季節の変わり

 紅葉した葉が、木の根元を埋め尽くしていた。

 カーペットでも敷いたかのように、公園の半分以上に紅葉した葉が積もっている。ついこの前まで誇らしげに紅葉した葉をつけていた木は、裸になって寒そうに見えた。道を歩いている人たちは首にマフラーを巻いたり、ポケットの中に手を入れたりして歩いている。

 外の景色を見ていると、温かい教室にいる僕にも寒さが身に染みそうだった。窓の外に見える景色は、秋の終わりを感じさせていた。


 夏休みが終わり、2学期が始まってから早2ヶ月。

 高校生活にはもうすっかり慣れて、入学当初にあった勉強への意欲も、もはやだらけてしまった。黒板に板書された文字も、最初の頃は熱心に写していたのに、今は適当に殴り書きしかしていない。どうせテスト前にしか見ないのだし、自分さえわかればそれでいい。


「えーここが……であるからして……」


 先生は、教科書を声の調子を変えずに淡々と読んでいる。難しい内容をやっているわけでもなく、生徒に当てたりもしないのでこの授業を真面目に聞いている人は少なく、周りには机に伏せて寝ている人もいる。けれど、この先生は誰にも注意したりはしない。周りに迷惑がかかるような行動さえしていなければ、基本的には何をしていても大丈夫だ。


 特にする事もないので、ノートの空いているページに適当に絵を描く。

 なんとなく運んだシャープペンが、長い髪の少女を描いていく。決して笑顔ではなく、少女の表情には憂いを感じる。その表情に合わせて、猫を抱かせてみる。そこにいた少女は、明らかに何か問題を抱えている少女だった。


 無意識に絵を描く時、どちらかと言えば女の子の方を多く描いてしまう。戦う男の子やカッコイイ男の子というよりは、どこかに儚さや憂いを抱えている女の子を。それは絵を描き始めるようになったきっかけが、そういう女の子を描くことからだったということがあるかもしれない。


 あれは小学生低学年の頃のことだろうか。僕は授業中に窓の外を眺めるのが好きで、窓際の席が好きだった。ちょうど窓際の席になっていたある日、いつものように外を眺めようと視線を移す時に、前の方の席で窓の外を眺めている女の子が見えた。表情、と言ってもあくまで横顔で見える程度でしかないのだけれど、その表情が気になった。


 その子は普段は元気そのものと言ってもいいくらい明るいのに、この時は他の誰もしないような寂しそうで、切なそうな顔をして窓の外を眺めていたのだ。一瞬、泣いているんじゃないかとも思ったけれど、よく見ると涙は流れていなくて、泣く寸前という感じだった。


 どうして、あんな表情をしているのだろう。

 その切なそうな顔が普段との違いもあって、どうしても気になって仕方がなかった。窓の方を向いているから顔の表情は同じ列の後ろにいた人くらいからしかわからないわけで、誰もその様子に気が付いていないようだった。

窓の外を眺めることなんか忘れて、その表情を、女の子が前を向いてしまうまでずっと見ていた。


 授業が終わって休み時間になり、気になってその子を見ていたけれど、先ほどの表情の欠片もなく、ほかの女の子といつも通り元気で楽しそうにはしゃいでいた。昨日見たテレビの話をして笑っていた。


 だから、余計に気になって頭からあの表情が焼き付いて離れなかった。そのあとの授業なんかもう頭に入らなくて、なんであんなにも切なそうな表情をしていたんだろう、何か辛いことでもあったんだろうか、実は普段は無理をして元気な女の子を演じているだけなのだろうかとか色々なことを考えていた。そうして気が付けば持っていた鉛筆を運ばせていて、女の子の絵を描いていた。


 それから、何度もその子が同じような表情で窓の外を眺めている場面に遭遇した。その場面に遭遇するたびに、その姿を絵に描くようになった。滅多にみることのない、その表情をどこかに切り取っておきたかったのかもしれない。それにその子のそんな表情を知っているのは、たぶん自分だけだという秘密を知ったような感覚から来る優越感のようなものもあって、夢中になっていた気もする。とにかくそのうち、絵を描くこと自体が面白く感じてきて、好きになっていたのだ。もちろん、その女の子のことも好きになっていたのだけれど。


 結局、その女の子には想いを伝えることはなく、間接的にだけど振られた。後から他の人に聞いて知ったのだけれども、その時期に父親の勤め先が倒産したり、祖母が亡くなってしまったりと色々なことが重なってしまっていたらしい。

 だからなのだろう、あんなに切なそうな表情をしていたのは。今でもあの表情を忘れることはできない。


 ――ふと、誰かからの視線を感じてその方向に顔をあげると、斜め前の席からこちらを見ている女の子が目に入った。


 清水さんだ。

 バトミントン部に入っていて、いつも髪を短くポニーテールにしているのが特徴的な女の子だ。明るくていつも元気で女の子からの人望は厚いみたいだけれど、男の子には素っ気なかったり、きつい態度をしていることが多い。そのため、一部の男の子からは恐れられていたりする。


 周りの人は、男の子が嫌いだからああいう態度をとるのだと言うけれど、たぶんちょっと違って、ただ単に男の子と接するのが苦手なだけなんじゃないかと思う。苦手だから、どう接していいかわからず、つい強く出ちゃったり、素っ気なくなったりするんだろう。僕も何となく同じような感じだから、そう思う。


 最近、よく授業中に清水さんから視線を感じる。はじめは偶然かと思っていたけれど、何度も視線を感じるので、どうやら違うみたいだった。


 明らかに意図的なものだ。


 でもその理由はよくわからなかった。

 なぜなら、まったく思い当たる節がないのだ。

 もしかして無意識のうちに、清水さんに何かしてしまっていたのだろうか。

特に睨まれるようなことをした覚えはないのだけれど。


 清水さんは僕と視線が合ったのに気がつくと焦ったように顔をそむけ、まるで私はあなたのほうは見ていませんでしたよと示すかのように、後ろに座っている水無瀬さんにこそこそと話しかけた。水無瀬さんは板書をしていたペンを止めて、迷惑そうに応じている。


 とは言っても、清水さんと水無瀬さんはいつも一緒にいるくらい仲が良いので本当に迷惑に感じているわけではないだろう。もう何度も同じようなことが繰り返されているので、うんざりしているだけだと思う。少し何かやり取りをすると、清水さんは前を向き直して、ノートに何かを書き始めた。もうこちらを見てくるような気配はない。


 どうして僕のことを見てくるのか、本人に聞いてみたいけれど、そんなことを直接聞けるほどの勇気は僕にはない。それで今より変に気まずくなったりしたら、さらに面倒だし。だから、とにかく僕が何か悪いことをしたんだと考えて、これ以上印象が悪くならないように気をつけている。


 とはいっても、そもそも清水さんと関わるようなことは滅多にないから、いつも通り普通にしているだけなのだけれど。


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