歌詞の行方
日本史の授業が淡々と進んで行く。日本史の授業は教師がぼそぼそとしゃべっているだけで終わってしまうのでつまらない。というか、そもそも暗記科目の授業自体がそう言うものなのだと思う。
普段なら自然と手が動いて絵を描くのだけれど、今日はなんだか手が動かなかった。あれから何度も聞いた「雛鳥」の曲のことを考えていた。いまだに、どうしてあんなにこの曲が印象に残っていたのかはわかっていない。
ずっともやもやしたままだ。もしかしてどこかで聞いたことがあるかとも思ったけれど、そんな記憶は全くない。
なんとなく頭の中に流れている曲の歌詞をノートに書きだしてみる。
――まだ飛ぶことができなくて
――殻の中の世界から空を眺めていたんだ
何だろう。
こうやってノートに書き写してみると、この歌詞を動画以外の何処かで見たことがある気がする。
――いったいどこで見たのだろう。
例えば国語の教科書に載っていた有名な誰それの詩とか、そういうものじゃなくて、つい最近何かの折に見たものだったような気がする。
なんだったっけ。
すぐそこまで何かが引っかかっていて思い出せそうなのに、どうしても思い出せない。すごくもどかしい。
――バシィーン
突然、先生が板書をしている音だけが響いていた静かな教室に、大きな音が響き渡った。
音がした方向に顔を上げると、教科書や筆記用具、ノートが落ちていた。どうやら小谷さんが机の上にあったものを落としてしまったようだ。本人は寝ていて、音に驚いて今起きたのか、何が起こったのかわかっていないみたいで、すぐに拾おうとはせず辺りを見回している。
多分、寝ていて何かの拍子に動いた手で机の上にあったものを薙ぎ払ってしまったのだろう。
「小夜ったら、もー何やってんのさ」
教室中の注目が集まってしまっていたからか、近くの女の子がそんなことを言っていた。小谷さんは板書するのをやめて振り向いていた先生に向かって、「すいません」と言いながら落としたものを拾っていた。
小谷さんは恥ずかしさからか急いで拾おうとするあまり、机に体をぶつけてまた別のものを落として大きな音を出していた。皮肉なことにそれでまた教室の注目を集めてしまっていた。
教室からため息が漏れた。
落ちていた薄い青色のノートを拾う小谷さんを見ていて、突然、頭の中にイメージが湧いてきて、この教室で拾った綺麗な空色の表紙のノートのことを思い出した。
そうだ。
この歌詞は、前にこの教室で拾ったノートに書いてあった詩にそっくりだ。
あの時はただの詩だと思っていた。でもあれは詩じゃなくて歌詞だったんだ。わざわざ歌詞をノートに書くなんてことしたことないから、無意識に詩だと思ってしまっていた。
どうして歌詞だという可能性に気がつかなかったんだろう。
あれはあの曲の歌詞を写したノートだったんだ。
一度この曲の歌詞を見ているから、この曲を聞いて何かが心の中に引っかかるような気がしたんだ。頭の中にあったもやもやが晴れていく気がした。
でもなんであの曲の歌詞がノートに書いてあったのだろうか。
例えば僕がさっきノートに歌詞を書いてみたように、あの曲が好きだからとかで歌詞をノートに写したって考えられないわけじゃないけど、そうは思えなかった。
僕があのノートを拾ったのは、確か九月の終わりごろだった気がする。『雛鳥』はつい最近あげられた動画だと晃が言っていた。
となるとこの動画がネット上に上げられたのは、少なくとも十一月くらいのことだから、僕がノートを拾った時にはまだ発表されていないはずだ。どうして発表もされていない曲の歌詞を知っていたんだろう。
そうやって考えると、結論はただ一つ。
あのノートの持ち主がこの曲に何かしら関わっていると言う事だ。あのノートにたくさん書かれていた文字は、殴り書きされた歌詞のメモなのだろう。ということはおそらく、ノートの持ち主が作詞した本人だろう。
そして、確か動画に書いてあった投稿コメントによると作曲と作詞は同じ人がしたことになっていた。ということは、あのノートの持ち主があの曲自体を作ったことになる。あのノートが落ちていたのはこの教室で、それを考えると、きっと持ち主はこのクラスの人間だ。
顔を上げて教室を見渡してみる。
寝ている人は寝ているし、他の作業をしている人は作業をし、まじめに授業を受
けている人は先生の話をしっかりと聞いている。
いつもと変わらない、何の変哲もないただの授業風景だ。
だけれど、今この空間に、あの曲を作った人間がいるんだということを考えるとなんだかいつもの教室が違ったものに見えてきて、ワクワクする。
いったい誰があんな素敵な曲を書いたのだろうか。
今この教室で何をしているのだろうか。
何を考えているのだろうか。
どうしても知りたい。自然とそんな気持ちになっていた。
作曲っていうと、そうとう音楽の事に詳しくないと出来ないイメージがある。きちんと知識があって初めてできる行為。作曲ができるほどの知識があるのだから、きっとその人は音楽に深くかかわっている人だろう。確かこのクラスには吹奏楽部と軽音楽部、合唱部の人間がいたはずだ。きっとその中の誰かがこの曲を作ったのだろう。
あの文字の綺麗さからして、少なくとも男の子ではないと思う。このクラスで綺麗な字を書いている男の子がいないわけではないけれど、合唱祭の時の様子から考えると、その中に作曲が出来るほど音楽に関わっている人はいない。
このクラスにいる女の子は20人。全員の部活を把握しているわけじゃないけれど、運動系か文化系のどちらに入っているかくらいは大体わかる。
とりあえず文化系のくくりで考えると、半分の10人くらいにはなる。
その中でも天文学部の矢野さんとか文芸部の肥川さんとかは音楽ではないから除くことができるだろう。
吹奏楽部の相楽さん、佐藤さん、安部さん。
軽音楽部の佐々木さん。
合唱部の広瀬さん、吉瀬さん。
後は何の部活に入っているか知らない雨宮さん、田中さん、水無瀬さん。
たぶん、この人たちが候補だろう。
でも、どうやって誰が作曲したかを突き止めようか。難しいところだ。
今のところ一番重要な手がかりはあのノートだ。あのノートを持っている人を見つけることが出来れば、きっとその人が作曲をした人だ。
候補に挙げた人たちの誰かが持っていないか注意して調べてみよう。簡単に思いつくのはそれくらいだ。でもそんなに都合よく見つからないだろうな。
他の方法も考える必要がある。手当たり次第に聞いて行くなんてことは効率が悪い上に、直接女の子たちに聞く勇気なんて僕にはない。それにいきなりそんなことを聞いたところで正直に答えてくれるかも分からないのだ。
どうしよう。
何か手がかりのようなものがあれば、それを材料に聞き出すことができるかもしれない。でも、その手がかりはどうやって探そう。
とりあえずこういう時は、音楽に詳しい人に聞くのが一番だろう。何か教えてくれるかもしれない。となると、吹奏楽部の小野くんだろうか。この前の合唱祭でこのクラスの指揮者だったし、吹奏楽部の人のことも良く知っているだろうし。
「ねぇ、作曲ってしたことある?」
授業が終わった後、さっそく小野くんに聞きに行った。
「どうした、突然。まさか、ないよ。俺は演奏専門だし、そんなことしたいなんて考えた事もないね。僕が曲を作れるとは全く思わないし。まぁ僕は演奏以外のことだったら、吹部で指揮をやってみたいって気持ちはあるね。まぁ僕なんかにそんな大役が務まるかわかんないけど」
合唱祭の時の小野くんの指揮は音楽に詳しくない僕でもわかりやすかった。小野くんは謙虚だからこういう風に言うけれど、小野くんならできると思う。
「そっか。作曲はやったことないのかー。やっぱり作曲って難しいの?」
「うーん、作曲しようなんて考えたことないから分からないなぁ。でもまぁ、適当にならそれっぽいのは作れるだろうけど、まともな形にしようとするなら、かなり専門的な知識がないとできないと思うよ。既存の曲を編曲するだけなら、そこまで専門的な知識がなくてもある程度の知識があればできるだろうけど」
「やっぱり難しいのか。じゃあさ、違うこと聞くけどさ、吹奏楽部の中で誰か作曲している人って知らない?」
「うーん、どうだろう。僕が知っている限りではいないと思うよ。作曲じゃなくて編曲なら野球応援の曲とか、学指揮の先輩がしているみたいだけど、誰かが作曲しているって話は聞いたことないなぁ。吹奏楽部の人達は基本的にプロの作曲家が作った作品を演奏するだけで演奏専門なところがあるからね」
確かに、吹奏楽部の人は放課後、よく屋上で練習しているのを見るし、楽器を吹くことに一生懸命で練習が一番大事って感じだ。
それと全員で一つの音楽を作り上げることを大事にしていて、個人でする作曲にはあまり興味がなさそうだ。
となると吹奏楽部の人たちの線は薄くなりそうだ。
「あ、吹奏楽部の人で作曲している人はいないけれど、軽音楽部にならいてもおかしくないと思うよ。編成的にバンドの方が作りやすいし、ギターとか演奏する時にはコードが重要で勉強していたりするから、作曲をする時に役に立つし、入りやすいから。それに、オリジナルの曲を自分たちのバンドでやりたいって思っている人も多いだろうしね」
なるほど、確かにそう言われてみると吹部よりも軽音楽部のほうが曲を作っていそうではある。
軽音楽部となると、佐々木さんだ。
軽音楽部の竹内に聞くのが一番だろう。それまで人数が少なくて軽音楽同好会だった所を、一年生で他の学校の人とバンドを組んでいるけれど、同好会に入っていなかった人とかを探し出して誘って入れることで人数を増やして、軽音楽同好会をより一つ上の肩書の軽音楽部に変えたくらい熱心だ。
ちなみに、同好会と部活では学校からもらえる予算や、使える設備が大幅に上がるため、その活躍はみんなから認められていて、軽音楽部の次期部長候補なのだ。そんな竹内だったら、この学年の軽音楽部の部員の事は全員把握しているだろう。
あとで竹内を捕まえて聞いてみよう。
「ところで、どうしてそんなことを僕に聞くんだい?」
「いや、ちょっと作曲に興味を持ってね。まぁ音楽のことだったら小野くんに聞くのが一番だろうと思って。それに誰かしている人がいたらどんなことから勉強すればいいのか教えてもらおうかなって」
「なんだぁ、それなら音楽の先生に聞くのが一番だと思うよ。理論とかには詳しいし、人に教えるのに慣れているからね。それに確か一応3年生の音楽の授業で単純な曲を作らせる授業もやってるみたいだし」
「いや、音楽の先生に聞くのも考えたんだけど、美術選択だから関わりなんてないし、実際にどんな感じで作っているのかってことに興味があるからさ」
「そっか。それじゃあ先生は微妙かなー。ま、今日の放課後にでも部員に聞いてみて誰かいたら教えてあげるよ」
「軽音楽部って言葉がちらっと聞こえたような気がしたけれど、何の話してんの?」
どこから聞いていたのかわからないけれど、竹内がいつの間にかすぐそばにいて話に割って入ってきた。
なんて丁度いいタイミングなんだろう。
竹内に軽音楽部の話をしていた経緯を話していると、小野くんは他のクラスの女の子に呼ばれてどこかへ行ってしまった。
「軽音楽部で作曲できる人ねぇ。先輩なら一人だけ作曲してる人いるけど、うちらの学年には絶対にいないな」
竹内は妙に自信ありげに言い切った。
「どうして絶対だなんて言い切れるのさ?」
「いやー絶対だね。祐一はバンドマンの気持ちってものがわかってないね」
竹内は不敵にニヤリと笑って言った。
「そりゃーバンドマンじゃないからねぇ……」
竹内が僕の肩を掴んだ。
「あのな、バンドをやっている人間からしたらさ、自分たちで作ったオリジナルの曲をやるってのは目標の一つなんだよ。有名なバンドの曲をやるのも楽しいけどさ、やっぱり自分たちのオリジナル曲を演奏したいわけで。それはドラムだろうが、ベースだろうがポジション関係なく同じなわけよ。
だからもし、軽音楽部にきちんと曲を作れるような人間がいたら、自分で演奏しないはずがない。でも、うちらの学年にはオリジナルをやっているバンドはないから、作曲できる人がいないっていいきれるわけ」
言われてみると、竹内の言い分はバンドマンでない僕でも納得できる。
何かを表現する人間としては、いつまでも模倣ばかりしていても面白くはない。自分でも曲を作ってみたくなるはずだ。
「まぁ、ただ自分で作曲しようって思う人が多いとは言えないけれどね。メンバーの誰かが作曲してくれないかなーとか淡い期待抱いているだけの奴も多かったりするし、自分が作詞するから、誰か作った歌詞に曲をつけてくれないかなーとか平気で思ってたりするんだよな。悲しいかな、オリジナルをやりたいと言う気持ちは誰にでもあるけれど、そのために自分が努力するかって言われると話は別なんだよ」
「そんなもんなのかー」
「そうなんだよ。俺が一番許せないのはさ、歌詞なんて誰でも書けると思ってるやつらだな。そりゃ、うちらは日本語を使ってんだからさ、歌詞を書けないこともないよ。でも、それなりに書き方を学んでいなきゃきちんとしたものは書けないし、人の心に響くものなんて簡単に書けるものじゃない」
「確かにそうかもね、小説をたくさん読んでいるからって簡単に小説が書けるわけじゃないのと同じだね」
一樹が口を酸っぱくして言っていることだ。
「なんだよ、三善はわかってるじゃん。創作ってものはそんな甘いもんじゃないと思ってる。それなりに自分の何かを削って作り出すもんなんだよ。だからコピーバンドだとしても、作った人に敬意を払って、歌詞の意味を深く考えて歌う。そうすれば、それは聞いてるほうにだって絶対伝わる。人の心を揺さぶるってのは、どんな手段であれ、それなりに大変なことなんだよ」
竹内もやはり軽音楽に関してかなりの熱意を持ってやっているんだなと思った。そうでなければ、軽音楽部にするためになんか動かないか。いつもふらふらして適当そうに見えるところもあるけれど、かっこいいと思った。
しかし、竹内のおかげで小野くんの話を聞く限りでは一番怪しかった軽音楽部に入っている佐々木さんの可能性が消えた。現時点で数曲作って投稿している人間が、バンドで演奏していないわけがない。この前のライブでもオリジナルはなかったわけだし。
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