前だけを向こう

 ***



 翌日、俺は一人でクインの町の冒険者ギルドを訪れていた。

 世間的、ゼラ的には安息日かもしれないが、俺は一刻も早く路銀を稼がなくてはならない。


「えーっと……」


 カウンターに寄りかかり、バインダーを捲る。

 しかし最低ランクのブロンズでは、受けられる依頼は限られた。

 今までは簡単な依頼を数多くこなしていたが、少しくらい難易度が高くてもいいので、高額な報酬の依頼を受けたい。


 以前受けた依頼の中で、一番報酬が高額だったのが魔法師ギルドからの依頼である『マナ結晶の納品』だ。いくらでも買い取ってくれるので、報酬は実質青天井あおてんじょうである。


 ……とはいえ、この辺の魔物は弱く、いくら倒しても小銭にしかならないのが、なんともままならない。それにあまりに小さい結晶だと、買い取りすら拒否されてしまう。


 しかし、低ランクでも受ける事ができる、唯一の高額依頼なので、出来ればマナ結晶納品に絞ってこなしていきたいところだが⋯⋯。


「……ない」


 現実はそうもいかなかった。

 俺と同じ考えの冒険者など沢山いるという事だ。魔法師ギルドからの依頼は人気で、すぐに他の誰かに取られてしまう。この間は運が良かっただけだったらしい。


「はぁ……」


 ため息を吐き、仕方なくいつもの様に複数の依頼を受けようと、ページに手を掛けた瞬間、バインダーが浮き上がった。

 いや、背の高い誰かに、バインダーを取り上げられたのだ。


「こーら、何をしているの」

「ウェンディ⋯⋯」


 誰かは、ウェンディだった。

 困った様な顔をして、バインダーを指で摘んでいる。


「今日はお休みじゃなかったかしら?」

「安息日ですからね」

「なら、なんであなたはここにいるのかしら?」


 窘めるように、コン、と俺の頭に拳が置かれた。

 そもそも安息日と言っても、冒険者ギルドも開いているし、酒場では冒険者たちで一杯だ。


「ウェンディこそ。朝から夜まで働き通しなんですから、休んでいた方がいいんじゃないですか」


 ここ数日のウェンディは、朝は剣術訓練、昼から夜は一人で冒険者稼業という過密スケジュールだ。俺やゼラが寝る時間になっても、帰ってこない。いたわられるべきはそちらだろう。

 俺がそう返すと、ウェンディは小さくため息を吐いた。


「はぁ……聞いたわよ、魔術訓練中にいきなり吐いたって。知らずとはいえ無理させていたこっちも悪いけど、本当に休養が必要なのはどっちかしら?」

「無理をしているわけじゃあないです。アレは……」


 俺は言い淀んだ。トラウマを刺激されました、なんて説明するのは情けなく、憚られたからだ。


「……とにかく、俺は一刻も早くパティを治療したいんです。それには金を稼がないと」

「そう。でも、今日は実入りの良い依頼がなさそうね」


 ウェンディがバインダーを捲りながら言う。


「だから数をこなそうと……ランクさえ上がれば、報酬が高額な依頼も受けられますし……」

「知っているかしら、雑用みたいな依頼をいくらこなしても、ランクは上がりにくいわよ」

「……へ?」


 なんだそれ。初耳だ。

 俺が唖然としていると、ウェンディはいつもの様に、流暢に説明し出す。


「シルバー以上だと魔物退治の依頼が増えて来るのだけど……例えば、シャーフがギルド員の立場だったとして、今まで草むしりや虫の駆除ばっかりやっていた冒険者に、危険な魔物退治を任せられるかしら?」

「……ないです。じゃあ、昇格するにはどうすれば?」

「それを聞きたければ、そうね、私からの依頼を受けてくれるかしら? ギルド無認可の依頼だけれどね」


 ウェンディは微笑みながらそう言った。

 依頼というのはレトリックで、どうせ『休め』と指示してくるのだろう。

 俺が仮面の下で眉を潜めると、ウェンディはその雰囲気を察したのか、手を振りながら笑った。


「ちゃんと報酬は出すわよ?」

「そこを気にしているわけでは……。それで、依頼とは?」

「私の話を聞くことよ。簡単でしょう? 報酬は、昇格要件を教えてあげるのと……向かいの店のケーキと紅茶でどうかしら?」


 つまるところ、お茶の誘いだった。



 ***



 好物である甘味に釣られたわけではないが、俺は大人しくウェンディについて行った。場所は冒険者ギルドの向かいにある、狭い喫茶店である。

 テーブルにカスタードクリームがたっぷりのタルトケーキと、湯気を立てる紅茶のカップが運ばれて来る。


 俺の様な素人が作った不格好なパイと違い、既製品は見た目からして美味そうだ、などと考えていると、ウェンディはテーブルに肘をつき、口を開いた。


「まず昇格要件だけど、団長からはなんて説明を受けた?」

「依頼の達成状況、実績に応じて試験を受けられる、とだけ」

「そうね。でもそれには『魔物討伐実績』という前提が付くわ」

「そんな、それじゃあ、今のままじゃどうやっても……」


 ブロンズの冒険者に、魔物退治を依頼する人は少ない。

 それは依頼者側に立ってみれば当たり前の事で、退治してほしいという事は、少なからず魔物に脅威を感じているのだから、少しでも腕のいい冒険者に依頼したいだろう。


 しかしそれでは、ブロンズはいつまで経っても上のランクに上がれない。仕組みが破綻しているじゃないか。


「そんな時は、自分より上のランクの冒険者に同行させてもらう事ね。報告時、魔物討伐に寄与したと証明できれば、その程度によって実績を認められるわ」


 なるほど。先輩冒険者に引っ張ってもらうって事か。

 だがそれって、虚偽の申告がまかり通ってしまうんじゃないか。


 例えば――『金を払うから依頼に同行した事にしろ』と高ランクの冒険者を買収すれば、労せずして上のランクに上がれてしまう。

 誰が不正を働こうが関係ないし、俺には金銭的余裕がないので、使えない手段だが。


「先輩冒険者⋯⋯」


 だが、先輩冒険者なら目の前にいる。もちろん不正などは行わず、依頼達成には寄与するつもりだ。俺はテーブルに手をつき、頭を下げた。


「ウェンディ、どうか」

「言われなくても、そうするつもりではあったわよ。今までは少し立て込んでいてね」

「立て込んで⋯⋯依頼がですか?」

「ギルドとは別の仕事よ。団長からの命令でね⋯⋯ふぁ⋯⋯あら、ごめんなさいね」


 ウェンディは口を押さえ、小さく欠伸をした。

 てっきり、冒険者稼業で夜遅くまで出掛けているのかと思ったが、そうではないらしい。


「その仕事について、俺に手伝える事はありますか?」

「いいえ、もう片付いたから平気よ。それより⋯⋯」


 ウェンディは、俺が手をつけずにいたケーキと紅茶を指し、苦笑を浮かべた。


「食べなさいな。ただし、ゼラには内緒ね」


 俺は頷き、紅茶に口をつけた。


「さて、報酬も受け取ってもらったところで、話を聞いてもらっても良いかしら?」

「はい、分かりました」


 報酬は『昇格要件の伝授』と『ケーキと紅茶』であり、前払いした形になる。こうなっては、話を聞かないわけにはいかない。無論、元より聞かないつもりは無かったが。


「それで話、というのは?」

「食べながら聞いてね⋯⋯あなたの村の事よ」


 ウェンディがそう言った瞬間、俺の指が震え、フォークからカスタードクリームが零れ落ち、紅茶の中に落ちる。


「もっと言えば、あなたの村の現在と、行方不明者について、ね」

「⋯⋯⋯⋯それは」


 もしや、それを調べに夜中まで出かけていたのか。

 俺は、それを聞いてもいいのか。パティを優先して、東大陸に逃げようと躍起になっている俺に、その資格があるのか――。


「報酬は受け取ったわね」

「っ⋯⋯はい」


 そうだ、前払いで報酬を受け取ってしまった以上、俺は聞かざるを得ないのだ。

 ウォート村と、行方不明の姉と幼馴染が、どうなっているのか――今まで、心配しているフリをして、意図的に避けてきた情報を。


「まず、ウォート村は瓦礫の撤去が完了し、村民の墓所としてそのまま安置される様ね」

「⋯⋯そうですか」

「誰が墓を建てたのかは知られていないけれど、『クリス・ケイスケイ』と墓標が刻まれた墓を掘り返したところ、本人の遺体が確認されたわ。遺体は王都へ運ばれて、丁重に弔われたわ。村民については、ウィンガルド王の名のもとに、ウォート村跡地にきちんとした墓が立てられるそうよ」


 クリス氏を始めとした村人たちは、俺が一昼夜かけて土葬した。

 土を盛り、墓標を立てただけの粗末な墓だったので、きちんと弔われるなら良かったと思う。


「無事な建造物は、領主の別荘、つまりあなたの屋敷のみ。その所有権は領土と共に、ウィンガルド王国に帰属する事になったわ。クリス・ケイスケイは元冒険者で、活躍によって貴族の地位を授けられ、近親者もいないから⋯⋯」

「え? そうだったんですか?」

「⋯⋯あなたの父親なのに、知らなかったの?」


 そう言われてしまっては、こうべを垂れるしか無かった。

 そもそもクリス氏は、屋敷に帰って来ても王都での仕事の事は聞いても話さなかったし⋯⋯。


「本来なら親族に引き継がれるのだけど、どちらも行方不明とされているから、王国に返還される形ね」

「行方不明……俺と姉さん、ですよね」

「ただ、ケイスケイ公爵は、あなたの名前を公にしていなかったわ。あなたは、村の子供として扱われていた様よ」

「それは……何故ですかね」

「シャーフをまつりごとには関わらせたくなかったとか……。想像しか出来ないけれど、そんなところじゃないかしら」


 それには頷ける。クリス氏は、俺には自由に生きて欲しいと言っていた。


「言っておくけど、自分がケイスケイ公爵の子だと、名乗り出ようなんて考えない方が賢明よ。現在、王都は混迷を極めているわ。王政派最大勢力であったケイスケイ家の没落によって、反王政派勢力インフレイムスが勢いを増して⋯⋯」


 俺はそこで再び、手を前に出して言葉を制した。

 そんなつもりは毛頭ない。復讐やクリス氏の代わりなど、今の俺には荷が重すぎる。


「⋯⋯ごめんなさい、これは余計だったわね。次に、男の子三人は無事よ」

「へ⋯⋯?」

「アリスター・ログナ。サミュエル・マイノルズ。ケント・エイマーズの三名は事件当初、隣町にいて難を逃れたそうよ。ケント⋯⋯ノット君の遠縁の方が、北大陸で孤児院を営んでいるから、そこに引き取られ⋯⋯」


 ウェンディの報告を聞きながら、俺は、全身の力が抜けて行くのを感じていた。

 あの夜、あいつらの姿を見ておらず、村人を埋葬している時も、その遺体を確認していなかった。そう思いたかった。


 しかし、実際に無事だった事をウェンディの口から聞かされ、パティが生きていた時以来の喜びで、全身が震えた。


「生きて⋯⋯いたんだ⋯⋯」


 枯れていたと思っていた涙が頬を伝う。

 同時に、あいつらに俺とパティの無事を伝えることが出来ない事に、無念さも覚えた。

 だが、生きてさえいれば、また会える。それがいつになるかは分からないが、いつかまた会えるのだ。


「ただ⋯⋯あなたの姉、アンジェリカ・ケイスケイの行方は、まだ⋯⋯」

「⋯⋯姉さん」


 安堵に満ちた胸中が、再び奈落の底に突き落とされた気分になった。


「本当に、どこにもいなかったわ。周辺の町村も、王都にも、どこにも⋯⋯まるで、古の転移魔法を使ったかのように、消えてしまった」

「転移魔法? それはなんです?」

「ああ、ごめんなさい、忘れて。古いおとぎ話の様なものだから⋯⋯」


 しかし、アンジェリカだけが行方不明、か。

 彼女が生きていたとして、今頃、あの太陽のような笑顔に、影が差しているのだろうか。

 それを想像するだけで、心臓を握り潰されたように胸が苦しくなる。


「でもね、あの子は大丈夫よ」

「……気休めはよしてください」


 俺を案じてくれたウェンディに、突き放す様な口調で答えてしまう。

 しかしウェンディは首を横に振る。


「あの子には、私が知り得る限りの生きる術を授けたわ。だから、大丈夫」

「はい……? いやウェンディ、何を言ってるんですか……?」

「ちょっと待ってね……『ミラージュ』」


 ウェンディの右手の甲のマナリヤが輝き、霧を発生させる。

 それらは彼女の顔に纏わりつき、光を屈折させ、まるで別人のように顔かたちを変化させた。


「あ⋯⋯え⋯⋯うぃ⋯⋯」


 そう、まるで、数十年の歳をたように変わった顔が、ニコリと微笑んだ。


「……ウィニー・クレイン?」

「覚えていらっしゃいましたか、坊っちゃん。ちなみにウィニーは偽名、というか幼い頃のあだ名ね」


 ウェンディは、その声すらも、老人のようにしわがれたものに変えてみせた。


「これは単に声色を変えただけ、だけど」

「え、いや、なんで……?」

「王都の酒場で、団長があなたの父君と意気投合したって話は聞いたわね? その時に私が家庭教師を買って出たのよ。白いマナリヤを持つあなたの監視役も兼ねて、ね」


 ウィニー・クレインを見るたびに、どこか老婦人らしからぬ若さを覚えていたが、そういうからくりだったのか。


「あなたを水晶洞窟へ扇動したのも、白いマナリヤの真偽を確かめるためよ。危ない目に遭わせてごめんなさい」


 三馬鹿が行方不明になった夜のことだ。

 ウェンディが顔の周りを手で拭うと、一瞬にして、元の美貌に戻った。


「そして、アンジェリカは大丈夫。あの子には、勉強以外にも色々と教えたから」

「⋯⋯その、色々、とは?」

「剣術を少々、ね。それと食べられる野草の知識と、火を起こす方法と、魚を捕る方法と⋯⋯」


 ウェンディは次々とサバイバル技術を挙げていく。


 魚獲り。

 川に足を浸し、魚を銛で突き、朗らかな笑顔を浮かべるアンジェリカを想像し、かき消す様に頭を振る。


「剣術って⋯⋯」

「そう、二刀流イルシオンよ。免許皆伝までは行ったかしら」


 免許皆伝までって。笑顔で魔物を両断する姿を想像しかけて、再び頭を振り、ウェンディに向き直る。


「ど、どうしてそんな事を⋯⋯?」

「ある日、アンジェリカから教えを乞われたのよ。魔法が使えなくても、弟を守れる力が欲しいと。とても真剣な表情だったから、私も出来うる限り応えなくては、と思ったの」


 あの日だ。

 遠くへ逃げる約束をした日に、アンジェリカも決意したのだ。ただその日を待っていたわけでは無く、自分なりに出来ることを模索していたのだ。


「だからきっと、あの子は大丈夫。あんなに意志の強い子は、なかなかいないもの」


 その言葉は、俺の胸の中にスッと落ち、納得を植え付けた。

 アンジェリカは、ただ優しいだけの少女ではない。それは十年間、一緒に暮らしていた俺が、一番知っているのでは無かったか。


「⋯⋯俺も、いつまでもウジウジしている場合じゃないですね」


 沢山のものを失ってしまったと思っていた。


 でも――。


 ウイングが繋いでくれた、パティの命。

 ゼラが繋いでくれた、パティとの絆。

 ウェンディが繋いでくれた、再会への希望。


 これだけしか――いや、こんなに残っているじゃないか。

 俺はそれらを繋ぎ合わせよう。分かたれてしまったものを、元の形に。


「ようやく、前だけを向けそうです」

「そう⋯⋯それなら、寝ずに走り回った甲斐があったかしら?」


 俺はウェンディと、固い握手を交わした。

 きっとウイングは、俺を前に向かせるために、ウェンディに情報を集めさせたのだろう。あとでお礼を言って置かなければ。



 ***



 後日、ウイングに意図を聞いたところ、


『あー、お前さんが気になってると思って調べたんだよ。もうすぐグラスランドともサヨナラだし、未練を残されちゃ気持ち悪いしな!』


 と、それだけの話であった。

 当たらずといえども遠からず、といった所だが、まあいいか。


 ちなみにこれは余談であるが、この日以来、光の柱を見てもトラウマを刺激されることはなくなった。我ながら単純な性質である。

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