絶望に抗おう・2

「……ッ」


 鼻腔から滴る血を拭う。頭が熱い。心臓の動悸が止まらない。

 この『プリティヴィーマータ』、桁外れの威力を持ってはいるが、その分体にかかる負担が大きいようだ。

 負担と言うのは『マナ中毒』だ。発動に多大なマナが必要な分、体内を侵す危険度も上がる。


「……んだよ、満身創痍か?」


 それを察したのか、マルコは折れた剣をこちらに向け、嗤う。

 このままマナの浸食が進めば、俺もカーミラと同じく魔物になるのだろう。

 そうなる前に、なんとしてもこの窮地を脱しなければ。


「⋯⋯いや、興奮で鼻血が出ただけだ。父さんの仇を取れるって思ったらな」

「ほう。だがな、これならどうだ」


 マルコが嗤うと、倒れ伏したローブの集団が次々に立ち上がる。


「こいつらは『混沌の兵団カオスレギオン』つってな、生命を持たねえ操り人形だ。いくら斬ろうがキリがねえ。お前の刃は己まで届かねえ」


 カオスレギオン――あれも魔法のなせる業か。

 しかし、六属性の魔法のどれとも異なるようだ。

 俺の『床の腕』のように土を形成して操っているわけでもない。


「お前らは女神が定めた法の中でマナを制御している気になっている様だがな、本来はそれは旦那達・・・のモンだ。本物と偽物じゃあ相手にならねえ」


 こいつはマナの何を知っているのか。

 しかし、本質がどうあれ――。


「⋯⋯御託はいい。要は、それを操るお前を倒せば良いだけの話だ」

「言うねえ⋯⋯なら、届かせて見せろやァ!!」


 数十体の『混沌の兵団』が躍り掛かる。

 先程と同様、六刀流で応戦するも、今度は斬り伏せた側から復活してしまう。


「⋯⋯ぐッ!」


『床の腕』を操るたびに頭痛が襲い、鼻腔からは血が溢れる。

 応戦出来てはいるが、このままではジリ貧だ。


「はっ⋯⋯は、ぁ⋯⋯!」


 呼吸をする様にマナを体内に取り込む。

 おおよそは『床の腕』の維持に充てているが、それでも体内に幾らかのマナが残留しているようだ。

 マナ吸収の塩梅は、経験を積まないと身に付かないのだろう。


「ハッハァ、どうしたどうした!? 動きが鈍くなってんぞ!?」


 ならば――。


「全放出だ⋯⋯!」


 マナが体を侵食する前に、更なる用途で吐き出してしまえばいい。

 ウイングとウェンディが見せた風の剣技。

 詠唱を必要としない俺なら、一人でも出来る。


『ゲイル』を発動――身体に纏わせ、この身を真空の刃と化す。


「う――おおおォォォ!!」


 それは捨て身の特攻だった。

 気勢をあげながら混沌の兵団へと突っ込み、次々に斬り伏せる。


「は――――あ!!」


 呼吸とともにマナを吸い込む。

『床の腕』を操作し後方の皆を守る。

 余剰のマナで旋風を身体に纏わせる。

 その全てを同時に行う――脳が焼ききれそうだ。


「マルコぉぉッッ!!」


 消え去りそうな意識をなんとか保ちながら、カオスレギオンを掻き分けてマルコへ。

 討ち漏らしたカオスレギオンに背中を斬られ、傷口から炎が上がる。

 痛みなど、熱さなど感じている暇はない。

 今、この身はただ、目前の仇敵を屠るための――。


「ハッ――来いやァ!!」


 ――皆を守る為の、剣だ。


「オオオォォッ!!」

「がああぁァッ!!」


 マルコの折れた剣が、俺の長剣を受け止める。

 長剣は柄から先が折れ、たたらを踏んだ俺は頭上から降るマルコの追撃をもろに食らった。


「かっ⋯⋯!!」


 燃えている背中に、折れた剣が突き刺さる。

 力量差はやはり歴然。だが、この一撃は、布石に過ぎない。


「届いたぞ⋯⋯俺の剣⋯⋯!!」


 右手に構えた白い剣ハルパー――。

 察したマルコが距離を取ろうと、俺の体を蹴り飛ばそうとする。


「なッ⋯⋯! この、腕!!」

「さっきから⋯⋯足癖が悪いんだよ!!」


 逃しはしない。

 足下に発生させた『床の腕』で、マルコの動きを封じる。


「死⋯⋯ねえッ!!」


 俺は初めて、人に向かって殺意を叫んだ。

 突き出した白い剣の切っ先が、マルコの左胸に沈んでいく。


「が――――」


 マルコが白眼を剥き、凶暴な口からは血が溢れる。

 抉るように腕を捻ると、更に多量の血を吐き出した。


「へ、へへ、ひひっ⋯⋯これで⋯⋯終わりか⋯⋯」


 そして仰向けに倒れ、狼面の男は動かなくなった。

 同時にカオスレギオンも姿を消し、精も根も尽き果てた俺は膝をついた。


「終わっ⋯⋯た⋯⋯いや⋯⋯まだ⋯⋯」


 まだ、ウイングの治療がまだだ。

 ウイングの鞄の中には、まだ魔法薬があったはず。

 とにかく止血をして、飲ませるなり塗るなりして、命を繋がなければ。


「⋯⋯⋯⋯え?」


 そう思い、立ち上がり、背後を振り向くと――。


「だ、団長⋯⋯無事だったんですか?」


 ウイングが立ち上がっていた。

 俯き、垂れた鳶色の髪で、その表情は見えない。

 ウェンディかアーリアが魔法薬を投与してくれたのだろうか。


「……」

「団長……?」


 しかし、様子がおかしい。

 ウェンディはウイングの足元で俯いたままだ。

 アーリアはそんなウェンディを庇うように肩を抱き、ウイングから距離を取ろうとしている。


「団、長⋯⋯?」

「カ⋯⋯ア⋯⋯」


 ウイングの右手の甲、マナリヤが緑色の光を放っている。

 煌々と輝くそれは、マナを湛えているのだろう。

 マルコの凶刃に斃れる前、ウイングは魔法を使う為にマナを吸収していた。


「ま……さか……」


 ――そのマナは放出されることなく、ウイングの体内に残り続けた。


「団長……?」


 ――マナに侵された動物は魔物と化す。


「返事をしろよ……団長ッ!!」


 ――人とて例外ではない。カーミラの様に。


「ア⋯⋯アアアアァァァ!!」


 ウイングの鳶色の髪が抜け落ち、肌の色が緑色に変色する。

 体躯は膨れ上がり、衣服は破れ、悪魔の様な翼が背中から突出する。

 いつもヘラヘラとしていた表情は、この世全てを憎むかの様な怒りの形相に変わった。


「嘘⋯⋯だろ⋯⋯?」


 俺は――その様子を、ただ見つめていた。

 ウイングのマナリヤが凶暴な爪に変化する。

 それを、最も近くにいたウェンディに振るおうとした瞬間、ようやく俺の身体は動いた。


「――やめろォ!!」


『プリティヴィーマータ』を発動し、『床の腕』でウイングの身体を羽交い締めにする。


「なんで⋯⋯こんな⋯⋯っ! アーリア! ウェンディを連れて、こっちに!!」

「⋯⋯ッ!!」


 アーリアは頷き、力を失ったウェンディを引きずりながら、俺の方へと向かう。


「団長⋯⋯なにやってんだよ⋯⋯!」

「ルアアアアアアッッ!!」


 アーリアと入れ替わりでウイングに向かい、その変わり果てた姿と対峙する。

 もう、面影などどこにもなかった。

 緑色の体液を吐き、翼をはためかせながらもがく姿は、今まで屠ってきた魔物となんら変わりがなかった。


「なんで⋯⋯どうして⋯⋯」

「ガアッ!! ガッ、フ⋯⋯!!」


 嫌だ。

 俺はあんたのこと、結構好きだったんだ。

 飄々とした態度に、口からは出る言葉は軽かったけど、その羽の様な軽さに救われて来たんだ。


「シャーフ……」

「⋯⋯アーリア、魔物と化した動物が、元に戻った例を知っているか?」

「⋯⋯ないわ」

「そう、だよな⋯⋯なら、団長をどうしたらいい?」

「⋯⋯ごめんなさい、私からは、なにも」


 マナとはなんなのか。

 魔法の素。それだけではない。

 むしろ『何か別の力』を無理矢理に魔法に落とし込んでいるのが、六大魔法師の役目なのだろう。

 女神ユノなら何かを知っているだろうか。


 ――おい、女神。なんなんだよこれは。


「⋯⋯⋯⋯」


 しかし、答えはない。


「シャーフ⋯⋯」

「ああ⋯⋯とにかく、団長をこのままにはしておけない。拘束したまま連れ帰る。なんとか元に戻す方法を⋯⋯」

「⋯⋯私も協力するわ。一旦ここから出て――」

「――出れると思ってンのか?」


 その言葉に、全身が粟立つ。

 振り向くと、死んだはずの、殺したはずの男が立ち上がっていた。


「言っただろ、ここがお前らの墓場だってな」

「お、お前⋯⋯」


 確かに心臓を貫いた筈だ。

 だと言うのに、何故――。


「さーて、面白そうな見世物じゃねえか。己も初めて見るが、これがマナとやらの本来の力ってな……やれ!」

「しまっ⋯⋯!!」


 一瞬の油断を突かれ、現れたカオスレギオンへの対処が遅れてしまう。

 カオスレギオンはウイングを拘束していた『床の腕』を破壊し、自由を得たウイングは咆哮をあげながら我武者羅に爪を振り回した。


「アアア――ガアアアアアア!!」


 周りのカオスレギオンが斬り裂かれ、地面に消えて行く。


「さーて、新顔が加わったところで第二回戦と行こうか、ガキ?」

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