絶望に抗おう・1

「団長ーーッッ!!」


 自分でも驚くほど大きな叫び声が出た。

 目の前の敵の事など忘れ、俺はウイングに駆け寄り、体を抱き起こす。


「かっ⋯⋯は、やっべ、しくったな⋯⋯」

「喋らないで⋯⋯!」

「カッコつけて⋯⋯このザマかっ⋯⋯ははっ、情けねー⋯⋯」


 ウイングが途切れ途切れの言葉を発する度に、口腔から血が溢れ出す。

 内臓が傷ついている。それもかなり深刻に。

 今すぐ処置を必要とするような傷である事は誰の目にも明らかだった。


「クスリを⋯⋯!」


 俺はウイングの鞄を漁り、琥珀色の液体が入ったガラス瓶を取り出す。

 これが傷薬かは分からないが、とにかく――。


「そ⋯⋯れは、ダメだ」


 しかし、ウイングの弱々しい手が俺の腕を掴んで止める。


「な、なんで!」

「そ、れ⋯⋯た、高ぇんだよ⋯⋯」

「そんな事を言ってる場合ですか!!」

「いいから⋯⋯よく聞け⋯⋯サラマンダーの卵の殻⋯⋯ウィンガルドの果樹園で新月に採れた桃だ⋯⋯あとは教えた通りに⋯⋯」


 俺が止めても、ウイングはうわ言のように血とともに言葉を吐き続ける。


「何を⋯⋯良いから、頼むから、もう喋らないで⋯⋯!」

「シャーフ!!」


 絹を裂くような悲鳴が耳に届く。

 顔を上げると、マルコが犬歯を剥き出しにし、黒い剣を構えているのが見えた。


「――――」


 あの大剣は俺ごと貫き、ウイングにとどめを刺すなど造作もない事だろう。

 俺はいい。だがウイングはダメだ。ここで死んだら全てが終わってしまう。


 やらなくては。

 そう思った瞬間、恐怖は消え去った。

 俺は短剣を自分の胸に突き刺し、自ら命を絶つ。


『――繋がっ――ッ!!』


 一瞬、誰かが息を呑む声が聞こえた。

 刹那、失ったはずの左手が戻り、右手には白いつるぎが握られていた。


「……ッ!!」

「ハッ――白い剣!」


 マルコが犬歯を剥き出しにして嗤う。


 俺は立ち上がり、迫る黒い剣にハルパーを突き出す。

 羽の様に軽い剣は極光の軌跡を残しながら、マルコが防御の為に突き出した黒い剣を圧し折った。

 勢いのまま剣を突き出し、マルコの肩に突き刺し、地面に縫い付ける。


「ハッ! やっぱり旦那の言った通りだ!!」


 自らの武器を失くしたにも関わらず、肩を貫かれたにも関わらず、マルコは更に愉快そうに笑う。

 笑うな。お前の笑顔など反吐が出る。

 枯れた喉の奥から、言葉が出てくる。


「お前、は……お前はどうして俺から奪う……? 俺が何をした、村のみんなが何をした、団長が⋯⋯⋯⋯何をしたって言うんだ!!」

「ひ、ひひっ……」

「笑うな!! 言ってみろ、この野郎!!」

「ひぃひっひ、理由なんて求めてンのか!? 簡単だ、お前も、お前の村の連中も、お前の団長も、弱いから己に殺された!!」

「ふざけるなッ!!」

「シャーフ!!」


 アーリアの悲鳴に似た呼び声に、一瞬気が逸らされる。


「ぐ、ふ――」


 直後、マルコが膝を曲げ、つま先が俺の腹に捩じ込まれた。

 マルコが足を伸ばすと共に大きく吹き飛び、俺は吹き飛ばされる。


「シャーフ! ウェンディが……!」


 アーリアに助け起こされ、眩暈がする頭を抱えながら、彼女が指す方を見やる。


「――――」


 ウェンディはウイングの身体を抱いたまま、ただただ宙を眺めていた。

 まるで生ける屍の様に。その様子を見て、ウェンディがいかにウイングを想っていたのかを、こんな状況で知る事になった。


「ウェンディ⋯⋯」


 そして、ウェンディの戦意が失われた事で、この場からの生還が絶望的になった事も。


「なんだ、そこの紙クズと恋仲だったのか? それだけで戦意喪失たあ、ヒトってのはやっぱり脆いな」

「お前⋯⋯! お前なんかが、この人たちの何を知っているんだ!!」

「だが、見てて面白えのも確かだ」


 マルコは俺の言葉を無視し、下衆な笑みを浮かべる。

 こいつが言う『見てて面白い』とは、つまり、人の負の部分の事だ。


「なら次は⋯⋯おい、そこのメスガキ」

「なっ⋯⋯わ、私⋯⋯?」


 マルコがアーリアに語りかける。


「己はそこの金髪のガキを追ってきた。お前はそのついでに殺される。つまりお前は巻き添えだ。恨むならそいつを恨め」

「⋯⋯⋯⋯!」


 アーリアの目が驚愕に見開かれる。


「だがそうさな、己もここまで無休で走ってきたもんで、疲れちまった。だから、己の代わりにそいつを殺せ。そうすればお前は見逃してやる」


 馬鹿な。

 なんの躊躇いもなくウイングの事を害したこいつが、そんな約束を守るとは思えない。


「ふざけ――――」


 ――だが、万に一つ。

 約束を守る可能性があるのなら、試すのも手だ。

 俺が死んだふりを続ければ、マルコはそのまま引き返すかもしれない。

 甘い考えかも知れないが、今は藁にも、敵の甘言にも縋りたかった。


「アーリア、やってく――」

「ふざけるな、下郎」


 アーリアは立ち上がり、連接棍を床に叩きつける。

 石床が砕け、その破片がマルコの頬に当たった。


「⋯⋯あ?」

「はっ、頭が犬なら脳みそも犬並みなのかしら? いいえ、貧民街で飼っている犬の方が数億倍賢いわね!」

「なんだあ、てめえ⋯⋯」

「シャーフのせい? どう考えてもお前一人が、何よりも誰よりも悪いわ! 行く道に居たから殺した? 野犬かなにか? あら失礼、野犬でも噛み付く相手は選ぶわね!」


 アーリアが毒を吐くたび、マルコは表情を険しくする。

 自分が見下していた相手が思惑通りに動かなかったからか、かなり効いているようだ。

 だが、いまは逆効果だ。あいつを逆撫でしても良いことなんてなにひとつない。


「なに、巻き添え? 自分が天災とでも言いたいの? やれやれね、恥ずかしい妄言は子供だけに許されたものよ」

「あ、アーリア、もう⋯⋯」

「――ああ、もういい、やれ。全て灰にしてやれ」


 マルコの号令で、広間を囲んでいたローブの集団が一斉に足を踏み出す。

 手には直剣。あれに斬られれば傷口から炎が上がり、身を焼き尽くす。


「…………」


 ウェンディは戦えない。

 斬られたら終わりなら、アーリアにも戦わせられない。

 俺が一人で、この状況を打破するしかないのだ。


「やるしか⋯⋯!」


 この最悪の状況を――――考えろ!


 ローブの集団は目視三十人。

 包囲され、水路への道は塞がれてしまった。

 小部屋に行く通路にはマルコ。

 天井の亀裂目指して風魔法で飛び上がり――否だ。

 四人も浮き上がらせる程の風は起こせない。

 即ち、逃走は不可能だ。


 戦うしかない。が、敵はあまりにも多勢。

 誰か一人と斬り合っている間に、ウェンディとアーリアに魔手が及ぶ。

 マルコを集中して狙うか?

 いや、実力差は歴然だ。一撃で致命傷を与えなければならないが、先程の様な速攻はもう通じないだろう。


 ならば広範囲を攻撃できる魔法で、ローブの集団を殲滅する。

 右手のマナリヤに意識を集中し、何でもいい、とにかく高威力の魔法を放とう。


 ――――瞬間。


「――あ、れ」


 時が止まった。

 マルコの表情も、迫るローブの集団も、連接棍を構えたアーリアも、ウイングの流血も、ウェンディも、全てが停止していた。


 これは以前も経験した事がある。

 あれは確か、ロックドレイクに轢かれた時だったか。

 あの時は、女神ユノが語りかけて来たが――。


『――あの男が憎いか?』


 響いたのは、ユノとは全く別の女性の声だった。

 どこかで聞いたことがある気がする声だ。


『あの男が憎いか』


 そして気づいた。声はアーリアの口から発せられている。

 時が止まった中で、彼女の口だけが腹話術の人形のように動いているのだ。


『答えよ、あの男が憎いか』


 ――ああ、憎い。


『――故郷を追われ』


 ――ウォート村を亡ぼされ。


『――同胞はらからを殺され』


 ――マイノルズさん、スミス氏、村のみんな。


『――孤独ひとりに追い込まれ』


 ――みんなが死んだら、死ねない俺は独りになる。


『――あの男が憎いか?』


 ああ、憎い。

 だが、それ以上に強い感情がある。


『ならば憎しみよりも、何を思う?』


 俺は――守りたい。

 大事なものを、この手で守る力が欲しい。

 どれだけの代償を支払っても構わない。

 大事な人達の、明日みらいを繋ぐ力が欲しい。


『絶望に陥ってもなお、お前に前を向かせるものは何だ。私とお前の、何が違うと言うのだ』


 違いなんてものは知らない。

 俺はもう、喪失を味わいたくない。

 そう、ただ単に自分が傷つくのが怖いだけだ。

 だから、前を向く。後ろを向くのは怖いから。


『自らの信条を、自ら綺麗事と唾棄するとは卑屈な男だ。だが良かろう、女神より賜りし紋章の残滓、汝に託そうぞ』


 ⋯⋯というか、あんたは誰だ。

 女神ユノの友達か?


『友などとは烏滸がましい。私など路傍の直人ただびとだ。たった今、汝らに解放された、な』


 解放された⋯⋯?


『長い悪夢から醒め、女神に召し上げられるところだったのだ。だが女神様は汝に力を貸せと、な』


 あんたは、まさか――。


『ああしかし、酷い人生だった。だが最後に、我が娘が強く成長した姿を見る事が出来た。汝らには感謝する』


 ⋯⋯強くなりすぎだ。

 いらん啖呵を切ってくれたおかげで、こちとら無い頭をフル回転しなくちゃならなくなった。


『あれは、汝が本当に自分のせいではないかと慚愧に囚われることを心配したのだ。優しく強い娘よ。マウロには感謝してもしきれぬ』


 さいですか⋯⋯。

 親バカは結構だが、それで、俺に何を授けるって?

 紋章の残滓って言ったか?


『然り。六大魔法師にのみ許された、真なる紋章の魔法。地を運び、創土を成す力よ』


 それがあれば覆せるのか、この絶望的な状況を。


『それは汝次第だ。だが、最後に希望を言わせてもらえるのであれば――』


 あれば――?


『どうか、アーリアをお願いね』


 アーリアの身体が光る。その光は俺のマナリヤに吸い込まれて行く。

 マナリヤは一瞬だけ黄色の光を放ち、すぐに消えた。


『汝のマナリヤに六大魔法師のみに許された魔法を刻んだ。頼んだぞ、シャーフ・ケイスケイ』


 今度は声が俺の右手のマナリヤから流れ、そして消えた。

 それと同時に、この力で何ができるのか、何をすれば良いのかを瞬間で理解した。


「⋯⋯頼まれたよ、カーミラさん」


 時が動き始める。

 俺は右手のマナリヤに意識を集中し、その名を強く念じた。


 ――『プリティヴィーマータ』。


 マナリヤが白光を放ち、その瞬間、肉薄していたローブの集団の一角が吹き飛んだ。


「なッ⋯⋯腕だと!?」


 マルコが驚きの声を上げる。

 そう、腕。床から生じた腕の、握り拳がローブの集団を打ち上げた。


「これは⋯⋯! シャーフ!?」


 俺の周囲の地面から四本の『床の腕』が現れる。

 腕は吹き飛んだローブの集団が落とした剣を握り、俺の二本の腕と合わせて六臂ろっぴとなる。


「アーリア⋯⋯団長とウェンディを頼む」


 一歩を踏み出すと、『床の腕』は石床を割りながら追従する。


「面白れぇ! だが、ちょいと腕が増えたくれぇで、この人数差を覆せるか――」


 マルコが愉快そうに笑うが、その笑みはすぐに固まる。

 四方八方から迫るローブの集団は、『床の腕』が振るう剛腕、音速を超える剣閃で俺に触れる前に斬り裂かれ、その場に倒れ臥す。


 アーリアたちに刃を向ける者も、その場に『床の腕』を追加で発生させ、アーリアの連接棍を振るい薙ぎ倒す。


 俺は進撃を続ける。六本の剣を振るうたびにローブの集団は殲滅していき、あっという間に戦況は覆った。


「人数差が……なんだって?」

「……ハッ。聞いてねえぜ旦那、こんな化け物なんてな」


 マルコは吐き捨てるように言い、折れた剣を構えた。

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