初音ミク

「なぁ、初音ミクって知ってる?」


 クラスで仲のいい晃の家に遊びに行って、ゲームをしていたけれど、つまらなくなってきたので休憩していると、晃がおもむろに立ちあがっていった。


「うーん、なんとなく名前は聞いたことあるかも。でも初音ミクが何のキャラクターなのかはよくわかんないや」


「そっか。まぁまだその程度の知名度だよなぁ……」


 パソコンの前に移動した晃は、ぼやくようにぼそっと言った。でも本当に知らないのだから仕方がない。


「で、その初音ミクってのはなんの物語に出てくるキャラクターなの?」


「うーん、なんかの物語に出てくるキャラクターってわけではないんだよね。人の歌声を出すソフトの事をボーカロイドって言うんだけれど、初音ミクっていうのは、そのソフトの中の一つなんだよ。発売された時点ではマスコットって言った方がいいかも」


「発売された時点ではって?」


「最初はね、ただのパッケージに書かれているマスコットって感じの存在だったんだよね。でも今は色々な設定とか、物語が作られていて、立派なキャラクターになっているんだよ。

 まぁとにかく、ボーカロイドの音源の一つが初音ミクってわけ。ネットの中で、今爆発的に流行っているボーカロイドが初音ミクなんだよ。最近はネットの中じゃかなり有名になってきた部類なんだけど知らないか」


「へー勘違いしてたわ。てっきりアニメかなんかのキャラだと思ってたよ。え、っていうかさ、人の歌声を出してくれるソフトってあんまり意味がわからないんだけど、どういうことなの?」


「あぁ、確かにそれだけ聞いてもよくわからないよね。自由にメロディーと歌詞を作って入力すると、それに合わせて人の声で歌ってくれるんだよ。もちろん、単純に歌詞とメロディーを入力しただけじゃ出来上がる声はぎこちないから人の声に聞こえるように自分で細かく調整しなきゃいけないんだけどね」


「え、なにそれ、なんかすごそう」


 晃は人の声で歌ってくれると簡単に言っているけれど、人の声をパソコンで作り出せると言うのだろうか。本当にそんなことができるのか、全く想像がつかない。できたとしても本当に聞くに堪えるレベルなのだろうか。


「まぁさ、百聞は一見に如かずって言うし、とにかく聞いてみてよ」


「そうだね。実際に聞いて見ないとよくわからないや。でもそれ、ちょっと言葉の使い方を間違えてるよね。今から見るわけじゃなくて聞くんだし」


「まぁ、そんな細かいことはいいからいいから」


 パソコンが立ち上がって、デスクトップ画面が表示された。晃のパソコンには色々と見た事もないような機械が接続されている。何故かモニターも2つある。全部ネットゲームをするために必要らしい。モニターが二つあるのは、ネットゲームをする際に一つのモニターでは色々と不便だかららしい。


「ニコニコ動画の事は知ってるよな? 前に面白い動画の事教えたし」


「うん。アカウント取得したし、ニコニコ動画については知ってるよ」


「初音ミクの楽曲が投稿されているのはニコニコ動画なんだ。ユーチューブも動画の投稿がたくさんあるけれど、初音ミクの投稿はあまりないね。だから、ニコニコ動画で定着している文化なんだけど……」


 晃はニコニコ動画にアクセスして、初音ミクが歌っているという曲を聞かせてくれた。


「すげー何これ。今の技術ってここまで進歩してんのか……どうやったらパソコン上でこんな人間が歌っているのに近い音声が作れるんだろ」


「日本の技術力は本当に凄いよね。ボーカロイドの技術を開発したのは日本企業のヤマハだよ。楽器の製造に関しては日本だけじゃなくて世界的にも評価が高い会社だからね。

 流石って感じだよね。仕組みは簡単に説明すると、あらかじめ録音してある色々なパターンの音声を合成しているだけらしいんだけど、それでこんな音声になるんだから凄いよね」


 その歌声は、想像していた以上に人間の声に近いものだった。やっぱりどこか機械的な音声は残っているけれど、実際に人が歌っているみたいだ。とても機械的に合成された歌声には思えない。何も知らなければ普通に人間が歌っていると思ってもおかしくはない。


「聞いてもらったのはryoって人が作った『メルト』って曲ね。この曲が世の中で一番有名なボーカロイドの曲なんじゃないかなぁ。この曲が発表される前に投稿されていた多くのボーカロイドを使った曲の傾向とは違って、ミクさんに一般的なラブソングを歌わせてヒットした初めての曲だと思う。この動画に使われているミクさんのイラストも綺麗で歌にあっていて衝撃的だったなぁ」


 確かに歌の内容は一般的なラブソングで、どこかの有名な人気バンドが歌っていそうな感じの曲だ。女の子の好きな人に対する切なさを、ポップに歌った爽やかでいてどこか切なさを感じる曲。けれど、これを人ではなく機械が歌っていると言うのが驚きだ。


「まだまだ一般的ではないけれど、この『メルト』って曲の大ヒットがきっかけでボーカロイドがたくさんの人に知られるようになったんだよ。この曲が流行った理由の一つは、みんなが歌いたいって思えるような、歌詞の内容を自分に重ねられるような曲だったってことなんだろうね」


「ねぇ、もっと色んな曲聞かせてよ」


「おう、たくさんあるぜ。うーん、どれにしようか」


 晃はなんだか嬉しそうに、忙しなくマウスを動かしている。色んな曲の動画を開いて、僕に何を聞かせようか悩んでいるようだった。


「そうだな、さっきの曲と比較するにはこの曲がいいかなー。『恋スルVOC@LOID』って曲なんだけど、ミクさんが販売されてからすぐに投稿された曲なんだよね」


 今度聞いた曲は、先ほど聞いた曲よりも声に電子っぽさが残っているので、人が歌っていると間違いはしないだろうけれど、曲の内容と電子っぽさが逆にいい味を出している。

 さっき聞いた『メルト』は伴奏にバンドっぽさが出ているのに対して、この曲の伴奏は電子音が中心だから、余計にミクの電子っぽさ強調されている。


「初めて聞いた初音ミクの歌がこの曲だったからなぁ。本当にびっくりしたよ。こんなことができる世の中になったのかって思って感動しちゃった。何より、この曲が登場しなかったら、初音ミク以前に出ていたボーカロイドのメイコとカイトのように、あまりオリジナルの曲が投稿されずに終わっていたかもしれない。そう考えると、やっぱりこの曲はすごいと思う」


「そんなすごい曲なのか、これ」


「この曲を作ったふわしなさんはね『ミラクルペイント』ってボーカロイドの中ではなかなか珍しいジャズの曲を作って、さらにその曲の中でミクさんにスキャットを歌わせたりしているすごい人なんだよ。

 誰もそんなミクさんの使い方は想像していなかったと思う。さっきの恋するボーカロイドもそうだけれど、この人がボーカロイド文化に与えた影響はものすごく大きいと個人的には思うんだよね」


「この曲作った人がすごい人ってのはなんとなく伝わったけどさ、ごめん、そもそもスキャットって何?」


「ああ、スキャットがわかんないかー。なんかジャズとかでさ、『ダバダバ』とか『ドゥビドゥバ』って意味のない言葉を歌ったりしてるあれなんだけど……っていってもあんまりわかんないよな。ええいっ、聞いた方が早い!」


 そういうと、今度はミラクルペイントという曲を聞かせてくれた。

 いきなり、晃の言っていたミクのスキャットから始まり、ドラムが軽快なリズムを叩き始めて進んでいく、バーで流れていそうなジャスだった。想像していたもの以上だった。こんな風な声をパソコンで作れるということは、もう人間の声なんか必要ないんじゃないかって思うほどだった。


「すごいだろ、よくこんな曲をミクで作ろうと思ったなぁって本当思うよ。こんな使い方されちゃったら、他の人は創作意欲刺激されちゃうよね。この人が次はどんなすごいことやってのけるか楽しみだよ」


「確かに、こんなにすごいものを聞かされたら、自分も作ってみたいって思っちゃうよねぇ。確かに、ふわしなさんってのはすごい人だね」


 何事にも先駆者というものはいるけれど、この人はまさにそれだと思う。もちろん、先駆者故に抱えるジレンマもありそうだけれど、この人はこれからもすごい曲を作ってくれそうだ。


「初音ミクが販売されるって聞いてから、初音ミクに注目して色んな曲を聞いているけれど、いまだに『恋スルVOC@LOID』の衝撃を超えたものはないねぇ。だから一番この曲が好き。電子のボーカロイドであるミクの心情を歌った歌だからもろにボーカロイドって感じがするからね」


 そういうと晃はもう一度『恋スルVOC@LOID』を流した。


「確かにこの電子っぽさはいいねぇ」


「今教えたのは有名な曲ばっかなんだけれどさ、色々と有名じゃない曲でもいい曲はたくさんあるんだよ。例えばさ、ついこの前に新しく投稿された『雛鳥は青い空の夢を見る』っていう曲がとってもいい曲なんだよ。まだ再生数少ないんだけれど、人に薦めたくなるくらいにさ。聞いて見てくれよ」


 確かに今まで聞いた3曲と比べても負けないくらいクオリティーの高い曲だった。ゆったりとした曲で、低音域から、高音域まで連続して上がっていく場所は、ボーカロイドだからできる勢いだった。


「この曲を含めてもまだ2曲しか動画を投稿してない新人さんなんだけど、この楽曲の完成度はすごいよ。まぁ強いて言えば、もう少し調教が上手いといいんだけれどなぁ」


「調教って?」


「あぁ、そんなこと言われてもわからないよね。機械っぽくなってしまう音声を人間らしい音声にすることを調教って言うんだよ。この曲はとってもいいと思うんだけれど、調教がまだ甘いんだよね。わざと機械っぽさを残しているというわけでもないし。まぁでも相当細かい作業で難しいらしいから仕方ないけど」


 さすがに、いきなり人間に近い声を作ることができるわけはないようだ。きっと、あの『メルト』の声も、かなりの量の作業を経て人間に近い声になっているのだろう。


「あ、そういえば、いいのがあったな。ちょっと待ってな」と言うと晃は別の動画を探し出して、再生し始めた。有名な『ドレミの歌』を伴奏がまったくなしで、ミクだけが歌っているものだった。一応何を言っているかはわかるけれど、明らかに機械で合成した声だろうなというのがわかるものだった。


「これが所謂ベタ打ちってやつだ。ただ単にメロディーと歌詞を入力しただけ。ここから色んなパラメーターをいじって、人間らしい歌い方に近づける作業が調教なんだよ。それを極めると「メルト」みたいに、人間が歌っているように聞こえるわけだ」


 なるほど、何もいじらないで歌わせたものを聞くと、どれだけあの『メルト』が調教という作業を経て変わったのかがわかる。


「ま、調教の話は置いておいてさ、こういう風に、再生数少なくてもいい曲を探す醍醐味もあるんだよね。決して再生数だけが曲の出来じゃないし、たくさんある曲の中から自分の好みの曲を探す。それがボカロ音楽のとっても楽しいとこだよ」


 僕がいつもネットで上手な絵を探しているのと同じ感覚なのだろう、本当にこの世の中にはすごいものを作る人たちがたくさんいる。


「そういえば、これってみんな素人が作っているの?」


「そうだよ。もちろん、プロの人がいる可能性は十分にあるけど、居たとしても多くはないはず。曲を作って投稿してもお金にはならないからね。だから必ずしも作品のクオリティが高いというわけじゃなくて、何も知識がない人が適当に作ったってのがわかるような聞くに堪えないものも普通にあったりするから」


 そのあとも晃にいろんな曲を教えてもらった。たくさん曲を聞いたので、家に帰る時にはもう外は真っ暗になっていた。

 家に帰っても、さっき聞いた雛鳥とかいうタイトルがついていた曲のフレーズが、ずっと心の中に残っていた。他にもたくさんいいなと思う曲はあったけれど、この曲だけ強烈に印象に残っていた


――どうしてだろう。


 心の中で何かが引っ掛かっている。

それが何かは全くわからないけれど、あの曲のことがどうしても気になって仕方がないのだ。


 もう一度あの曲が聞きたくなって、パソコンを立ち上げて、ニコニコ動画でうろ覚えの曲名を検索すると、目的の動画にたどり着くことができた。

 何度繰り返し聞いて見ても、どうしてこの曲の事が気になるのかは分からなかった。確かにとても素敵な曲だけれど、一度聞いただけでここまで何かが気になって、しかもその原因が分からないなんて不思議だ。いったい何でこんな風に気になるのだろう。


 寝るまでずっと考えていたけれど、答えは見つからなかった。


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