魔法を使ってみよう

 ***



 翌日。


 一階の書斎には膨大な量の本が置いてある。アンジェリカの目を盗んでは忍び込み、高い天井に届くほどの本棚をひっくり返し続ける日々。

 鍵がかかっていて開かない床下収納を何とか開けようとして諦めたり、本を積み上げて天井近くの本を取ろうとして転げ落ちたりして、そしてやっと、ついに目当ての本を発見した。


「⋯⋯これだ!」


 豪華な装丁の分厚い本。表紙に刻印された金文字は『魔法学入門』と記されている。

 これだ。ユノに魔法の存在を聞いてから、ずっと試して見たかった。

 転生の際に、オプションで魔法の才能が付いて来たらしい。ので、もしかしたら子供の俺でも、手から火を出すぐらいなら出来るかもしれない。


「えーと⋯⋯」


 胸を昂らせながら、最初のページを開く。


『アグニが遺せし、火炎かえん魔法。

 ヴァルナが遺せし、水流すいりゅう魔法。

 マールトが遺せし、疾風しっぷう魔法。

 プリトゥが遺せし、創土そうど魔法。

 スーリャが遺せし、光輝こうき魔法。

 ラトリが遺せし、虚闇うろやみ魔法。

 原初の六大魔法師ろくだいまほうしが遺せし、偉大なる魔法を修めんとする者に、この書を贈る。』


「……次!」


 魔法とは云々〜と、延々と講釈の書かれたページを飛ばし、お目当ての項まで辿り着く。そこには、空気中のマナを吸収する方法が書いてあった。女神ユノが言うには、まずこれが最初の手順らしい。

 早速実践して見よう。どれどれ⋯⋯。


『空気中からマナを得、体内に循環させ、命じる。これが魔法の発動手順となる事は前述した通りだ。次にマナの吸収について記す。マナは空気中に漂っており、よほど濃度が高くない限り、視覚で捉える事は出来ない』


 前述されていたページは飛ばしてしまったが、なるほど。

 場所によってマナの濃淡があるって事か。濃い場所なら、より強大な魔法が使えたりするんだろうか。

 次のページを捲る。


『我々ヒトの体には、マナを吸収する為の器官――『マナリヤ』が備わっている。位置に個人差はあるが、手背や胸部に現れる事が多い。

 見た目は凡そが宝石や水晶の様である。そこに意識を集中すれば、自ずとマナは体内に集う。

 また、非常に稀ではあるが、生まれつきこの器官が発達していない者もいる。マナリヤ不全者は魔法の行使が叶わない』


 なるほど、『マナリヤ』ね。

 この世界の人間として生まれたからには、俺にも備わっている筈だ。


「⋯⋯あっ、これか!」


 そこでようやく、自分の右手の甲に嵌められた白い宝石の存在に合点がいった。

 なるほどなるほど、これがマナリヤね。

 良かった。俺は父や姉に、無自覚に『キャベツ畑とコウノトリ』を聞いていた訳ではなかった。


 しかし、待てよ――?

 それなら何故、二人ともこの事を説明してくれなかったんだ?

 アンジェリカは魔法学校に行っていないから、知らなくても無理はない。何故学校に行っていないのかという疑問は残るが。

 なら、クリス氏は? もしかして、ある一定の年齢――魔法学校に入学する六歳になるまで、魔法って使っちゃダメなのか?


 しかし『魔法学入門』を読み返しても、そんな事は書いていなかった。


「⋯⋯⋯⋯うーむ」


 正直、我慢の限界だった。

 退屈な生活を五年も続けてきたのだ。

 ようやく暇を潰せる手段を見つけたのに、実践出来ないなんてひどい生殺しだ。

 アンジェリカにもなるべく迷惑をかけずにやって来たつもりだし、ちょっとくらい法を犯しても良いのではないだろうか。


 一人でそう納得し、右手を宙にかざし、マナリヤに意識を集中する。

 すると、すぐに変化が起こった。右手がぼうっと熱くなり、それから血が巡る様に、体内を何かが駆け巡り始めた。

 それからどうすればいいんだろうか。次のページを捲る。


『マナの吸収に成功すると、その部分が熱を帯びる。長時間、マナを体内に留めておくと、中毒症状が発生する危険があるので、吸収したマナは即座に魔法へ変換する事が望ましい』


「⋯⋯先に言えよ!」


 ……いや、先に見ておけばよかった!

 慌ててページを捲り、『魔法発動』の項に辿り着く。


『魔法の発動にはマナを要する。より強大な魔法は大量のマナを使用する事から、マナを吸収するマナリヤが大きな者ほど、魔法の才能が高いとの見方が一般的だ

 魔法を発動するには、詠唱する必要がある。彼の六大魔法師が定めた六属性の魔法。それを以下に記す』


 読み進めている間にも、身体はどんどん熱を帯びていく。

 俺はとにかくマナを放出しなければと、最上段に書いてあった魔法の名前を読み上げようとした。


『風の初級魔法、シューター』


「え、えーと、シュ――!」


 ――ドアに向かって右手を突きだすと、体内の熱が一気に引いて行く感覚と共に、風が巻き起こった。

 まだ、口にしていないのに――?


「シャーフ? またパパの書斎に……きゃっ!?」

「ーター⋯⋯え?」


 それと同時にドアが開き、アンジェリカに風が直撃する。魔法の風を受けたアンジェリカは吹き飛ぶ――事は無く、豊かな金髪とスカートが風で捲り上げられただけだった。


「こ、これって――」


 アンジェリカは驚きの表情を浮かべている。

 とりあえず、また勝手に書斎に潜り込んだ言い訳及び、未成年魔法使用罪の弁明を考えなければ――!


「――すごいわシャーフ! あなたは魔法が使えたのね!」


 俺が言い訳を考えていると、アンジェリカは俺に駆け寄り、抱きしめてきた。

 苦しいくらいに抱きしめられ、金髪が頬をくすぐり、洗濯石鹸の匂いが鼻腔に届く。


「パパもきっと喜ぶわ! すごい、すごい!」

「え、えーっと⋯⋯?」


 とりあえず喜んでくれているようで、言い訳の必要がなくなったのはありがたいが⋯⋯。


「あなたはすごいわ、シャーフ! きっとすごい人になれるわ!」

「姉さん⋯⋯⋯⋯?」


 涙を流しながら喜ぶアンジェリカの姿に、不穏な違和感を感じていた。




 ***



 アンジェリカに魔法を目撃されてから数日が経った。


「ね、ね、シャーフ? もういちどやって見せて?」

「はい、姉さん。よいしょっ」

「わぁ⋯⋯この前より風が強くなってるわ!」


 手の先から風が吹き、植木の葉を落とす。それを見たアンジェリカは目を輝かせた。

 俺は屋敷の庭で、アンジェリカと魔法の練習をしていた。とはいえ、実際魔法を使うのは俺だけで、アンジェリカはそれを見て、手を叩いて喜んでいるだけだ。


「⋯⋯⋯⋯」


 アンジェリカはマナを吸収する器官――マナリヤが無い、のかもしれない。


『魔法学入門』には、凡その人は手背にマナリヤが有る、と書かれていたが、アンジェリカの小さな白い手には、宝石の様なものは見受けられない。一緒にお風呂に入った時も、失礼にならない程度に身体を観察したが、それらしきものは見当たらなかった。


 アンジェリカが魔法を行使しようとしても、それが成功する事は無かった。しかし彼女は嘆く事はなく、むしろ俺が魔法を使えさえすれば十分――彼女の無垢な笑顔からは、そんな印象を受けた。


 俺はせめてアンジェリカを喜ばせようと、請われれば何度でも魔法を披露した。

 風魔法の『シューター』、火炎魔法『ブレイズ』、水魔法『スプラッシュ』⋯⋯様々な魔法を見せるたびに、アンジェリカは笑顔になった。更に、魔法を使う度にマナの制御技術や魔法の威力も上がっているようで、今や『シューター』なら庭木の枝を折るくらいの風圧を生み出せていた。


「あまり木を切ったら父さんが困るのでこの辺で。姉さん、そろそろ⋯⋯」


 ⋯⋯静かな生活を送れているのは間違いないが、どうもこの状況は不穏だ。ほぼ不在の父親に、魔法が使えず学校にも行かせて貰っていない姉と⋯⋯。

 書斎で得られる情報にも限りがあるし、今度ユノが現れたら諸々の事情を聞いて見よう。


「あっそうね! そろそろ先生が来る頃だわ!」


 魔法に目を輝かせていたアンジェリカは、慌てた様子で屋敷に駆けて行った。


「ご飯は作ってあるから、ちゃんとたべるのよー!」


 扉の前で振り返り、手を振るアンジェリカに手を振り返す。それを笑顔で受け取った彼女は、屋敷の中に入っていった。

 そう、最近分かった事だが、アンジェリカには家庭教師が居た。俺はその授業光景を見たわけではないが、一応教育は受けているのだと少し安心した。


 家庭教師は落ち着いた感じの老女で、週に一度くらいのペースで屋敷に訪れ、昼から夜までアンジェリカに教育を施している様だ。

 俺は暇があれば書斎に篭っていたので、最近屋敷内でその老女と出くわすまで、その存在を知らなかった。


「ふぅ⋯⋯でも、安定した暮らしが送れてるなら、いい⋯⋯」


 魔法も使って見たかっただけで、これを機に、何かを始めようなんて気も起きない。アンジェリカの慰めになれば、ぐらいの気持ちだ。


「いい⋯⋯けど、なあ」


 活動範囲が屋敷の中だけと言うのは流石に飽きが来る。アンジェリカはもうすぐ家庭教師が来るし、別に禁止された記憶もないので、俺はウォートの村に出てみる事にした。

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