アドバイス
「三善くん。周りが見えていないような危ない歩き方しているけれど、なにか困ったことでもおありなのかな?」
どうしたらあのノートの持ち主を見つけることができるのだろうかと、考え事をして駅への道を歩いていると、道路を走っていた車が前の方で止まって、開いた窓から黒崎さんが顔を出して声を掛けてきた。
黒崎さんのイメージからして、高級車にでも乗っているのかと勝手に思っていたけど、案外どこにでも走っている普通の白いミニバンだった。
「人を探しているんです。でも、見つからなくて、どうしたら見つけられることができるのかなって考えていたんです」
黒崎さんは車のドアを開けると、手招きをした、
「ほほぅ。それはなんだか面白そうだね。良かったら詳しく話してはくれないか?どうせこれから駅まで行くのだろう? 駅まで送るから乗りなさい」
黒崎さんはなんだかいつもより機嫌がよさそうだ。
断る理由もないので、黒崎さんに促されるまま、車の中に乗った。車内は外見通り普通の内装で、運転手の人もカジュアルな服装をした30代くらいの若そうな人だった。運転手は僕が車に乗り込むと運転席と助手席の間から顔を出して、僕のことを興味深そうに見つめた。
「慶がほかの子を車に乗せるなんて珍しいねぇ、まして男の子を乗せるなんて」
「えっ?」
「まったく、大事な客人の前で何を言ってるんだ、真」
「おっと、口が滑って。挨拶が遅れたねぇ、慶の運転手……というよりも世話係といったほうがいいかな。真司だ。よろしく」
真司さんはそう言って、僕の前に手を差し出した。なんで手を出したのかわからないでいると
「すまないね、真は海外にいたのが長かったから、握手とかそういうのを求める癖が抜けないんだよ」
とフォローしてくれた。握手なんて滅多にしないからわからなかった。
「一年生の三善祐一です。黒崎さんは先輩にあたるんですが、いつも色々と良くしてもらっていて感謝しています」
「おー、そうかなとは思ったけど、やっぱり後輩君なのかぁ。それならもっと珍しいな」
「あのー、さっきの言い方だと、女の子を乗せることはよくあるんですか?」
「いやいや、そんなことはないよ。男女関係なく、他の子を乗せること自体が本当に珍しいんだ。まぁでも、今までの比率で言ったら、女の子の方が多いかもね。この前も同級生の女の子を……」
「おいおい、もうそれくらいにしてくれよ、真。早く車を走らせてくれ」
「すいませんねぇ、慶の学校の子と話す機会はあんまりないから、ちょっとうれしくもあってついついね」
そう言って、真司さんは出していた顔を引っ込めると、車が動き出した。なんだかとても気さくなお兄さんだ。
黒崎さんに詳細は遮られてしまったけれど、聞く人が聞いたら学校を揺るがすスクープだ。
「まったく……まぁなんだ、あまり気にしないでくれ」
他の人に押されて、困ったような顔をしている黒崎さんは初めて見た。いつもはどんなに熱心にアピールしてくる女の子に押されようとも、迷惑そうな顔はせず、それでいて紳士に女の子たちに接している黒崎さんしかみたことなかったから、なんだか新鮮だ。
もしかしたら、身内には弱いのかもしれない。
「さて、それでだな、誰を探しているんだい?」
「実はですね……」
黒崎さんにノートの事や曲の事などを全て話した。黒崎さんはしばらく無言で考え込んだ後、「ははは」と小さく笑った。なんだかいつもの黒崎さんには似合わない、面白いことを見つけた子供みたいな幼い笑い方だった。
「なるほどね。そういう科学反応もありかも知れない。とても興味深いな」
そうして小さな声で独り言を言うように、なんだかよくわからないことを呟いた。黒崎さんは何か知っているのだろうか。そんな感じの呟き方だった。
「黒崎さんは、もしかして何か知っているんですか?」
「うーん、知らないって言って、それで君は信じてくれるかい?」
黒崎さんが少し不敵な笑みを浮かべながら囁くように言った。
そうだ。
この人にはそんな質問は意味がない。
人を観察するのが好きな黒崎さんはこの学校に在籍する人間の色々なことを知っているのだ。この学校の人間に関することで、この人の知らないことはないんじゃないかと大袈裟に言いたくなるほどに。それに作曲ができるような才能の持ち主を、この人が見逃すはずがない。
「なんてことは冗談だけれど、大体誰の事を探しているのかは分かったよ。本当は知っている事を教えてあげたいところだけれど、それじゃあつまらない。きみ自身の力で、探してみるんだ。漫画家を目指しているきみにとって、今回のことはとてもいい体験になると思うよ」
「いい体験……ですか?」
「そうだよ。漫画という物語を作ろうとしているきみにとって、人探しの体験はいつかきっと役に立つはずだよ」
「でも、全く見当がつかないんです」
「そうだな、相談に乗ったのに何も役に立たないのもよくないな。だからきみに答えではなくて、ヒントをあげよう」
「ヒント……ですか?」
「答えじゃなく、ヒントだ。ノートに書かれていた文字が綺麗だったからといって、ノートの持ち主が女性だと考えるのは早計ではないだろうか?
どうやらきみは音楽系の部活に入っている人達を当たっているようだけれど、作曲できるだけの知識があるのは本当にその人たちだけだろうか?
そもそも運動部に入っている人間は本当に全員その運動が得意なのだろうか? 考え方は悪くはないとは思うけれど、あらゆる可能性を頭の中だけで潰さずに、実際にその可能性が本当にないのか調べてみることも時には必要だよ」
もう駅についていたので、黒崎さんと真司さんにお礼を言って車から降りた。
駅に向かって歩こうとすると車の窓があいて、
「しばらく探しても、わからなかったら私のところに来なさい。その時には、またいくらかヒントをあげよう。まぁきみのような才能の持ち主ならそんなことしなくても、きっと巡り合うとは思うけれどね」
と黒崎さんが言った。
車は窓を開けたまま、走って行ってしまった。僕も駅に行って、自宅方面の電車に乗った。
電車はちょうど帰宅の時間帯なので、混んでいた。吊革につかまって、電車の窓から夕焼けに染まる街並みを見ながら、先ほどの黒崎さんの言葉の意味を考える。
ノートに書いてあった字の綺麗さからしてずっと女の子だと思っていたけれど、男の子の線でも調べる必要があるのかもしれない。字の綺麗さで男の子じゃないと思ってしまったけれど、あのページは清書してあるようだったし、普段は汚い字を書いていても、丁寧に書けばあれくらい綺麗に書けるのかもしれない。
男の子に聞くのは、女の子と比べれば非常に簡単なことなので、試してみる価値はある。合唱祭を見ていて、音楽の知識がなさそうな人が多く、候補に挙がるとしてもそんなに多くはない。特にクラスで音楽ができる男子の筆頭候補になるであろう軽音楽部の竹内と、吹奏楽部の小野くんの可能性はもうないのだ。
後はきっと美術・書道・音楽の選択授業の中で音楽を受けている人の中にいるかいないかくらいだろう。
それと今まで候補に挙がらなかった女の子も調べてみる必要があるかもしれない。考えてみれば、女の子の多くはピアノを習い事でやっていた時期があったりするから、音楽系の部活には入っていなくても作曲できるだけの知識を持っていてもおかしくはない。
今まで考えてきてなかった女の子を考えていって、頭の中に真っ先に思い浮かんだのは清水さんだった。清水さんは運動系の部活だし、同じ美術選択で音楽のイメージは全くないけれど、それが逆になんか怪しい気がする。
何より、僕のことを見てくるのは、僕があのノートを拾ったことを知っているからなのかもしれない。考えてみれば清水さんが僕の事を見てくるようになったのは、ノートを拾った出来事ぐらいからのことだった。
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