少しだけ歩み寄ろう

 ***



 股間に重大な損傷を負い、男としての死を迎えかけたが、ウイングによる懸命な治療で俺は一命を取り留めた。


 そこから二日ほど経った。ウォート村を出てから、一週間とちょっとが経った事になる。


 治療して貰って分かった事だが、この世界に、回復魔法のたぐいは一切ない。

 怪我や病気は、薬か自然治癒に頼る他なく、致命傷を受けてしまったらそこで終わりだ。

 唯一、光魔法『レイズアップ』や『パルス』で痛覚を和らげることは出来るが、文字通り気休めである。


「だがそこで、魔法薬の登場だ。マナが豊かな地で育った薬草や、動物の角を煎じたものを薬にするんだよ。これがどんな怪我や万病にも効くんだわ」

「パティに投与して貰ったヤツですね。金貨数百枚するという」

「おうよ。なんせ素材が貴重だからな。もっと高っけえヤツは、死人も生き返らせるって言うぜ。⋯⋯まあ、そこまで来ると眉唾だがな」


 ウイングの講義を聞きつつ、俺は夜食のサンドイッチを齧った。

 しかし、つくづくマナとは不思議な物質だ。薬草の効能を引き上げ、動物を魔物に変化させ、人体に取り込みすぎると害になる――。


「お。そういや、もう週末か」


 北の夜空を見上げながら、ウイングが言う。

 ふとその視線を追うと、光の柱が立ち昇っていた。

 安息日の訪れを報せるという、光の柱が――。


「う――――」


 それを見た瞬間、胃の中から耐え難い吐き気がこみ上げ、耐え切れず地面に向かって吐き出した。


「おい、どうした!?」


 突然の嘔吐に驚いたウイングが、俺の背中をさすってくれる。


「い、いえ……」


 思えば、あの日もそうだった。

 あの光の柱が発生した直後に、平穏が壊れたのだ。


 つまり、梅干しを見ただけで唾液が出るように、ベルを鳴らしただけで犬が涎を出すように、俺の中で条件付けがされてしまったのだろう。

 この世界で多くの人にとって、安息日を知らせる吉兆、光の柱――それは俺にとって、凶兆の象徴なのだ。


「体調悪そうだな……今日はもうやめておくか」

「……はい」

「うし、じゃあ水飲んで寝ろ! 明日の訓練、無理そうならウェンディに言えよ」


 ウイングに頭を下げ、俺はマナカーゴへ向かった。

 これから毎週、北の夜空を見上げるだけでトラウマを刺激されるとは、なんとも気が滅入る話だ。


 ……しかし、思い返してみれば、あの日、あの時はまだ、光の柱が空へ昇るには早かった。マナの発生源があるとされる北大陸の最北端で、何か異変があったのだろうか。


「……やめだ」


 頭を振って、雑念を振り払う。

 今はとにかく、遮二無二に生きるための力を付ける事に専念しなければ。

 他の事を考えている余裕など、俺には無いのだから。そうだ、余裕なんて無い。一分一秒も無駄には出来ない。


「ふっ……!」


 腰の剣を抜き、俺は素振りを始めた。

 ウイングには休めと言われたが、どうせ無理をしても俺は死なないのだ。

 剣の訓練は朝だけだが、夜にやるなとも言われていないし、自主練をしても誰にも文句は言われまい――。


「精が出ますね」

「っ! ……ゼラか」


 背後から声を掛けられ、振り返るとゼラが立っていた。

 ウイングから貰ったプライマルウェポン『オームクローク』を気に入ったのか、ずっと頭から被っている。てるてる坊主のようだ。


「……何か用か」

「用が無ければ話し掛けてはいけないのですか。冷たい後輩です」

「別に、そうは言ってないだろ」

「まあ用件はあるのですが」

「どっちだよ。なんなんだお前は……」


 最近、一緒に依頼をこなすうちに、ゼラの性格にも慣れてきた。

 パティとも、まるで姉妹の様な、友達の様な、お互いがお互いを愛玩動物ペットと思っている様な不思議な関係で、とにかくパティの精神安定剤になってくれている事は確かで、それゆえに、俺も以前より、ゼラへの当たりも弱くなっていた。


「で、なんだ? 用件って」

「これを聞いたら、シャーフ後輩は泣いて喜ぶと思いますよ。今からハンカチの準備をしておいてください」

「はいはい……いいから早く。俺は素振りをしたいんだ」

「では」


 ゼラがクロークを捲り上げると、足の間にパティが挟まっていた。どうやらクロークの内側に潜んでいたらしい。また、よく分からない遊びをしているな。


「うー……」


 そして、手にはトウモロコシ、コーンを握っている。

 その光景の、あまりの意味不明さに、俺は思わず剣を取り落した。


「なに、その……なに?」


 ついでに語彙力も失った。


「パティ子がシャーフ後輩にコーンをくれるそうですよ。パティコーンです」

「ああ、そう……?」

「私の渾身の冗句を流すとは……」

「いや、すまん。頼むから、一から説明してくれないか」


 思わず頭を下げると、ゼラはふんと鼻を鳴らした。

 パティも、もそもそとクロークの下から這い出てくる。


「この間、パティ子がシャーフ後輩を去勢未遂した件の謝罪です。私も先輩として、パティ子を叱りました。偉いでしょう」

「ん、んー……」


 ゼラはパティの頬をむにむにとつまみ、こねくり回す。

 パティは不承不承といった様子で、剣を突き出すように俺にトウモロコシを差し出した。


 パティからの暴行は、元はと言えば、俺がゼラに魔法を撃ったことが発端である。

 それにこのパティコーン、もといトウモロコシは、俺が仕事で得た金で買ってきたものだし。


「あ、ありがとう、パティ……」


 混乱を覚えながらトウモロコシを受け取ると、パティはぱっと手を離し、しかしゼラの後ろに隠れる事は無かった。


「そうですパティ子、あの男は怖くないですよ。ただ顔が良いだけの雑魚です」

「……ん!」


 パティは悠然と胸を張り、俺に対峙した。

 以前だったら、すぐにゼラかウェンディの背後に逃げていたのに。


「どうですかシャーフ後輩。私の気遣いに感涙するなら今ですよ」

「……ああ」


 それだけの事で俺は、泣きこそしなかったが、先程まで覚えていた吐き気がすっかり失せてしまった。


「ありがとな、嬉しいよ」


 俺はゼラに向き直り、笑った、つもりだった。


「笑わないですね」

「……は?」

「嬉しい時、人は笑うのでしょう。ウイングもウェンディもパティ子も、おいしいものを食べている時は笑っています。ですが、シャーフ後輩は笑いませんね」


 無表情が張り付いている奴に指摘されたくないが……。

 俺は、笑ってなかっただろうか。自分としては、この団に拾われてから笑顔になる事もあったと思うが。


「シャーフ後輩の顔は笑っていても――心が泣いています。あ、この言い回しちょっとかっこよくないですか」

「……バカ」

「あのかっこ悪い仮面は泣いている心を隠す為だったのです。わかりましたかパティ子」

「頭が痛くなってくるから、ちょっと黙ってくれ。あとパティに変なことを吹き込むな」


 ……なんだ、単にカッコつけたかっただけか。

 相変わらずよく分からない奴だが、まあ悪い奴ではない……と思う。


「ではシャーフ後輩、明日は安息日ですから、お休みという事でいいですね」

「ああ、そうだな……そうするか」

「やりました。ではパティ子と惰眠を貪るとしましょう」

「ん!」


 不本意ながら、さっきまで張りつめていた神経が、この一連のやりとりでかなり弛緩してしまった。毒気を抜かれたとでも言うべきか。

 確かに、最近ゼラは文句は言いつつも、一応真面目に依頼をこなしていたしな。世間が休みの日くらい、休んでもらって構わないだろう。


「では、ウェンディにも訓練はお休みと言っておいてください」

「それは自分で言えばいいだろ?」

「私が言うとサボりだなんだとうるさいのです」


 それは普段の、というか今までの行いのせいである。

 だが、パティとの仲を一歩近づけてくれた礼くらいは、してやってもいいか。


「分かった。ウェンディには俺から言っておくから、ゆっくり休めよ」

「きゃっほう。話が分かる後輩をもって幸せです」


 きゃっほう、て。

 無表情で右手を突き上げたゼラに、俺は思わず苦笑を漏らした。


「……お前こそ、嬉しいなら笑ったらどうなんだ?」

「大きなお世話です」

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