終わりの始まりを始めよう・1

『来い、邪龍よ。貴様の悪行、貴様自身の血で贖ってもらう』

『吠えるな人間風情が。その矮小な躰を捻り潰してくれる』


 ――レインは剣を抜き、迫る邪龍の尾を斬り落とす。

 邪龍が怒りの咆哮を上げる。地を震わすほどのそれに体を押されながらも、その鳶色の瞳は、真っ直ぐに敵を見据えていた――。



 ***



「えー、第四章『邪龍退治編』はこれにて幕でございます。ご清聴、ありがとうございました」


 頭を下げると、広場から万雷の拍手が上がる。

 俺は手にしたレイン叙事詩を閉じ、ふぅ、と息を吐いた。


「坊っちゃんは語り部になれまさあ!」

「いやいや、坊っちゃん自身が伝説を作るんだよ!」

「あの本、オレが買ってきたんすよ!」


 酒が入った大人たちが、口々に囃し立てる。

 明日は安息日という事もあり、村の大人たちは日が暮れかけると広場に集まり、酒盛りをするのが習慣だった。


 そして、俺が何故この場に居るのかと言うと――。


 三年前、アンジェリカから『読み聞かせ』を提案された俺は、半ば無理矢理四人を捕まえ、その物語を聞かせた。

 これがなんと大好評。パティからスミス氏へ、スミス氏から村人達に評判が伝播し、こうして週に一度の酒盛りに、肴として招待される運びとなった。これが既に、三年近く続いている。

 当初はぎこちなかった村人との仲もかなり良くなったし、平穏な日々に花が添えられた形だ。姉に感謝。


「いやー坊っちゃん、今日もありがとうございました! オレ、お屋敷までお送りしますよ」

「マイノルズさん――はい、お願いします」


 マイノルズさんに連れられて屋敷に向かう。

 この青年は商人ギルドに所属しており、旅の行商に混じって方々へと足を延ばしている。レイン叙事詩もこの人が買って来てくれるので、足を向けて眠れない。


 ああでも、俺もちょっと酒盛りに参加したいなあ……転生してから九年、大好きだったビールの味が恋しい……。


「今度また、東大陸に行くんですけど、その時に続刊を探して来まさあ」

「ホントですか!? 実は残りのお話が少なくなってて……」

「みーんな坊っちゃんの話を楽しみにしてますからねえ! オレも本を読んでみよっかなー」

「是非に! 貸しますよ! 移動中にでも読んでください!」


 マイノルズさんはニカッと笑い、俺も釣られて満面の笑顔になった。


 そう、物語が好評なのは良かったが、誰も本を手に取ろうとしないのだ。スミス氏に勧めても『うーん、もう内容聞きましたからねえ』と難色を示されてしまった。

 俺は何回も読み返すくらいハマっているのに。


「明日の夜に発つんでさあ。北大陸を通って、東大陸のウィンガルド。弟が連れてけってうるさいんすわー」


 弟、とは三馬鹿の一人、サムの事だ。

 サミュエル・マイノルズ。サムは愛称である。


「ま、あいつも来月から学寮ですし、しばらくうるさくなくて済みまさあ! 全く、人が帰って来ると、商売の話を聞かせろって休ませてくれないんですわ⋯⋯」

「サムは商人になりたいって言ってましたね」

「オレとしちゃあ、アリやノットみてえに、冒険者でも目指してくれた方が良いんですけどねえ。ガキが憧れる仕事じゃないだろうに」

「多分、マイノルズさんに憧れたんじゃないですか?」


 俺がそう言うと、マイノルズさんは照れ臭そうに鼻頭をかいた。

 そして、屋敷が見えて来たところで、マイノルズさんの足が止まる。


「⋯⋯おっと? おっとっと、お邪魔しちゃあスミスさんにどやされますわ! じゃあ坊っちゃん、また!」

「え? 本は?」

「それはまた今度でー!」


 そして回れ右し、駆け足で広場の方へ戻って行ってしまった。

 何事かと、マイノルズさんの背中から、屋敷の方へ視線を移すと――。


「……シャーフ」

「パティ」


 屋敷の門柱に、パティがもたれ掛っていた。

 フワフワの赤毛は少し梳いたらしく、女の子らしい髪型へと洗練されている。中等部デビューと言ったところか。

 パティは目を逸らしながら、ゆっくりとこちらに近寄って来る。


「あたし、来月から学寮に入るんだけどー……」

「ああ、頑張れよ」

「……それだけ? 会える頻度、少なくなるんだけどー……」

「寂しくなるな。姉さんが」

「…………もー!」


 牛か。

 怒ったパティは、ズンズンと大股で近寄って来る。そして俺の肩を掴み、顔を赤くしながら言った。


「中等部って、いろんな町から生徒が来るんだけどー!」

「ああ、言ってたな。いじめられるなよ? なんかあったらアリとかに相談しろよ?」

「も、もしかしたら、そこにはシャーフよりカッコいい男の子がいるかもしれないんだけどー!」

「おお、それはまあ、探せばいくらでもいるんじゃないか? やったな!」

「じゃ、じゃあ! あたしがもし、その男の子に告白されたら……」

「…………」


 パティは、俺の事が好きだ。

 普段から『好き』を連呼されているから、もはや、この村周知の事実である。


 当初は、子供の惚れた腫れたなど、すぐ醒めるだろうと流していた。

 パティの事は可愛い子だとは思うが、あまりにも歳が離れすぎている。前世では妻子もいない俺だが、娘のようにしか見れない。


 しかし、年の差を主張しても信じてもらえないだろうと、俺はいつも、パティのラブコールに対しては、つっけんどんな態度で返していた。


「⋯⋯良いんじゃ――」

「や、やっぱ言わないで!」

「聞いといてなんなんだ⋯⋯」

「だって⋯⋯心の準備が⋯⋯⋯⋯あ、明日! 答えを聞かせて! それまでに心の準備しておくから!」


 パティは俺の横をすり抜け、村の方へ足を進める。


「なんの返事だよ⋯⋯」


 今の段階だと『パティがイケメンと付き合ったらどう思うか』としか聞かれていない。


 俺の呟きが聞こえたのか、パティは足を止め、振り返り、言った。


「⋯⋯好き」

「っ!」

「シャーフのこと、好き」


 毎日の様に言われていた言葉。だが、今は何故か、胸が締め付けられる様だった。

 振り返ると、パティは既に、村の方へ走って行ってしまった後だった。


「マセガキ⋯⋯いや⋯⋯」


 この数年間で、理解していた。

 パティも、アリスターも、ノットも、サムも、もう物心がついており、きちんと自分の意思を言葉にできる。


 まだまだ子供と呼べる歳ではあるが――パティの気持ちに答えないのは、気持ちを踏みにじる行為に他ならない。


「明日、か⋯⋯」


 無茶な時間制限を設けられたものだが、もう答えは決まっている。

 パティの心境を思うと、胸が痛くなるが⋯⋯彼女の人生はまだまだこれからだ。とてもいい子だし、いつかきっと、似合いの男性と巡り会えるだろう。


「⋯⋯ごめんな」


 俺は、パティの気持ちに応えることは出来ない。

 もしかしたら半年後には、アンジェリカを連れて、どこか遠くへ逃げているかもしれない。

 もし、それが実現せず、この村に留まることになったとして――じゃあ学校通ってパティと付き合うか、なんて、最低にも程がある。


 いつかお互い成長したら、『そんな日もあったね』と、酒でも飲みながら笑いたいものだ。


「⋯⋯⋯⋯っ?」


 感傷に浸りながら空を見上げると、北の夜空に光の柱が上がっている事に気づく。

 安息日の夜、マナの光が上がるのは、この世界の風物詩というか、日常だが⋯⋯まだ今日はその前日。日本でいう土曜日に当たる、闇の日だ。


 日付が変わったわけでは無い。なのに、北の空では眩い緑色の線が、天空に向かって伸びている。


「⋯⋯⋯⋯なんだ?」


 たったそれだけの事なのに。


 今までだって、日常に変化はあった。

 パティは明るくなり、三馬鹿も改心し、村の人々とも交流を持てた。


 それなのに。

 いつもと違う日に、光の柱が上がる。

 何故か、たったそれだけの事なのに、胸を掻き毟りたくなる程の焦燥感に襲われた。


「⋯⋯なんなんだ」


 風が吹き、大きく穂を実らせた麦畑が揺れる。

 枯草の匂いとともに、花のような匂いが鼻まで運ばれて来て、俺は屋敷の方を振り返った。

 そこにはアンジェリカと、家庭教師のウィニー・クレインが立っていた。


「こんばんは、坊っちゃん」

「あなたは⋯⋯」

「シャーフ、先生がお帰りになるからご挨拶して」


 ウィニーさんの手には、花束が抱えられている。先ほどの花の香りは、これのものだろう。


「坊っちゃんには言っておりませんでしたが、お暇を頂くことになりまして⋯⋯今までお世話になりました」

「あっ⋯⋯そうだったんですか。こちらこそ、ありがとうございました」


 俺が世話になったわけでは無いが、ひとまず頭を下げておく。花束は多分、アンジェリカからの贈り物だろう。


 ウィニーさんは恭しく頭を下げ、村の方へ歩いていく。老婦人に見えるが、近くで見たら若く見える。なんだか、騙し絵を見せられているような、そんな印象を覚える人だった。


 以前、水晶洞窟事件の折、意味深な事を言っていたが⋯⋯結局、その真意を確かめる事もないまま別れる事となったな。


「⋯⋯⋯⋯坊っちゃん」

「はい?」


 ウィニーさんが、すれ違いざまに足を止め、呟く様に声をかけて来た。

 その目は、真っ直ぐに村の方を見つめていた。広場で開かれる宴、その灯を。


「逃げ⋯⋯⋯⋯いいえ、どうかお元気で」

「⋯⋯? はい、貴女もお元気で」


 それだけ言うと、ウィニーさんは今度こそ、村の方へ歩いて行った。

 逃げ⋯⋯と言っていたが、もしかして、アンジェリカと逃げようとしている事が漏れたのだろうか。

 と、なると出どころはアンジェリカ自身だろう。二人はそれなりに長い付き合いだし、授業中に相談でもしたのか。


 姿が見えなくなるまで見送ってから、ふと、北の空に視線を戻すと、光の柱は消え失せていた。


「シャーフ、帰りましょう。パパも待っているわ」


 背後からアンジェリカが近寄って来て、俺の肩に手を置いた。


「はい。あの、姉さん、北の空に光が⋯⋯」

「うん? なにもないけど⋯⋯。もう、安息日は明日よ、待ちきれなかったの?」


 アンジェリカは苦笑しながら、俺を回れ右させ、肩を押して屋敷に向かって向かわせる。

 俺の見間違いだろうか⋯⋯最近は夜更かしが続いていたし、そのせいで幻覚でも見たのかもしれない。


「それにしても⋯⋯」

「? なあに?」


 俺の肩に手を置くアンジェリカの、頭頂部にあるつむじを見る。

 ここ数年でかなり背が伸びた俺だったが、アンジェリカの方はと言うと、全く変わらない。まるで十歳の時から時が止まってしまった様だった。

 今では俺だけでなく、パティや三馬鹿にも背を追い越されてしまっている。

 クリス氏は結構な偉丈夫だから、母親であるソシエさんが小柄な人だったのかも知れない。


「小ちゃいですねー⋯⋯」

「むー、わたしだって気にしてるのだから。でも、その分シャーフが大きくなったからいいの!」

「良いんですか?」

「だって、もしもの時、シャーフがわたしを抱えて逃げられるでしょ?」

「――ああ」


 アンジェリカは、あの約束を覚えていた。


「⋯⋯いつにしましょうか」

「そうね、パパがまた王都に出掛けたら⋯⋯」

「分かりました。じゃあ、荷物の準備をして置いて下さい」


 俺は、それに応える様に、肩に置かれた手に、自分の手を重ねた。

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