絶望に向かおう

 刹那。ごう、と黒い切っ先が迫る。


「――――ッ!!」


 死の気配――。

 反射的に腰の鞘から短剣を抜き、突き出された黒い剣の軌道を逸らそうとして――。


「――ハッ、弱え」


 ――短剣を構えた左手ごと斬り落とされた。

 転がる巨岩は、枯れ枝で軌道を逸らせない。

 この一瞬の攻防で、それほどの力量差を思い知らされた。


「あぐっ……があああ!!」


 痛みに喘いでいると、腹部に衝撃を受ける。蹴られたのだ。

 俺の身体は軽々と広間まで吹き飛ばされた。


「シャーフ!?」

「おい、どうした!」


 ウイングとウェンディが驚愕の声を上げて駆け寄ってくる。

 そして二人は狼面の男を見やり、目を見開いた。


「あいつは……!」

「……これも因果かしらね。ウイング、シャーフに傷薬を」

「おい、ウェンディ!!」


 ウェンディは二刀を抜き、狼面の男に対峙する。

 男は足を振り上げ、何かをこちらへ蹴り飛ばした。

 一つは短剣を握ったままの、俺の左手首から先。

 もう一つは、人間の頭部――ジンダール王子の亡骸だった。


「兄、上……?」

おれの通る道に居たんでな、邪魔だから殺した。悪いな」


 悪いな、と言うものの、男の口調は全く悪びれていなかった。

 悪寒が駆け巡る。こいつは危険だと、全身全霊が告げている。

 世間話をするような軽さで、人の生き死にを――更に自分が殺したなどと言える奴が、正常な筈がない。


「やべえ、やべえぞこれは……おいシャーフ、動けるか?」

「う、ごけます……!」

「で、でも、ウェンディ師匠なら――ぁ」


 アーリアが短い悲鳴を上げる。

 通路の奥から、ローブを着た剣士が次々に姿を現した。

 あれは村を焼き、村人を鏖殺した連中だ。軽く見ても数十人はいる。

 ウェンディならもしかして――という希望は、奴らが纏う異様な空気に掻き消された。


 戦っても、勝てない。

 ウェンディも同じことを感じているのか、彼女の首筋からは多量の汗が伝っており、それがなによりの証左となった。


「ところでよ、ちょっと疑問だったんだが……そこのガキは死んでも死なねえんだろ? 殺せと言われて来たはいいが、どうやったら死ぬんだ?」


 緊迫した空気の中、男は空気を読まずに軽い口調で言う。

 ヤツの狙いは俺か。ならば、活路はある。


「お……俺が狙いなら、俺だけを殺せ。みんなに、手を出すな」

「だからその殺す方法を知りてえんだろがよ。前に頭を割ったはずなのにピンピンしてやがるし」

「な、なら、教えてやるから、みんなの無事を約束しろ」


 声の震えを抑えながら、なんとか啖呵を切る。


「はぁー? ま、聞いてやるか⋯⋯」

「い、いまそっちへ行く……!」


 目論見はこうだ。

 殺害方法を教えると言ってあいつに近づき、あいつに俺を殺させ・・・、ハルパーを出現させて、あいつを殺す。

 怖い。だがここを切り抜けられるなら、多少傷ついてでも――。


「……シャーフ、待て」


 震える足を叱咤して立ち上がろうとすると、ウイングに胸を抑えられた。


「団長……?」

「そこの水路、恐らく死肉を流す用途のものだ。水も氾濫してねえから、外の湖か川に繋がっている可能性がある」


 ウイングは、何が言いたいんだ。


「オレとウェンディが隙を作るから、お前は王女サマと、水路に飛び込め」


 無理だ。

 いくらウイングの魔法でも、ウェンディの剣技でも、奴らを足止めできるビジョンが見えない。


「希望を捨てんな。自分を捨てんな。これ、預かっててくれ」


 ウイング帽子を脱ぎ、俺の頭に被せる。

 そして身体を持ち上げてアーリアに押し付けると、ウェンディの隣に並んだ。


「……『下狼げろう』マルコ。金を積まれれば誰でも殺す、どころか周囲の人間まで殺す、最悪最低の傭兵ころしやだな」

「おっと、己の名を知ってるのか。あまり目立たねえように立ち回ってたんだがな」

「てめえの所業を振り返ってから言えや。うちのもんに手は出させねーぞ……ウェンディ! 『ゲイル』!!」


 ウイングのマナリヤが輝き、ウェンディの周りを疾風が渦巻く。

 刹那、ウェンディは狼面の男――マルコに肉薄し、両手で構えた長剣を兜の隙間に刺し込んだ。


「が――――」


 った――と思いきや、マルコの身体は斃れない。

 ウェンディは危機を察したのか、剣を手離して大きく後退った。


「おお、迅え迅え……危うく喉が貫かれる所だったぜ」


 マルコが狼の面頬を上げる。


「な……」


 それは誰が上げた声だったか。恐らく全員だ。

 面頬の中身もまた、狼だった。

 長い鼻、鋭い犬歯、ギラギラと輝く黄色い目。狼――そのものだった。

 鋭い牙の咬合で、ウェンディの必殺の突きを止めたのだ。


「あんな――あんな人間が、いるの?」


 アーリアの呟きを聞きつつ、俺は『ワーウルフ』と呼ばれる生き物を想像していた。

 もっとも、呼ばれていたのは前世の世界、ファンタジー作品の中でだけだ。

 また、この世界でも魔物は元となった動物の姿から大きく乖離している事は無く、二足歩行の動物は『ヒト』以外に見た事がなかった。


「なんだあ、ありゃ⋯⋯」

「⋯⋯⋯⋯ッ」


 それは熟練冒険者の二人も同様らしく、突然晒されたマルコの素顔に驚愕を隠せないでいた。

 マルコはそれを見て、にぃ、と口角を釣り上げて犬歯を剥き出しにする。笑ったのだ。


「お前たちは己の顔を見ると、みーんな同じ反応をするな。何も知らねえ、籠の中の鳥どもがよ。己はその顔を恐怖に歪めるのが、愉しくて仕方がねえ」


 何を言っているのかよく分からない。

 だが確かなのは、マルコが常識の枠組みから外れた者である事と、このままでは全員無事では居られないという事だ。


「……シャーフ、剣を借りるわよ」


 ウェンディは後退り、俺の背中の鞘から剣を抜く。


「ウェンディ、でも……!」

「大丈夫、手ごたえはあったわ。今度はもっと早く……ウイング!」

「ああ、やってやるぜ!」


 ウェンディはやる気だ。

 だが、ともすれば、何とかなるかもしれない。

 広間を囲むローブの集団は動く気配はない。マルコだけを狙って仕留めれば、この場を切り抜けられるかもしれない。


「ウイング、もう一度『ゲイル』で加速を――」


 ウェンディが振り返る。

 しかし、返事は無かった。


「あの加速はちいっと面倒なんでな」


 音もなく肉薄したマルコの黒い剣が、ウイングの胸を貫いていた。

 げぼ、という嫌な水音が響き、ウイングの口から大量の血が噴き出す。

 ウイングの右手が力なくだらりと垂れさがり、マナリヤが緑色の軌跡を残し、消えた。


「ハッ、こっちはクソ弱えな。紙クズを裂いたみてえな手応えだ」


 マルコがウイングの胸を蹴り飛ばし、乱暴に剣が引き抜かれる。

 転がり、仰向けに倒れたウイングの息は荒く、口腔からは赤黒い血が止めどなく流れ出す。

 それだけでもう、どうしようもない事が分かった。


「団、長……?」


 そんなもの、分かりたくなかった。


「ウイング」


 ウェンディの呟きと共に、彼女の手から滑り落ちた剣が床に転がった。



 ***



 あなたはきっと覚えていないだろうけど――。



『おー、お互い卒業おめっとさん。これから? あー、オレ旅に出ようと思うんだよ』


『なんでって……薬屋なんて継ぎたくねーし。せっかくの魔法学院首席卒業の腕を、世のため人のために役立てねーとな!』


『いや半分冗談だけどよ……ま、旅の手記でも書いて、あいつにあてつけでもしてやろうかなーってな』


『……いやそれも冗談だよ、怒んなってば』


『……あー、オレは今でもあの時が一番楽しかったって思ってる。オレとお前とあいつと、がむしゃらに剣を振っていた日々が』


『だから、せめてもの礼だ。オレがあいつの代わりに、世界を見てきてやろうって思ったんだ』


『だからウェンディ、一緒に来てくれ』


 あの時、顔を真っ赤にしながらそう言ったあなたの手を、私は取った。


 ――私はあなたを守る剣になろう。


『重いって! いらねーっての! ただ、そのー……傍に居てくれよ、オレは貧弱なんだから。あ、いや、お前みたいなゴリラが傍にいてくれたら、旅の安全は盤石だしな!』


 あなたはきっと覚えていないだろうけど――あの時、私は救われた。


 あなたはいらないと言ったけど、私はあなたを守る為なら、どんな敵にだって立ち向かえる。


 そう、あなたさえいれば。

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