Chapter.1 麦畑の村で
赤ちゃんから始めよう
どうも、明日葉 羊改め、今世の名はシャーフ・ケイスケイです。
異世界転生した結果、ケイスケイさんのお宅にて、新たな生を歩むことと相成りました。
「まあシャーフ、もうたっちできるようになったの?」
こちらの女の子はアンジェリカ。俺の姉に当たる人だ。
俺を産んだ直後に亡くなってしまった母親に代わって、まだ赤子である俺の世話をしてくれている。
といっても、アンジェリカもまだ年端もいかない子供だ。そんな子におしめを変えてもらったり、離乳食を食べさせてもらっているのは、非常に申し訳ない気分になる。
「あぶぶ」
「まあ! パパ、シャーフが笑ったわ!」
今の俺に出来る事と言えば、せいぜい愛想を振りまいてアンジェリカを喜ばせるくらいだ。
「おお! それは本当かね?」
アンジェリカの声を聞いて、隣の部屋からすっ飛んできたこちらの男性は、父親のクリス氏だ。何を生業としているかはまだ分からないが、クリス氏は家を留守にすることが多く、今日は久々にその顔を見ることが出来た。
「早いものだ……この子が生まれてから、もうすぐ一年にもなるのか……」
一年――そう、一年だ。
俺は一年間、赤ん坊の状態で過ごしてきた。意識はハッキリとしているのに、自分では体も動かせず、ようやく四つん這いで歩けるようになっても、すぐにアンジェリカが飛んできてベッドに戻されてしまう。
この子を困らせるのも忍びないので、大人しく、聞き分けが良い赤ん坊として過ごしてきたのだ。
「母さんも天国で喜んでいるだろう。ソシエ……お前が守ったシャーフは、すくすく育っているぞ……」
クリス氏は胸の前で十字を切る。
ソシエさん――俺の母親に当たる人だ。
生来、身体が弱く、アンジェリカを産んだ際に『これ以上の出産は命に関わる』と言われていたものの、どうしてももう一人、更に言えば男の子が欲しいと切望し、俺を産んだ。
その結果、身体が耐え切れずに亡くなってしまった……と、クリス氏がアンジェリカに話しているのを聞いた。
「そうだわ、明日はシャーフの誕生日だからお祝いしなくちゃ!」
「はっはっは、そう言うと思ってな、近くの町からケーキを買ってきたよ」
「でもパパ、シャーフはまだ食べられないわ?」
「む⋯⋯⋯⋯しまったな」
「あぶぶ……!」
ああ、ケーキ。俺は甘いものに目がないと言うのに。
何はともあれ、俺は新たな生を得た。母親がいなくなってしまったのは悲しいが、父も姉も良い人だ。
振り返れば、かなり胡散臭かった女神様から、色々と『異世界転生特典』を盛られた様だが、別に発揮しなければいいのだ。
せめて、このケイスケイ家の人達には迷惑をかけないように生きて行こう――。
『ハーイ! ユノでーす! お誕生日おめでとうございます!』
「ばぶ!?」
突如、神託が俺の頭の中に響いた。
神々しさなどカケラもなく、フランクな口調そのままだ。
「あら、どうしたの?」
「おやおやシャーフ、何か驚いた顔をしているね⋯⋯そんな顔も可愛いな! パパでちゅよ!」
『二度目の人生はどうですかー? 割といいとこの家庭を選んだつもりですが。あ、私と話したいなら念じていただくだけで結構ですよ!』
「あー、うー」
――なるほど、分かりました。
「パパ、シャーフったら難しい顔で天井を見上げて何か言ってるわ」
「はっはっは、妖精さんとでも話しているのかも知れないね。パパともお話ししない?」
妖精さんではなく女神様だけども。
――さて。何か御用でしょうか、女神様。
『ええとですね、この世界について説明するのを失念しておりまして、少しばかりお時間いただけますか?』
――忘れてたんですか。はあ、お願いします。
『では――まずこの世界ですが、明日葉様がいた世界とは別の次元に存在しています。大きな違いは魔法が存在すると言った点ですね』
出た、魔法。
異世界と言うからには、剣と魔法の世界を想像していたが、本当にあるとは。
『この世界には、空気に混じってマナと呼ばれる魔法の元が存在しています! それを変換して魔法を使う事が出来るんです。それは才能に依るところが大きいですが、ご安心を! 明日葉様には、強大な魔法の才能を持って産まれるように、遺伝子をちょちょっと弄っておきました!』
――はあ。そうですか。
『あ、あれっ? 反応が薄いですね?』
――いや、この赤ん坊の状態でそんな事言われましても⋯⋯すぐに使えないならあまり惹かれないというか⋯⋯魔法に興味はありますけど、使えたところで何かメリットはあるんですか?
『勿論ですよぅ! この世界は魔法の才能が偉さに比例しますから! しかもそのケイスケイ家は結構なお金持ち、成り上がれる要素満載ですよ?』
――別に偉くならなくていいのですが。俺はただ、二度目の人生を静かに過ごしたいんです。
『とは言いますけどねえ、少なくとも30年、いえ、もっと生きるかも知れないんですから。その間、人生楽しんだ方がお得ですよ?』
――それはまあ⋯⋯確かに⋯⋯?
『まあ私に、ああしろ! こうしろ! と指示する権限はありませんので、好きに生きてみて下さいね! あ、悪行はだめですよ! それじゃ、女神ユノはいつでも見守ってまーす!』
そこでユノからの神託は途切れた。
魔法か。せっかくだし、使ってみたい気持ちはある。
しかし今はまだ赤ん坊だ。自由に動けるようになったら、色々と調べてみようか。
それにしても話してて疲れる女神様だ。もしかして、また唐突に神託が降るのだろうか⋯⋯。
「あぶぅ⋯⋯」
「シャーフったら、今度はみけんを指で押さえているわ?」
「はっはっは、父さんの真似かな? 可愛い奴め!」
***
――そこから更に四年後。
俺ことシャーフ・ケイスケイは、五歳になっていた。
もう一人で歩くことも出来るし、言葉も流暢に話せる。
言葉といえば、この世界の言語は、前世で暮らしていた世界のどの言葉とも違うようだが、二歳の誕生日の時に現れた女神様が『自動翻訳フィルターかけておきましたので!』と、説明してくれた。ありがたい事である。
絶世の美男子になる様に遺伝子弄っておく、とも言っていたが、どうやらそれも盛りに盛ってくれた様だ。サラッサラの金髪、パッチリとした切れ長の青い目――顔の各パーツは、これでもかと言うくらい整っている。このまま健康に育てば、ハリウッド・スターも目ではない容姿に育つだろう。
正直、盛りすぎである。未だに鏡を見るたびにビックリしてしまう。
さて、これまでの生活で色々とわかった事がある。
ちなみに、主な情報源はクリス氏の書斎にある本だ。
――まずひとつ目に、この世界の年月日は、前世と同じく十二ヶ月で一年。
今は
一週間は火の日、水の日、土の日、風の日、光の日、闇の日と、曜日には六大魔法の頭文字が冠されている。闇の日って縁起悪そうだな。
最後、七日目の夜。その日は北の空に光の柱が立ち上る。
眩く、鮮やかな緑色の光は、世界中にマナを散布してくれる『女神の恵み』らしい。
その日は、女神様に感謝と祈りを捧げるための安息日とされ、元の世界で言う所の日曜日だ。
――ふたつ目に、この世界はユノの言った通り、魔法による文明の発達が著しい。乗り物の動力などは魔法によるものが大多数で、生活に使う灯りや、調理の為の火もそうだ。例えば、フライパンで調理する際、トリベットの下には薪ではなく、『魔晶』と呼ばれる石を置く。そして指からマナを注入してやれば、火が熾ると言う代物だ。
――みっつ目に、この世界の全体図。
書斎で見つけた世界地図によると、この世界は四つの大陸で構成されており、海の比重が大きい。北大陸、南大陸、さらには東西と分かれているが、地図の上の方、北大陸の上側が、まるでインクを零したかの様に黒く塗りつぶされている。
それに、地図の縮尺から見ても、この世界は随分と小さい。指を定規にして測っても、端から端で精々3,000kmしかない。これでは月と同じくらいの大きさだ。
――よっつ目に、この世界は動物とは別に、魔物が存在する。
クリス氏の書斎で読んだ文献によると、マナの影響を受けて変質・凶暴化した動物をそう呼称しているらしく、それらは元となった動物と異なる独自の生態系を持つとのこと。
マナは北大陸、その北端に近づくほど濃度が高くなる。
世界地図で、北大陸の一部が黒く塗りつぶされているのは、マナの濃度が高すぎて、探索が出来ない未開の土地となっているからかもしれない。マナが濃いほど魔物が強くなるからだ。
――最後にこの家、ケイスケイ家についてだ。ケイスケイ家の屋敷は、南大陸はグラスランド地方、その西端にある『ウォート村』の外れに建っている。
家長であるクリス氏は、西大陸を束ねる王国の貴族であるらしく、家を空けているのは、遠くの王都まで出向いているからだそうだ。
ユノの言っていた事は正しく、確かに生活に不自由していない。しかし、どこか違和感がある。そんな大層な貴族の屋敷であるなら、使用人やメイドがいてもおかしくないと思うのだが、この屋敷には俺と、姉であるアンジェリカしかいないのだ。
そうそう、アンジェリカと言えば、俺より五つ上らしい。つまり今は十歳。俺がひとり歩きするようになった後でも、変わらず世話を焼こうとして来ている。
「あっ、シャーフ! またパパの書斎に潜り込んでたのね」
「うっ⋯⋯姉さん。ごめんなさい、ちょっと知りたい事があって」
そのアンジェリカが扉を開き、俺の思考を中断した。
背中まで伸びた柔らかな金髪が揺れ、青い瞳は困った様に細められている。父親であるクリス氏とはあまり似ていない。写真や絵画は残っていないから断言できないが、母親似なのだろう。
「もう⋯⋯何度も言うけど、ここには大事な本があるからあまり入っちゃダメよ」
「はーい」
しっかりした子だ。父親が不在気味だと言うのに、毎日家事をこなしている。
俺も前世は一人暮らしだったし、ある程度の家事は身に染み付いているので、手伝おうとしても――。
「これはお姉ちゃんの役目だから、シャーフは遊んでていいの!」
――と、拒否されてしまう。
しかし、このアンジェリカについても不可解な点がある。
クリス氏の書斎で見た本によると、この世界にも学校の様な教育機関は存在する。普通の子は六歳になると、いわゆる魔法学校に入学するらしいのだが⋯⋯アンジェリカにそんな気配は無い。
この村に学校は無いが、すぐそばの隣町にはあるし、なんなら王都に行けば西大陸一の学校があるらしい。貴族の子女ともなれば、入学など容易いだろう。
なら何故――。
「お夕飯が出来てるから早くいきましょ。冷めちゃうわ」
アンジェリカに手を引かれて連行され、その日の書斎探索は中断となった。
薄暗い書斎から連れ出され、窓の光が差し込む廊下に踏み入ると、掴まれた手――俺の右手の甲で、白い光が煌めく。
俺の右手の甲には、白い石がはめ込まれていた。
これは何なのだろうか。赤ん坊の時分は気付かなかったが、年を経るごとに段々と大きくなっている。
違和感もなく、手指を動かすのも支障ない。しかし、アンジェリカに聞いても首を傾げられ、たまに帰ってくるクリス氏に聞いても、はぐらかされてしまう。
幼いアンジェリカが知らず、父親にはしらばっくれられる⋯⋯もしや、この世界のヒトの生殖器的なものだろうか。
けど、俺の股間にはきちんと付いているしなあ⋯⋯。謎だ。
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