠伸を噛み殺しながら周囲に気を張っていると、幌をよじ登って来る人影があった。


「⋯⋯どうも」

「⋯⋯なんだゼラか」


 ゼラだった。

 そして一瞬前の自分の対応に後悔する。

『なんだ』と言われれば『なんだとはなんですか礼儀がなっていない後輩ですね』と始まるのが、俺の知るゼラである。


「⋯⋯⋯⋯」


 しかしゼラは、黙って俺の隣――身体二つほど開けた距離に座り込んだ。


「……何してんだ、早く寝ろよ」

「パティ子は寝ました」

「お前に言ってんだ。ほら、これやるから」


 ゼラにロックケーキを投げる。

 実はこのケーキ、保存が効く上に腹持ちも良い。携帯食糧としても、歯を鍛える子供のおやつとしても優秀な一品である。


「⋯⋯⋯⋯」


 しかし、ロックケーキはゼラの頭に当たり、膝の上に落ちた。

 俺はそこでようやく、事の重大さを認識した。

 あの大飯食らいのゼラが、食べ物が近くまで来てもくちを出さない⋯⋯!?


「な、なあ、どこか痛いのか? あっ、腹か! いつも腹出してるから!」

「⋯⋯⋯⋯」

「⋯⋯なあ、言ってくれないと分からないぞ。これからは三人で旅をするんだから、何かあったら――」

「シャーフ後輩は――」


 ゼラはようやく口を開く。

 大きな赤い瞳は無感情に、ただ満天の星空を映していた。


「――平気そうですね」

「⋯⋯平気なわけ、ないだろ」


 そう、平気なわけがない。

 努めて普通に振る舞ってはいるが、少し気を抜けば悔恨が、慚愧が首を擡げる。

 それに囚われたら終わりだ。俺はもう、一歩も動けなくなってしまう。


「悲しいさ。でも、それはゼラも同じだろ」

「私は悲しむ資格がないのです」


 悲しむ資格が、ない?


「私は幻狼族が来るとわかった時、みんなを捨てて逃げたのです。仕方がないと思いました。やつらはとても凶暴で、危険な連中なので、私なんかが行ってもどうしようもないと」


 ゼラはキャスケット帽を深く被り、平坦な声をほんの少しだけ震わせながら、言った。

 恐らく『幻狼族』とはマルコの事だろう。ゼラと同郷の、別部族と言ったところだろうか。

 そして逃げようとしたのは本当で、マナカーゴの運転が上手くいかず、偶然俺の窮地を救う形になったと。


「自分の身が可愛くて、今までお世話になった恩を無視して、置いて逃げようとしたのです」

「ゼラ」

「最後までお礼が言えませんでした。この服も、帽子も、いままでのごはんの事も。そんな私は、悲しむ資格がないのです」


 俺は立ち上がり、ゼラの頭に手を置く。



 ***



『今度、あいつがいつも被ってる帽子、取ってみろよ』


『……はあ。なにか面白いものでもあるんですか?』


『ビックリすんぞ』



 ***



「よっと⋯⋯うおっ」


 むんず、とゼラの帽子を掴み、脱がせる。

 その下から現れたのは耳だった。

 頭頂部から生える、三角形の、銀色の毛が生えた耳――猫の耳だ。

 なるほどなるほど、こいつがいつも帽子を被っていたのはこういう事か。

 驚きはしたが、狼の頭部を持つ男や、動く犬の生首を見た後では少々感動に欠ける。


 それに、こっちは前者と比べて凶暴さがない。

 猫耳少女――元いた世界では古くから絶対的な記号として存在するが、こうして見るとなるほど、なかなかに可愛らしい。


「な⋯⋯あわ、あわわ」


 ゼラは無表情のまま、口をアワアワと動かす。

 おお、動揺している。あの傍若無人、慇懃無礼なゼラが、わかりにくいが動揺している。


「おお⋯⋯普通に耳がある部分はどうなってるんだ? もしかして尻尾も生えてるのか?」

「さ、触らないでください。帽子も返しなさい」


 髪の束を捲ろうとすると、手を払われた。

 尻尾の存在を確認しようと尻に目を向けると、両手で抑えて視線を阻まれる。


「⋯⋯⋯⋯」


 俺は払われた手を再度ゼラの頭に置き、ぐしゃぐしゃと撫でる。

 猫耳がフニフニと柔らかく、なかなか撫で心地が良い。


「なっ、あっ、あばっ」

「ゼラ、ありがとな。パティを連れて逃げようとしてくれたんだよな」

「⋯⋯⋯⋯は」

「それに、結果的にはゼラの行動に救われたんだ。少なくとも俺は、お前に感謝しかないよ」


 これは本心だ。

 それに、ゼラからこんな話をして来たという事は、きっと許しが欲しいのだろう。

 俺からの許しではない。今はもういない、二人からの赦しだ。

 それは俺から与えることは出来ないが――。


「で、も⋯⋯私は⋯⋯」


 ゼラの猫耳が垂れ下がる。

 表情は顔には出ないが、耳には出るのか。


「二人とも最期に、『楽しかった』ってさ」

「は⋯⋯」


 二人の最期の言葉を伝えると、ゼラは少しだけ目を見開いた。

 しかしその瞳からは、涙は落ちなかった。


「――悲しいんです。本当なんです」

「ああ」

「でも涙が出ないんです。そのせいですかね、なんか、このあたりが⋯⋯」


 ゼラは胸の前に手を持ってくる。


「なんか、こう⋯⋯」

「分かるよ。苦しいんだろ」

「パティ子のように笑ったり泣いたりできれば、この苦しみも消えるのですか」

「多分、きっとな。いつか、泣けるといいな」


 こうして、南大陸でのおおよそは幕となった。

 沢山を喪い、想いを託されて。


 俺はそれを繋ぐ。

 あの人たちは俺の大事なものを繋いでくれたのだから、それがせめてもの恩返しだ。


「じゃあシャーフ後輩が泣かせてみてください。私を。今すぐ。さあ」

「ほう。なら、泣いて謝るまで脇腹をくすぐってやろうか」

「なんでですか。そこは嬉し泣きをさせてくれるとか、あるでしょう」

「嬉し泣き……ロックケーキいるか?」

「寝ます。バカ。バーカ」


 ゼラは俺から帽子を奪い返し、幌から飛び降りた。


「バカって言った方がバカだ、バーカ……」


 俺はまた幌に座り込み、南の空に黙祷を捧げ、見張りに戻った。


 やがて夜は更け、俺はまた進路を取る。


 ――――東へ。

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