真相

 朝、水無瀬さんと動画の再生数について話をしていると、清水さんがとても険しい顔をしてこちらに向かってやってきた。清水さんはなんだか怒っているように見える。

 二人は喧嘩でもしているのだろうか。なんてそんなことを呑気に思っていると、清水さんは水無瀬さんではなく僕に向かってきた。


「ねぇ、私のこと誰かに言った?」


 清水さんは、水無瀬さんではなく僕のほうに用があるようだった。きつい口調で、僕を睨んでいる。どう見ても、これは僕に対して怒っている。それもかなり怒っている。

 けれど、清水さんを怒らせるような事を誰かに言った覚えは全くない。


「え? なんのこと?」


「もうっ。いいからちょっとこっちきて」


 僕の反応が気に入らなかったのか、清水さんに強引に腕を引っ張られて、教室の外へ連れ出された。水無瀬さんは清水さんの素早くて強引な行動に呆気にとられていて、ただ目線を動かすだけだった。

 教室にいた他の何人かも、こちらの様子を何事かと目で追っていたのが分かった。抵抗する隙もなく、教室から出ると人気のない屋上に連れてこられた。清水さんは辺りに誰もいないかしきりに確認している。


「ねぇ、どうしたの?なんか怒らせるようなことしちゃったかな、ごめん」


 いまいち状況がつかめず、そう言うと、清水さんは掴んでいた僕の腕を思い切り振り放した。


「だーかーらっ、私のこと誰かに言ったかって聞いたの。どうせあんたが言ったんでしょ!それ以外考えられないんだから!」


 相変わらず、声はきつい口調で僕を睨んでいた。今にも殴りかかってくるんじゃないかと思うほどだ。どうやらそうとう僕に対して怒っているようだ。でも、勝手に僕が悪いのだと決めつけてはないだろうか。


「いやいや、それだけじゃどういうことかわからないから、具体的に言ってくれないとこっちもわからないんだけど」


 こちらは何も悪いことをした覚えはないのに、そんな風に言われて黙っているわけにはいかなかった。濡れ衣は御免だ。


「そっ、それは、そのー、あのー、あれだ。うん、あれだよ」


 僕が強気に出たからなのか、それまでの威勢の良さはどこに行ったのか、急に言葉を濁し始めた。今までの怒りが、急に冷静になってどこかに行ってしまったのかようだ。むしろ急に弱気になってしまったかのように思えた。


「それはだね……あんたとよく視線が合うことだよ」


「えっ?」


 清水さんの顔が少し赤くなっているのに気がついた。それは怒っているというものではなく、別の感情のように思えた。


「昨日の放課後に、教室に忘れ物を取りに行ったときに男の子の誰かが私と三善のこと話しているのが偶然聞こえたから。授業中に私が良く三善のことを見ているから、私が三善のこと好きなんじゃないかって」


 僕は誰にも清水さんの事を話してはいないけれど、あれだけ分かりやすい行動をしていれば、そういう風に思う人が僕以外にも出て来てもおかしくはないと思うのに、本人にそういう自覚はないのだろうか。すごく不思議だ。


「なっ、なによっ。別に、私はあんたのことを好きじゃないし、あんたを見てるんじゃないから。勘違いしないでよねっ。私は……」


 清水さんは何かを言いかけたけれど、しまったというような顔をして黙った。


「私は……?」


 僕がそう聞くと、清水さんは何も言わずに腕を空中に振りまわして、わかりやすく動揺していた。そうして、何かを言うか迷っているようだった。


「わっ、私は……私はね、あんたの後ろにいる竹内のことを見ているんだからね。もし、なんか勘違いされてたら嫌だなって思って……」


 これでずっともやもやとしていた謎が解けた。


 僕じゃなかったんだ。

 

 そう、僕ではなかったのだ。


 自分はなんて馬鹿だったんだろう。

 なんだか不思議な解放感があった。


「別に誰にも清水さんの事なんて言ってないよ。それに、どうして僕の事を見てくるのか気になってはいたけれど、勘違いなんてしてないから」


「そ、そう……それならいいのよ。前よりも私とあんたの視線がよく合うようになったし、あんたと和音が話すようになったのを見て、もしかしたらなんか勘違いされてるんじゃないかって思って気になり始めたの。和音にあんたと何の話しているのか聞いても秘密だって言って教えてくれないから、さらに怪しいなって思って」


 なるほど、だから最近は竹内が後ろにいる教室以外で、清水さんの視線を感じるようになってしまっていたのか。


「そっか。水無瀬さんとは、ただ偶然お互いの共通する趣味を知って、話すようになっただけだから、安心してよ。別に清水さんとは何の関係もない。多分、水無瀬さんが清水さんに何も言わないのは、あんまり他の人に言っても知っているような内容じゃないからだよ」


 水無瀬さんが何を話しているかを言わないのは、やはり作曲をしている事を知られたくないからなのだろう。

 いくら相手が親友の清水さんだったとしても、水無瀬さんから話をしない以上、そこの部分ははぐらかして弁明する必要があると感じた。


「ふんっ。なら紛らわしい態度も、変な噂も立てないでよ、ばーかっ」


 それはいくらなんでも理不尽だ。紛らわしい態度をしているつもりもなければ、別に僕が噂を立てたわけでもないし。


「ごめん。気を付けます」


 不服だし、不満だけどここで変に反抗して、さらにこじらせるのも面倒だ。黙って受け入れておく。


「わ、わかればいいのよ!」


 清水さんは自分でも理不尽なことを言っていたのに気が付いたのか、なんだかたじろいでいた。


「それと、竹内のことを誰かに言ったらただじゃおかないんだからね!」


「うん、わかってるよ。誰にも言わない」


 清水さんは急に弱気な素振りを見せた。


 声も小さくなっていた。


「でも、もしこのことであんたのこと傷つけていたんだとしたら悪かったなって思ってるんだから。ごめん!」


 清水さんは捨て台詞を吐くかのように言って、すごい勢いで走って行ってしまった。


 もしかしたらこういう時は一応清水さんを追いかけた方がいいのかもしれないけれど、どうしても追いかける気にはなれなかった。

 足は少しも動かなかった。


 そうして僕は広い屋上に一人取り残されてしまった。

 

 別に勘違いはしていない。


 けれど、清水さんが僕に気があるんじゃないかと思わなかったとは言わない。


 たとえ清水さんが僕ではなく、僕の背後にいる人を見ていたのだとしても、僕と目が合う度に反応していたからそんな風には考えが至らなかったし、あれだけ何度も不自然に視線を注がれたら、誰だって自分に気があるんじゃないかって考えてしまうはずだ。


 でも僕は無意識にそのことを極力考えないようにしていた。


 頭の中に浮かんで来ても、その考えを強引に、強制的に頭の中から排除してきた。


 なぜなら、本当に清水さんが僕のことを好きだった場合が怖かったから。


 僕にはその気は全くないから、相手を傷つけてしまうのが怖くて、どうしていいかわからなくなってしまうから。


誰かを好きと言う感情にもう出会いたくなかったから。


僕はあの時、もう絶対に恋なんてしないって誓った。


いや、誓ったんじゃない。


もう恋なんてしたくないって思ったんだ。


もっと言えば、もう恋なんて出来ないって思ったんだ。


 女の子と関わることが怖くて嫌になってしまったし、あれから誰かを好きだと思う気持ちなんてまったく芽生えなかった。

 とは言っても、好きなアイドルだっているし、女の子を可愛いと思うこともあるので、別に男として女の子自体が嫌いとかそういうわけではない。


 ただ、自分と関わりのある特定の女の子を好きになれなくなっていたのだ。


 でもなんでだろう。


 残酷なことに、瞳に対する気持ちだけはいつまでも消えなかった。


 何度その気持ちを無くそうと思っても、無くならなかった。


 皮肉なことに、あんなに酷い仕打ちをした瞳に対する好きという気持ちだけは心の中から消えることはなかったのだ。


 僕は瞳のことが好きだ。


 大好きだ。


 彼女以外にはもう誰も女の子を愛せなくなってしまったんじゃないかとさえ思っている。


 自分で自分のことを呪ってしまった。


 ――でも、もう彼女はいない。


 僕の隣からいなくなってしまった。


 気が付けば頬を伝う涙が、風に当たって冷たくなっていた。それで全身に寒気を感じた。通学の時と違ってコートを着ていないので、朝の寒さが体の芯まで染みていたのだ。


 ふと空を見上げてみる。


 あの事件の後、彼女と初めて出会った場所で泣きながら見上げた空。あの頃となんら変わらない、青い空が広がっている。


 眺めていると、頭の中にあの曲のメロディーが浮かんできた。


 今の僕にとって、この青く広がる空は、あの時に持っていなかった意味を持っている。水無瀬さんは空と鳥の事を自分に例えて、あの歌を作った。


 空を飛ぶことに憧れて、不安から抜け出した雛の歌を。僕もそろそろ空に飛び立たなければいけないのかもしれない。


 授業の開始を告げるチャイムが鳴る。もう教室に戻らなければいけない。

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