異世界転生したのですが、最低30年を目標に生きたいと思います。

桐道

プロローグ・異世界転生しよう

 突然だが、俺は死んだ。

 死因は事故死。信号を無視したトラックの右折に巻き込まれ、バイクごと粉々になったのだ。急いでいたから、突然現れたトラックに気づかなかった──。


 まあ、それは良くある話だ。幸い俺には妻も子供もおらず、両親とも疎遠だ。悲しむ人も少ない。


 そして、幽霊となって事故現場に地縛していた俺の前に、女神様が降臨なされたのも、昨今では良くある話だ。


「私は女神ユノ……明日葉アシタバ ヨウよ……。あれ、何だか落ち着いてらっしゃいますね」


 女神っぽい衣装(キトンと言うのだったか)を優雅に揺らしながら、女神様は名乗った。向こうが俺の名前を知っているのも、女神様なら然もありなん。


「まあ、一瞬の事で痛みも無かったですし……お迎えですか?」


 女神様は頷く。

 綺麗な方だ。この後、俺の魂は死後の国に導かれるのだろう。

 俺は頭を下げて、恭しく右手を差し出した。


「では、お願いします」


 しかし、いつまで経っても、女神様は俺の手を取らない。顔を上げると、女神様はそのご尊顔に憂いを浮かべていた。


「実は、問題がありまして。今現在、天界は死者で飽和してしまっているのです」

「マジですか」

「大マジです。もはや芋洗い状態なのです。その惨状たるや、朝の中央線快速を想像していただければと」


 女神様は肩を落としてため息をつく。その様子から、多大な心労が見て取れた。

 というか芋洗い状態って。それは逆に居心地が悪いのでは。それに中央線快速って。やけに日本の交通事情に詳しい女神様だ。


「ええ……。だとすると、俺はどうなるんですか? 」

「ええ、そこでですね、あなたの様な寿命を全うせずに亡くなってしまった方に向けて、いくつかのプランがあるのです」


 女神様が指を振ると、ポンと音を立てて分厚い本が現れる。


「これは明日葉様のような、誠実で善良な魂にのみ提供しているプランなのですよ」

「そ、そうなんですか? そりゃどうも……」


 神の奇跡を目の当たりにしたわけだが、いかんせんこの女神様が、生命保険会社の勧誘に見えて来たので、感動が薄い。

 確かに悪い事はしてこなかった。かといって、取り立てて挙げられるほどの善行も積んでいないつもりだ。


「……拝見します」

「どうぞどうぞ。端からご説明させていただきますね」


 俺の今後に関わる事だ。しっかり聞いておかなければ。死んでから『今後』っていうのもおかしな話ではあるが。


「はい、ではまず最初のページをご覧ください。これはミドリガメですね」

「カメ……亀? あの、甲羅を背負ってて、首が伸びる?」


 ページの中では、写真の小さなカメが、そのつぶらな瞳をこちらに向けていた。可愛い。


「ええ。このコースでは、寿命が長いミドリガメに転生していただき、地球上で三十年ほどの時間を過ごして頂きます。その頃には天界にも空きが出来ている見込みですので⋯⋯。あっ、記憶の引き継ぎも出来ますがいかがします?」

「ま、待って! まだミドリガメには決めてません!」


 俺は首を横に振った。

 ミドリガメ。このつぶらな瞳は嫌いではないし、小学生の時分に飼育した事もあるが、なりたいかと問われたらNOだ。

 それに三十年って。俺は享年二十八歳なので、人生よりも長い時間を記憶を引き継いだまま、カメ状態で過ごさなくてはいけないのは、流石に辛い。


「では次のページを。ムカシトカゲ、ガラパゴスゾウガメなどいかがですか? どちらも寿命百年を超えるので、そこまでなら確実に天界の空きは確保できますが」

「女神様、なぜ爬虫類しか選択肢がないのでしょうか?」


 しかもガラパゴスゾウガメって、絶滅が危惧されてるんじゃなかったか。そんな世界的に重要な生き物に転生したら、下手に死ぬことは許されないじゃないか。

 更にページを捲るも、どのページも爬虫類の写真しか載っておらず、無機質でつぶらな瞳がこちらを見つめてくるだけだった。


「あの、人間……。いや、せめて哺乳類というわけにはいかないでしょうか⋯⋯」

「人気転生先ランキング1位であるヒトは、抽選での決定が行われるのです。それもあって、転生先には爬虫類しか残っておらず、天界は満杯に……」


 それは死者の意志を尊重しすぎる天界サイドに問題がある気がする。こうして選ばせてくれているだけ、まだ有情なのかもしれないが。

 しかし、爬虫類か……。気を重くしながらページを捲り、最後のページを開くと、そこに写真は載っておらず、文字だけだった。


「女神様、これは?」


 最後のページ──そこには『異世界転生コース』と記されていた。


「はい、それは異世界転生コースです。この世界ではない、別の次元への転生となりますが、ヒトへの転生も可能となっております」

「できるじゃないですか! なんで爬虫類を先に勧めたんですか!」

「違うんです、それには少し問題がありまして……。実際に異世界に転生し、天寿を全うされた方の声が下部に記載されておりますので、ご覧ください」


 促され、ページの下部に目を落とす。

 いよいよ怪しい勧誘じみて来たが、これが最後の希望だ。しっかりと読まなければ――。


『事故で死に、異世界に転生できると言われて喜び勇んで行ったはいいものの、可愛い女の子とも知り合えず、童貞のまま寂しく死にました』


『ハーレムを作りたかったのですが、一夫多妻制が浸透していません。妻はいましたがブサイクでした』


『一生平民のままでした。なり上がるとか、よっぽど運が無いと無理ゲーです』


 ――似たような声が続いていたので、ここからは割愛しよう。


「どうも皆さん、華々しい生活を送ろうと意気込んで転生された様なのですが……。どの方も、天寿を全うされていないだけあり、その……職についていない方や、若い学生の身空だったので、理想通りにいかなかったようです」


 女神様は言葉を選びながら、気まずそうに言う。

 つまりは無職や子供が転生して、絵に描いたような異世界転生生活を送ろうとしたものの、ろくな社会経験がなかったから上手くいかなかったと。


「……クレーマーですね、これ」


 俺はこの女神様に同情した。

 俺自身、生前は営業職に就いていた事もあり、こういった理不尽なクレームを多々受けていたから、その苦労は身に染みて分かる。


「でも、ヒトに生まれ変われるんですよね? それで最低三十年生きれば、天界に行けると」

「その通りです! ああ、久しぶりにスッと話が通じるお客様に会えました」


 お客様って言っちゃったよ、この女神様ひと。俺の手を取って握手をし、ブンブンと振るその様は、もはや神の威光など毛ほども無い。

 落ち着いて下さい、と宥めると、女神様はやっと我に返った。


「⋯⋯こほん。それまでには天界も整備されて、更に大勢を収容できる様になっているはずです」

「良いですね。ではそれで、お願いします」


 つまり異世界で最低三十年もの時間を潰せば、俺はまた、この世界でヒトとして生まれ変われるのだ。特にハーレムや成り上がりといった願望も薄いので、直人ただひととして、清く正しく生きて行くとしよう。


「いやー、やっぱり顧客とのコミュニケーションは大事ですね。最近は死んだ事を認めない人とか、異世界に幻想を抱いてる人が多くて辟易してたんですよう。あ、なんかオプションつけます?」


 商談が取りまとまった途端、急にフランクな口調になる女神様。どうやら俺の対応が気に入られてしまった様だ。いいのかそれで。


「お、オプション? ……あっちょっと!」


 女神様は俺から本を奪うと、ものすごい勢いで指を動かし始める。


「取り敢えず、皆さん希望されるから、転生前の記憶は残しておいてー、あと魔法の才能もチェックつけてー。男女どちらに生まれたいですか?」

「えっ、えっ? じゃ、じゃあ男で」

「りょでーす! あ、せっかくだから美男子になる様に遺伝子弄っておきますね! あとはこれとこれと……伝説の剣とかいります?」

「普通で良いです、普通で! 余計な事は──」

「んじゃ、二度目の人生いってらっしゃーい! あ、アフターサービスも万全ですから、安心してくださいねー!」


 女神様が指を振ると、周囲の風景が眩い輝きを放つ。

 抗議も虚しく、俺は聖なる光っぽいものに包まれ、そして──。




 ***




 ──どうなった?

 何も見えない、聞こえない。

 ただ有るのは、全身が柔らかな布に包まれている感触だけだ。


『ハーイ、ユノでーす! 無事異世界に転生しましたよー!』


「んぎゃぁ⋯⋯」


 女神様の声が聞こえて、返事をしようとしたが、口からは か細い泣き声が出るだけだった。


『あらあら、赤ちゃんだから話せませんでしたね。とりあえず貴方にはこの女神ユノの加護を、これでもかと盛り込んでおきましたので! 天界に空きができるまで楽しんでくださいね!』


「おぎゃ、あぶぶ……」


『ああでも、こっちの生活が気に入ったなら、三十年経った後もそのまま過ごしてくださって全然構いませんよ! ではではー、また来ますねー』


 女神様はそれだけ言うと、それから俺が心の中で呼びかけても、応じる事は無かった。何が『アフターサービスは万全』だ。顧客の要望に即座に対応してこその営業じゃないのか。


 というか、女神ユノって結婚と出産を司る女神じゃないのか。天界も人材不足という事なのだろうか……。


「あぶぅ……」


 ──ともかく、こうして俺の異世界生活は幕を開けた。

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