絶望に抗おう・3

 全身の力が抜けて行くのを感じていた。


「俺は⋯⋯」


 絶望に染まる頭、しかし――。


「まだだ⋯⋯まだ、誰も死んじゃいない!! 俺の大切な人たちは、まだ生きている!! なら、俺はまだ立てる!!」


 もはや生き残れる可能性はゼロに近い。

 だが、ここで膝をついたら確実にゼロになる。


「その状態になった紙クズも、生きているって言えンのか?」

「黙れ……黙れ黙れ!! 俺は絶対に諦めない!! 俺は……ぁ……」


 剣を握りなおそうとして、指に力が入らず、ハルパーが地に落ちる。

 肺の中の空気が空っぽになったかのように。

 全ての気力を使い切ってしまったかのように。

 まだ俺の心は死んでいないのに、身体が動かなかった。

 魔法を発動しようとしても、マナの吸収が上手く行かない。


「まだ……俺はまだ……!」

「はー、分かった分かった。分かったから、諸共死ねや」


 マルコが号令を飛ばすように右腕を挙げる。

 その右腕の肘から先が、消えた。


「あ……? が、ああぁぁ!?」


 血が噴き出し、傷口を抑えるマルコ。

 一体何が起きたのか困惑していると、俺の足元に何かが転がって来た。


「……な」


 それは、犬の生首だった。

 燃える様な赤い毛の犬の生首は、咥えていたマルコの右手と、喉の奥から何かを吐き出す。

 それは、美しい琥珀色を湛えた魔晶だった。


「お前は⋯⋯一体⋯⋯?」

「⋯⋯⋯⋯」


 犬は俺の顔を、そしてアーリアの顔を見て、その目を閉じた。

 どこか、微笑んでいる様に見える死に顔だった。


「死んでる⋯⋯これは⋯⋯?」


 アーリアが犬の顔を撫で、そして魔晶に手を伸ばす。

 その瞬間、地面が揺れ動いた。


「ルウウウウアアアアアアァァァ!!!」


 魔物と化したウイングが広間中を暴れ回る。

 敵も味方もなく、ただただ破壊の限りを尽くそうとしている。


「チィッ……おいそいつを抑えろ!!」


 カオスレギオンはその応戦に追われている。図らずもウイングを解放したことは、マルコにとって悪手となった。


「シャーフ、この魔晶は⋯⋯」

「分からない、だが⋯⋯」


 なにか、意味があるのかもしれない。

 アーリアが恐る恐る、指先から魔晶にマナを送ると、更に地面の揺れが激しくなる。


「なっ⋯⋯!?」


 軽い浮遊感を覚えて地面を見ると、実際に地面が盛り上がっていた。

 俺とアーリアがいる一メートル四方の床が、天に向かって少しだけせり上がっているのだ。

 驚いたアーリアが急いでマナの注入を止めると、魔晶は停止する。


「これは『マグナウォール』だ……!」


 土魔法『マグナウォール』。土の壁を生成する魔法だが、俺では最大で十メートルが限度だ。

 だがこの魔晶、見たところかなり高度な魔法が込められている。このままマナを込め続ければ、天井をぶち抜いて脱出できるかも知れない。

 問題は、そこに至るまでにマルコの妨害が無ければ――。


「ぐっ……糞ァ!! あの炎狗えんく野郎、首だけで動きやがったか……!」


 マルコは右腕を抑えながら、しかし視線はこちらに向いている。

 迷っている暇はない。ウェンディをこの土台に乗せ、ウイングを拘束し、天井へと向かわなければ――!


「――シャーフ、私が時間を稼ぐわ」


 ウェンディが立ち上がっていた。

 サーコートの中から予備の剣を抜き、目の前の戦場に向ける。


「ウェンディ……?」

「もう大丈夫、ごめんなさい。私が時間を稼ぐから、王女様を連れて行きなさい」

「何言ってるんですか……? あなたも、団長も、一緒に行くんですよ!!」

「良く見なさい。その土台、子供二人でやっとでしょう。私と、あんなにぶくぶく肥ったウイングなんて載せられないわ」


 ウェンディは振り向き、悲しげに微笑んだ。

 その笑みを見て悟った。彼女は、ここでウイングと心中するつもりなのだと。


「――馬鹿野郎ーーッ!! 団長も元に戻すんだ! あんたがここで死んで、何になるっていうんだ!!」

「いいから行きなさい――ふっ!!」


 ウェンディの剣閃が、迫るカオスレギオンを一蹴する。

 迷いの無い太刀筋は、彼女の決心を表している様だった。


「私は彼を守る剣――朽ちるなら、彼と共に」

「ふざけるな!! ウェンディが戦えるなら、俺も戦います!! 二人なら……!」

「そんな体で何を……はあっ!! 言っているの! 足手まといよ!」


 足手まといだろうが、ウェンディが戦えるのであれば、全員生還の希望はある。

 俺が土台から降りようとすると、ウェンディは剣を振りながら、静かに言った。


「シャーフ、以前喫茶店で話したわね。私達はあなたを監視していたって」

「え……? なに、を……?」


 確かに以前、クインの町にいた時に聞いた話だ。


「あのマルコがウォート村に攻め込んでくると知った時、私達は恐怖から逃げ出したのよ。『自由の翼団』は、あなたの村を見捨てたの。一人二人は助けられたかもしれないけど、こっちも甚大な被害を被る可能性があったから」

「ウェンディ……?」

「その後、あなたを拾えたのは幸運だったわ。なにせ、どう親元から、姉の元から引き離すか、苦心する必要が無くなったのだから」


 ウェンディは表情を見せずに、そう言った。


「そんな……」

「ひどい大人でしょう? これに懲りたら……私達みたいな、冒険団に、もう二度と……」

「そんな事くらいで! 今更! あなたたちを嫌いになれるわけないでしょう!!」

「……ッ!」


 そんなもの、誰だって自分の身が一番可愛いに決まっている。

 相対して分かる。マルコは、カオスレギオンは一介の冒険者が相手取るには危険すぎる相手だ。

 それを前に逃げ出した事を、誰が責められるだろう。


 そして――それよりも、あなたたちに助けられたんだ。


「いいから行って……お願いよ。あなたとパティちゃんを巻き込んだこと……ごめんなさい……」

「贖罪のつもりなら……一緒に生きて下さい……!」


 ウェンディに向かって手を伸ばす。

 しかし、彼女の手は剣を握ったままだった。

 襲いかかるカオスレギオンを次々と斬り伏せ、しかし多対一、無傷ではいられない。

 剣が掠った傷口からは小火が起こり、ウェンディはそれを乱暴に叩いて消化する。


「……ッ!! シャーフ!!」


 俺とアーリアの乗る土台を、カオスレギオンが包囲していた。

 猶予は無い。選ばなくてはならない。ウェンディと共に戦うか、彼女を見捨てて逃げるかを。


 そんなもの、選択肢は決まっていた。


「ウェンディ……!」

「シャーフ、楽しかったわ――ズルして三児の母をやれちゃった気分よ」


 再び手を伸ばすも、ウェンディの手は届かなかった。

 カオスレギオンが、彼女の腕を斬り落としたのだ。

 その傷口が炎上し、白金色の美しい髪が、燃えていく。


「ぁ……」


 ――――。


「ルアアアアアアアアアアアッッ!!」


 咆哮と共にウイングが空から舞い降り、ウェンディに、土台に群がろうとするカオスレギオンを蹴散らしていく。

 狩る獲物がいなくなったウイングは、次に俺に目を向けた。

 俺は、その様子を、呆然と眺めていた。


「ル……ア、嗚呼……」


 ウイングは燃え盛るウェンディの身体を抱き、俺に近づく。


「ア……わりぃ、な……」

「え……?」

「この、オバ、サン、オレのだから……口説くのなんざ、百億年、はええ、ぜ」


 口から緑色の体液を吐きながら、ウイングは確かにそう言った。

 直後、四方から復活したカオスレギオンが迫り、ウイングの身体が串刺しにされる。


「ガ嗚呼アッ……ッ!! イイカ、サラマンダーの、卵、新月の、桃、だ……」


 全身に火を纏いながらウイングは、最期の言葉を吐いた。


「……その帽子、大事にしロ、ヨ。あと、アイツ・・・に伝えてクレ」


 ウイングの指先が、アーリアの持つ魔晶に触れる。

 そして、


「――――」

「団長――」

「――ってな」


 魔晶が輝く。地面が脈動し、俺とアーリアの身体は天高くまで運ばれて行った。

 大切なものを置き去りにして。

 大切な言葉を託されて。

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