ピアノ伴奏
「二人で話しているところに入って悪いけど、ちょっといいかい?」
小野くんがやけに神妙な面持ちで話しかけてきた。どうしたのか聞くと、どうやら水無瀬さんに用があるらしい。
「実は急な話で悪いんだが、来週の日曜日に吹奏楽部が出るクリスマスの演奏会があるんだけれど、そこで一曲だけピアノで出てくれないか?」
それにしても来週の日曜日とは急な話だ。演奏会までもう10日もない。
「詳しく事情を説明すると、いつもピアノが必要なときはピアノをやってくれている先輩がいるんだが、おととい、階段で転んで腕の骨にヒビが入ってしまったらしいんだ。さすがに演奏会までに治らないみたいだから、代わりに弾いてくれる人を探しているんだ。
他の部員にピアノをやってもらうのも一つの案なんだけれど、もうすでに各楽器パートの割り振りが決まってしまっているから部員以外の人にやってもらうのが一番なんだよね」
「うーん、一応予定は空いているけれど、どうして私なの? 他にも出来る人はいっぱいいるんじゃない?」
「先生がここ数年聞いた中で一番ピアノが上手かったのが水無瀬だから聞いてみてくれって言うんだよ。それに俺も水無瀬さんなら最適だと思ってる。先生は知らないけれど、吹奏楽経験者だから吹奏楽の勝手はわかっているわけだし、中学の時も一回ピアノで吹奏楽の演奏をやっただろう? 練習期間も残り少ないし、他に適任はいないと思うんだ」
先生の推薦だとは驚きだ。確かに吹奏楽経験者の水無瀬さんなら吹奏楽と演奏を合わせるのも楽なんじゃないかと思った。
「あんまり練習の時間とれないだろうし、どうしようかな」
水無瀬さんはなんだか断りたそうな顔をして片手で髪の毛をいじっている。小野くんもなんとなく水無瀬さんの断りたい気持ちを察しているようだった。
「もちろん当日の会場までの交通費とかは部のほうで負担するし、お弁当も出るからピアノ演奏してくれること以外のことは考えなくていい」
「それはありがたいんだけど……」
このまま水無瀬さんは断るのかなと思っていると、急に展開が変わった。
「えーなになに? 和音がピアノ弾くの? それなら絶対私も聴きたい!」
ちょうど登校してきて、席に荷物を置いた清水さんが話を聞いていたのか、嬉しそうに会話に入ってきた。
「おはよう、清水さん。今、それを頼んでいるところなんだよ。清水さんは水無瀬さんがピアノ弾いているの聴いたことないのか?」
「うん、そうそう。私は書道選択だから、噂の授業で弾いたピアノを聴けなかったし、他に聴く機会もないしね。あー和音が弾くピアノ聴きたいなー」
清水さんはわざとらしく子供みたいにはしゃいで水無瀬さんに促している。
水無瀬さんは下を向いて悩ましそうに「うーん」と唸る。
僕と清水さんの目が合った。何か見てはいけないものを見たような顔された。
どうやら清水さんは僕がいることに気が付いてなかったようだ。
僕がいることに気が付くと、急に居心地が悪そうな顔をして、何も言わずに着ていたコートを脱ぎながらコート掛けの方に離れていってしまった。薄々思っていたけれど、やっぱり避けられているみたいだ。
「そういえばこの前、中学で吹奏楽部の時に小野くんにはお世話になったって言ってたけど、お礼するチャンスなんじゃない? こんな機会はそうそうないだろうし、演奏会の日に予定がないなら出てみたらどう? 僕も水無瀬さんのピアノ聴きたいしさ」
どうやら踏ん切りがつかないようなので、ダメ押しをしてみた。水無瀬さんは顔を上げて、観念したように手を叩いた。
「美咲と三善くんにそう言う風に言われちゃったら出るしかないね。引き受けるよ」
もはや半ば諦め気味だったからか、小野くんは安心したようだった。
「急な頼みを引き受けてくれてありがとう。そしたら今日の放課後は空いているかい?」
「大丈夫だよ」
「そしたら、楽譜を渡したり練習の日程の話とかあるから、放課後一緒に音楽室まで行こう。授業が終わったらもう一度声をかけるね。本当にありがとう。先生に伝えてくるよ」
そういうと小野くんは足早に教室を出て行ってしまった。
「あーあ、引き受けちゃった」
水無瀬さんは小野くんがいなくなったのを確認すると、ぼそっとつぶやいた。
「もしかして私が引き受けるかどうか結構悩んでいたのを不思議に思ったりした?」
僕がどうして断ろうとしたのと聞こうとしたのか見抜いているようだった。
「あのね、三善くんには言ってなかったけど、私、極度の緊張しいなんだよね。だから大勢の中で目立つとかになるとすっごい緊張しちゃうから嫌いなの。中学の時にフルートソロ任されたんだけど、本番の前にあまりに緊張しちゃって過呼吸になっちゃったくらいなの。だから、久しぶりのことだし、どうしようか悩んでたの」
「そうだったんだ……ごめんね、引き受けるしかないような空気にしちゃって」
「いいのっ、気にしないで。演奏すること自体は好きだし、やるとなったからには私も楽しみだから」
僕はそういう場所に立ったことがあまりないから気軽に考えていたけど、まぁ人前で何かをするなら確かに緊張するだろう。それがあまり好きじゃないというのは知らなかった。本当は嫌だったなら悪いことをした。
「でもあれだよ、三善くんがああいう風に言ったんだから、三善くんもちゃんと当日演奏を聴きに来てね。来なかったら奢りの刑だから」
清水さんが席に戻ってきているのが見えたので、自分の席に行こうとすると
「あ、ちゃんと練習しながらでも例のことは続けるから安心してね」
と水無瀬さんは小さな声で言いながらお茶目にウインクした。
後で教室に戻ってきた小野くんにお礼を言われたけれど、僕も水無瀬さんのピアノが聴いてみたかったから小野くんのために言ったわけではないよと言っておいた。
今度の演奏会が楽しみだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます