意外な依頼

「司書の先生が図書委員会の仕事で話があるって。放課後、図書室に来て」


 昼休みの終わりのチャイムが鳴って、次の授業が開始する前に、肥川さんが僕の席に来て言った。僕が返事をする間もなく、肥川さんはそそくさと自分の席に戻って本を読み始めてしまった。こちらの反応なんてお構いなしで、相変わらず、愛想がない人だ。


 言われた通り放課後に図書室に行くとカウンターには当番の生徒しかいなかったので、司書の先生の部屋に入ろうとしていたところで、肥川さんに呼び止められた。


「えっ、司書の先生に呼ばれたんじゃないの?」


 と焦るようにこちらに来た肥川さんに僕が言うと、肥川さんは「それはいいの」とだけ言って、僕の腕を掴んで強引に引っ張った。

 なるがままに、図書室の奥の方の席に連れてこられた。放課後だからか、図書室に生徒はほとんどいなかった。


 水曜日だったからか、図書室全体にクラシックのBGMが流れている。司書の先生はクラシックが大好きなので、みんなにもクラシックに親しみを持ってほしいということから、水曜日だけはBGMとしてクラシックが流れている。

 先生が勝手にやっているわけではなく、ちゃんと教育委員会にも許可を取っているらしい。とても珍しいと思う。


「こっちに座ってくれる?」


 促されて、肥川さんと向かい合うような形で座った。まるで面接でも受けているみたいだ。わざわざ僕を図書館に呼び出してまで何の用だろう。


「ごほん」


 肥川さんがわざとらしく小さく咳払いした。


「えーと、まずは謝らないとね。嘘をついてごめんなさい。先生が呼んでいるっていうのはここに連れてくる口実。でも図書委員会とでも言って場を作らなければ、三善くんは真剣に話聞いてくれないかなと思って」


 そんなことしなくても聞いたよと言いたかったけれど、何もなく本当に話を聞いたかと言われれば怪しいので、言えなかった。図書委員会をサボろうとした前科もあるし。


「もしかして怒ってる?」


 何も言わないでいたからか、肥川さんは申し訳なさそうにこちらの顔色を伺っている。


「いや、別に怒ってはないけど……ただ、どうしたのかなって思って」


「ならよかった。で、本題。どうしても三善くんにお願いがあるの」


「ん? 僕にお願い?」


 肥川さんからお願いなんていったい何だろうか。

 もしかしてこの前の冬休みの件をぶり返されるのだろうか。


「うん。手伝ってほしいことがあるの。私が文芸部だってことは知ってるよね」


「一応知ってるけど、それがどうかしたの?」


「実は今、文芸部で卒業する先輩たちに向けて、印刷会社とかに頼んでちゃんとした部誌を作ってあげようって企画しているの。それに使う絵を描いてくれる人を探していて、その絵を三善くんに描いてほしい」


 なんだか妙な展開になった。

 まさか女の子から絵を描いてほしいなんて頼まれるなんて。


「どうしていきなりそんなことを僕に頼むのさ?」


「え、だって三善くんは絵を描くのがうまいでしょ? それ以外に深い理由なんてない」


 肥川さんはさも当然かのように言う。

 でも僕が絵を描いていることは肥川さんには話したことはないし、絵を見せたこともない。

 どうして肥川さんは僕が絵を描くのが上手いだなんて言えるのだろうか。


「いやいや、どうして僕が絵を描くのが上手だって思うのさ?」


「勘」


「それだけ!?」


 思わず声が裏返る。


「……ごめん、嘘」


「う、うそ?」


 僕の驚いたリアクションに罪悪感を抱いたのか、視線をそらしてぼそっと言った。そんなまさかとは思ったけれど、嘘をつくイメージの全くない肥川さんに2回も嘘をつかれるなんて。しかも2回目の嘘は似合わないくらいお茶目な感じだったし、なんだか変な気分だ。


 自分でもちょっと恥ずかしかったのか、肥川さんは視線を逸らしたままだ。


 でもどうして肥川さんは僕が絵を描くのがうまいだなんて思ったのだろうか。

ふと、あることが思い浮かんだ。


「あ……もしかして一樹からなんか聞いた?」


「ううん、一樹くんは関係ないよ。ただ、三善くんは絵がうまそうだなって思ったから」


「ん? 一樹から聞いたわけじゃないし、僕は肥川さんに絵なんか見せたことないのに、なんでそう思ったのさ」


「根拠はあるよ。図書委員会のとき、配られたプリントに誰も見てないと思って、落書きしている時あるでしょ。それを見たの。ほんの少ししか見えなかったけれど、ただの落書きにしては結構うまかった。授業中に絵を描いているみたいな手の動きしているのも何度も見たし。それで、なんとなくの想像」


 どうやら、僕が漫画を描いていることまでは知らないようだった。一樹もきちんとそのことは誰にも言っていないようで安心した。一樹は疑うような信用のない相手じゃないけれど、肥川さんと一樹はかなり仲がいいし、肥川さんが簡単に他言するような人にも見えないから、内緒で教えていたとしても不思議ではなかった。


「でもまぁ、そうだったとしても、やっぱりどうして僕なのさ? もっと仲の良い絵の上手い人に頼んだ方がいいんじゃない?」


 別に仲がいいわけじゃなくて、ただ同じクラスの図書委員と言うだけの関係の僕に頼むのはなぜなのだろうか。


「それはもちろんしたよ。他に絵が上手そうな人にもあたったんだけど、みんな自分の絵に自信がないだとか、忙しいから書けないとかで、あまりにも描いてくれる人が見つからないから。先輩たちにはたくさんお世話になったし、やっぱりそれなりの絵が描いてあるものを渡したいの」


 そこまで表紙にこだわる必要はないんじゃないかと思ったけれど、肥川さんからはいいものを作りたいという真剣さがひしひしと伝わってくる。


「それに三善くんに頼もうと思ったのは、一樹くんとも仲が良いし、なんとなくだけど信頼できるって思ったからだよ。ただ絵が上手そうだってだけの人には頼まないよ」


 そういう風に言われると悪い気はしない。


「うーん……」


 どうしたもんだろうか。

 他の人に絵を描いていることは知られたくないのでそのリスクを冒したくはない。


「図書便りのとき、私が文章書いてあげたよね? あんまり恩を売っていたみたいに思われるようなことはしたくないんだけれど……」


 答えを出せないでいると、肥川さんはこの様子で頼んでも首を縦に振らないと思ったのか、態度を変えてきた。

 むげに断わることも選択肢の一つではあるけれど、それはあまりにも気まずい。 かといって断る明確な理由もない。


「私はなんて言ったって絵が下手だから。うん、下手だからさ、描けないんだよ。それに一樹君も参加するんだから、友達として手伝ってもいいでしょ?」


 正直なことを言ってしまえばあまり気は進まない。

 でもそんな困った顔をされてしまったら引き受けないわけにはいかないじゃないか。感情に訴えかけられたら仕方がない。


「うーん、別に僕の絵なんかでいいならいいけど……」


「引き受けてくれるんだね、ありがとう」


 それまでしんみりムードを出していたのに、けろっといつもの肥川さんの感じに戻った。一樹が言っていたように、なかなか強い。


「でも一つだけ条件があるんだ。その条件を守ってくれるならいいよ」


「条件ってなあに?」


 一旦明るく戻った肥川さんの表情が険しくなる。身構えてる。


「それはね、僕が描いたってことは内緒にしてほしいんだ。絵を描いているってこともね」


「え、それだけでいいの?」


 もっとすごい条件を予想していたのか、なんだか気の抜けた声だった。


「うん、それだけ」


 大事なことで、軽く見られては困るので一応念を押しておこう。


「僕にとってはすごく重要なことなんだ。あまり人には絵を描くことは知られたくない」


「わかった。じゃあ一樹くんにも誰にも言わないから、それで大丈夫?」


「うん、いいよ。描くよ」


「引き受けてくれてありがとう。よし、書いてくれるとなったら、話を進めよう」


 肥川さんが嬉しそうな顔をした。そういえばあまり肥川さんが嬉しそうにしているのを見たことないなと思った。


「えーとね、描いてほしい構図とかはもう全部決めてあるんだ。これ」


 肥川さんは鞄の中からクリアファイルを取り出して、こちらに渡してきた。中にはラフのようなものが描かれたルーズリーフが入っていた。

 けれど、渡されたものに描いてある絵が、あまりに下手すぎて見た瞬間、ちょっと笑いそうになってしまった。こんな表現をするのはひどいとは思うけれども、小さい子供が描いた絵みたいだ。


「だから、さっき絵が下手って言ったの!まったくもう!」


 顔に出すのは堪えたつもりだったけれど、ばればれだった。

 口調は静かだったけど、目が完全に怒っている。その目力に圧倒されそうになった。


 前に一樹が肥川さんは怒らせないほうがいいと言っていたことを思い出した。確かにもっと本気で怒られたらすごく怖そうだ。


 ごめんごめん、と謝ってから、よくよく絵を見ると、ポーズをとっている人らしき絵のところに、初音ミクという意外な文字が書かれていた。

 文芸部の部誌だから、てっきりもっとなんかお堅い絵を描かされるものだと思っていた。


「ここに書いてある初音ミクって、このポーズをしたミクを描いてほしいってこと」


「そう。知ってる? 初音ミク」


「うん、一応知ってるけどさ、なんで文芸部なのにミクなのさ」


「その疑問はごもっとも。でも最近先輩たちの中で初音ミクの曲が流行ってるみたいなんだよね。頻繁にそういう話をしてるの。だから、ミクを描いてほしいなって思って。ただのボーカルとして、キャラクターとしてだけじゃない。私にとっても彼女の存在は興味深いから」


 肥川さんが初音ミクに関して色々知っているとは思わなかった。そういうものに興味なさそうだったから。


「なるほどね。そういう理由があるのはわかった。でも本当に初音ミクの絵でいいの? 3年生の記念になるものだし、もっと他に文芸部っぽい絵が……」


「失礼」


 肥川さんは僕が全部言い切る前に、言葉を遮った。すごくはっきりとした声だった。


「え?」


「三善くん、それは文芸部に対して偏見持ちすぎ。それって文芸部なんだから、『文学とは何ぞ』ってお堅いことでも議論してなきゃいけないみたいなイメージなんじゃない? もっと娯楽として楽しむのだって立派な文学、文芸なの。それは酷い」


「ごめん……」


 肥川さんの毅然とした態度に、軽はずみな発言だったなと、反省する。


「それに、ミクの絵を表紙にしたい理由はちゃんとしたのがあるよ。文芸部っていうと、小説だけが頭に思い浮かぶ人も多いと思うんだけれど、実際には詩や評論、エッセイだとかも書いてたりするんだよ。それも文芸部の範疇。この前、先輩が発表したのはさ、初音ミクに関する評論だったんだよね。それも部誌に載せる予定だし」


 それならミクを描くことにも納得がいく。


「そういうことなら、初音ミクを描くよ。でも確認したいことがある」


 ルーズリーフを裏返して、適当に軽い気持ちで線を紡いでいく。きちんとポーズを確認したかったので、簡単な線画を描くことにした。

 肥川さんは反対側から僕が描くのを興味深そうに覗いて、なにやら頷いている。

書きあがった絵を渡すと、もはや構図の確認をしているといった感じではなく、まじまじと絵を見ている。


「やっぱり上手だね、思ってた以上」


 本当に知らなくて頼んだのか。

 これで僕が全然絵を描けなかったらどうするんだろう。


「でもね、ごめん。ちょっと右手のポーズがイメージしたものと違う。変えてもらってもいい?」


「いいよ、どんな感じ?」


 持っていたペンを渡して書いてもらおうと差し出したが、肥川さんは受け取ろうとしなかった。そんなに絵を描くのが嫌なんだろうか。


 肥川さんは右腕を動かしてから「こういうポーズにしてほしい」と言った。


 改めてポーズを直したものを描いてみせると、肥川さんは納得してくれた。


「そんなに急ぎじゃないし、2月くらいまででいいから暇なときにお願い。描けたら教えて。引き受けてくれてありがとう。頼りにしてる」


 そう言うと肥川さんは席を立って、本棚のほうに歩きだして本を選び出した。きっとこのまま放課後まで本を読むんだろう。

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