水晶洞窟に行こう・2

 ***



 五年間、引き籠り生活をしていた事もあり、俺は魔物と対面した事がない。知識と言えば、書斎で図鑑を読んだくらいだ。

 それが今回、夜の森に入って、初めてのエンカウントと相成った。


「ギッギ……」


 最初に出会ったのは、木立の間から這い出てきた、牙が生えた巨大なミミズ――トゥースワームと言う名前の魔物だ。

 巨大、と言っても普通の蛇くらいの大きさで、遠距離から『ブレイズ』を撃ったら簡単に撃退出来た。

 大きな生き物の命を奪う行為に、少し嫌な気分にはなったが、火球が直撃したミミズの死骸は残らなかった。淡い緑色の光となって、空気に溶けてしまったのだ。


「先生は、魔物は死ぬとマナにかえるって言ってた」

「マナに還る⋯⋯か」


 マナの影響を受けて変化した動物が魔物になり、死ぬとその身体は、空気中のマナに還るって事か。

 更に、ワームが消えた場所には、緑色の小石が転がっていた。指先ほどの大きさの石は、ぼうっと頼りなさげな光を放っている。


「これは⋯⋯?」

「えっと⋯⋯マナの結晶。売ればお金になるって、あいつらが言ってた」


 あいつらと言うのは三馬鹿の事だろう。 なるほど、ここで魔物を狩って、鬱憤ばらし兼、小銭稼ぎをしてたってとこか。

 痕跡を残すのもまずいので、俺はマナの結晶を拾い上げ、ポケットの中にしまった。水晶の洞窟に辿り着く頃には、ポケットの中がジャラジャラと音を立てるほどになってしまっていたので、パティと手分けして持って貰う事にした。


「さて⋯⋯」


 しばらく進むと木立が開け、見上げるほど高い、切り立った崖が現れる。

 岩壁の一部がぽっかりと開いている。あれが水晶洞窟の入り口だろう。


「パティ、ここで待ってろ」


 パティはブンブンと首を横に振る。

 予想通りの反応だが、しかし俺も、ここは譲れない。


「ここからは本当に危険なんだ。死ぬかもしれない」

「⋯⋯⋯⋯やだ⋯⋯!」

「やだじゃないだろ。お前に何かあったらスミスさんも、姉さんも悲しむぞ」

「だって、それは、シャーフも一緒でしょ」


 くっ、痛いところを突いてくる。

 しかし、話によれば水晶の洞窟に棲息する魔物は、森のミミズなどとは比べ物にならない。俺の魔法が効くかも未知数なのに、パティを守りながらとなると、更に生存率は下がる。


「俺は大丈夫だから。こう見えて逃げ足は速いんだ」

「やだあ⋯⋯! シャーフが死んだら、やだもん⋯⋯!」


 俺だって、俺が死んだらやだもん。

 くそう、強情なガキめ。懐かれて悪い気はしないが、今は言い争いをしている場合じゃないのに!しかし、ここで時間を食っていたら、大人たちがやって来るかもしれない。それに、三馬鹿の安否にも関わる。

 結局、俺が折れるしか無さそうだった。


「わかった、わーかった。なら約束しろ、少しでも危なくなったら、俺の言うことを聞け。俺が逃げろと言ったらすぐ逃げろ、いいな?」


 パティは涙目になりながら、こくこくと頷く。

 優先順位の変更だ。まず第一にパティの安全、その次に俺、最後に三馬鹿だ。


「じゃあ行くぞ⋯⋯ん?」


 すわ水晶洞窟⋯⋯と、その入り口に何かを発見する――靴だ。

 それも、子供が履くサイズの靴が片っぽだけ落ちている。

 付着している泥が乾いていないことから、最近脱ぎ捨てられたものだと推測される⋯⋯あの三馬鹿の誰かのものだろうか。


「⋯⋯行くぞ」

「⋯⋯うん」


 パティと目を合わせ、頷きあう。

 間違いない。少なくともこの中に誰かが、それも子供が入った形跡がある。


 俺はクリス氏の部屋から持ち出した、火の魔晶を外套のポケットから取り出し、枝の先に括り付けた。指先からマナを注入してやると、石の先端から小さな炎が上がる。即席の松明だ。


 水晶の洞窟に踏み入る。

 なるほどその名の通り、ところどころに尖った水晶が散見される。洞窟はいくつか分かれ道があったものの、三人分の新しい足跡が続いており、それを追えば目標まで迷わず進む事ができた。


 閉鎖された空間で分かりづらいが、どうも地下に向かってなだらかに降りて行っているようだ。

 魔物の姿は見えない。夜だから眠っているのか、それとも隠れた場所から、獲物おれたちを見定めているのか……。


「あっ⋯⋯」


 横を歩いていたパティが小さな声を上げる。

 進行方向、狭い通路の終わり――そこから光が漏れていた。


「ふっ」


 魔晶の火を吹き消し、松明を地面に置く。人差し指を口に当て、パティに喋らないように指示すると、彼女は口を両手で抑えて頷いた。

 足音を立てないように光の方へ歩を進める。その先はひらけた広間のようになっていて、一面が水晶に覆われていた。


 光源はおそらく、天井から吊りさがった鍾乳石に生えた苔からだろうか。

 薄緑色に輝くそれは、いくつもの水晶に反射し、広間全体を明るく照らしていた。


 そして――。


「⋯⋯⋯⋯!!」


 ――いた。俺が居る広間の入り口、その対角線上に、三人の子供の姿がある。アリスター、ノット、サムの姿を認めた俺は、しかし、悲鳴を押し留めるのに、パティ同様口を押さえた。


 三人は岩壁に横たわり、粘液のようなものにまみれていた。そのせいで身動きが取れない中で、目だけが恐怖に慄いている。

 その視線の先には――巨大な魔物がいた。


 全長は軽自動車くらいだろうか。大きな鋏、尾の先には鋭利な棘が生えている。サソリだ。紫色の甲殻、背中には尖った水晶が連立しており、口からは粘液が滴っていた。


 あの粘液で三人を捕獲したのだろう。三人の横には、先に食われたであろう動物の骨が転がっている。


「⋯⋯⋯⋯ひっ!」


 俺の横から顔を出したパティが悲鳴を押し殺す。

 ここはあの水晶サソリの巣で、三人は運悪くそこに足を踏み入れてしまったのだ。しかし不幸中の幸いか、水晶サソリは身体を丸めて眠りについているようだった。先に食われた動物で満腹なせいか。とにかく、あいつらはまだ無事だ。


 水晶サソリを起こさないように近づき、あの粘液を剥がして救出し、この洞窟から出る――いけるだろうか。

 俺はパティに振り向き、ジェスチャーで上記の事を伝えた。

 更に、ここで待っているように、とも。


「⋯⋯⋯⋯!!」


 しかし返ってきたのは、本日何度目かの、頭を横に振る動作。

 それは待機についての拒否ではなく、俺が広間に行く事自体を否定していた。しかし、ここまできて奴らを助けられなかったら、後味が悪いなんてものじゃない。

 もうすでに涙をこぼしながら、俺の服を引っ張るパティの髪を掻き撫でる。


「また、パイ食べような」


 出来る限り小声で彼女の耳元で囁き、その手を引き剥がし、忍び足で広間に踏み入った。水晶サソリは広間の中央で寝ており、三人の元へは、こいつの横を通らなくてはならない。


 寝ている隙にありったけの魔法をぶち込めば殺せるのでは――という考えが浮かんだが、すぐに思いとどまった。

 殺せなかった時の事を考えろ、こんな巨大な魔物に暴れられたら、ひとたまりもない。


「……ッ、……ッ」


 ゆっくり、ナメクジのように、壁に沿って移動する。

 幸い、水晶サソリの眠りは深いようで、起こす事なく三人に近づく事が出来た。


「⋯⋯! ⋯⋯!!」


 三人は俺の姿を見るなり、驚きの表情になる。

 しかし声を出すとどうなるか分かっているのか、俺がジェスチャーするまでもなく、声はあげなかった。


 拘束している粘液を人差し指の先で掬ってみると、まるでトリモチのように粘つく。火で焼いてみるか⋯⋯いや、臭いでサソリが起きたらまずい。


 見ると、捕えられてから時間が経ったからか、粘液の一部は固形になっている。短剣を取り出し、三人の肉体を傷つけないようにして刃を立てると、多少の抵抗はあったものの、サクリと切れた。


「⋯⋯!」


 音を立てないよう、ひどくゆっくりした作業になったが、粘液を取り払う事に成功した。


 途中、三人とも、両足に靴を履いている事が気になったが、今はそんな事を考えている場合では無い。


 自由になった三人に、広間の出口を指差す。三人は同時に頷き、ホッとした表情になり、しかし、すぐに恐怖に染まった。


「あ⋯⋯あ⋯⋯!」


 その視線は俺の後方――水晶サソリが寝ていた場所を凝視している。

 嫌な予感がする。振り向かなければ。しかし、恐怖で体が動かない。


「う⋯⋯わあああ!!」


 三人のうちの誰かが、耐えきれずに叫んだ。

 それに突き動かされ、弾かれるように振り返り、ありったけの力を込めて、火炎魔法をぶっ放した。


「――走れ!!」


 直系1mはあろう火球が、完全に身を起こした水晶サソリに向かって放たれる。着弾し、爆発し、轟音が広間に響き渡る――それと同時に三人は出口に走り出し、なんとかパティの待つ洞穴まで辿り着いた。


 しかし、俺は動けなかった。今の火炎魔法が精一杯だった。

 生来、というか前世から、特別気が強い性格でもないので、こんな――。


「シュルルル⋯⋯」


 ――こんな、絶対の捕食者に凄まれてしまっては、足が震えてしまうのは仕方がないじゃないか。


 ガキン、と持ち上げた鋏を打ち鳴らしながら、水晶サソリは俺に近づいてくる。俺が放った精一杯の火炎魔法など、背中の水晶を少し砕いただけだった。


「あ、あ……」


 全てがスローモーションに見える。

 身体が巨大な鋏に挟まれる。尾が首をもたげ、先端の棘が紫色に光った。


「シャーフ!」


 ドン、と小さな火球がその尻尾に命中する。

 見ると、パティが洞穴から身体を出し、魔法を放っていた。


「バ、バカ⋯⋯はやく逃げろって⋯⋯」


 俺は震える声で言う。

 しかし、涙を流しながら、必死に魔法を放ち続けるパティには届かない。


「――――あ」


 水晶サソリは、パティの攻撃には目もくれず、目標を俺に固定していた。


「いっ⋯⋯いやああっ!」


 最後に聞こえたのは、パティの悲鳴だった。

 サソリの尾が振り下ろされ、心臓に深々と棘が刺さる。

 大人の腕ほどもある長さの棘は、子供おれの薄い身体など、いとも簡単に貫通した。


「かっ」


 痛みが走り、思考が飛ぶ。痛い。熱い。


 ああ、五年前の感覚が蘇る。

 全て真っ暗になって、どうしようもない喪失感に襲われて。


 思い出した、これ、死ぬって――。



 ***



 暗い。何も見えない。

 多分、俺は死んだのだろう。

 何やってんだ⋯⋯せっかく第二の人生を平穏に過ごそうとしてたのに。


 でも、まあ、三馬鹿は助かった。後はパティも無事に逃げていてくれれば……。


『明日葉様は御人好しですねえ! まあ、だから私も貴方にお声掛けしたんですが――』


 ――はい?


『ハーイ、どうもユノでーす! あらあら、まずいですねこりゃ』


 そんな中、やけに明るい声が響く。

 何年ぶりかの、女神ユノの神託だった。


 ――まずいどころじゃなく、死にました。まだ五年しか経ってないけど、天界に空きってできました?


『そんなわけ。まだぜーんぜん。朝八時の総武線各駅くらいは混んでますとも』


 ――マジですか。じゃあ、次こそ爬虫類に転生ですかね?


『いえいえ、最初に言ったじゃないですかー。貴方には女神ユノの加護を、これでもかと盛り込んでおきました、と!』


 ――――はい?


『アフターケアはバッチリですとも! 最低でも三十年は保証しますよ!』


 その瞬間、転生時にも見た、聖なる光っぽいものが視界を埋め尽くした。



 ***



 突如、視界が開ける。


「ギィィイイ⋯⋯!」


 甲虫の悲鳴が広間に木霊する。刺し貫かれた筈の胸に痛みはない。


「これは⋯⋯」


 俺は生きていた。

 しかも、何時の間にか手にした剣を持って、いつのまにかそれを振って、サソリの尾を切り落としていた。


 なんだ、この剣は。

 ファンタジー作品に出てくるような、見事な装飾の、白い両刃剣だ。


「ギッ、ギッ、ギィィ!」


 尾を落とされたサソリは、痛みからか鋏を外し、俺の身体を解放した。

 改めて胸に手を当てても、服は破れているが傷はない⋯⋯。


 剣を振ってみる。子供の手には不釣り合いな大きさの剣だが、羽のように軽い。


「ギシャアアア!」


 怒り狂うサソリ――しかし、不思議と恐怖を感じなかった。一度死んだ事で開き直ったからか、それともこの剣の効果か。


 三馬鹿も助けられたし、ここは――。


「えー、サソリさん、ここは痛み分けで終わ――」

「ギィィイイィィィィ!!」

「――らないですよねー!」


 振り下ろされた鋏。

 咄嗟に、剣でそれを受けると、鋏はまるでバターのように切断されて地面に落ちた。


「すげ⋯⋯衝撃も何もない」


 更に繰り出された鋏も同様に切り落とし、もはや水晶サソリの武器は無くなり、歩くだけの肉塊と化した。これが女神の加護ってやつか。


「ギッ、ギィッ⋯⋯」

「⋯⋯ごめん」


 俺は剣を掲げ、後ずさるサソリの頭に剣身を叩きつける。


「ギッ⋯⋯!」


 頭を割られ、短い悲鳴を上げ、水晶サソリは絶命した。

 遺骸はマナの光となって消え、後にはマナ結晶だけが残った。

 俺はそれを拾い上げる。ミミズのものよりかなりサイズが大きい。握り拳くらいのサイズだ。


 さて――。


「ひい⋯⋯こ、腰が抜けた⋯⋯」


 尻餅をつくと同時に、剣が手から離れる。

 剣は地面に落ちた瞬間、白い光を発し、俺の右手の甲のマナリヤに吸い込まれていった。


「な、なんだったんだ⋯⋯?」



 ――最低でも三十年は保証しますよ――



 女神ユノの言葉がリフレインする。

 もしかして、三十年経たないと、何があっても死なない……?

 そうだとすると、この剣はもしかしたら、俺が死んだ時にあらわれるのか。今みたいに魔物に殺された際、殺され続けるのを防止する、自動迎撃システムのようなもの、だろうか。


「⋯⋯そうだ、パティとガキどもは⋯⋯むぐっ」


 突然な柔らかいものが顔に激突し、息がつまる。


「い、いぎでどぅ! シャーフがいぎでどぅ!」


 パティだった。痛いほどの力で頭を抱き締められている。


「俺もいぎでだ事にビックリだよ⋯⋯あのバカどもは?」

「と、どっぐににげばぁ!」


 なるほど、とっくに逃げたと。

 洞窟の道中は魔物の姿も無かったし、無事に森まで辿り着いてればいいが。


「⋯⋯俺たちも帰ろう、バレないうちに家に戻らんと怒られるぞ」

「うん、がえどぅ⋯⋯」


 泣き顔ブッサイクだなこいつ。

 まあ、ここまで心配してくれるのは素直に嬉しいが⋯⋯って。


「⋯⋯松明が無いぞ」

「あいつらが持っでっだぁ……」


 恩知らずな奴らだ。

 仕方ないので手探りで、お互いに腰が抜けてしまっていたので、肩を貸し合いながら、なんとか俺たちは洞窟を抜け出した。


 洞窟の出口から見える空は、すでに白み始めていた。

 急がなくては。スミス氏にもバレないように、パティを家に送り届けて――。


「――パティ!?」

「あ、やば、お父ちゃん⋯⋯」


 ――そんな俺の目論見は、洞窟を出た瞬間に瓦解した。

 洞窟を出た俺の目に飛び込んで来たのは、三馬鹿が大人たちに囲まれ、泣きながらへたり込んでいる光景だった。その中にいたスミス氏が、親の勘でも働いたのか、俺たちの方を振り返り、目敏くパティを見つける。


「えっ? 坊っちゃんも……ええ!?」


 その声につられた周りの大人たちも、洞窟から凱旋した俺たちを見やる。もはや、言い逃れは不可能であった。

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