水晶洞窟に行こう・1
「坊ちゃん、お待たせしました。いま、本をとってきますので⋯⋯」
戻ってきたスミス氏は笑顔を浮かべてはいたが、その額には汗が浮かんでいた。
ただならぬ様子に、俺の手を握るパティの指に力が篭る。
「子供が行方不明、なんですか?」
「⋯⋯聞いていたのですか。大丈夫です、おおかた森で迷っているだけでしょう。村の者が捜索しているので、今晩中には戻ってきますよ」
スミス氏は笑顔でそう言ったものの、その表情は硬い。
「俺っ……! いえ……」
しかし、俺に何が出来るわけでもない。
いくら魔法が使えるとはいえ、まだ五歳児の俺が何を言っても、子供は家に帰れと返されるだけだ。
「さ、屋敷までお送りします。今日はもう外出なさらずに⋯⋯」
言われるまま、俺は本を受け取って屋敷に戻った。早足で歩き、庭の門柱まで差し掛かると、スミス氏は頭を下げ、早足で村の方に駆けていった。
「⋯⋯マジか」
まさかこんなことになるとは。
これって、パティを助けたから三馬鹿の鬱憤が溜まって、それが魔物いじめに変わって、増長した三馬鹿が調子に乗って――つまり俺のせい?
「助けに⋯⋯いやでも⋯⋯」
ジリジリと、焦燥感が募る。責任を負い過ぎているかもしれないが、子供が危険だという時に、落ち着いていられない。
「⋯⋯⋯⋯」
「――おや。こんなところでどうなさいました?」
「――!」
庭のベンチに腰掛けて思案していると、急に頭上から声がかかり、俺は驚いて顔を上げた。そこにいたのはアンジェリカの家庭教師の老婦人――かと思ったが、近くで見ると存外若い。三十代前半くらいだろうか。
白髪かと思っていたが、軽く金色を帯びたそれは、白金色の髪だということに気づく。
「あ――あなたは」
「そういえば自己紹介がまだでしたね。私はウィニー・クレイン。以後お見知り置きを」
かなり前から顔は合わせていたが、今更お見知り置きもなにも。静かに喋る人だが、その声はしっかりと耳に響く。
「あ、俺はシャーフ⋯⋯」
「存じております。それで、何かありましたか? もう陽も落ちておりますゆえ、体に障りますよ」
俺の自己紹介は遮られた。なんだか腑に落ちないが、とりあえず村で起こった事件について話して見ることにした。
「成る程、村の子供が行方不明と。確かに水晶洞窟は危険なモンスターが棲息していて、そこに子供が踏み込もうものなら命はないでしょうね。それで、坊ちゃんはその子らの身を案じて?」
「ええ、そんな所です……」
俺は俯く。
あいつらの無事を祈るしかないのが、やるせなかった。もっと他にやり方があったかもしれない。パティだけでなく、三馬鹿も一緒にケアしていたら、こうはならなかったかもしれない。
「気になるようでしたら行ってみると良いでしょう」
「は⋯⋯? 今なんて?」
「貴方は女神の加護を持っているのですから。その右手のマナリヤを――」
――いま、この人はなんて言った?
「なぜそれを――」
風が吹く。
俺が顔を上げると、ウィニー・クレインの姿は無くなっていた。まるで風に立ち消える煙のように、その姿を眩ませてしまった。
「⋯⋯なんなんだ、いったい」
俺はとりあえず、屋敷に入った。
なにも知らないアンジェリカはいつも通り明るく、夕飯の時は今日の授業の内容はどうだった、といった話をしていた。
「⋯⋯シャーフ? なんだか顔色が優れないわ?」
しかし、俺の微妙な表情の変化を感じ取ったのか、心配そうな表情になる。
「ああ、いえ⋯⋯すこしパティと遊びすぎて疲れたのかもしれません」
「そう⋯⋯でも、パティちゃんが来てから、毎日がもっと楽しくなったものね。他の子も遊びに来れば、もっともっと楽しくなるのに」
他の子も――。
アリスター、ノット、それからサム。
あいつらも一緒にいたら、アンジェリカはもっと喜ぶだろうか。
「――ごちそうさま。ごめんなさい姉さん、今日は先に寝ます」
「そう⋯⋯? おやすみ、シャーフ」
二階の自室に戻り、クローゼットの中から動きやすい服を選んで着替える。
しばらくして、隣の部屋のドアが閉まる音を確認したら、忍び足で一階のクリス氏の部屋に向かう。
音を立てない様に注意しながら、壁に飾られた短剣を手に取った。クリス氏が狩りにでも使っていたのだろうか、よく手入れされたその短剣は、子供の手には少し重かった。
更に水筒や、火の魔晶なども拝借する。外套は丈が余りまくったので、心の中でクリス氏に謝罪しながら、短剣で裁断させてもらった。
そして、アンジェリカが寝静まった頃、俺は屋敷を出た。
***
陽は完全に落ち、しかし村は魔晶の篝火が焚かれていて明るい。遠くから広場の様子を伺うと、まだアリスター達は見つかっていない様だ。
俺は麦畑の中を通り抜け、大人たちに見つからない様に、村と外を隔てる柵を飛び越えた。
別に、自分にどうこうできると思ったわけじゃない。ウィニー・クレインの女神の加護云々って言葉に触発されたわけでもない。
ただ――もしあいつらが無事で、友達が増えたとしたら、アンジェリカは喜ぶかもしれない。俺が行く事で、その可能性が少しでも上がるなら⋯⋯。
「⋯⋯シスコンか俺は」
あの優しく朗らかな少女のために、何かしてやりたいと思ったのは確かだ。
しかし、俺が死んでしまったら、アンジェリカは独りになってしまう。それだけは絶対に避けなければ。危なくなったら即撤退。これだけは守ろう。
「あそこか⋯⋯」
街道は大人たちが闊歩しているので、その目を掻い潜りながら森の入り口に辿り着く。
森に足を踏み入れる。ブナに良く似た広葉樹が群生しており、風に揺れた葉がざわざわと音を立てる。捜索中の大人に出くわさないよう、月明かりを頼りに慎重に足を進めていると――。
「――⋯⋯!」
後方から、微かな足音がする。
村の大人では無い。俺が歩くと足音がし、足を止めると少ししてから止まる。
尾行されている――魔物だろうか?
「⋯⋯⋯⋯」
緊張しながら短剣を逆手に構えて振り返る。しかし夜の森は視界が悪く、風にざわめく木々に隠れて追跡者の姿は見えない。
迎撃――いや、もし大きな音を出して、大人たちに見つかったら、その場で強制送還だ。
ここはなんとか撒こう。俺は背を低くし、森の奥に向かって駆け出した。
「あっ⋯⋯」
追跡者の声がした。どこかで聞いたことがある気がしたが、今の俺にそんな分析をする余裕はなかった。ところが足音は、後からついて来る。
ガサガサと落ち葉を踏み歩く音に追いかけられ、焦燥感が駆り立てられる。
と、丁度いいところに、背の低い木が連なっていて、子供一人なら入れそうな獣道を発見した。
そこにスライディングで滑り込む。これなら追跡者が大人なら入ってこれないし、魔物なら大人にバレずに対応できる――。
「ま、待ってぇ⋯⋯!」
しかし、獣道に潜り込んで来たのは、そのどちらでもなかった。
「おま⋯⋯パティ!?」
「お、置いてかないで⋯⋯」
追跡者の正体は、パティだった。
彼女は息を切らしながら俺の胸に抱きつき、その身体は汗でびっしょりだ。
「なんでお前⋯⋯! とりあえず水飲め、ほら!」
俺はクリス氏の部屋から持ち出した水筒を取り出し、パティの口に当てる。パティは喉を動かしながら水を飲み干すと、ようやく落ち着いた。
「ふう⋯⋯ふう⋯⋯シャーフ、速いよ⋯⋯」
「ハヤイヨーじゃなくて、なんでお前がここにいるんだよ」
「窓から外を見てたら、シャーフが麦畑に入って行くのが見えて⋯⋯」
どうも、俺が気になって追いかけて来たらしい。村の大人に気を取られすぎていて、この小さな追跡者にまで気が回らなかった。
「帰れって。スミスさんに大目玉食らうぞ」
「シャーフも帰ろうよ、危ないよ」
「俺は大丈夫。お前は帰れ」
「やだ。シャーフが帰らなかったら帰らないもん⋯⋯」
パティは泣きそうになりながらも断固抵抗する。俺に抱きついたまま地面に座り込み、その足は震えてしまっている。
困った。この状態のパティに一人で帰れというのも酷だ。かと言って、このまま連れて行くのも⋯⋯。
「だ、だいたい、シャーフはなんでここにきたの?」
「⋯⋯夜の散歩だよ」
「うそ。そんな短剣までもって⋯⋯」
「夜にしか生えないキノコ狩りだよ。いいから、森の出口まで送るから帰れって!」
語気を強くして諌めるも、パティは首を横に振る。
「やだ! あいつらを助けに行くんでしょ!? なんでそんな⋯⋯んむっ」
大声を出しかけたパティの口を、慌てて手で塞ぐ。
いくら木立で隠れているとはいえ、子供の大声が聞こえたら大人たちが寄って来かねない。
⋯⋯まあ、確かに自分をいじめてた奴らを助けようってんじゃ、パティも納得がいかないだろう。
「静かに⋯⋯! あー、アレだ、俺は領主の息子だから、父さんが不在の時に、領民に何かあったらまずいんだよ」
「むー⋯⋯」
それっぽい言い訳をでっち上げると、パティは不承不承といった様子で納得した様だった。
しかし、帰れと言ってもそこだけは譲らず、また大声を出しかねないので、結局同行を許す事となった。
「いいか? 危なくなったら即逃げるんだぞ?」
「あたしだって、魔法使えるもん⋯⋯」
「⋯⋯離れるなよ」
俺はパティの手を握り、獣道を抜け出した。
これだから子供は⋯⋯パティにまで何かあったらスミス氏どころか、アンジェリカまで悲しむ。
最優先は俺たちの身の安全だ。それを胸に刻み、引き続き森の奥へと歩を進めた。
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