終わりの始まりを始めよう・2

 ***



 来月。クリス氏は王都に戻り、パティと三馬鹿は学寮に入る。家庭教師のウィニーさんも今日付けで退職。


 そうなると、屋敷に来るのはスミス氏くらいか。なら、定期配達の隙を縫えば、誰にも見られずに行けそうだ。


 行き先の目星は付いている。北大陸のイーリス国だ。北大陸はマナが豊かで、全世界でも一番、国土も都市も大きい。

 木を隠すなら森の中、子供二人が身を隠すには最適だ。

 軍資金も稼いである。夜な夜な屋敷を抜け出し、魔物を狩っていた。マナ結晶を小銭に替え、総資産は金貨30枚ほどとなった。


 金貨30枚――。

 銅貨10枚が百円ほどと考えると、

 銀貨一枚の価値は1千円。

 金貨一枚の価値は10千円となる。つまり俺の総資産は30万円ほどだ。


 正直、不安は残る。国によって物価も違うし、逃げた先で職にありつけるかも怪しい。

 それでも、俺はアンジェリカの望みを叶えてやりたい。そう思っていたが――。


「――シャーフ、このお金はなんだね?」


 アンジェリカが寝た後、クリス氏の書斎に呼ばれた俺は、冷や汗を流しながら、直立不動の姿勢を貫いていた。

 クリス氏の机の上には、金貨が詰まった革袋が置かれている。俺のものである。


「あー⋯⋯そのー⋯⋯」

「スミスから聞いていたよ、ログナのせがれに混じって、よくマナ結晶を換金しに来ると。まあ、お前は魔法が堪能であるし、怪我の心配はしていないが⋯⋯」

「はい⋯⋯」

「この様な大金を貯めてどうするのだい? 何か欲しいものがあるなら、パパに言ってくれれば、なんでもとは言わないが、話は聞くぞ?」


 クリス氏は、困った様に笑いながら言った。

 多分これは、本当に俺の事を心配している。更に、貴族で金には困っていないだろうに、可愛い我が子に無闇に買い与えようとしない。

 それも、俺を思っての事なのだろう。本当に良い人で、良い親だ。


「俺は――」


 俺は、この人に黙ったまま、アンジェリカと逃げて良いのだろうか。

 優先順位は間違いなくアンジェリカの方が上だ。

 しかし、この人も、間違いなく俺の父親だった。


「俺、は――」

「まあ良い。それより、話があるのだ」

「――へ?」


 ⋯⋯良いの!?


 俺が面食らっていると、クリス氏は机の上で両手を組み、話し辛そうにしている。

 どうやら金の話は、本題に入るための足掛かりだったらしい。


「な、なんでしょうか⋯⋯?」

「うむ、その、な⋯⋯? シャーフは、この村は好きか?」

「はい、大好きですが⋯⋯」

「そうかそうか⋯⋯ところで、他の国に興味があったり⋯⋯しないか? シャーフは本が好きだろう? 例えば東大陸のウィンガルド王国など、どうだ?」

「どうだと言われましても⋯⋯一度は行ってみたい、ぐらいです」


 なんだ? クリス氏は何を話そうとしているんだ?


「もしかして、東大陸に引っ越すんですか? いやーまさか――」

「――その通りだ。やはりお前は聡い子だな」

「はいぃ!?」


 場の空気を和ませようと、冗談で言ったつもりが、なんと的中してしまった。

 俺が、東大陸に引っ越す?


「正確にはお前とアンだけ、だが。東大陸に知り合いがいてね、そこで⋯⋯」

「い、いやいや、ちょっと待ってください! どうして急に、そんな⋯⋯!」


 俺とアンジェリカが東大陸に引っ越すって、大体、婚約の件はどうなったんだ?


「納得しかねます。説明してください!」

「そうだな⋯⋯お前ももう十歳だ。話しておこう、いま、このグラスランド王国がどうなっているか⋯⋯」


 クリス氏は語った。


 ウィンガルド王国には、内部に"敵"がいた。

 王政廃止を旗に掲げる、反王政派勢力だ。

 その名を『インフレイムス』と言う。


 グラスランドの現王であるアダム・ハルモニア・グラスランド三十二世は、インフレイムスに対して、無血で済む共存の道を取ろうと、何度も話し合いの場を持った。


 しかしある日、会食の場で王国の大臣が、インフレイムスの代表に対して毒を盛った。

 代表は一命を取り留めたものの、関係は瓦解し、話し合いの場を持つ事は不可能になってしまった。


 大臣は、穏健派のアダム王のやり方に業を煮やしていたらしく、先走り、この様な下策を取ったらしい。


 その後、インフレイムスは活動を過激なものに変化させ、王都に住む貴族は、何人かが危険な目に遭ったらしい。


「どうも彼奴等、他国の傭兵団を雇ったらしく⋯⋯恐らく、もう無血での解決は不可能だ。実際、カッシウス侯爵が⋯⋯アンジェリカとの婚約をしていた貴族が亡くなられた。恐らく暗殺だ」

「そんな⋯⋯」

「更に⋯⋯これはまだ公にはしていないが、陛下がお隠れになったのだ」

「亡くなった⋯⋯んですか。まさかそれも暗殺⋯⋯」


 まさかそんな状況になっているとは。

 新聞は読んでいたが、反王政派勢力の事も、王の逝去も書いていなかった。混乱を招かないために情報規制でも掛けていたのだろうか。


 クリス氏は頭を横に振り、続ける。


「陛下は既に、お年を召されていた。だが、まだ後継者も決まっていない。この混乱に乗じて、奴等が更に勢いづくのは、火を見るよりも明らかだ」


 つまりクリス氏は、俺とアンジェリカだけでも、安全な場所に逃がそうとしているのだ。

 王政を支える貴族。その急所足り得る、家族の身に何かあれば――と。

 つまり疎開の様なもの、だろうか。


 クリス氏は王政を支える貴族として、その義務を果たすつもりだ。ただ、俺とアンジェリカを巻き込まない様にしたいのだ。


「父さん、俺は⋯⋯」

「よく考えてくれ。だが⋯⋯頷いてくれると、父さんは助かるよ」

「⋯⋯⋯⋯」

「予定を変更して明日の夜、王都へ発つ。恐らく、すぐには帰ってこれなくなる。だから、すまないが、明日までに返事をくれないか」


 クリス氏はそう言って、下がるように手を振った。俺はそれに従い、書斎を出た。


 急な話だったな⋯⋯。

 いや、恐らく何年も前から、クリス氏は戦っていたのだ。

 その中で、魔法が使えない娘の将来を案じ、更には俺の事も――。


 俺は馬鹿だ。知らなかったとはいえ、アンジェリカを連れて逃げようなんて。


 だが、どうすればいい?

 このままクリス氏の希望通り、アンジェリカと東大陸に疎開するとして、パティは、三馬鹿は、村のみんなは⋯⋯。


 この十年間で、大切なものが出来た。いや、出来すぎた。

 その中で優先順位があるのは、人として当然の事だとは思う。

 だが、簡単に割り切れるほど単純なものでは無いのも確かだ。


「⋯⋯外の空気でも吸おう」


 一旦、頭を冷やしてから考えよう。


 そう思って扉を開けた瞬間、饐えたような、焦げたような、不快な臭いが鼻をついた。


「なんだ、この臭い⋯⋯」


 何かがおかしい。

 何かが変わり始めている。

 何かが――終わり始めている。


 そんな焦燥感にかられ、早足で庭を通り、村へ向かった。


「――――は?」


 そして、その光景を見て、膝から崩れ落ちた。


「麦が――」


 屋敷の前方、一面に広がる麦畑が燃えていた。それだけではない、遠くに見える村にまで、火の手が広がっている。


「火事――?」


 村のみんなの顔が頭に浮かぶ。

 同時に、弾かれるように屋敷に戻り、書斎の扉を乱暴に開けた。


「父さん! 村に火の手が上がっています!」


 クリス氏は、俺の尋常でない様子を見ると、すぐに屋敷を飛び出した。


「これは⋯⋯なんという事だ⋯⋯!」

「俺は村人の避難と消火作業に当たります! 父さんは、姉さんを起こして安全なところに!」

「あっ! 待ちなさい、危険だ――」


 クリス氏の声が背後から聞こえる。

 しかし、止まってなどいられない。俺は全速力で村まで駆けた。


 走りながら、麦畑に向かってありったけの水魔法を放つ。

 しかし、燃え広がった火は勢いを増すばかりだ。無駄だと判断し、村人の救助活動を優先する事にした。

 宴の最中だったし、起きている大人もいるだろう。まずはその人たちに呼びかけ、村の外まで避難誘導して、それから消化を――。


「っぎゃあぁぁ!!」

「――――ッ!」


 村に差し掛かった頃、引き裂くような悲鳴が響き、思考が遮られ、足が止まる。

 誰かが村の方から、覚束ない足取りで歩いて来る。だんだんと近づくにつれ、その顔がはっきりとする。


「⋯⋯マイノルズさん!?」


 その青年は、全身を赤黒い液体で濡らしながら、俺に向かって手を伸ばした。


「坊っちゃん、逃げて⋯⋯」

「血が⋯⋯! 早く手当を!」

「い、いいから、逃げ⋯⋯ぁ」


 俺が駆け寄ろうとすると、マイノルズさんの身体が火に包まれた。

 一瞬の出来事だった。さっきまで元気に話していた青年は、全身を黒く焦がして、死んでしまった。


「な、なに、なにが⋯⋯」


 恐怖に歯がガチガチと鳴る。

 今すぐ回れ右して、屋敷に引き返したかったが、村で何が起こっているのか確かめなくてはならない。


 そして、震える足を叱咤して、辿り着いた村の広場では――虐殺が行われていた。

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