過ち

 いつも通りの部活からの帰り道、一樹が学校の近くにある文房具屋に行きたいと言うので、付き合った。家のすぐ近くに文房具屋があって普段はそこを利用しているので、ここの文房具屋には入ったことがなかった。結構昔からやっている文房具屋のようで、入り口の看板はかなり汚れていた。


 一樹が選んでいる間、今まで調べたことについて考えていた。


 合唱部の男の子に広瀬さんの話を聞いたら、今まで楽器とかはやったことはなく、合唱部に入ったのも友達に誘われたかららしい。音楽を積極的にやるようになったのは高校からで、音楽の知識があまりないから自分が教えているのだと言っていたので、広瀬さんの線は消えた。


 放課後、相楽さんが『メルト』を歌っているところを見た。『メルト』を知っているだけでは弱いけれど、メルトが歌えるぐらいにはボカロを聞いているという点では相楽さんはまだ候補の一人だ。他にはなかなか手がかりのようなものは見つかっていない。


 男子の線でもいろいろと調べてみたけれど、やっぱりそれらしき人はいなかったので、女の子だろうとは考えている。ただ、やっぱり女子を調べるのは難しい。


 まぁどのみち、誰かを特定できる大した成果はないというのが現状だ。

本当に見つけられるのだろうか。


 なんとなくノートのコーナーの方に目を向けると、空が表紙に印刷されているノートが上の部分だけ見えていた。気になってそのノートを手に取ってみると、あの綺麗な空の写真が印刷されたノートだった。

 こんな学校の近くで今も売っているものだとは思わなかった。少なくとも、自分がよく行く文房具屋ではみたことがない。


 となるとあのノートの持ち主以外が、このノートを持っていても不思議ではない。ノートを持っている人を見つけても、それだけではわからないということだ。ますます特定が難しくなった。


「結構いい写真を使ったノートだね。買うの?」


 ノートを持ったままでいると、一樹がこちらに来た。


「うーん、まだ使ってないノートが家にたくさんあるから、今は買わないかな」


「じゃあ、俺がこのノート買おうかな」


 僕が商品の棚に戻したノートを一樹が取って、レジに向かった。一樹がもっている籠の中には結構な種類の文房具があった。


「なぁ、買いすぎじゃないか?」


「あぁ、俺の分だけじゃないからね。妹の分と家で使う分もまとめて買ったんだよ。ここで買えばコンビニで買うよりは安いし、スタンプカードもあってお得だからな」


 一樹の家庭は母子家庭で、母親が働いていて忙しいので、家族の生活面の面倒はほとんど長男の一樹がやっていた。買い物など日常のお金の管理を一樹がやっていたせいか、節約する癖が身についているのだ。

 今はもう妹が中学生になって前よりも手がかからないので、比較的自由にしているけれど、中学の時は部活に入らず、遊びの誘いにもほとんど参加する事もなく、家の事で忙しそうだった。


 高校生になって映像研究部だけでなく、文芸部や演劇部にも入って色々な事をやっているのは、その反動なのだろう。今まで家族の事で忙しくて、好きなことを伸び伸びとすることができなかったのだ。


 いくらどうしようもない家庭の事情だとしても、一樹は偉いと思う。


 一樹が会計を澄ましたので、店から出た。


「そういえばこの前、お前がここらへんで黒崎さんの車に乗っているところを見たよ。あんまりあの人とは関わらない方がいいと俺は思うよ」


 帰り道、ある場所に通りかかった時に、一樹が思い出したかのように言った。


「どうして?」


「もしかしたらお前は意図的に無視しているのかもしれないけれど、あの人の噂はいいものばかりじゃない。女の子たちは、いい方向の話しか信じないで、悪い話はただの男子の嫉妬だって決めつけているけれど、もしかしたら事実かもしれない。何を考えているのか全く分からなくて不気味だし」


 そういえば一樹と黒崎さんの話をした事は今まで一度もなかった。だから、一樹が黒崎さんの事を否定する側の人間だったとは思わなかった。物語に対して真摯で、物を書いている才能のある一樹は、当然黒崎さんの目に入っているだろうし、黒崎さんと関わり合いがあるだろうと勝手に思っていた。


 一樹の言うように黒の王子として女の子から絶大な人気を持つ黒崎さんも、男子からも人気があると言うわけではない。それはもちろん、同じ男性として完璧すぎる黒川さんに対する嫉妬という面もあるだろうけれど、何を考えているのかわからない不気味さと、神秘的な近づき難さがあるのだ。


 だから、男子の中での黒崎さんの評価は必ずしも良いとは限らない。


 黒崎さんの話になってから、一樹の顔色が悪くなった気がした。気のせいか、少し怒っているようにも思えた。


「親しくしている祐一には申し訳ないけれど、俺はあんまりあの人が好きじゃない」

「そうだったんだ……でもなんか理由でもあるの?」


「理由はあるけど、その話は今あまりしたくない。悪いが、この話はここで終わりだ。まぁ俺が言いたいのは、あの人のことを完全に信用しないでくれってことだ」


 いったい、黒崎さんとの間に何があったのだろうか。


 こんな風にあからさまに機嫌が悪くなることなんて珍しいので気になるけれど、そこはやめてほしいと言われたからやめるべきだろう。でもどうしてなのかはすごく気になって仕方なかった。


 一樹はその後しばらく何も言わずに黙ったままだった。黙っていれば黙っているほど気まずくなっていく気がしたので、僕が別の話題を振って、それ以上このことには触れなかった。



 お昼休みに図書室から教室に忘れ物を取りに行くために廊下に出ると、こちらに向かって清水さんが遠くから一人で歩いてくるのが見えた。教室だと他の人達がいて聞きにくいし、作曲のことについて確かめるなら、今がちょうどいいタイミングかもしれない。


 けれど、清水さんが近づいてくるにつれて、胸が苦しくなってくる。


 たぶん、緊張とかそういうのもあるんだろうけれど、本当に話しかけられるのか不安で仕方がないし、清水さんに自分がどう思われているかを考えると怖かった。

あっという間に清水さんはすぐ近くに来ていた。

 こういう時はもう、勢いで行くしかない。


「あ、あのさっ、清水さんっ……」


 歩いてくる清水さんの前に立ち止まって勇気を出してなんとか声をかけたけれど、この先の言葉が出て来なかった。なんて言えばいいのか、わからなくなってしまったのだ。


「なに? 私になんか用でもあるの?」

 睨んできて、清水さんはいつも通りに愛想が悪い。必死に何か言葉を出そうとするけれど、頭の中がぐちゃぐちゃになってしまっていて言葉が出てこない。


「いや、その……」


「だからなんなのよ?」


 清水さんが僕に対してイライラしてきているのが、はっきりわかった。


「ごめん……なんでもないや」


 このままではどうしようもなくなって、話を進めることができずに謝ってしまった。


「ふんっ。用がないなら意味ありげに声なんかかけないでよ。さっ、邪魔っ、退いて」


 退くように手を振り払われたので、横に退くと清水さんはそそくさと図書室の方に歩いて行ってしまった。聞くどころか、怒らせてしまった。


 いったい何をやっているんだろう、僕は。


 忘れ物を取ってきて図書室に戻ったけれど、清水さんは図書室にはいなく、休み時間が終わって教室に戻ってきた時の様子はなんだか不機嫌そうだった。


 授業が始まってからも先ほどのやり取りのことが気になってしまい、授業なんかどうでもよくなっていた。なんとなく清水さんのほうをぼーっとしながら見ていた。


 いつもは清水さんの視線に気が付いてから清水さんのほうを見るけれど、今日は僕から先に清水さんを見ていたので、清水さんが僕のほうを見ようとしたときに、僕と清水さんの目がいつも以上にあった。


 すると、清水さんは今までになかった予想外の事に慌てたのか、僕のほうを向かずに、そのまま水無瀬さんのほうに勢いよく振り向いた。


 後ろに座っていた水無瀬さんは、清水さんの急な動きに驚いたのか何かを書いていたペンを止めて、慌ててノートを閉じて教科書の下に隠すのが見えた。その慌て方がなんだか普通じゃない気がした。


 どうしたのだろう。

 他の人に見られたくないような事でも書いていたんだろうか。


 あれだけ焦るってことは、そんなに人に見られたくないものなのかな。あんなに焦っている水無瀬さんは見たことがない。


 しばらくやり取りをした後に、清水さんが前に向き直すと、水無瀬さんは教科書で隠したノートを持ち上げて広げると、また何かを書き始めた。


 偶然、ノートを持ち上げた時に表紙が見えた。


 何も書かれていない、綺麗な空の表紙のノートだった。

 サイズも普通のA4ノートよりも小さい気がした。


――多分、あの時に教室で拾ったものとまったく同じ商品だ。

 

 でも、近くの文房具屋に売っているので買おうと思えば誰でも買えるノートだ。いくら他に使っている人を見たことがないからと言って、それだけで水無瀬さんがあのノートの持ち主だと断定するのはまだ早い。


 水無瀬さんはどれくらい音楽の知識を持っているのかが、確かめられれば水無瀬さんがあの曲を作った人物なのか関係ないのかがわかるだろう。水無瀬さんとは苗字が同じ「み」で出席番号が前後だから、1学期の最初の方は同じ班だった。だから、最初のホームルームで班の中で互いに自己紹介をしたのが印象的に残っている。


 とはいえ、あまり会話をした記憶はない。


 僕の記憶ではどこの部活にも入っていなかったと思う。どちらかと言えば内向的で落ち着いた大人しい女の子で、合唱祭の時も、パートリーダーなどにはなっていないし、あまり積極的に歌っていた覚えはないので、音楽に詳しいというイメージもない。


 確か、小野くんが水無瀬さんと同じ学校だった気がする。小野くんに聞けば何かわかるかもしれない。



 休み時間になって、小野くんのほうに行くと小野くんは楽譜を見ていた。演奏会でも近いのだろうか。僕が小野くんの席の前に立つと小野くんは顔を上げた。


「なんかやってる途中だった?」


「いや、ただ譜面見てただけで、大したことはやってないけど、何か用かい?」


 小野くんはそう言って楽譜をしまった。けれど、机の上に置いてあった緑のペンと同じ色の書き込みが楽譜にしてあったのが見えたので、もしかしたら本当は何かしていたのかもしれない。こういう気配りができるのが小野くんだ。


「確か、水無瀬さんと同じ中学校だったよね?」


「そうだけど、それがどうかしたの?」


 小野くんが不思議そうに僕を見つめた。何も考えずに勢いで聞いてしまったけれど、普通に考えれば、いきなり女の子のことを男の子に聞くのは普通じゃない。


「気になることがあってさ、ちょっと聞きたいんだけど、水無瀬さんって中学の時になんの部活入っていたか覚えてる?」


「覚えてるも何も、同じ部活で吹奏楽部だよ。フルートを吹いていたよ。俺はてっきり高校でも吹奏楽部に入るもんだと思ってたけど、入らなかったんだよ。フルート上手かったからもったいないなと思って、入らないって聞いた後も何度か誘ったんだけど、きっぱり入る気はないって言われて残念だったなぁ」


 やっぱり、吹奏楽部で音楽系の部活だったか。


 確かに黒崎さんの言っていたように、音楽の部活に所属していないからと言って、音楽の知識がないとは限らないというのは正しかった。高校になって部活に入らないという選択肢もあったんだ。


「水無瀬さんのこと聞いてくるってことは、もしかして、この前の音楽の授業での水無瀬のピアノの話でも聞いた?」


 この前の授業のピアノの話ってのはなんだろう。そんな話は初耳だ。


「う、うん、そうなんだよ。それで音楽やってたのかなって気になったんだよ」

 でもちょうど良さそうな理由だったので、その話にのることにした。


「中学の時のピアノのコンクールも、東京都でかなり上位のほうに行ったって話だし、俺は聞いたことあるから驚かなかったけど、まぁあれだけ上手かったら、知らない人が驚いても仕方ないよな。正直言って普段クラスで目立つタイプでもないしね」


 小野くんはその後、中学の時にクラスの合唱祭のピアノ伴奏を水無瀬さんがした時のことを色々と話してくれた。どうやら単純にピアノが得意と言うレベルで収まる話ではないようだった。


 どうして高校でも吹奏楽部に入らなかったのかは分からないけれど、ピアノが弾けて吹奏楽部に入っていたくらい音楽に関心があったなら、作曲ができる知識を持っていても全然おかしくない。


 やっぱり、あの時に拾ったノートの持ち主で、あの曲を作ったのは水無瀬さんに間違いないだろう。


 あとは、どうやってこの事を水無瀬さんに聞くかだ。


 仲の良い清水さんにも必死にノートを隠していた様子を見ると、僕が漫画を描いていることを他の人に言っていないのと同じように、他の人に作曲をしていることを隠しているのではないだろうか。


 そのことを考えると、聞くタイミングは慎重にするべきだ。


 もしも僕が周りにたくさん人がいるときに不用意に聞いたばっかりに、水無瀬さんが秘密にしたがっている作曲の事を他の人に知られたら、水無瀬さんはどう思うだろう……


 駄目だ。絶対にそんなことになったらだめだ。

 

 もう僕のせいで誰かを傷つけたくなんかない。


 嫌な思いをさせたくない。

 

 罪の意識でどうしようもなく苦しくなることはもう嫌なんだ。

 

 二度と同じ過ちを犯したくはない。


 聞く時は慎重に事を運ばないと。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る