村に出てみよう

 ケイスケイ家の屋敷があるウォート村は、麦の栽培が盛んだ。

 この村で生産された麦だけで、西大陸全体シェアの大多数を占める⋯⋯と、クリス氏の書斎にあった本に書いてあった。


 敷地は広大。しかしその殆どは畑が占めており、総人口は百人にも満たないしずかな農村だ。

 しかし寒村と言うわけでもなく、麦を買い付けに来る行商や、旅人らしき風体の人々などなど、人の行き交いはある。


 村まで降りた事はなかった。

 屋敷は小高い丘の上に建てられていて、庭からは村の様子が一望できる。今までは、そこから麦畑や、遠くに見える米粒ほどの村人や、行商の馬車らしき幌を眺めるくらいだった。


 買い物や日用雑貨は、たまに帰ってくるクリス氏が買い与えてくれる他、決まった周期で村の雑貨屋が屋敷まで届けに来る。

 その雑貨屋とも話をしようと試みたが、いつもそそくさと帰ってしまうので、失敗に終わっている。


 さて、そんな籠の中の鳥状態だったが、このたび晴れて村にお出かけと相成った。

 目的は特に無い。強いて言うなら、何か新しい発見をして、唯一の話し相手であるアンジェリカとの会話の種にでもなれば良いなと。


 石で舗装された道を歩く。両脇には麦畑が広がり、枯草の香りが鼻腔を満たした。

 村は石造りの家が立ち並んでおり、家畜小屋では見たことの無い動物が飼育されている――いや、前の世界にいた豚や牛に似てはいるが、牛の体毛が赤かったり、豚のひたいから角が生えていたりと、やはりここは異世界なのだと再認識させられた。


「おや⋯⋯貴方はケイスケイの坊ちゃん」


 俺が赤い牛を眺めていると、背後から声がかかる。


「あなたは⋯⋯雑貨屋さん。いつもありがとうございます」


 声の主は、いつも屋敷に食料や生活用品を届けてくれる、雑貨屋の主人だった。人懐こそうな顔をしている、口髭を蓄えた壮年の男性だ。


「いえいえ、領主様にはいつもお世話になっておりますので⋯⋯それでは」

「あっ、ちょっとっ!」


 雑貨屋さんは会話もそこそこに、足早に立ち去ってしまった。屋敷に来る時もそうだが、どこか余所余所しい印象を受ける。


 その後、村を歩く途中で何人かの村民と会ったものの、俺が挨拶しても頭を下げるだけで、会話は無かった。


 ⋯⋯まあ、今まで屋敷に引きこもっていた子供がいきなり出てきたら、何事かと警戒するよな。

 流石にこの村の領主の息子である事は知られてはいるだろうが、それを差し引いてもこの塩対応は然もありなん。


 でも出歩いて気分は晴れた。屋敷に戻って、また書斎でも漁るとする――――ん?


「――やめてよぅ⋯⋯」


 屋敷に続く路に差し掛かる直前――家畜小屋の裏から、子供の声が聞こえてくる。


「うるせえな、ほら、そっち押さえとけ!」

「生意気なんだよ、魔法もヘッタクソのくせして!」


 耳をそばだてると、どうやら言い争いではなく、一人を多人数で攻め立てている様だ。

 厄介ごとに首を突っ込んだら、アンジェリカやクリス氏に迷惑がかかるだろうか。いやしかし、女神様からは『悪行はダメ』と言われている。

 いじめを見逃すのは善か悪か、と問われれば、間違いなく後者だろう。

 でも、所詮子供同士の喧嘩だしなあ⋯⋯。


「ほら、火魔法のお手本見せてやるよ! お前のその髪なら燃えてもかわんねーだろ!」


 おっと、これは流石にいけない。

 いくらなんでも火を使うのはNGだ。俺が小学生の時なんて、理科の授業で使うマッチやアルコールランプで悪ふざけしたら、先生から大目玉を食らったと言うのに。


「こらこら、火はいけないよ火は」


 俺は家畜小屋の裏に回り、子供たちの喧嘩に割って入った。そこでは予想通り、一人の女の子を、複数の男の子が囲んでいた。


 歳は俺と同じか、少し上くらいだろうか。

 学校の制服と思われる、ブレザータイプのジャケットを着て、その上から短めな丈の、濃紺のローブ羽織っている。男子はスラックス、女子はスカートの様だ。

 女の子の制服だけは泥の様な汚れが付いていた。嫌な臭いがすることから、家畜の糞でも投げつけられたのかもしれない。


「ああ!? なんだよこのガキ!」

「俺から見たらお前らの方がガキだよ⋯⋯じゃなくて、髪なんて燃やしたら大変だよ。大火傷するかも知れないよ」


 クソガキ――もとい男の子の一人は、突然の闖入者こと俺に、鼻息荒く食ってかかってきた。

 体格は向こうの方が上。さらに言えば俺は五歳まで屋敷から出てこなかったもやしだ。取っ組み合いになれば、俺は家畜の糞に埋もれる事になるだろう。


「まあまあ、なんでその子をいじめるのかな?」

「ああ!? こいつが魔法下手なくせに、先生におべっか・・・・使ってるからだよ!」


 聞いたら素直に答えてくれるあたり、やっぱりまだ子供だなあ。

 とにかく俺がこの場を打開し、人間キャンプファイアーを阻止するには、こいつらを落ち着かせる必要がある。


「――⋯⋯へぇー! お兄さんたち、魔法が使えるんだー! すっごーい!」


 俺はなるべく純真な子供を装い、クソガキたちに賞賛の目を向けた。これは意外と効く。どんな人であれ、自分の長所を手放しで褒められると、決して悪い気はしないのだ。

 それが他意の見られない、子供からのものなら尚更である。


「お、おう⋯⋯まあな!」


 ガキどもも満更ではない様子だ。

 乗ったな、単純なガキどもめ。


「そっちのお姉さんも使えるの?」

「こいつはぜーんぜん! なのに先生には気に入られてよー、腹立つよな?」


 こちらに同意を求めてきた。これはこちらへの敵意が無くなった証拠だ。

 明日葉 羊、営業歴七年――上司や取引先からのパワハラに、胃の壁を薄くしながら培ったおべっかちからを甘く見るなよ――!


「そうなんだー⋯⋯お兄さんたち魔法が使えてすごいのにー⋯⋯」

「だろ? なあ?」


 三人の男子は顔を見合わせ、鼻の下を擦ったりしている。自分たちがいじめていた女の子の事など、完全に眼中から外れている。


 俺は横目で女の子を見る。ウェーブがかった赤髪の、陰気そうな子だ。いじめられているのだから、陰気になるのも仕方がないが。

 それにしても、モッフモフの髪である。昔実家で飼っていたポメラニアンのチョビを思い出す。

 さっき男の子の一人が言ってた『燃えてもかわんねー』って言うのは、もともと縮れているからという意味か。


「⋯⋯⋯⋯?」


 チョビ⋯⋯もとい女の子が怪訝そうな表情で俺の方を見る。突然現れた俺に驚いているようだった。

 そして、さっきまで自分をいじめていた男の子たちが、自分から意識が外れたのを見て、再度様子を伺う様に俺を見る。


「っ! っ!」


 俺は頷き、村の方に向かって首を振る。


「――は、ぁっ!」


 意図を汲んでくれたのか、女の子は立ち上がると、脱兎の如き勢いで村の方に駆けて行った。


「あっ、てめっ!」

「ねえねえお兄さんたち僕魔法見てみたいなー! あー見てみたーい!」


 後を追おうとする男の子の裾を掴み、その足を止める。


「お兄さんたちの行ってる学校ってすごいところなんでしょー!? 見たい見たーい!」

「お、おう⋯⋯まあ、あいつは今度でいいか、な?」


 三人は頷きあう。いじめの対象より、自分たちの魔法を披露したい欲が優ったようだ。根本的な解決にはなっていない気がするが、ひとまず良しとしよう。

 ちなみに、学校がすごいところかどうかなんてものは知らない。


 男子たちはそれぞれ、アリスター、ノット、サムと言った。リーダー格で少し小太り気味なのがアリスター。鳥のくちばしの様な鉤鼻なのがノット。サムは⋯⋯眼鏡をかけている以外、特に取り立てた特徴はない。塩顔である。


 三人は六歳で、俺より一つ上だった。俺と比較して体格に差があるが、それは俺が引きこもっていたからだろう。

 家はこの村にあり、近隣の町にある学校に通っている。それは先ほどの女の子も同じらしい。


「――ほら見てろよ! ぬ、ぬぬぬ⋯⋯ブレイズ!」


 アリスターの手の先から、ジッポライターほどの大きさの火が出て、すぐに消えた。

 ⋯⋯あれ? 俺の『ブレイズ』は手のひら大の火球が出るけど⋯⋯ユノが言っていた魔法の才能とやらは本当だったって事か。


「⋯⋯すっごーーい! 本当に火が出たー!」


 しかしまあ、ここで白けた様子を見せるのも可哀想なので、精一杯の賛辞を送っておく。気を良くした三馬鹿は、その後も魔法を披露し続けた。


「じゃあオイラが⋯⋯うごご⋯⋯シューター!」

「すごいすごい! 葉っぱが揺れたよ!」

「次はぼく! おおお⋯⋯スプラッシュ!」

「何もないところから水がー! やばーい!」


 そのどれも俺の魔法に満たないレベルではあったが、アンジェリカに倣って賞賛を送り続けた。



 ***



「じゃあな! また今度見せてやるよ!」


 陽が暮れかける頃、満足した三馬鹿は手を振りながら去って行った。


「わーい⋯⋯またねー⋯⋯」


 俺はと言うと、いくら元営業職で、美辞麗句を並べることに慣れているとはいえ、子供の相手にすっかり疲れてしまっていた。


 ⋯⋯しかし、これではあの三馬鹿を増長させただけな気がする。子供が魔法を使えるこの世界⋯⋯危ないよなあ。いくらライターほどの火とは言え、人や家に燃え移ったら大惨事だ。


 本当にあの女の子の髪が焦げてしまっても後味悪いし、明日また同じ時間に、様子を見に来てみよう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る