キメラになってみませんか?

@unkman

第1話 営業 - 1

 葵はパトカーの後部座席から身を乗り出し、バックミラーを覗きこんでウィッグのずれを確認した。地毛とは違う長い黒髪。特に不審な点は見当たらない。慣れない化粧の出来栄えも──少なくとも見苦しいというほどでもないように思えた。


 揺れのせいで自分の顔を正しく認識できなかった可能性もあったが、どちらにしろ昨日今日始めた化粧の腕前などたかが知れたものであるため、葵は割り切って化粧道具を片付けた。吊るしのパンツスーツも体に合っていないようには感じない。


「鏡は持ってないのか?」


 運転席の橋本が煙草を咥えたまま器用に口を開いた。以前に顔を合わせたときと同様、陰気な顔をしているのが容易に想像できる声。後ろにいるのが未成年者であることに配慮してか火はついていない。


「ええ、まあ」

「……一応聞いておくが、これから何をやるかは分かってるよな?」

「心配性だな、何度も打ち合わせをしただろうに。資料もちゃんと全部読ませてるよ」


 葵の代わりに答えたのは助手席に腕を組んで座った男だ。喪服のような黒いスーツと、それに相反するような総白髪というコントラストの激しい出で立ちをしており、屈強な体躯を縮こまらせて何とか座席に収めている。


「そりゃあ、この一件を任せるってことは、相当なスペックなんだろうがな……俺はてっきりお前がやるもんだとばっかり──本当に、そのお嬢さんが?」

 葵は小さく頷いた。「マンションの一室を不法占拠してる外国人を部屋から追い出せばいいんですよね?」


 競売で落札された雑居ビルの一室が外国人によって不法占拠されていたのが事の始まりだった。


 買受人の申し立てにより強制執行が行われることになり、立ち退きの執行人からその際に援助をしてほしいとの要請が警察に対して行われた。それを受けて橋本以下10名の警察官が派遣される運びとなり、今はその現場に急行している最中だった。残りの人員は後ろの二台のパトカーに搭乗して前を走るこの車と同じ速度でついてきている。


「普通は運送業者が中のものを運び出すのに立ち会うだけでいいんだが、占有してる外国人の中にキメラがいるせいで面倒なことになってる、っていうのは前に話した通りだ。ああ、まあ、それはいい。要するに俺が言いたいのは、君に何の恨みもない他人がぶん殴れるかってことなんだが」

「まあ、多分。精一杯努力します。後で罪に問われるってことはないんですよね?」


 身支度を終えた葵は、支給品の安物のトートバッグを端にやりながら言った。胡散臭いものを見るような視線がバックミラー越しに橋本から投げられる。


「ちゃんと正当防衛を装ってくれよ」

 白髪──八凪愁が口を挟む。「どうやってキメラだと分かったんだ? 病院の受診記録でも?」

「いや、別件の傷害事件の容疑者で」橋本が口をつぐみかけたが、面倒くさそうに続けた。「本来なら捜査情報は秘匿しなきゃならないんだが、まあこの程度ならいいだろう。明らかに普通じゃない破壊行為をやったと目される男と、不法占拠されたビルのカメラに映し出された男の顔が一致した。状況証拠しかないが、ほぼ間違いない。まあ、空振りなら家財一式の運び出しがつつがなく終了するだけだ」

「どんな手術を受けたかは分からないんでしたっけ」


 葵が念のために確認する。相手の情報はあればあるだけいい。橋本の答えは、先日と同様芳しくなかった。


「筋肉とそれに付随する骨格の強化は確実だろうが、それ以上はちょっと分からん。患者としてのデータが無かったんだ」


 遺伝子操作、俗に言うキメラ化の手術を受けるにあたって、患者は国に届出を行うことが法律で義務付けられている。その際、施術の有無に関わらず申請した人間の情報は病院とは別に国が管理しているデータベースに登録されるようになっており、警察は許可を取れば自由にその情報を閲覧できる権限を持っていた。


「多分、国外で施術を受けたんだろうな。規制の緩い東南アジアの可能性が高い」

「密入国か? いまどき闇医者ってのも無いだろうしな」愁が訊いた。

「恐らくは。採血は無理だとしても、空港でも簡単なチェックくらいは実施しているはずだ。それをすり抜けられるとは思えない」


 キメラによる犯罪の一番の問題点は、ほとんどの場合において、ノーマルな人間とキメラは外見で区別がつかないというところだ。


 血液やDNA検査だけでなく筋肉の強化であれば体積からの質量比で、感覚器官の鋭敏化であれば通常は知覚不可能な音や臭いで、その他様々な方法で対象がキメラかどうかを判別することは可能だったが、それも検査を行うことができればの話だ。


 見てくれで危険性や違法性の高さを判断するのは困難を極め、入国審査や病院での受診の際など、何かしらの折に炙り出すのが精々というのが現状だった。


「本来なら取り押さえるのに武装した機動隊でも出すべきなんだろうが、何しろ情報が不確定なんで許可が下りるまで時間がかかってる」橋本の声には微かに申し訳なさが滲んでいる。


 警察は不法占拠者達を逮捕することに決定したが、問題はそれを実行する人員だった。通常装備の警察官では予期せぬ被害が出る可能性が高い。そのため、今回は商品のセールスも兼ねて青海総合警備会社が下請けをする形になった。


「スペックが不明なのは分かりました。武装のほどは?」


 エンジンとエアコンの音が暫く車内を支配する。


 葵は思わずうめきそうになった。


 橋本が居心地悪そうに吸ってもいない煙草を灰皿ですり潰したのに対し、白髪の方は悪びれる様子も無く笑った。


「不測の事態に対処できるか否か、というのも商品のウリになる」

「それはどっちかっていうと身体的よりはメンタルの話になるんじゃないんですかね」

「肉体と精神は不可分だ。平静な状態でなければ十全な力を発揮できないように、体の性能に裏打ちされた冷静さ、平常心というものも存在する」


 もはや詭弁かどうかすら怪しい台詞を聞き流して葵はルーフランプに視線を合わせて考えた。正体は分からない。装備も不明。担当者の安全は自己負担。大した職場だ。


「そろそろだ」


 愁が外を指差した。目的地と思わしき雑居ビルが目に入る。


 そこそこの規模の建物。階数は10超で、ガラス張りの扉の向こうには薄いベージュ色をした大理石が敷き詰められたエレベーターホールが見えた。不法占拠されているという話の割には清潔感がある、というのが第一印象だった。


 車を入り口の横につける。後ろに付いて来ていたパトカーも続々と並んで停車した。すでに先客は到着しており、紺のスーツの男と、会社のロゴがプリントされた作業着を着込んだ、運搬業者と思われる男たちが何やら話し込んでいる。


 増援が到着したことに気付いたスーツの男は打ち合わせを切り上げて車を降りた橋本の方へとやってくる。


「本日はよろしくお願いします」


 そう言って頭を下げた男は立ち並ぶ警察官に負けず劣らずの体躯をしていた。表情はこれから正義を行うのだという意気込みに満ちている。


「こちらこそよろしくお願いします、井川さん」


 橋本が井川に会釈を返した。裁判所の執行官である井川は橋本以下9名の警察官を眺め、それから葵と愁を見て、少し驚いたように眉を上げる。


「こちらは件の協力者です」


 橋本に促され、二人が頭を下げる。


「日向です」

「八凪です」

「井川と申します。地方裁判所で執行官を務めております」


 井川の方も深くは詮索はせず、会釈をしてビルの方へと向き直った。

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