第二話 薬師寺和光××フィリア・スターリング
基本的に女は、異性は嫌いだ。
などと言うと、すぐに「じゃあ男か?」などと言われるが、そういう訳ではない。
パーソナルスペースに入ってくる他者が嫌なのだ。
僕の見た目や親のことでキャーキャーと騒いでは、勝手に落胆して消えていく。男でもそういう手合は居たが、女というのは一層ひどい。
見た目の次は学歴、次は収入、次はなんだ? 何を理由にお前らは僕の領域を踏み荒らすんだ? 関わりたくもない連中ばかりだった。
「薬師寺さん、返事くらいしたらどうです。起こしてくれと言ったのはあなたでしょうに」
だけど朝、僕は女の声で目を覚ます。
僕のベッドの前で僕を覗き込むのも女だ。青みがかった髪の、背の高い女。作り物のように美しくて、見ているだけでここが現実か夢かわからなくなるような不思議な女。
矛盾しているかも知れないが、僕はUGNから頂いている高級マンションの一室で女性と同棲している。
「……悪い。流石に疲れていてな。第六支部が海に沈んだ事件の後、徹夜から連続で日勤だったんだ」
時計を見ると日曜日。しかも今日は休暇を貰っている筈だ。
「おいフィリア」
「薬師寺さん、生活リズムの乱れはあなたのUGNエージェントとしての活動に支障をきたすものです。あなたには立派なエージェントになってもらわなくては、私は困ります」
「……コーヒーでも飲むか?」
返事を聞く前に僕はコーヒーを淹れる準備を始める。
「レネゲイドビーイングの私には飲食など本来不要ですが……いただきましょう」
フィリアはゼノスのエージェントだ。
よく分からないのだが、事件をきっかけに僕の家に上がり込み、なし崩しに同居生活を送っている。
僕の拠点であるN市ではゼノスとUGNの関係性は良好。だが、これは少々行き過ぎだ。活動拠点が無いならここのゼノスに言えば場所なんてあるだろうに、何故一度同じ事件の解決に当たっただけの僕の家に転がり込む。
そんな遠慮も無しにパーソナルスペースに踏み込んできた相手を僕が追い出せないのは……。
「ぷはぁ……やはり美味しいですね。何かコツでも?」
あの柔らかい唇がカップに押し付けられて形を変えるところを見る度に思い出す。あの夕暮れの帰り道に、唇を奪われた瞬間を。
突き放すには踏み込まれすぎたんだ。
「コツね……毒を入れないことかな」
「それはソラリスジョークでしょうか?」
「かもしれないな」
フィリアはニッと笑ってみせる。僕より少し上の位置にある顔が、今日も眩しく輝いていた。
そんなに面白い話だったろうか?
結構冗談にならないと思うのだが。
何故こんなにも屈託なく、僕を信じてくれるのだろうか。
同じコーヒーを僕もカップに淹れて飲み始める。朝食の時間は二人で顔を突き合わせるのがここ数週間の習わしになっていた。
「朝はコーヒーを淹れて、ウインナーエッグにソースをかけて、はちみつトーストとサラダを食べる」
「偶に時間がなくてカップラーメンだ」
「私がお作りしましょうか? と何度か聞きましたが――」
「君が料理を作って大変なことになっただろうが」
「なーに次は大丈夫です。一切の過不足なくきっちりお役に立ちますよ。私は高性能です」
「役に立たなくても良いんだ。君は君がそうしたいと思ったから、ここに居るんだ。そんな君がここにいる生活が……結構悪くない」
そんな彼女が居ることで、僕はもうとっくに救われそうになっている。
ドロドロと渦巻いていた筈のコンプレックスが、意識の中に上る回数が減ってしまっていた。
「ふふふ、UGNのエリートエージェントも案外ちょろいですね。仕事場での姿が信じられないほど私には甘いのですから……はっ! 懐柔されているのは私……? 甘やかすものと甘やかされるもの、関係は何を以て定義されるのか……人間の関係性とは非常に複雑です」
「そう、だから嫌なんだ。人間は」
「そうでしょうか。私は好きですよ、そういう人間の複雑さが」
フィリアは僕より少し高いところから、澄まし顔で僕を見下ろしている。そうされることで、不思議と安心できた。自分の悩みがちっぽけだと思えて。
「だからこれは私の意思です」
フィリアはそう言って冷蔵庫の中から小さなケーキを取り出す。
見覚えがない。どうやら買ってきてくれたらしい。
「ショートケーキか……ありがとう」
「第六地区に新しくできたケーキ屋です。私の優れたリサーチ能力で調べてきました」
「フィリアさん優秀だな、流石フィリアさん、優秀だ優秀」
「口を開けなさい。日頃のあなたの頑張りを讃え、私が食べさせてあげましょう」
「えっ、マジ!?」
そこまでされるともう同居人とかそういうのじゃないだろ。
いや、レネゲイドビーイングの距離感は独特だと聞いていたから、いきなりディープキスされても、その後にディープキスされても、またディープキスされてもそういうものだと思うようにしていたが、これは……!
お口にあーんはもうそういう距離感の狂い方みたいな話じゃないだろ……!
「マジです。口移しの方が良いですか?」
「待ってくれ、それは待ってくれ。多分そういうのって同居人同士でやるこっちゃないと思うんだよ。僕だって君の過剰な接触をなあなあで済ませていた節はあるが、人間の道徳観念的にこれ以上は本当にもう……」
「もう? なんです?」
「……見られなくなる」
「はい?」
「……異性としてしか見られなくなる」
「どういうことかもう少し詳しく」
「だから! 流石に同じ部屋に寝泊まりされた挙げ句あーんとかされたら僕だって君への感情が色々芽生えるだろうが! そもそも僕は自分より背が高い女性が好みのタイプなんだぞ! なのになんだ! 任務を一緒にこなした後、たまたま道端で出会って話し込んだら意気投合して部屋にまで転がり込んできて! そのままずるずると同居されたら僕は、僕は本当にどうすればいいか……」
「……お嫌でしたか?」
「嬉しかった。でも分からないんだ。人に好意を向けられて、こんな風に無防備に近づかれるってのはな」
「あなたにはノイマンと同等の戦術指揮能力があり、私を的確に運用することが出来ます。プランナーやバベッジさんに次ぐレベルで、すなわち人間としては最高レベルです」
「だけどゼノスじゃなくてUGNだぜ? しかも能力の実験や出世の為なら何でもするタイプのワーカホリック野郎だ」
「同じ組織の相手なら信用できる……という話でもないのでは?」
咄嗟に何も言い返せなくなった。
フィリアはケーキを食べながらこともなげに続ける。
「私を見て判断してください。薬師寺和光、あなたにはそれが可能だと思われます」
僕もケーキを食べる。糖分補給。
少し考えてみる。この距離感が実は結構心地良い。
そうだ。好きなんだ。認めたくないが、すっかり絆されてしまっている。
好きになって、好きに縛られて、自分の領域をかき乱されてしまって、このダラダラとした関係に逃げ込んでいる。
「君は信頼できると思う。根拠は無いんだけど、俺がそうしたいんだ」
「そうですか……私は最初にあなたの家に転がり込んだ時から信頼していますけどね」
「そんな事言われると男扱いされてないみたいで少し傷つくんだが」
「……? そういうものなのですか? 覚えておきましょう。人間とは奇妙なものですね」
「ああいい、やっぱいい。忘れろ、覚えるな」
「ほう、気になってきました。これは丹念に調べるしかありませんね。バベッジさんかプランナーか、あるいは両方に聞いてみましょうか。フェンリルバイトも人間のことには詳しいでしょうね」
「やめろ馬鹿! マジでやめろ!」
「かっちーん、私はバカ扱いされたことに遺憾の意を表します。ここで対応を誤るとゼノスとUGNの外交問題に発展するかもしれませんね?」
「わかった。ケーキ上げるから許して。口開けろ」
「その素直な態度に免じて許しましょう」
僕はケーキを差し出して彼女に食わせる。
もう諦めよう。来てしまったものは仕方ない。運命だ。
運命に従って、目の前に居るこの娘にしばらくは振り回され続けよう。
「実に美味しいケーキでした。味覚共有機能で、どんな味だったか教えて差し上げますね」
彼女はイスから立ち上がると僕の前まで来て、顔を近づける。
「……もう少し近づいてくれるか?」
僕はほんの少しだけ勇気を出して、フィリアの肩に手を回してみた。
そうしたいと思ってくれてこの場所にいるなら、もう少しだけ距離を詰めてみたい。
さんざん人の心を踏み荒らしたんだ。責任、とってもらうからな。
【参考セッション】
『花粉症クロス』(GM:今日日)
本編: https://kyoubinotrpg.web.fc2.com/hayfevermain.html
見学: https://kyoubinotrpg.web.fc2.com/hayfeversub.html
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