第2話 営業 - 2

 ビル入り口ドアのすぐ横のリーダーにカードキーを通し、センサーに視線を向ける。事前に管理者権限で登録された井川の網膜が認識され、分厚いガラスのドアがゆっくりと横滑りして開いた。


 運搬業者を残して入り口のすぐ近くにあるエレベーターに乗り込み、目的の5階に到着。橋本が前に進み出て最後の確認を行った。


「事前の打ち合わせ通り、井川さんにまずは最後通告をしてもらう。その後、相手の反応が芳しくなければ日向は中の全員を無力化しろ。ビル入り口の監視カメラのログから洗い出した限りでは、奴らの仲間は全員で6人だ。他は手を出すなよ」


 井川が驚いた表情で葵のほうを横目で見る。

 葵は特に反応を示さず、視線を合わせるようなことはしなかった。「危害を加えられたら、で、いいんですよね?」

「ああ」橋本は頷いた。「では、井川さん、お願いします」


 井川が備え付けのインターホンのボタンを押した。来客用の音声ガイドが流れたのを確認してからマイクに顔を近づける。


「青海地方裁判所の井川です。今日が期限日となっていますが、部屋の引渡しを行う準備は済んでいますか?」


 そのまま暫く待つ。たっぷり数分──何の返答もない。橋本と井川は顔を見合わせて首を傾げあった。「まさか、留守なんてことは?」

「いえ、居ます。5人か、6人」


 二人が驚いた顔で振り返る。だが、葵の耳は確かに部屋から漏れ聞こえる声を拾っていた。中では随分やかましく騒いでいる。


「カメラか何かで中の様子は見れないんですか?」

「昨今、プライバシーやら何やらで個人の部屋でそういうことはできないんだよ」橋本が顎に手をやった。「5、6人ってことは、勢ぞろいってわけだな。ちょうどいい──が、十分に注意しろよ」


 橋本が念を押した。葵は無言で頷く。

 開けます、と宣言して井川がマスターキーを使った。ロックの外れたノブを回し、葵は勢いよくドアを開け放つ。


 部屋は大部屋がひとつ。片付けなどされておらず、はなから退去命令を無視するつもりでいるのは明らかだった。中央の、麻雀のマットが敷かれたテーブルを囲んでいるのが4人。酒を飲んでいるのが1人。部屋の隅でテレビゲームに興じているのが2人。


 7人いる。予想より1人多い。全員が若く、自分と同年代──本来なら学校に通っているべき年齢だった。


「おい、おい、何勝手に入ってきてんだよ」


 赤ら顔の、明らかに酔っている少年が酒瓶を手に立ち上がった。外国人──中国系のように見えるが、流暢な日本語で喋っている。


「さっさと出て行けっつってんだよ。言葉が分からないのか?」


 葵は無言で眠たげなまなざしを向ける。アルコールの入った少年はそれだけで怒りを露にし、葵のブラウスの胸元を掴んだ。


 後ろを振り返って確認。橋本が頷いた。GOサイン。


 葵は少年の腕の露出した部分に隠し持っていたハンディータイプのスタンガンを無造作に押し当てた。


 電気のはじける音。少年の体がびくりと跳ね、酒瓶を取り落とし、膝をつく。


 出力はそう高いものではない。厚手の服の上からでは通用しない程度だが、生身のノーマルであれば暫くは行動不能にしておくことができる。素手だと事故が起きる可能性が跳ね上がるため、こういった非致死性武器の使用許可が下りるのは実にありがたかった。


 状況を未だ正確に把握できていない麻雀中の四人にも近寄る。後から首筋に、シャツを捲り上げて露出させた横っ腹に、それを遮ろうと伸ばされた腕に、椅子から慌てて立ち上がって逃げようとした背中にスタンガンで一撃を加える。


 TVゲームの2人に向き直る。既に臨戦態勢を取っていた。事前に提供されていたキメラの顔データと人相が一致──2人とも。服装までが一緒だった。


 警察が人数を読み違えた理由を理解する。


 葵は走りながら床に転がっていた酒瓶を掴み、整形──あるいは双子の片割れに向け、そのまま勢いをつけて叩きつけた。


 少年は腕を上げて酒瓶を防いだ。衝撃で瓶が割れ、ガラス片が空中へと飛び散った。よろけもしなければ、表情を歪めもしない。強化された骨格と筋肉を持っている。


 そこに、もう片割れが葵を目掛けてローテーブルを無造作に振り回した。ニスで仕上げられた太い足を持つ木製のものを、片手で。細身の少年が。


 葵は腰を落とし、肩口を使ってローテーブルを受け止め、確かめた。体がスライドするほどの強い衝撃。


 少年の細腕で軽々と振り回せるような重量ではない。ある意味、提供された情報に間違いはなかった。どちらも当たりだ。


 酒瓶で殴られた方が反撃に転じる。脇にあったコップを手に取り、飲みかけのジュースを葵に浴びせかける。


 狙いはスタンガン。避け損ねた葵は水浸しになったスタンガンを捨て、両手を少し持ち上げ、構えた。


 挟み込もうと双子が左右に別れる。葵はローテーブルを振り上げた方へ滑るように踏み込んだ。先んじて手を伸ばし、ローテーブルを握る手を遮り、同時に脇腹を殴りつける。非常に弾力のある筋肉の感触。相手はひるむことすらせず葵の髪を掴む。


 ウィッグが外れる。相手の一瞬の混乱。その隙に背後を確認。回し蹴りが放たれようとしていた。


 葵は全身から力を抜くように伏せた。後ろからの蹴りをやり過ごすと同時に、目の前にある足に両腕を引っ掛けて床に引き倒す。


 少年がよろめき、受身を取る。ローテーブルが床に落ちてけたたましい音を立てた。


 足に絡まった葵を引き剥がそうと相手が動くより早く、葵は床を蹴り、首元を支点に側転。男の上半身側に回り込む。腕を取り、両足を男の首に回し、全力で締め上げた。


 後ろ三角締め。一瞬で男の全身から力が抜け落ちた。


 相方を締め上げる葵に駆け寄って下段蹴りを放つが、閉め落とした直後に素早く後ろに転がっていた葵には掠りもしない。


 部屋の外からは様子を伺う橋本の声。「日向! 状況はどうだ!」


 自分の圧倒的不利を悟り焦った男の顔面狙いのストレートを、葵はもぐりこむように避ける。後ろに回りこみながら腕を引っ張り、稼動域の外までひと息で捻り上げる。


 右肩の外れる音。苦痛の呻き。うつぶせに倒れた男の背中にのしかかり、左腕も外した。悲鳴と絶叫が部屋を飛び出てフロア中に響き渡る。


「いま終わりました」


 葵が大声で告げると、ぞろぞろと待機していた警官たちがやってきた。先頭の橋本が部屋の惨状を見まわし、感心したように、呆れたように肩をすくめる。


「大したもんだ」

「実は少し危なかったんですけどね」葵は双子を指差した。「どっちもキメラです。気をつけてください」

 橋本が頭を下げる。「済まなかった、情報に不備があったようだ」

「次からは気をつけてもらえると助かります。冗談抜きで命に関わる問題なので」


 葵は部屋の中を漁った。箪笥の引き出し。クローゼット。キャビネット。机の引き出し──拳銃が見つかる。ハンカチ越しに両手でつまみ、橋本に見えるように掲げた。


「本当にすまん」


 橋本が再び頭を下げる。それから部下に向き直った。ノーマルには手錠を、キメラには拘束具をつけるように指示を飛ばす。


「麻酔は使わなくていいんですか?」

「どの程度のものまで使っていいか検査をしないと分からんし、下手して事故が起きでもしたら、警察が抗議団体の槍玉に挙げられかねん」橋本が溜息を漏らす。「あとはこいつらに任せれば大丈夫だ」


 出よう、と手を振る橋本の背を追う。部屋から退出する際に棒立ちのままの井川に向かって別れの挨拶をしたが、青ざめた顔でぎこちない会釈を返されただけだった。


「今日は助かったよ」エレベーターの中、二人きりになったところで橋本が言った。

「うちの製品の購入をご一考いただけると助かります。私の査定に関わるはずなので」

 コンソールパネルの前に陣取った橋本の背中が震える。「分かった。報告を上げるくらいしかできないが、好意的なものにしておくよ」


「お願いします。あと、余計なお世話かもしれませんけど、今日の双子はただのチンピラにしては中々いいスペックをしてましたので、気をつけたほうがいいですよ。本当ならパトカーじゃなくて頑丈な檻にでも放り込むべきですね」

「そこまで行くと猛獣と同じ扱いだな」

「重度の改造を受けてる場合、法的にはその解釈で間違ってないはずです」

「肝に銘じておくよ。見た目があれだから、中々慣れないがな」

「橋本さんが警察での導入実績になってみるのはどうです? 危険の多い職業ですし、そっちの方が安全なんじゃないですか?」

「遠慮しておくよ。余計に危険な仕事ばかり回されそうだ」


 エレベーターが一階に到着して扉が開く。白髪が乗ってきたパトカーに寄りかかって暇そうにしているのがホールから見えた。


「送っていこう。パトランプを点けようか?」


 冗談めかした橋本に手を振って葵はPDAで時刻を確認する。


「勘弁してください、これ以上目立ちたくないんですよ。それに、もう授業開始には間に合いそうにないのでゆっくりでいいです」

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